学位論文要旨



No 214771
著者(漢字) 渡部,和郎
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベカズオ
標題(和) 高度不飽和脂肪酸産生細菌の分離と脂質生化学研究
標題(洋) Isolation and lipid-biochemical study of polyenoic fatty acid-producing bacteria
報告番号 214771
報告番号 乙14771
学位授与日 2000.07.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第14771号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川口,昭彦
 東京大学 教授 大森,正之
 東京大学 教授 林,利彦
 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 助教授 渡邊,雄一郎
 東京大学 助教授 木暮,一啓
内容要旨 要旨を表示する

 序論

 海産魚に多く含まれるn-3系列の高度不飽和脂肪酸のエイコサペンタエン酸(EPA)とドコサヘキサエン酸(DHA)は、n-6系列のアラキドン酸由来のエイコサノイドの生成を抑制し、血栓性の成人病やアレルギー、大腸ガンなどの疾病を予防あるいは治療できることが知られている。現在、魚油から精製したEPAやDHAは、各々医薬品や健康食品として用いられており、その需要は将来的に増加すると考えられている。そこで、EPAとDHAの安定した大量供給を目的として新しい生産源が探索されている。その有力な候補はタンク培養が可能な微生物であり、海産の微細藻類、深海性の細菌、陸棲のカビ、コケ、藻類などが検討されている。これらの微生物の中で、藻類やカビなどのEPA生合成経路の研究は進んでおり、藻類では植物に存在するアシル−ACP型やアシル−脂質型の不飽和化酵素、カビでは動物に存在するアシル−CoA型の不飽和化酵素が関与していると考えられている。一方、原核生物である細菌によるEPAやDHA産生の報告は少なく、それらの合成に関する研究はほとんど行われていない。このように、EPA或いはDHAを産生する細菌はそれらの生産源としてだけではなく、n−3系列高度不飽和脂肪酸の合成や機能など脂質生化学的研究材料としても貴重である。これまでに報告されたEPA或いはDHA産生細菌は主に深海から分離されており、その至適生育条件は低温高圧である。常温常圧では生育ばかりでなく、EPA或いはDHAの生産量も低下する。EPAを生産する細菌として最初に報告されたFlexibacterは滑走細菌で、細胞膜の流動性は異常に高い。このように特異的な生物学的性質は、これらの細菌を用いたEPA或いはDHAの大量生産や脂質生化学的研究がほとんど進展していない原因の一つと考えられる。EPA或いはDHAを産生する細菌は微細藻類などとともに海洋における食物連鎖の一次生産者であると考えられるが、その結果として海産動物などの腸内に一時的に存在或いは定着している可能性がある。本研究では、EPA或いはDHA産生細菌の分離源として、これまであまり調べられていない海産魚などの腸内細菌に着目した。即ち、魚類を中心に海産動物の消化管内容物から、常温常圧で大量にEPA或いはDHAを産生する新しい細菌の分離を試みた。次に、分離された新しい細菌におけるEPA或いはDHAの役割や生合成経路に関する知見を得るため、脂質、脂肪酸組成の分析、in vivoにおける外因性脂肪酸の取り込みや代謝、内因性脂肪酸の合成に及ぼす影響、脂肪酸合成酵素及び不飽和化酵素の特徴などを検討した。

結果と考察

1)EPA或いはDHA産生細菌の分離

 海産魚など14種類のサンプルから得られた7391株の中から、112株のEPA産生細菌を分離した。一次スクリーニングでは、これらのEPA生産量は1〜15mg/1培養液で総脂肪酸の1〜25wt%であった。その内、Pneumatophorus japonicus(サバ)から分離されたSCRC-2738のEPA生産量は15mg/1培養液、総脂肪酸の25wt%の高い値を示した。一方、約100種類のサンプルから得られた40392株の中から、10株のDHA産生細菌を分離した。分離源はいずれもニギス、Japanese argentine、であった。一次スクリーニングでは、これらのDHA生産量は1〜4mg/1培養液で総脂肪酸の1〜25wt%であった。その内、SCRC-21406のDHA生産量は4mg/1培養液、総脂肪酸の25wt%の高い値を示した。SCRC-2738はShewanella属の新種に分類された。SCRC-21406は既に報告されているVibrio属とは異なる新種と考えられ、現在のところ検討中である。

2)SCRC-2738とSCRC-21406の脂質・脂肪酸組成

 SCRC-2738、SCRC-21406とも主要な脂質はホスファチジルエタノールアミン(PE)とホスファチジルグリセロール(PG)であった。両菌の主要な高度不飽和脂肪酸は各々EPAとDHAであり、これらの脂肪酸はPEよりもPGに多く存在し、PEとPGのsn-2位に局在した(表1と2)。高度不飽和脂肪酸以外の主要な脂肪酸は、両菌ともパルミトオレイン酸、16:1(n-7)、であった。SCRC-2738の生育温度の上限は30℃であり、25〜27℃で生育速度が最も速かった。EPAの生産量は10〜20℃が最も高く、25℃で85%、27℃では50%以下、30℃では検出限界以下に低下した。一方、16:1(n-7)の生産量は20℃で最も低く、15℃以下及び25℃以上では上昇した。この結果は、EPAよりも16:1(n-7)の方が、SCRC-2738の低温適応に寄与していることを示唆している。SCRC−21406の生育温度の上限は19℃であり、12〜18℃で生育速度が最も速かった。DHAの生産量は4〜12℃で最も高く、16℃では50%以下に低下した。16:1(n-7)の生産量は4〜16℃ではほとんど変化はなかった。SCRC-21406の低温適応におけるDHAと16:1(n-7)の寄与は同じ程度と考えられた。また、生育温度範囲から判断すると両菌とも好冷細菌であるが、SCRC-21406の方がより好冷性であった。他のEPA或いはDHA産生細菌の生育温度範囲も各々SCRC−2738或いはSCRC−21406とほぼ同じであった。DHA産生細菌の分離頻度はEPA産生細菌よりも著しく低かったが、その原因の一つとしてこのような生育温度の上限の違いが考えられた。

3)SCRC-2738による外因性脂肪酸の取り込みと代謝

 リン脂質中のEPAへの[14C]酢酸の取り込み速度は速く、パルスチェイス実験では期待される合成中間体は検出できなかった。また、総脂肪酸への[14C]酢酸の取り込みは培養温度20℃と30℃で検出されたが、EPAへの取り込みは30℃では検出されなかった。培養温度を20℃に下げると取り込みは可逆的に回復した。

 [14C]16:0、[14C]18:1(n-9)、[14C]18:2(n-6)及び[14C]20:3(n-6)は、菌体内でリン脂質に取り込まれた。また、これらのβ酸化生成物は検出されたが、鎖長延長と不飽和化生成物は検出されなかった。このことは、SCRC-2738には植物や藻類に存在するアシル-脂質型の不飽和化活性が存在しないことを示している。18:1(n-9)と18:3(n-3)は、PEとPGのsn-2位に取り込まれ、リン脂質中のモノエン酸及びEPAの割合は低下した。DHAもsn-2位に取り込まれてモノエン酸の割合は低下したが、EPAは低下しなかった。この結果、EPAとDHAを高い比率で含むリン脂質が得られた。このような分子種は天然にも見い出されておらず、新しい生理活性物質として期待できる。

4)SCRC-2738の脂肪酸合成系

 菌体を破砕して得た細胞質画分と膜画分の粗酵素を用いたin vitroの脂肪酸合成実験によって、細胞質画分にアシルキャリアプロテイン(ACP)及びNADPHとNADH要求性の新規合成系と鎖長延長系が存在することが示された(表3)。新規合成系の最終生成物は16:0-ACPと16:1(n-7)-ACPであった。このことはE.coliと同様の嫌気的不飽和脂肪酸合成経路が存在することを示している。鎖長延長系は炭素鎖長20(C20)までの合成活性を示した(表4)。アシル-ACPを基質としたC20までの鎖長延長活性が、細胞質画分に存在することはこれまでに知られていない。また、β-ケトアシル合成酵素阻害剤であるセルレニンは新規合成活性を阻害したが、鎖長延長活性は阻害しなかった。一方、膜画分にはアシル-ACPを基質とする飽和酸からジエン酸までの不飽和化活性が検出された。この活性はフェレドキシン及びフェレドキシンNADP+レダクターゼの存在下で上昇した。嫌気的経路で生成するモノエン酸の二重結合の位置は、EPAの二重結合の位置と矛盾すること、アシルーCoA及びアシルー脂質型の不飽和活性は検出されなかったことから、アシル-ACP型の不飽和化酵素系がEPAの合成に関与することが示唆された。以上の結果から、SCRC-2738における全脂肪酸合成経路を提案した(図1)。即ちEPA合成経路は、アシルーACPを基質としたC20までの鎖長延長系とアシルーACPを基質としてポリエン酸を生成する不飽和化系を特徴とする新規な経路である可能性が示唆された。

表1 SCRC-2738のPEとPGの脂肪酸分子内分布

表2 SCRC-21406のPEとPGの脂肪酸分子内分布

表3 脂肪酸新規合成と鎖長延長活性に及ぼすACP、NADPHとNADHの効果。新規合成ではアセチル-CoAを基質として生成した14:0、16:0と16:1に、鎖長延長では18:0-CoAを基質として生成した20:0に取り込まれた[2-14C]マロニル-CoAの量を示した。

表4 細胞質粗酵素によって各基質と[2-14C]マロニル-CoAから合成された脂肪酸放射能はラジオガスクロと液体シンチレーションカウンターで測定された。

図1 SCRC-2738の予想される脂肪酸分子内分布

審査要旨 要旨を表示する

 エイコサペン;タエン酸(EPA)やドコサヘキサエン酸(DHA)などのn-3系列高度不飽和脂肪酸は、n-6系列のアラキドン酸由来のエイコサノイドの生成を抑制し、血栓性の成人病やアレルギー、大腸ガンなどの疾病の予防あるいは治療に有用であることが知られている。これらのEPAやDHAは海産魚に多く含まれており、現在は魚油から精製したEPAやDHAが医薬品や健康食品として用いられている。これらn-3系列高度不飽和脂肪酸の需要は将来的に増加することが予想され、EPAとDHAの安定した大量供給を目的として新しい生産源の確保が重要な研究課題である。

 その有力な候補はタンク培養が可能な微生物であり、海産の微細藻類、深海性の細菌、陸棲のカビ、コケ、藻類などが検討されている。本研究の特色は、EPAあるいはDHAを産生する細菌は微細藻類などとともに海洋における食物連鎖の一次生産者であろうと,いう作業仮説に基づいて、EPAあるいはDHA産生細菌の分離源として、これまであまり調べられていない海産魚などの腸内細菌に着目した点である。すなわち、魚類を中心に海産動物の消化管内容物から、常温常圧で大量にEPAあるいはDHAを産生する新しい細菌の分離に成功した。さらに、分離された新しい細菌におけるEPAあるいはDHAの生合成経路に関する研究を行い、この細菌では新しい不飽和化機構によってn-3系列の高度不飽和脂肪酸が合成されていることを示した。

 本論文は二部から構成されている。第一部はEPAあるいはDHA産生細菌の分離と脂質・脂肪酸組成の解析であり、第二部はEPA産生細菌の脂肪酸合成系の解明と新しい不飽和化機構の提案である。各部の要旨および研究の特色は下記のおりである。

EPAあるいはDHA産生細菌の分離と脂質・脂肪酸分析

 海産魚など14種類のサンプルから得られた7391株の中から、112株のEPA産生細菌を分離し、これらの内、最大の生産量を示した株は、サバ(Pneumatophorus japonicus)から分離されたSCRC-2738で、EPA生産量は15mg/1培養液、総脂肪酸の25wt%の高い値を示した。一方、約100種類のサンプルから得られた40392株の中から、10株のDHA産生細菌を分離した。分離源はいずれもニギス(Japanese argentine)であった。これらの内、SCRC-21406のDHA生産量は4mg/1培養液、総脂肪酸の25wt%の高い値を示した。SCRC-2738はShewanella属の新種に分類された。SCRC-21406は既に報告されているVibrio属とは異なる新種と考えられる。

 これまでに報告されたEPAあるいはDHA産生細菌は主に深海から分離されているが、これらの至適生育条件は低温高圧である。常温常圧では生育ばかりでなく、EPAあるいはDHAの生産量も低下した。しかしながら、本研究で分離した産生細菌は、いずれも常温常圧で培養が可能であり、EPAあるいはDHAの供給源として有用であることが示唆された。

 本研究では、代表的なEPA産生細菌(SCRC-2738)とDHA産生細菌(SCRC-21406)の脂質・脂肪酸組成を解明した。SCRC-2738、SCRC-21406とも主要な脂質はホスファチジルエタノールアミン(PE)とホスファチジルグリセロール(PG)であった。両菌の主要な高度不飽和脂肪酸は各々EPAとDHAであり、これらの脂肪酸はPEよりもPGに多く局在した。高度不飽和脂肪酸以外の主要な脂肪酸は、両菌ともパルミトオレイン酸であった。SCRC-2738の生育温度の上限は30℃であり、25〜27℃で生育速度が最も速かった。EPAの生産量は10〜20℃が最も高く、30℃では検出限界以下に低下した。一方、パルミトオレイン酸の生産量は20℃で最も低く、15℃以下および25℃以上では上昇した。この結果は、EPAよりもパルミトオレイン酸の方が、SCRC-2738の低温適応に寄与していることを示唆している。SCRC-21406の生育温度の上限は19℃であり、12〜18℃で生育速度が最も速かった。DHAの生産量は4〜12℃で最も高く、16℃では50%以下に低下した。パルミトオレイン酸の生産量は4〜16℃ではほとんど変化はなかった。また、生育温度範囲から判断すると両菌とも好冷細菌であるが、SCRC-21406の方がより好冷性である。

EPA産生細菌(SCRC-2738)の脂肪酸合成系および不飽和化機構の解明

 SCRC-2738の菌体を破砕して得た細胞質画分と膜画分の粗酵素を用いたin vitroの脂肪酸合成実験によって、細胞質画分にアシルキャリアプロテイン(ACP)およびNADPHとNADH要求性の新規合成系と鎖長延長系が存在することが示された。新規合成系の最終生成物はパルミトイル-ACPとパルミトオレイル-ACPであった。このことは大腸菌と同様の嫌気的不飽和脂肪酸合成経路が存在することを示唆した。鎖長延長系は炭素鎖長20(C20)までの合成活性を示した。アシル-ACPを基質としたC20までの鎖長延長活性が、細胞質画分に存在することはこれまでに知られていない。一方、膜画分にはアシルーACPを基質とする飽和酸からジエン酸までの不飽和化活性が検出された。この活性はフェレドキシンおよびフェレドキシンNADP+レダクターゼの存在下で上昇した。嫌気的経路で生成するモノエン酸の二重結合の位置は、EPAの二重結合の位置と矛盾すること、アシル-CoAおよびアシル-脂質型の不飽和活性は検出されなかったことから、アシル-ACP型の不飽和化酵素系がEPAの合成に関与することが示唆された。以上の結果から、SCRC-2738には、アシルーACPを基質としたC20までの鎖長延長系とアシルーACPを基質としてポリエン酸を生成する不飽和化系を特徴とする新規な経路である可能性が示唆された。

 現在まで、植物に存在するアシルーACP型やアシルー脂質型の不飽和化酵素、動物に存在するアシルーCoA型の不飽和化酵素が報告されていた。本研究の特色は、植物や動物にはないアシルーACPを基質とする不飽和化系の存在を証明したことである。

 本論文の内容の大部分は、関係分野で世界的に評価されている雑誌に既に印刷公表されている。また、本論文の第一部は、石川千夏子、矢澤一良、近藤 聖、川口昭彦各氏との共同研究であり、第二部は、石川千夏子、井上仁美、Deng Cenhua、大塚伊津子、鎌田正純、富田美穂、村松 宏、矢澤一良、近藤 聖、川口昭彦各氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を推進したものであると判断できる。

 よって、本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク