学位論文要旨



No 214780
著者(漢字) 高見,和孝
著者(英字)
著者(カナ) タカミ,ワコウ
標題(和) 微生物による難分解性物質トリクロロエチレンの分解に関する研究
標題(洋)
報告番号 214780
報告番号 乙14780
学位授与日 2000.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14780号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大森,俊雄
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 講師 野尻,秀昭
内容要旨 要旨を表示する

 今世紀初頭からの化学工業のめざましい発達とともに、自然界では存在していない化学物質が人為的に大量に生産され、自然環境中へも大量に放出されてきた。最近になり、これらの化学物質による環境汚染が明らかになると同時に、これら環境汚染化学物質のもつ毒性が深刻な社会問題になっている。これら環境汚染物質の中で、塩素系脂肪族化合物のトリクロロエチレン(TCE)(図1)は化学構造上安定かつ不燃性であることから、機械、電子工業、クリーニング分野で溶媒や脱脂剤として使用されているが、士壌や地下水の環境汚染を引き起こしており、その発がん性から深刻な問題になっている。これまでに、TCEはメタン資化性細菌やトルエン、フェノール等の芳香族化合物資化性細菌が共酸化条件で分解することが知られており、これらの資化性細菌を利用したTCEの分解浄化の検討について多くの研究が行われてい乱しかし、ごれらの菌株は高濃度のTCEを分解するのは困難であり、また、共存するTCEによって菌体の生育も阻害される。この様な背景から、TCE分解酵素遺伝子を効率よく発現させる組換え体を用いて、TCE分解浄化システムを構築することにより、高濃度のTCEを含んだ汚染水や排水の処理が可能になると考えられる。

 本研究ではまず、TCE分解酵素遺伝子を取得するために、TCE分解能を有した微生物を、芳香族化合物又は低分子有機化合物資化性細菌の中から、分解基質にTCEを用いた休止菌体反応により探索した。その結果、ジメチルスルフィド(DMS)資化性細菌Acinetobacter sp.20B株、クメン(イソプロピルベンゼン)資化性細菌Pseudomonas fluorescens IPO1株、及びジベンゾフラン資化性細菌Terrabacter sp.DBF63株がTCE分解能を有していることが明らかになった。これらの菌株の中では、P.Fluorescens IPO1株とTerrabacteersp.DBF63株がほぼ同等のTCE分解性を示し、TCE1.5mg/1を20時間で約90%分解した。Acinetobacter sp.20B株は他の2株よりはTCE分解能は低く、同濃度のTCEを20時間で約25%分解した。TCE分解にはこれらの菌株の各資化性物質酸化酵素が関与していることが推測されたため、各資化物質酸化酵素を効率的に発現させることでTCE分解能が向上することが考えられた。この時点でAcinetobacter sp.20B、及びP.flurlescens IPO1株の各資化物質酸化酵素は既に同定されクローニングが終了していたが、Terrabacter sp.DBF63株のジベンゾフラン酸化酵素については同定されておらず、酸化酵素遺伝子も取得されていなかった。そこで、Acinetobacter sp.20B、及びP.fluorlescens IPO1株の各酸化酵素遺伝子で形質転換した大腸菌E.coliJM109株組換え体によるTCE分解の検討を行った。この結果、Acinetobacter sp.20B株のDMSモノオキシゲナーゼ遺伝子(dsoABCDEF)を導入した組換え体E.coliJM109(pAU96)及びP.fluorescensIP01株のクメンジオキシゲナーゼ遺伝子(cumA1A2A3A4)を導入した組換え体E.coliJM109(pIPlO7)は野生株よりも高いTCE分解性を示し、それぞれの組換え体はTCE15mg/lを20時問で約90%、及び100%分解した(図2)。これらの結果から組換え体は、野生株と比べ効率よく分解酵素を発現し高いTCE分解性を示すことが明らかになった。各組換え体によるTCE分解では、分解したTCEと化学量論的にほぼ等量の塩素イオンが検出されたが、分解代謝物と考えられる物質は検出されなかった。この結果より、TCEは各酸化酵素により酸化され、ほぼ分解代謝されたと考えられた。

 DMSモノオキシゲナーゼ、及びクメンジオキシゲナーゼ遺伝子を組み込んだ組み換え体は、TCE以外の塩素化オレフィン類に対してもそれぞれ異なった酸化活性を示すことが示された。TCE、ジクロロエチレン類、ジクロロプロペン類及びジクロロブテン類に対する、DMSモノオキシゲナーゼとクメンジオキシゲナーゼの酸化活性は、TCEと1,3-ジクロロ-1-プロペンはクメンジシゲナーゼの方が高い酸化活性を示したが、これ以外の塩素化オレフイィンに対してはDMSモノオキシゲナーゼが高い酸化活性を示した。DMSモノオキシゲナーゼによる塩素化オレフィン類の酸化では、酸化生成物としてほとんどの基質の一酸素原子添加反応によるエポキシ体の生成が確認された。の他の検出された生成物もエポキシ体が生成した後脱塩素化によって生成したものであることが示された。クメンジオキシゲナーゼの場合は、化合物のsp2炭素原子に塩素原子が結合していない塩素化オレフィンは、二酸素原子添加反応によりジオール体が生成する事が確認された。また、1,1-ジクロロ-1-プロペン、3,4-ジクロロ-1-ブテンを一酸素原子添加反応によるアルコール体へと変換することから、クメンジオキシゲナーゼは二酸素原子添加反応以外の多彩な酸化反応を示す能力を有していることが明らかになった。

 このように、多彩な酸化反応を示すDMSモノオキシゲナーゼとクメンジオキシゲナーゼを同時に発現させた組換え体、E.coliJM109(pIO720)は、TCEに対して、それぞれのオキシゲナーゼ遺伝子組み導入した組換え体よりも高いTCE分解活性を示し、両者の基質特異性を併せ持つことが示された(図2)。ところが、E.coliJM109(pIO720)は,共存するTCEによるTCE分解阻害を受けることが示され、時間とともに組換え体のTCE分解活性が低下することが明らかになった。一方この組換え体は、150mg/1のTCEが共存しても生育阻害の影響を受けないことも明らかとなった。これらの事から、TCE分解酵素の固定化、組換え体E.coliJM109(pIO720)を用いたバッチ培養による方法では長時間、高濃度のTCEを分解させることが困難であると考えられた。しかし、この組換え体はTCEが共存していても菌体の生育阻害を受けにくいことから、この組換え体の速い増殖を利用した連続培養により効率的にTCE分解処理できる可能性が示唆された。そこで組換え体の連続培養によるTCE分解を試みた。

 E.coliJM109(pIO720)の連続培養はジャーファーメンテーターを用いて行い、連続培養におけるこの組換え体のTCE分解活性の検討を行った。プラスミドpIO720は、アンピシリン耐性遺伝子を保持していることから、供給培地にアンピシリンを添加してE.coliJM109(pIO720)の連続培養を行った結果、培養中の生育菌体量の変化も少なく、一定の菌体量を保持したが、E.coliJM109(pIO720)のTCE分解活性が急速に失われることが明らかになった(図3)。この原因は、培地にアンピシリンを添加しているにもかかわらず、連続培養中に宿主からプラスミドが消失するためであることが明らかになった。そこで、プラスミドpIO720が保持しているアンピシリン耐性遺伝子を、カナマイシン耐性遺伝子に変換したプラスミドpIO72Kを構築し大腸菌を形質転換したところ、E.coliJM109(pIO72K)は連続培養中に宿主からプラスミドを消失させることなく、TCE分解活性を維持できることが示された。

 また、E.coliJM109(pIO72K)のTCE分解活性は、連続培養の希釈率などの培養条件の影響を受けることが示された(図3)。連続培養の希釈率がO.2h-1の時、TCE分解活性が最も高く、また少なくとも300時問は分解活性が保持されることが明らかになった。

 以上の結果から、E.coliJM109(pIO72K)は高濃度のTCEによる生育阻害を受けにくく、また連続培養によって長時間TCE分解能を有することから、今後この組換え体を利用したTCE分解浄化システムの実用化の研究が期待される。

図1 トリクロロエチレン

図2 組換え体によるTCE分解

図3 連続培養による組換え体のTCE分解活性変化.連続培養希釈率

審査要旨 要旨を表示する

 環境汚染物質であるトリクロロエチレン(TCE)は、現在までにメタン資化性細菌や芳香族化合物資化性細菌が共酸化により分解されることが報告されている。しかし、従来の野生型の分解菌を用いる方法では10ppm以上の高濃度のTCEを分解することは困難であるため、高濃度のTCE汚染水を処理するには分解性を向上させた微生物を用いる必要がある。本論文は、TCEの分解性を向上させるために、TCE分解酵素遺伝子を組み込んだ組換え体を構築し、組換え体によるTCEの分解性の検討および連続培養法によるTCEの分解について検討を行った結果をまとめたもので、6章より構成されている。

 第1章は、研究の背景と目的を述べた緒論から構成されている。

 第2章では、TCE分解能を有した新規微生物の探索結果が述べられている。探索の結果、ジメチルスルフィド(DMS)資化性細菌Acinetobacter sp.20B株、クメン資化性細Pseudomonas fluorescens IPO1株、およびジベンゾフラン資化性細菌Terrabacter sp.DBF63株がTCE分解能を有していることを見出し、各菌株のTCE分解性についての検討を行った。これらの菌株は各々の資化基質に生育させた場合にのみTCE分解性を示したことから、TCE分解には各々の基質で誘導される酸化酵素が関与していることが示唆された。

 第3章では、これらの菌株が有する各資化物質酸化酵素遺伝子を用いて、大腸菌E.coli JM109株を形質転換させた組換え体によるTCE分解検討結果が述べられている。この結果Acinetobacter sp.20B株のDMSモノオキシゲナーゼ遺伝子、又はクメン資化性細菌Pseudomonas fluorescens IPO1株のクメンジオキシゲナーゼ遺伝子を組み込んだ組換え体によるTCE分解でのVmax値は、野生株のそれと比べて100倍以上高くなることが見出され、組換え体は野生株よりも高いTCE分解性を示すことを明らかにした。更にDMSモノオキシゲナーゼ遺伝子とクメンジオキシゲナーゼ遺伝子を同時に組み込んだ組換え体のVmax値は、それぞれのオキシゲナーゼ遺伝子単独で組込んだ組み換え体よりも2倍高く75ppmのTCEを20時間で90%分解し、更に各オキシゲナーゼの基質特異性を併せ持つことを明らかにした。

 第4章では、DMSモノオキシゲナーゼ、及びクメンジオキシゲナーゼのTCE以外の塩素化オレフィン類に対する基質特異性についての検討結果が述べられている。DMSモノオキシゲナーゼは炭素数が2から4個で構成される塩素化オレフィン類に酸化活性を示し、同定された酸化生成物の構造から一酸素原子添加反応のみを触媒することを明らかにした。クメンジオキシゲナーゼの場合も同様に各塩素化オレフィン類に対する酸化活性を有しており、同定された酸化生成物の構造からクメンジオキシゲナーゼは基質の構造によって一酸素原子添加、及び二酸素原子添加反応を触媒するなど多彩な酸化反応を触媒することを明らかにした。

 第5章では組換え体の連続培養によるTCE分解性の検討結果を述べている。組換え体の薬剤耐性遺伝子としてアンピシリン耐性遺伝子を組み込んだ組換え体の連続培養では、アンピシリン共存下でも培養中にプラスミドの脱落が生じ、TCE分解活性が低下することを明らかにした。しかし薬剤耐性遺伝子にカナマイシン耐性遺伝子を組み込んだ組換え体の連続培養では、プラスミドの脱落もなく安定してTCE分解活性が長時間持続することを明らかにした。更にこの組換え体のTCE分解活性は、連続培養の培養条件により影響を受けることも明らかになり、高TCE分解活性発現のための最適培養条件も検討した。

 第6章では、論文全体の総括及び組換え体によるTCE分解システムの可能性を中心に今後の展望について考察されている。

 以上、本論文は、TCE分解酵素遺伝子を組み込んだ組換え体によるTCE分解性の検討を行うとともに、各酸化酵素の基質特異性、酸化反応機構の解析、及び組換え体の連続培養法におけるTCE分解性の評価を行うことで、組換え体によるTCE分解システムの構築の可能性を示したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク