学位論文要旨



No 214783
著者(漢字) 遠藤,徹夫
著者(英字)
著者(カナ) エンドウ,テツオ
標題(和) 微生物機能を用いた糖ヌクレオチド及び糖鎖の生産
標題(洋)
報告番号 214783
報告番号 乙14783
学位授与日 2000.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14783号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 助教授 大久保,明
内容要旨 要旨を表示する

 糖鎖は細胞接着・癌・免疫など生体にとって重要な機能に関わる化合物であり、様々な生理活性をもっている。それゆえ、医薬品を中心とした糖鎖の広範な応用の可能性が指摘され、病原性細菌やウイルスの感染予防、毒素の中和、癌の免疫療法など、医薬品の開発が進みはじめている。しかしながら糖鎖の工業的な生産法がなくその供給が限られているため潜在的可能性が指摘されながらも利用が進んでいないのが現状である。

 糖鎖の生産法としては、まず化学合成法が挙げられる。過去多くの先駆的研究により、立体選択的合成法と生物機能解析の面ではさまざまな成果がでている。しかし依然として複雑な合成工程、保護・脱保護工程、立体選択性の制御など多くの問題点が残っており、工業的な大量生産法としては不向きである。

 これとは別の生産法として酵素合成法があり、具体的にはグリコシダーゼの逆反応を利用する方法と糖転移酵素を利用する方法が知られている。グリコシダーゼの逆反応については、様々なグリコシダーゼも利用可能になってきているが、選択性の低さと収率の低さなどのため工業的な製法には問題点が残る。一方、糖転移酵素を利用した方法では、糖転移酵素のもつ基質特性の厳密さにより高い選択性と高収率が期待できる。理論的には副生産物ができないことからも、糖転移酵素を利用する方法は糖鎖の工業的生産に適した方法と考えられているが、利用できる糖転移酵素が少ないことや、原料となる糖ヌクレオチドが高価である点から現在まで実用化に至っていない。

 そこで筆者は、従来の発酵生産技術を組み合わせることで、現在まで大量生産法の確立していない糖ヌクレオチド及び糖鎖の工業的生産法を確立すべく検討を開始した。全章にわたって展開される合成法の骨子を以下に要約する。

 第一章では微生物機能を用いた糖ヌクレオチド生産プロセスの構築に関して、オロット酸からUTP転換能をもつCorynebacterium ammoniagenes と糖ヌクレオチド生合成遺伝子を強化した組換え大腸菌とを組み合わせる方法を検討した。筆者は糖ヌクレオチドの生産において、微生物の有する糖ヌクレオチド生合成経路を利用することを考え、糖ヌクレオチド生合成経路上の遺伝子を大腸菌で高発現させる方法を試みた。糖ヌクレオチドの原料となっているのは糖リン酸とヌクレオシド三リン酸(NTP)であるが、これらを一つの菌株により生産することは困難である。そこで筆者は、単糖から糖リン酸を生産するには糖ヌクレオチド生合成系を強化した組換え大腸菌を用い、NTPの生産には核酸の生産菌であるC.ammoniagenes を用いて、実際の生産プロセスではこの二つの菌株を組み合わせることを考えた。

 具体的には、UDP.Ga1生産システムを構築する場合、大腸菌のUDP-Ga1生合成経路の酵素群(Galactokinase,Galactose-1-P uridyltransferase,Glc-1-P uridyltransferase)の遺伝子を高発現した組換え大腸菌を作製し、オロット酸からUTPへの転換能を有するC.ammoniagenesと共役させた。検討の結果、安価な原料であるGalとオロット酸より効率的にUDP-Galを蓄積させることに成功した。

 糖ヌクレオチドにはUDP-Gal、UDP-Glc、UDP-GlcNAc、UDP-GalNAc、CMP-NeuAcなどピリミジン系ヌクレオチドを基本にしたものと、GDP-Man、GDP-Fucなどプリン系ヌクレオチドを基本にしたものが存在するが、いずれにおいても糖とヌクレオチドから生産されるものであるから、生合成経路上で強化すべき遺伝子をうまく選択することができれば、上述の菌株を組み合わせる方法で様々な糖ヌクレオチドの生産が可能であると考えた。なお、C.ammoniagenesと組換え大腸菌を組み合わせるプロセスとしては、CDP-コリンの生産系を応用した。

 第二章では先に開発した糖ヌクレオチド生産システムを利用した糖鎖生産システムの開発について論述している。糖転移酵素を用いた糖鎖生産の場合、主な問題点として、

(1)糖ヌクレオチドが高価で利用困難。

(2)糖ヌクレオチドのヌクレオチド部分が糖転移酵素反応を阻害する。(3)利用できる糖転移酵素が限られている。

の三点がある。筆者はまず、第一章で確立した糖ヌクレオチド生産システムに糖転移酵素をカップリングさせることで、最初の二つの問題点を解決することを考えた。つまり、筆者の考案した糖ヌクレオチド生産システムに糖転移酵素を組み合わせることにより、糖転移反応で遊離したヌクレオチドはC.ammoniagenesにより効率的にNTPに変換され、再び糖ヌクレオチド生産に利用されることが考えられた。第三の問題点である、利用できる糖転移酵素が限られるという点であるが、これまでに見出された多くの動物細胞由来の糖転移酵素は、そのほとんどが大腸菌で活性を発現せず、工業的生産に利用できないというのが主な理由である。しかし数年前より微生物にも動物細胞由来の糖転移酵素と同じ活性をもつ糖転移酵素が存在することが明らかになってきた。例えばNeisseria gonorrhoeaeからはβ-1,4-ガラクトース転移酵素、α-1,4-ガラクトース転移酵素、β-1,3-N-アセチルグルコサミン転移酵素などがクローン化され、大腸菌で活性を検出することに成功している。加えてここ数年で爆発的な進歩をとげたゲノム解析技術の進展を考えれば、今後ますます多くの微生物由来の糖転移酵素がクローン化されていくものと思われる。また、これら微生物由来の糖転移酵素の特徴として、動物細胞由来の糖転移酵素遺伝子と比べ大腸菌で発現が容易であることから、筆者は微生物由来の糖転移酵素遺伝子を用いた糖鎖生産システムの構築を検討した。

 具体的には微生物由来のα-1,4-ガラクトース転移酵素を高発現した組換え大腸菌菌体をUDP-Gal生産システムに加えて反応させた。その結果、ガラクトース、ラクトース及びオロット酸から188g/Lのグロボトリオースが蓄積した。また、微生物由来のβ-4,4-ガラクトース転移酵素を高発現した組換え大腸菌を用いることでN-アセチルグルコサミン、ガラクトース、オロット酸からN-アセチルラクトサミンを123g/L蓄積することができた。

 第三章では糖鎖生産システムに利用できる新規糖転移酵素の取得について論述している。筆者の開発した糖鎖生産システムでは、大腸菌で発現可能な糖転移酵素が非常に重要であるが、特に微生物由来の糖転移酵素に大腸菌で活性をもつものが多く知られている。例えば第三章で利用したNeisseria由来の糖転移酵素の他にも、Helicobacter pyloriやPhotobacterium damsela等からも数種の糖転移酵素が発見され、大腸菌での高発現化に成功している。しかし現在まで知られている微生物由来の糖転移酵素については他者が権利を保有しているため、商業的な利用の際にはライセンスが必要である。そこで、微生物由来の新規糖転移酵素の取得を目指し、活性を指標としたスクリーニングを行った結果、H.pyloriより新規β-1,4-ガラクトース転移酵素のクローン化に成功した。さらに本酵素の大腸菌での高発現化に成功し、本酵素を糖鎖生産システムに組み込むことで、1例としてN-アセチルラクトサミンを効率的に生産することができた。

 第四章では糖鎖生産システムの応用範囲を拡大するため、同じピリミジン系の糖ヌクレオチドであるCMP-NeuAcの生産プロセスの構築について論述した。CMP-NeuAc生産システムを構築する場合は、UDP-Gal生産システムの場合と同様に、CMP-NeuAc生合成経路上の酵素に着目し、各酵素をコードする遺伝子を大腸菌で高発現させることを考えた。また、CTPの生産においては、CDPコリンの生産プロセスを参考に、UTPからCTPを酵素的に生産する組換え大腸菌とC.ammoniagenesを利用することを考えた。具体的にはCMP-NeuAc生合成経路の酵素群(CTP synthetase, CMP-NeuAc synthetase)の遺伝子を高発現した組換え大腸菌を作製し、C.ammoniagenesと共役させた。その結果、シアル酸とオロット酸から効率的にCMP-NeuAcを蓄積させることができた。

 第五章では、第四章で確立したCMP-NeuAc生産システムを利用し、生体内で様々な生理活性をもつシアル酸含有糖鎖の生産システム確立について論述している。基本的な概念は第二章のガラクトース含有糖鎖生産システムと同様であり、シアル酸転移酵素の原料であるCMP-NeuAcの生産システムにシアル酸転移酵素をカップリングさせる方法を検討した。具体的には、まず微生物由来のα-2,3-シアル酸転移酵素をクローン化し、大腸菌で高発現させた。次にこの組み換え大腸菌を先に開発したCMP-NeuAc生産システムと共役させ、糖鎖生産を検討した。その結果、オロット酸、ラクトース、シアル酸を原料として、シアル酸含有糖鎖の一つである3'-シアリルラクトースが効率的に蓄積した。

 以上の検討により、C.ammoniagenesと組換え大腸菌の組み合わせにより、世界で初めて効率的で量産化しうる糖ヌクレオチド及び糖鎖の生産システムの構築が可能となった。微生物機能を利用し、従来大量生産が困難であった糖ヌクレオチド及び糖鎖の大量生産が可能になったことは、今後の糖鎖科学の発展に大きく寄与するものと確信している。

審査要旨 要旨を表示する

 糖鎖は細胞接着・癌・免疫など生体にとって重要な機能に関わる化合物であり、様々な生理活性をもつことが知られている。これまで糖鎖は主に化学的合成法で合成され、糖鎖の機能解析に極めて大きな貢献をしてきたが、糖鎖構造の複雑さゆえ合成過程の制御が難しく、合成される量もまた種類も十分供給されているとはいえない状況にある。化学的合成方法以外では酵素的合成方法が知られており、これにはガラクトシダーゼの逆反応を用いた方法と糖転移酵素を用いた方法とがある。しかし前者は収率や副生産物に関して問題点があり、後者は基質となる糖ヌクレオチドの工業的製法がないため高価であることから、現在まで糖鎖を大量生産するには至っていない。本研究は糖転移酵素を用いた糖鎖合成の手法に着目し、糖ヌクレオチドの大量生産法および糖鎖生産プロセスの開発を試みたもので、五章よりなる。

 序論で糖ヌクレオチドおよび糖鎖の生産法に関する現状を述べたあと、第一章では微生物機能を用いた糖ヌクレオチド生産プロセスの構築に関して、オロット酸からUTP転換能をもつCorynebacterium ammoniagenesと、糖ヌクレオチド生合成遺伝子を強化した組換え大腸菌とを組み合わせる方法について述べている。C.ammoniagenesと組換え大腸菌を組み合わせるプロセスは、CDP-コリンの生産で実績があるため、実験室レベルである程度の生産性が達成できればスケールアップは容易であることが推定された。

 具体的には、UDP-Gal生産システムを構築する場合、大腸菌のUDPGa1生合成経路の酵素群の遺伝子を高発現した組換え大腸菌菌体と、オロット酸からUTPへの転換能を有するC.ammoniagenesの菌体とを混合し、安価な原料であるGalとオロット酸を基質として添加し、界面活性剤の存在下で攪拌し反応を進行させることより、効率的にUDPGalを蓄積させることに成功した。

 第二章では先章で開発した糖ヌクレオチド生産システムを利用した糖鎖生産システムの開発について述べている。糖鎖生産システムの構築においては、糖転移酵素をカップリングさせることにより、基質の糖ヌクレオチドから副生されるヌクレオチドをC.ammoniagenesにより反応系内で再びNTPに変換し、リサイクル利用することを試みた。また、大腸菌で発現させる糖転移酵素のソースとしては、動物細胞由来の糖転移酵素遺伝子と比べて大腸菌で発現が容易な微生物由来の糖転移酵素遺伝子について検討を行った。

 具体的には微生物由来のα-1,4-ガラクトース転移酵素を高発現した組換え大腸菌をUDP-Gal生産システムと共役させた。その結果、ガラクトース、ラクトース及びオロット酸から188g/Lのグロボトリオースが蓄積した。また、微生物由来のβ-4,4-ガラクトース転移酵素を高発現した組換え大腸菌を用いることによりN-アセチルグルコサミン、ガラクトース及びオロット酸からルアセチルラクトサミンを123g/L蓄積させることができた。

 第三章では糖鎖生産システムに利用できる新規な糖転移酵素の取得について述べている。本研究で開発した糖鎖生産システムでは、大腸菌で発現可能な糖転移酵素が非常に重要であることから、微生物由来の糖転移酵素の取得を検討した。その結果、Helicobacter pyloriより新規β-1,4-ガラクトース転移酵素のクローン化および高発現化に成功した。本酵素は上記糖鎖製造システムに利用可能であり、1例としてN-アセチルラクトサミンを20時間で60g/L生産することができた。

 第四章では糖鎖生産システムの応用範囲を拡大するため、同じピリミジン系の糖ヌクレオチドであるCMP-NeuAcの生産プロセスの構築について述べた。ここではCMP-NeuAc生合成経路の酵素群の遺伝子を高発現した組換え大腸菌を、C.ammoniagenesと共役させた。その結果、シアル酸とオロット酸から効率的にCMP-NeuAcを生産することに成功した。

 第五章では、第四章で確立したCMP-NeuAc生産システムを利用し、生体内で様々な生理活性をもつシアル酸含有糖鎖の生産システム確立について論述している。具体的には、微生物由来のα-2,3-シアル酸転移酵素を高発現した組換え大腸菌を、先に開発したCMP-NeuAc生産システムと共役させることにより、シアル酸含有糖鎖を効率的に蓄積した。

 終章の総括では、C.ammoniagenesと組替え大腸菌を組み合わせた糖ヌクレオチドおよび糖鎖の効率的大量生産システムを世界に先駆けて構築できたことを述べるとともに、この新システムが従来量産が困難であった多種多様な有用糖ヌクレオチドおよび糖鎖の大量供給を可能にし、今後の糖鎖科学の発展に大きく寄与する可能性について述べている。また、複合微生物系を用いて糖転移酵素機能と糖代謝工学とをドッキングさせたこの新システムは、人工的な生合成システム(artificial biosynthetic system)として応用生物科学に新たな視点を与えることが期待される。

 以上、本論文は複合微生物系を用いた糖ヌクレオチドおよび糖鎖の効率的な生産システムを新規に構築したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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