学位論文要旨



No 214784
著者(漢字) 高木,善弘
著者(英字)
著者(カナ) タカキ,ヨシヒロ
標題(和) 好アルカリ性細菌Bacillus halodurans C-125株の全ゲノム解析とその比較遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 214784
報告番号 乙14784
学位授与日 2000.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14784号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大坪,栄一
 東京大学 教授 高橋,秀夫
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 横田,明
内容要旨 要旨を表示する

 好アルカリ性細菌Bacillus halodurans C-125はpH7.0-pH10.5のアルカリ環境下で良好に生育する。このアルカリ性環境適応機構の解明を目指して、これまで個々の遺伝子に注目し研究が進められてきた。しかし、多くの遺伝子が複雑に関係して制御されているアルカリ性適応機構を解明するには、これまでの方法論の積み重ねだけでは困難であると思われる。そこで、アルカリ性環境下でいかなる遺伝子が発現し、制御されているかを全遺伝子情報をもとに網羅的に解析することは、好アルカリ性細菌を理解する上で重要なアプローチの一つと考えられる。

 また、好アルカリ性Bacillus属細菌は、工業的に有用なアルカリ酵素を菌体外に分泌する。しかしながら、これまで報告された数多くのアルカリ酵素のうち実用化されたものは、数種類にすぎず、酵素生産性の低さが最も主たる原因となっている。したがって、好アルカリ性Bacillus属細菌の酵素生産メカニズムを明らかし、工業化に結びつけていくためにも、生物の全ゲノムを網羅的に明らかにして生命体の全体像を理解することが不可欠と考えられる。

 そこで、本研究は、好アルカリ性細菌B.halodurans C-125株と近縁種である枯草菌のゲノム全体を比較することで、好アルカリ性に関与している遺伝子群を網羅的に解明することを第一の目的として行なってきた。また、工業的に有用な好アルカリ性Bacillus属細菌をゲノム生物学という新しい視点から研究し、さらなる有効利用を第二の目的として、B.halodurans C-125株(C-125株)の全塩基配列を決定した。

 第2章「Bacillus sp. C-125株の系統分類学的解析」では、Bacillus sp.C-125株(C-125株)の系統分類学的な位置について検討を行った。DNA-DNAハイブリダイゼーションの結果、C-125株は、B.haloduransの標準菌株と86%の高い相同値を示し、16SrDNAの塩基配列に基づいた系統解析でもB.haroduransの近縁種であることが確認された。Bacillus sp. C-125株をBacillusu halodurans C-125株と呼ぶことにした。

 第3章「Bacillus harodurans C-125株の物理地図及び遺伝子地図の作成」では、本菌株のゲノムサイズを決定し、物理地図及び遺伝子地図を作成した。制限酵素AscI及びSse83871により切断されたDNA断片のサイズより、本菌株のゲノムサイズは、425Mbと推定された。さらに、リンキングクローンを用いて、これらDNA断片からなる制限酵素地図を構築した。

 第4章「Bacillus harodurans C-125株とBacillus subtilis 168株ゲノム問の遺伝子構成の部分的比較」では、C-125株とB.subtilis 168株(枯草菌)との間の遺伝子構成を比較するため、複製、蛋白質合成をつかさどる遺伝子群の解析および任意に選択したλファージクローンの挿入断片領域の遺伝子解析を行った。

 C-125株の複製開始点(0riC)領域から、gida-gyra間の13個の遺伝子が同定され、枯草菌ゲノムにも保存されていた。その遺伝子構成も同一であった。また、dnaA遺伝子の上流と下流の非コード領域には、8個と2個のDnaA box(TTAT(C/A)CACA)の繰り返し構造(DnaA boxクラスター)が見られ、枯草菌においても同領域にDnaA boxクラスターが存在した。しかし、枯草菌ゲノムのjag遺伝子の上流に存在する第3のDnaA boxクラスターは、C-125株ゲノムには見出されなかった。

 本菌株ゲノムから、41個の遺伝子からなるリボソーム蛋白質遺伝子クラスター(str、S10、spc、α)が同定された。その遺伝子構成は、枯草菌の同クラスターと一致した。さらに、8個のrrnオペロンが同定され、oriCから90°の領域に配置していることが判明した。そのrm11オペロンの構造は、枯草菌のそれと同じであるが、internally transcribed sequence(ITS)は、枯草菌と比較して長大であった。

 任意に選択した3つのλファージクローン(λ3、λ4、λ9)の塩基配列を決定し、遺伝子構成を解析した。その結果、SD配列を伴う44個のORFが見出され、34個のORFが枯草菌の遺伝子と相同性を示した。これら遺伝子のゲノム上での配置は枯草菌と比べ大きく異なっていた。

 第5章「ホールゲノムショットガン配列決定法によるBacillus harodurans C-125株ゲノムの全塩基配列の決定」では、C-125株ゲノムの全塩基配列決定をホールゲノムショットガン法を用いて行った。本法で得られなかったギャップ領域は、PCRにて取得し、全塩基配列を決定した。本ゲノムは4,202,353塩基からなり、GC含量は43.7%であった。また、大きな特徴として、101塩基から1915塩基の範囲で16種類の反復配列が、108ヶ所にわたってゲノム上に分布していることがわかった。

 第6章「Bacillus harodurans C-125株ゲノムの遺伝子領域の推定とアノテーション」では、C-125株の全塩基配列より、4066個のORFを同定し、その機能を推定した。

 全ORFは、ゲノム全体の約85%を占めており、その平均サイズは、877塩基で292個のアミノ酸配列をコードしていた。また、そのGC含量は平均して44.4%であった。一方、非コード領域は39.8%であった。これら遺伝子の78%はATGを、12%はTTGを、そして10%はGTGを開始コドンとした。RNA遺伝子は、8個のrRNA遺伝子オペロン、78個のtRNA遺伝子が同定された。さらに、10S RNA遺伝子(ssrA)、RNase Pの補酵素遺伝子(rnpB)、分泌に関与する4.5S RNA遺伝子(scr)が存在していた。

 全ORFのうち、3323個(82%)が他の生物種に保存されていた。そのうち、2713個が枯草菌ゲノムに保存されていた。また、機能が推定された2141個(52.7%)のORFのうち、1746個のORFが枯草菌ゲノムの中に保存されていた。機能が推定できなかった1925個(47.3%)のORFのうち、743個のORFがどの生物種にも保存されずC-125株に特有と考えられた。

 第7章「Bacillus harodurans C-125株ゲノム中の遺伝子群の解析とBacillus subtilis 168株ゲノムとの比較」では、B.halodurans C-125株の遺伝子構造について、詳細に検討した。また、近縁種である枯草菌と間でゲノム構造や遺伝子構造について比較検討した。

 C-125株と枯草菌のゲノム構造の全体像を比較した結果、枯草菌ゲノムに保存されていた2713個のORFのうち約1500個のORFが、ゲノム上の遺伝子配置も同じであることが明らかになった。これら遺伝子には、複製、蛋白質合成に関連した遺伝子や炭水化物、脂質、アミノ酸らの基本的な代謝系の遺伝子がオペロン単位で含まれていた。また、両菌株は同様な構成因子でBacillus属に特徴的な胞子形成を行っていることも明らかになった。また、C-125株ゲノムの112°-153°領域と212°-240°領域の遺伝子が、枯草菌ゲノムと比較して、terCを中心にして逆位していることが、ゲノム全体を比較することにより初めて明らかになった。

 アルカリ性環境下で細胞内のpH維持に寄与すると考えられている細胞壁のテイクロノペプチドとNa+/H+対向輸送体について検討した。テイクロノペプチドの合成に関連するtupA遺伝子は、ゲノム上の3.76Mb付近に配置し、隣接した5個の遺伝子とともにクラスターを形成していた。また、5個のNa+/H+対向輸送体遺伝子が同定され、それらと相同な遺伝子が枯草菌にも存在していた。

 さらに、スーパーファミリーであるABCトランスポーターについて解析を行った。本菌株より、約35種類のABCトランスポーターが同定された。さらに構成蛋白質であるATP結合蛋白質を枯草菌のそれと比較したところ、6個のオリゴペプチドを基質とするATP結合蛋白質が、C-125株に特異的であることが判明した。

 最後に、外界の変化に応答する遺伝子群について検討した。本菌株ゲノムにおいて同定された20個のシグマ因子遺伝子のうち、10個の遺伝子は、環境シグナルやストレスに応答して発現するextracytoplasmic function(ECF)ファミリーに属し、枯草菌ゲノムには相同遺伝子はなく、C-125株に特異的であった。さらに、2成分制御系遺伝子においても、枯草菌とは共有していない遺伝子セットも見出された。

 本研究のゲノム解析により、好アルカリ性細菌の増殖に必要と思われる遺伝子は、枯草菌ゲノムにも良く保存されていた。その反面、膜輸送や環境変化への適応に関連した遺伝子において、多くの違いが見出された。

審査要旨 要旨を表示する

 好アルカリ性細菌Bacillus halodurans C-125株は、アルカリ環境下で良好に生育する。本菌株のアルカリ性環境適応機構の研究は、これまで個々の遺伝子に注目し進められてきた。しかし、多くの遺伝子が複雑に関与して制御されている適応機構を解明するには、これまでの方法論の積み重ねだけでは困難である。本論文は、好アルカリ性に関与している遺伝子群を網羅的に解明するため、B.halodurans C-125株の全塩基配列を明らかにし、近縁種である枯草菌との比較によって論じている。

 第1章において研究の背景と意義を概説した後、第2章においてBacillus sp. C-125株(C-125株)の系統分類学的な位置について述べている。DNA-DNAハイブリダイゼーションと16S rDNAの塩基配列に基づいた系統解析により、本菌株をBAcillus haloduransと同定した。

 第3章においてC-125株の物理地図について述べている。制限酵素AscI及びSse83871により切断されたDNA断片のサイズより、本菌株のゲノムサイズを4.25Mbと推定した。さらに、リンキングクローンを用いて物理地図を構築した。

 第4章においてはC-125株とB.subtilis 168株(枯草菌)間の部分的な遺伝子構成について述べている。C-125株の複製開始起点(oriC)領域の遺伝子構成は枯草菌と同一であった。また、本菌株のdnaA遺伝子の周辺の非コード領域において、DnaA蛋白質が結合するDnaA box(TTAT(C/A)CACA)の繰り返し構造を見出した。以上の結果より、両菌株の複製開始起点領域が類似しており、共通な機構で複製が制御されていることを示唆した。また、主要リボソーム蛋白質遺伝子クラスターの遺伝子構成が両菌株間で同一であることを示した。一方、任意に選択したλファージクローンの遺伝子解析により、C-125株と枯草菌間において、遺伝子のゲノム上での配置が大きく異なることを示した。

 第5章においては、ホールゲノムショットガン法によるC-125株ゲノムの全塩基配列決定について述べている。本菌株のゲノムは4,202,353塩基対から構成され、GC含量は43.7%であることを示した。また、101塩基対から1915塩基対の範囲で16種類の反復配列がゲノム上の108ヶ所に分布することを見出した。

 第6章においてはC-125株の全塩基配列からの遺伝子領域の確定と、その遺伝子のアノテーションについて述べている。本菌株の全ゲノムから4066個の遺伝子を同定し、その遺伝子領域がゲノム全体の85%を占めることを示した。全遺伝子のうち2141個(52.7%)が機能推定可能遺伝子、1182個(29.1%)が機能未知遺伝子であることを示した。残り743個の遺伝子が他の生物種の遺伝子と類似性を示さない、本菌固有な遺伝子であることを見出した。RNA遺伝子として、8個のrRNA遺伝子オペロンと78個のtRNA遺伝子を見出した。C-125株の大きな特徴として、27種類のtransposase遺伝子が112個存在することを見出した。

 第7章においてはC-125株のゲノム構造や遺伝子構造について、近縁種である枯草菌との比較を通して述べている。本菌株の全遺伝子のうち7割近い遺伝子が枯草菌に相同遺伝子が存在することを明らかにした。これら遺伝子には、複製、蛋白質合成、炭水化物代謝、脂質代謝、アミノ酸代謝等の増殖に必須な遺伝子を含むことを示した。また、両菌株のゲノム全体を比較することにより、112°-153d°領域と212°-240°領域がterCを中心にして逆位していることを示唆した。

 また、C-125株と枯草菌の遺伝子のクラスタリング解析を行った。その結果、環境シグナルやストレスに応答して発現するECFファミリーに属するシグマ因子やオリゴペプチドを基質とするABCトランスポーターにおいて、C-125株に特異的な遺伝子が存在することを見出した。

 アルカリ性適応機構に関与するNa+/H+対向輸送体遺伝子やATP合成酵素遺伝子には枯草菌との違いは見出せず、一方、エネルギー生成に関与する末端酸化酵素cytochrome-c oxidaseやcytochrome-bd oxidaseは、C-125株に特異的な遺伝子であることを示した。また、本菌株の細胞壁に多く含まれるテイクロノペプタイドの合成に関与するtupA遺伝子が他の生物種には存在しない本菌固有の遺伝子であった。

 以上、本論文は、好アルカリ性細菌B.halodurans C-125株の全遺伝子を明らかにし、枯草菌との比較を通して、好アルカリ性細菌に特異的な遺伝子を明らかにしたもので、学術上・応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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