学位論文要旨



No 214786
著者(漢字) 岡田,宗典
著者(英字)
著者(カナ) オカダ,ムネノリ
標題(和) 豚マイコプラズマ肺炎の予防法に関する研究
標題(洋)
報告番号 214786
報告番号 乙14786
学位授与日 2000.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第14786号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 熊谷,進
 東京大学 助教授 遠矢,幸伸
 農水水産省家畜衛生試験場 部長 山本,孝史
内容要旨 要旨を表示する

 生産性向上のために養豚経営の大型化、企業化が進むなかで、近年、生産性を阻害する疾病として呼吸器病や下痢症などの慢性疾病が重要視されている。Mycoplasma hyopneumoniaeによって引き起こされる豚マイコプラズマ肺炎(MPS:Mycoplasmal pneumonia of swine)は、これらの慢性疾病のなかで最も発生率が高いもののひとつであり、わが国の豚群においてもM.hyopneumoniaeが高率に浸潤していることが明らかとなっている。MPSの予防・治療のために生産現場においては、抗生物質の投与が行われているが、耐性菌の出現や食品としての安全性といった公衆衛生上の観点から使用を制限する傾向が強くなっている。さらに飼育環境の改善のために、早期離乳やSPF豚群への変換などが提案されているが、莫大な投資を必要とするため、一般的には行われていない。この様な背景から、近年、ワクチンによるMPSの予防方法が注目を集めている。M.hyopneumoniaeの自然感染あるいは実験感染を耐過した豚は再感染に抵抗性を示すことから、従来からMPSに対するワクチンの可能性が示唆されていた。これまでに数多くの不活化ワクチンの試みが報告されているものの一定した効果が得られていない。M.hyopneumoniae感染においては、肺病変の形成に生体の免疫機構が関与していることが示唆されており、おそらく、このことがワクチン開発を困難なものとしているのであろう。著者らは、MPSに対する不活化ワクチンの実用化をめざし、ワクチン抗原としてM.hyopneumoniaeの培養上清に注目した。本研究では、実験感染系を用いてワクチン抗原としてのM.hyopneumoniaeの培養上清の有効性を確認し、培養上清中に存在する抗原蛋白について検討するとともに、培養上清ワクチン注射豚における肺病変形成の抑制機序を明らかにした。さらに、実際の生産現場に本ワクチンを応用し、培養上清ワクチンの野外における有効性と生産性の改善効果について評価した。

 第1章では、M.hyopneumoniaeの全菌体および培養上清を抗原とした不活化ワクチンを作製し、豚の実験感染系を用いて、各ワクチンのMPSに対する防御効果について評価した。さらに、ワクチン注射豚の血清を用いて免疫応答に関与する抗原にっいて検討した。その結果、対照区では、すべての豚にMPSに典型的な肺病変が観察され、その肺病変面積率は9.8から15、6%であり、平均は12.2±2.2%であった。また、肺病変部から106.2 Color-Changing Unit(CCU)/mlのM.hyopneumoniaeが回収された。これに対して、全菌体ワクチン注射区では、攻撃時のCF抗体価(GM抗体価:256.0)が、著明に上昇していたにもかかわらず、剖検時の平均肺病変面積率は18.7±16.5%であり、5頭中2頭には肺病変が認められなかったものの、残りの3頭には25.6%から33.2%に及ぶ激しい肺病変が認められた。また、肺からの回収菌数は105.8CCU/mlであり、対照区との有意差は認められなかった。一方、培養上清ワクチン注射区では、攻撃時のCF抗体価は比較的低い値(GM抗体価:4.0)を示したものの5頭中2頭には、まったく肺病変が認められず、残りの3頭にもわずかに認められる程度で、剖検時の平均肺病変面積率は3.2±3.9%であり、対照区に比べ有意に(p<0.05)減少し、安定した肺病変形成抑制効果が認められた。さらに、肺からの回収菌数は1042CCU/mlであり、対照区に比べ有意にΦ<0.05)減少していた。攻撃直前の各ワクチン注射豚の血清とM.hyopneumoniaeのTween20可溶化抗原を用いたイムノブロッティングを行ったところ、全菌体ワクチン注射区の攻撃直前の血清は、少なくとも17種類の蛋白(145,125,llO,97,89,78,65,61,52,46,42,41,38,34,30,28,22kDa)と強く反応した。一方、培養上清ワクチン注射区の攻撃直前の血清は、8種類の蛋白(97,89,65,52,46,42,41,34kDa)と反応した。これらのうち52kDaと34kDaのバンドは、可溶化抗原の非特異反応と考えられたことから、培養上清ワクチン注射豚の攻撃直前の血清は、M.hyopneumoniaeの6種の蛋白(97、89、65、46、42および41kDa)を認識しており、これらの蛋白のいくつかが、肺病変形成の抑制に関係している可能性が考えられた。以上の結果から、M.hyopneumoniaeの培養上清ワクチンは、安定した肺病変形成の抑制効果を示し、おそらく、培養上清中に存在する6種の蛋白のいずれかが、肺病変形成の抑制効果に関与するものと推測された。

 第2章では、M.hyopneumoniae培養上清ワクチンによる肺病変形成の抑制効果にっいて、その作用機序を明らかにするために、培養上清ワクチン注射豚のBALF中に出現する炎症性細胞と局所抗体の推移、さらに炎症性サイトカインの産生について検討し、形成された肺病変の組織学的所見との関連について考察した。

 ワクチン注射区のBALFでは、攻撃後1週以降、M.hyopneumoniae特異的IgAおよびIgG抗体価の急速な上昇が認められ、IgA抗体価は、攻撃後1週以降、IgG抗体価は、攻撃後2週から3週において対照区に比べ有意(P<0.Ol)に高い値を示した。M.hyopneumoniae両試験区のBALFから回収され、攻撃後4週におけるワクチン注射区の回収菌数は、102.8CCU/mlであり、対照区の回収菌数(105.0CCU/ml)に比べ有意(P<0.Ol)に低かったものの、攻撃後3週まで両試験区において有意差は認められなかった。一方、BALF中のTNF-αは、攻撃後2週以降、両試験区において検出されたが、ワクチン注射区のTNF-α濃度は、対照区に比べ攻撃後3週以降、有意(P<0.05)に低い値を示し、低濃度で推移した。豚のBALFにおける攻撃前の総細胞数は、5.5〜5.6×105個/mlであり、そのほとんどを肺胞マクロファージが占め、わずかに、好中球およびリンパ球が認められた。しかし、M.hyopneumoniaeによる攻撃後、対照区では総細胞数が増加し、とくに攻撃後2週以降、TNF-α濃度の上昇に一致して、好中球およびリンパ球が顕著に増加した。一方、ワクチン注射区では、好中球数およびリンパ球数は、攻撃後2週以降、対照区に比べ有意(P<0.Ol)に低い値を示し、特に、好中球は、攻撃後4週で減少に転じた。また肺胞マクロファージも攻撃後4週で、対照区に比べ有意(P<0.01)に低い値を示し、総細胞数は、増加する傾向にあるものの、攻撃後2週以降、対照区に比べ、有意(P<0.Ol)に低い値を示した。剖検時、対照区のすべての豚に肺病変が認められ、肺病変面積率は11.2±7.5%であった。一方、ワクチン注射区の肺病変面積率は0.6±0.7%であり、対照区比べ有意(P<0.Ol)に低い値を示し、5頭中2頭に肺病変がわずかに認められたものの、残りの3頭では肉眼的にはまったく認められなかった。しかしながら、肉眼的に肺病変が認められなかったワクチン注射区の肺においても、組織学的には対照区と同様に気管支および肺胞腔内への炎症性細胞(肺胞マクロファージおよび好中球)の浸潤さらに気管支周囲のリンパ濾胞の過形成が、組織学的に観察された。一方、ワクチン注射区の肺では、肺胞マクロファージおよび好中球の浸潤を示すMAC387陽性細胞数や丁細胞の集簇を示すCD3陽性細胞数が、対照区に比べ有意(P〈0.05)に低かった。さらにワクチン注射区におけるIgA産生細胞は、対照区比べ約2倍に増加していた。これらの結果から、培養上清ワクチン注射豚ではM.hyopneumoniae感染後、早い時期に局所抗体が産生され、この抗体が肺胞マクロファージとM.hyopneumoniaeとの相互作用を抑制することにより、TNF-αの産生を抑制するものと考えられた。その結果、その後の炎症性サイトカインの誘導や炎症性細胞の浸潤など肺の炎症反応が抑制され、肺病変が減少するものと考えられた。

 第3章では、これまでにM.hyopneumoniaeの実験感染系での有効性が確認された培養上清ワクチンについて、実際の生産現場での有効性を実証するために、衛生レベルの異なる三ヵ所の農場を用いて、培養上清ワクチンの有効性について評価した。

 それぞれの農場の子豚をワクチン区と対照区に分け、ワクチン区の豚には培養上清ワクチンを3〜7週齢時と、その4週後に注射した。肺病変および菌分離の結果からM.hyopneumoniaeが浸潤していないと考えられた農場では、第2回注射後4週でCF抗体が有意(p<0.05)に上昇し、CF抗体は第2回注射後12週まで持続したことから、ワクチン抗体は、すくなくとも3ヶ月間持続することが示された。M.hyopneumoniaeの浸潤が確認された農場では、ワクチン注射により臨床症状が改善され、と場検査において、ワクチン区では、対照区に比べ肺病変保有率が半減し、肺病変面積率も有意(P<0.05)に減少した。さらに、肺から分離されたM.hyopneumoniaeの菌数も、対照区に比べ有意(P<0.05)に減少していた。一方、平均1日増体重と出荷日齢は、比較的衛生レベルの高い農場では、ワクチン区と対照区の間に有意差は認められなかったが、慢性呼吸器病による被害の大きい農場では、ワクチン区において、平均1日増体重が、有意(P<0.05)に増加していた。さらに出荷日齢は、対照区に比べ有意(P<0.05)に短縮された。その結果、飼料要求率の改善も認められた。以上の結果から、M.hyopneumoniaeの培養上清を用いた不活化ワクチンは、野外においてもMPSの臨床症状および肺病変の形成を抑制することが明らかとなった。さらに慢性肺炎による経済的被害の大きい農場においては、生産成績も改善できることが明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

 Mycoplasma hyopneumoniaeによって起こる豚マイコプラズマ肺炎(MPS:Mycoplasmal pneumonia of swine)は、豚の慢性疾病のなかで最も発生率が高く、養豚産業に甚大な経済的被害を与えている。生産現場においては、MPSの予防・治療のために抗生物質の投与が行われているが、公衆衛生上の観点から使用を制限する傾向が強くなっている。さらに飼育環境の改善のために早期離乳やSPF豚群への変換などか提案されているが、一般的には行われていない。この様な背景から、著者はMPSの予防方法としてM.hyopneumoniaeの培養上清を用いた不活化ワクチンを開発し、その実用化について研究を行なった。

 本研究では、実験感染系を用いてM.hyopneumoniaeの培養上清ワクチンの有効性を確認し、培養上清中に存在するM.hyopneumoniae抗原蛋白について検討するとともに培養上清ワクチン注射豚における肺病変形成の抑制機序を明らかにした。さらに実際の生産現場に本ワクチンを応用し、野外における有効性と生産性の改善効果について評価した。

 第1章では、M.hyopneumoniaeの全菌体および培養上清を抗原とした不活化ワクチンを作製し、実験感染系を用いて各ワクチンの防御効果について評価した。さらに、ワクチン注射豚の血清を用いて免疫応答に関与する抗原について検討した。全菌体ワクチン注射豚では、攻撃時のCF抗体価が、著明に上昇したものの肺病変面積率および肺からの回収菌数に対照豚との有意差は認められなかった。一方、培養上清ワクチン注射豚では、攻撃時のCF抗体価は比較的低い値を示したものの肺病変面積率および回収菌数は対照豚に比べ有意に減少した。

 以上の結果から、培養上清ワクチンは、肺病変形成の抑制効果および菌の定着抑制効果を示すことが明らかとなった。さらに培養上清ワクチン注射豚の血清は、M.hyopneumoniaeの6種の蛋白を認識しており、おそらく、これらの蛋白のいずれかが肺病変形成の抑制に関係している可能性が示唆された。

 第2章では、M.hyopneumoniae培養上清ワクチンによる肺病変形成の抑制効果について、その作用機序を明らかにするために、培養上清ワクチン注射豚の気管支肺胞洗浄液(BALF)に出現する炎症性細胞と局所抗体および炎症性サイトカイン(TNF-α)について検討し、肺病変の組織学的所見との関連について考察した。攻撃後、培養上清ワクチン注射豚のBALFでは対照豚に比べM.hyopneumoniae特異的IgAおよびIgG抗体価の有意な上昇が認められた。しかしながらM.hyopneumoniaeがすべてのBALFから回収され、攻撃後4週における培養上清ワクチン注射豚の回収菌数は、対照豚に比べ有意に低かったものの攻撃後3週まで有意差は認められなかった。BALF中の細胞は、対照豚では総細胞数が増加し、TNF-α濃度の上昇に一致して好中球およびリンパ球が顕著に増加した。一方、培養上清ワクチン注射豚では、TNF-α.は低い値を示し、肺胞マクロファージ、好中球数およびリンパ球数も低い値を示した。さらに肺病変面積率は対照豚に比べ減少していた。組織学的には気管支および肺胞腔内への炎症性細胞の浸潤さらに気管支周囲におけるリンパ濾胞の過形成が観察されたが、培養上清ワクチン注射豚の肺における肺胞マクロファージおよび好中球の浸潤や丁細胞の集簇は、対照豚に比べ軽度であった。さらにIgA産生細胞は、対照豚比べ増加していた。

 以上の結果から、培養上清ワクチン注射豚ではM.hyopneumoniae感染後、早い時期に局所抗体が産生され、この抗体が肺胞マクロファージとM.hyopneumoniaeとの相互作用を抑制することにより、TNF-αの産生を抑制するものと考えられた。その結果、その後の炎症性サイトカインの誘導や肺の炎症反応が抑制され、肺病変が減少するものと考えられた。

 第3章では、衛生レベルの異なる三ヵ所の農場を用いて実際の生産現場におけるM.hyopneumoniaeの培養上清ワクチンの有効性を検討した。培養上清ワクチン注射豚ではMPSの臨床症状が改善されるとともに肺病変保有率が半減し、肺病変面積率およびM.hyopneumoniaeの菌数は有意に減少した。さらに慢性呼吸器病による被害の大きい農場では平均1日増体重が増加し、出荷日齢は短縮された。その結果、飼料要求率の改善も認められた。

 以上本論文は、M.hyopneumoniaeの培養上清を用いた不活化ワクチンは、生産現場においてもMPSの臨床症状および肺病変の形成を抑制することが明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)論文として価値あるものと認めた。

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