学位論文要旨



No 214787
著者(漢字) 柏瀬,裕人
著者(英字)
著者(カナ) カシワセ,ヒロト
標題(和) 抗レトロウイルス活性を有するアリルピペラジニルフルオロキノロン化合物に関する研究
標題(洋) Studies on Antiretroviral Arylpiperazinyl Fluoroquinolones
報告番号 214787
報告番号 乙14787
学位授与日 2000.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第14787号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 助教授 遠矢,幸伸
 東京大学 助教授 大野,耕一
内容要旨 要旨を表示する

 ヒト免疫不全ウイルス(HIV)は後天性免疫不全症候群(AIDS)の病原体として知られ、その性状からレトロウイルス科レンチルイルス属に分類されている。HIVは、さらに表面糖タンパクの抗原型によってHIV-1及び-2に分類されている。AIDSはCD4+リンパ球数の減少を主徴とする病気であり、これに伴って宿主免疫機能が低下し、主にカリニ肺炎等の日和見感染症やカポシ肉腫、悪性リンパ腫等を併発する致死的な疾患である。HIV感染は今や世界の人ロに影響を与える脅威となっている。

 HIVの同定以来、HIV感染に対する化学療法剤の研究が精力的になされ、現在では核酸系逆転写酵素阻害剤6剤(本邦では5剤)、非核酸系逆転写酵素阻害剤3剤(本邦では1剤)、HIVプロテアーゼ阻害剤5剤が既に上市され、臨床で使用されている。特に複数の薬剤を同時に用いるHAART(highly active antiretroviral therapy)の導入以降、先進国ではAlDS関連疾患患者数及びAIDSによる死亡者数は激減していることが報告されている。しかしながら、(1)HAARTに要する費用は患者ひとり当り12,000米ドルと高価なため、発展途上国に住む大多数の患者(全体の約95%)が治療を受けられないこと、(2)薬剤耐性ウイルスの出現、薬の副作用、複数の治療薬の服薬習慣遵守が困難なこと等が原因で治療効果が上がらない症例が多いこと、(3)現行の治療法では体内からのウイルス排除はできないこと等、現行の治療法には限界がある。このような背景から、新しい作用機作を有するか薬剤耐性ウイルスに対しても効果があり、安全で安価な治療薬の開発が待望されている。

 キノロン系化合物は抗菌活性を持つ抗生物質として広く使用されている。最近、ある種のキノロン系抗生物質が抗HIV活性を併せ持つことが報告され、安価で新しいタイプの抗HIV剤として利用できる可能性が示された。

 本研究は抗HIV活性を有するキノロン系化合物をHIV感染症の治療薬に資することを最終目的として二部から構成され、第一部においてキノロン系化合物のスクリーニングにより抗HIV活性を有する新規化合物を発見し、化学修飾により抗HIV活性を増強させることを試みた。また、現状の抗HIV剤の開発では割愛されている生体内での薬効評価1よHIVに近縁の動物ウイルスを用いることにより成し得る可能性がある。そこで、第二部ではネコ免疫不全ウイルス(FIV)の定量系を確立した上で、キノロン系化合物の抗FIV活性を評価するとともにその作用機作の解析を行った。

第一部 新規抗HIVアリルピペラジニルフルオロキノロンに関する研究

 ある種のキノロン系抗生物質が抗HIV活性を有することが示されたことを受け、三共株式会社の有する化合物ライブラリーのうち、キノロン系化合物の抗HIV活性を調べた。本スクリーニングにより、アリルピペラジニルフルオロキノロンの一種であるR-71762がHIV増殖阻害剤として選択できた。本化合物は、急性感染細胞及び持続感染細胞のいずれにおいてもHIV増殖を阻害した。また、先に報告のあったキノロン系抗生物質(norfloxacin, ofloxacin, enoxacin, ciprofloxacin, Ievofloxacin)は、少なくとも同一実験条件では全く抗HIV活性を示さなかった。

 次に、R-71762の抗HIV活性に重要な構造を特定し、且つ構造に多様性を持たせる目的で本化合物の誘導体を種々合成し、それら化合物の抗HIV活性について検討した。本検討を通して、キノロン環の7位ピペラジン窒素のアリル基による修飾が抗HIV活性に重要であることが判明した。また、誘導体のうちいくつかの化合物は親化合物であるR-71762よりも強い抗HIV活性を有していた。

 これらの化合物は全て持続感染細胞においてHIVの増殖を阻害したことから、HIVゲノムの宿主染色体上への組み込み以降に本剤の作用点があり、逆転写酵素阻害剤とは作用機作が異なることが示唆された。実際、これらの化合物は逆転写酵素及びHIVプロテアーゼに対する阻害活性は有しておらず、現在上市されている薬剤とは作用機作が異なる新しいタイプの抗HIV剤であることが示された。

第二部抗HIVアリルピペラジニルフルオロキノロンのFIV増殖抑制活性に関する研究

 これまでの抗HIV剤は、その開発の緊急性や動物モデルの信頼性の問題等から、動物を用いた薬効評価試験を経ていない。しかしながら、臨床における適切な投薬プロトコールを検討するためにも、動物での薬効評価は抗HIV剤開発において重要と考えられる。抗HIV剤に関してはHIVの宿主域が障害となり、HIVそのものを用いた生体内薬効評価は現時点では困難である。代替法として近縁の動物ウイルス(サル免疫不全ウイルス(SIV)、HIV/SIVキメラウイルス、FIV等)を用いた試験法が検討されている。中でも、(1)動物の取り扱い・入手の簡便さ、(2)ウイルスの細胞特異性や宿主免疫反応に拘らず持続感染するなどの特徴がHIVと共通であること、(3)少なくとも急性感染期における抗HIV剤の評価実績があること等の理由から、FIV/ネコ実験感染モデル系は薬効評価系として有用であると考えられる。

 第一部で見出した抗HIVアリルピペラジニルフルオロキノロン剤の生体内薬効を、FIV/ネコ感染モデル系を用いて評価することを目指して、これら化合物の抗FIV活性を調べた。評価に用いるウイルス定量系を確立するため、FIVp24抗原に対するモノクローナル抗体(mAb)を作製した。まず、組換えp24抗原を大腸菌内で産生させ、それを精製した。培養液当り40mg/1もの精製p24抗原を非常に簡便に得られ、本方法がFIV感染の免疫学的診断用抗原の調製に有用であることが示された。本抗原をBALB/cマウスに免疫してmAbを作製し、12種のmAbを得た。その内のひとつのF2710抗体は、FIVp24蛋白中の7アミノ酸配列SFIDRLFを認識した。本配列はFIV株間で非常に良く保存されていた。F2710抗体とウサギ抗p24ポリクローナル抗体を用いて、直線性良好にFIVp24抗原を定量するサンドイッチ酵素結合免疫固相アッセイ(ELISA)を確立した。本系の検出限界は40pg/mlであり、放射性同位元素を用いた逆転写酵素活性検出とほぼ同程度の感度であった。

 本ELISA系を用いて、抗HIVアリルピペラジニルフルオロキノロン剤の抗FIV活性を調べた結果、これらの化合物はFIV持続感染細胞におけるウイルス増殖を阻害することが明らかとなり、FIVに対する抗ウイルス活性を確認できた。また、これらの薬剤が抗FIV活性を発揮するために、(1)キノロン環の3位のカルボキシル基が未修飾であること、(2)キノロン環の7位に結合させたピペラジンの4位が芳香族で修飾されていることが構造上必須であることが明らかとなった。これらの構造は、抗HIV活性にも必須であり、抗HIV・抗FIV両活性を発揮する際の薬剤の標的分子が共通である可能性が示唆された。

 より活性が強く且つ毒性の低い化合物をデザインするためには、これら化合物の作用機作を正確に理解することが必要である。そこで、抗HIV・FIV活性を有する化合物のひとつR-91650の作用機作を、FIVを用いて検討した。R-91650は急性感染系及び持続感染系の双方でFIV増殖を阻害した。さらに、持続感染細胞内外のp24蛋白レベルを減少させたことから、ウイルス蛋白の産生そのものを阻害していることが示唆された。ノーザンブロット法によりFIV mRNAの細胞内蓄積について検討したところ、R-91650はFIV mRNA特異的且つ用量依存的にその蓄積を阻害した。しかしながら、FIV-Iong terminal repeat(LTR)プロモーターを用いたレポーター解析において、本剤は抗ウイルス活性を示す濃度においてはFIVのプロモーター活性を阻害しないことが明らかとなった。これらの結果から、R-91650はFIV-LTRプロモーターの転写開始以降の段階に作用してFIV増殖を阻害する新しいタイプの薬剤であることが示唆された。

 本研究の結果は、新しいタイプの抗HIV剤であるアリルピペラジニルフルオロキノロンの治療剤としての可能性を探る上で、重要な知見を与えるものと考えられる。特に抗ウイルス活性を発揮するために構造上必須な修飾に関する知見は、より高活性・低毒性の誘導体を創出する上で重要な方向性を与えるものと考えられる。また、本化合物がFIVに対しても有効であることは、現在有効な薬剤が上市されていないFIV感染症の治療にも本剤が応用できる可能性を示すものである。FIV/ネコ感染モデル系を用いた本剤の評価は、今後の重要な課題である。これら化合物の抗ウイルス作用機作は既存の薬剤とは異なることが示唆れれたものの、完全な解明には至っていない。また、化合物の標的分子の同定も未解決のままである。正確な作用機作の推定は、より良い誘導体の創出に直結するものと考えられ、今後更なる検討を要する。

審査要旨 要旨を表示する

 後天性免疫不全症候群(AIDS)の病原体であるヒト免疫不全ウイルス(HIV)の同定以来、HIV感染に対する化学療法剤の研究が精力的になされ、現在では核酸系逆転写酵素阻害剤6剤(本邦では5剤)、非核酸系逆転写酵素阻害剤3剤(本邦では1剤)、HIVプロテアーゼ阻害剤5剤が既に上市されている。特に複数の薬剤を併用するHAART(highly active antiretroviral therapy)の導入以降、先進国ではAIDS関連疾患患者数及びAIDSによる死亡者数は激減していることが報告されている。しかしながら、(1)HAARTに要する費用が高価なため、発展途上国に住む大多数の患者(全体の約95%)が治療を受けられないこと、(2)薬剤耐性ウイルスの出現、副作用、治療薬の服薬習慣遵守が困難なこと等が原因で治療効果が上がらない症例が多いこと、(3)現行の治療法では体内からのウイルス排除はできないこと等、現行の治療法には限界がある。このような背景から、新しい作用機作を有するかあるいは薬剤耐性ウイルスに対しても効果があり、安全で且つ安価な治療薬の開発が待望されている。

 キノロン系化合物は抗生物質として広く使用されているが、最近、ある種のキノロン系抗生物質が抗HIV活性を併せ持つことが報告され、安価で新しいタイプの抗HIV剤として利用できる可能性が示された。これらの報告を受け、著者は、三井株式会社の有する化合物ライブラリーのうち、キノロン系化合物の抗HIV活性を調べた。本スクリーニングにより、アリルピペラジニルフルオロキノロンの一種であるR-71762がHIV増殖阻害剤として選択できた。本化合物は、急性感染細胞及び持続感染細胞のいずれにおいてもHIV増殖を阻害した。

 次に、R-71762誘導体の抗HIV活性について検討することにより、キノロン環の7位ピペラジン窒素のアリル基による修飾が抗HIV活性発現に重要であることを明らかにした。また、これら誘導体のうちいくつかの化合物は、新化合物であるR-71762よりも強い抗HIV活性を有していた。これらの化合物は、(1)全て持続感染細胞においてHIVの増殖を阻害したこと、(2)HIVプロテアーゼ阻害活性を有しないことから、HIVゲノムの宿主染色体上への組み込み以降に作用点を有し、且つ現在上市されている逆転写酵素阻害剤及びHIVプロテアーゼ阻害剤とは作用機作が異なる、新しいタイプの抗HIV剤であることが示唆された。

 抗HIVアリルピペラジニルフルオロキノロン剤の生体内薬効を、FIV/ネコ感染モデル系を用いて評価することを目指し、まず、評価に用いるウイルス定量系を確立する目的で、FIV p24抗原に対するモノクローナル抗体(mAb)を作製した。作成したmAbのうち、F2710抗体が、FIV株間で非常に良く保存されている7アミノ酸配列SFIDRLFを認識することを明らかとした。このF2710抗体とウサギ抗p24ポリクローナル抗体を用いて、直線性良好にFIVp24抗原を定量できるサンドイッチ酵素結合免疫固相アッセイ(ELISA)を確立した。

 本ELISA系を用いて、抗HIVアリルピペラジニルフルオロキノロン剤の抗FIV活性を調べた結果、これらの化合物はFIV持続感染細胞においてもウイルス増殖を阻害することが明らかとなり、FIVに対する抗ウイルス活性が確認できた。また、これらの薬剤が抗FIV活性を発揮するためには、(1)キノロン環の3位のカルボキシル基が未修飾であること、(2)キノロン環の7位に結合させたピペラジンの4位が芳香族で修飾されていること、が構造上必須であることが明らかとなった。これらの構造は抗HIV活性にも必須であり、抗HIV・抗FIV両活性を発揮ずる際の薬剤の標的分子が共通である可能性が示唆された。

 さらに、化合物群のうちのひとつ、R-91650の作用機作を、FIVを用いて検討した結果、R-91650は、(1)急性感染系及び持続感染系の双方でFIV増殖を阻害すること、(2)持続感染細胞内外のp24蛋白レベルを減少させること、(3)FIV mRNAの細胞内蓄積を特異的且つ用量依存的に阻害すること、(4)抗ウイルス活性を示す濃度ではFIVのプロモーター活性を阻害しないこと、が明らかとなった。これらの結果から、R-91650はFIVプロモーターの転写開始以降の段階に作用してFIV増殖を阻害する、新しいタイプの薬剤であることが示唆された。

 以上本論文は、一部のキノロン系化合物群が抗HIV・FIV剤の候補となる可能性を指摘したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)論文として価値あるものと認めた。

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