学位論文要旨



No 214792
著者(漢字) 篠原,稔
著者(英字)
著者(カナ) シノハラ,ミノル
標題(和) 酸素利用の非定常性および不均一性に対する筋活動の関与
標題(洋)
報告番号 214792
報告番号 乙14792
学位授与日 2000.09.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第14792号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福永,哲夫
 東京大学 教授 大築,立志
 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 助教授 深代,千之
 東京大学 助教授 金久,博昭
 日本女子体育大学 教授 加賀,太淳
内容要旨 要旨を表示する

第1章 研究目的と論文構成

 運動中のエネルギー需要に対する酸素利用調節は,精巧なメカニズムによってコントロールされていると考えられるが,運動の条件によっては酸素利用に非定常性や不均一性が生じうる.しかし,それらが生じるメカニズムは未だ不明であり,その解明が求められている.本研究では,筋活動の補償的増加に着目して酸素利用の非定常性(酸素摂取量(VO2)の漸増)に対する筋活動の関与を明らかにし,また,筋の機械的活動に着目して酸素利用の不均一性に対する筋活動の関与を明らかにすることを目的とした.第2章では筋活動の補償的増加が発現する状況を明らかにし,第3章では筋活動の補償的増加と酸素利用の非定常性との関係を検討した.第4章では酸素供給不足と代謝産物蓄積を外因的に生じさせた場合(トレーニング)の適応について検討した.第5章では酸素利用の不均一性に対する筋活動の不均一性の関与について検討した.第6章では,第2章から第5章までの研究結果の総括論議を行った.

第2章 筋活動の補償的増加の発現

 第2章では,筋活動の補償的増加が生じる状況と,その特性を検討した.まず,自転車運動における漸増負荷運動中の外側広筋の機械的活動(筋音図,MMG)と電気的活動(筋電図積分値,iEMG)を検討した結果,外側広筋の機械的活動はエルゴメータの負荷の上昇に伴い直線的に増加していくが,これを実現するための電気的活動は,高い負荷領域において非直線的に増加していくことが示された(2.1:筋の機械的活動と電気的活動).ただし,休息を挟んだ一定パワー発揮において,外側広筋の電気的活動と負荷とは非直線的にはならないこと,そして,高強度運動直後には筋の電気的活動が過剰に必要とされることが示され(2.2:筋活動の補償的増加の発現),外側広筋の電気的活動の非直線的増加には,高い負荷強度およびそれに伴う代謝産物蓄積の影響による補償的増加であることが示唆された.

 代謝産物の蓄積は,高い負荷強度でなくとも,酸素供給制限による無酸素性エネルギー代謝の高進によって生じうるため,これらの要因は,エネルギー需要と酸素供給とのバランスおよびそれに伴う代謝産物蓄積の影響と換言できるであろうと考えられた.そこで,本来であれば筋活動の増加が起きないような低強度の運動中に動静脈血流制限を行い,酸素供給制限および代謝産物蓄積が筋の電気的活動に及ぼす影響を検討したところ,筋の電気的活動が顕著に増加することが示された(2.3:酸素供給制限と代謝産物蓄積による筋活動の変化).

第3章 酸素利用の非定常性に対する筋活動補償的増加の関与

 第2章において,大腿四頭筋の収縮による一定の力発揮において,物理的強度が高い場合,酸素供給が制限された場合,代謝産物が蓄積するような場合には,筋の電気的活動が増加していくことがで示された.そこで第3章では,これらのそれぞれの状況を作り,VO2漸増成分のメカニズムとして主働筋の筋活動の補償的増加が関与しているかどうかを検討することを目的とした.まず,自転車運動において,一定負荷運動中のVO2と外側広筋のiEMGを換気閾値(VT)の上下で比較することにより,VO2漸増成分が生じるか否かを決める強度がVTであること,そして,VT以上の運動における大腿四頭筋の補償的活動増加がVO2漸増成分と密接に関係していることが示された(3,1:高い強度で発現するVO2漸増成分と筋活動の対応).続いて,低酸素ガス吸入によって酸素供給を制限して筋活動の増加を生じさせることにより,大腿四頭筋の筋活動の増加とVO2漸増成分の増加が生じることが示された(3.2:酸素供給制限に伴うVO2漸増成分と筋活動の対応).さらに,静脈血流制限によって代謝産物蓄積を高進させて筋活動の増加を生じさせることにより,大腿四頭筋の筋活動の増加がVO2漸増成分の増加と対応することが示された(3、3:代謝産物蓄積に伴うVO2漸増成分と筋活動の対応).また,活動筋を大腿四頭筋に限定した膝伸展運動では,活動筋局所における酸素利用の漸増を示唆する結果が得られ,トレーニング実験により,これが筋活動の補償的増加と関連していることが示された(3,4:活動筋局所での酸素利用漸増と筋活動変化の対応).

第4章 酸素供給不足と代謝産物蓄積を付加したトレーニング

 第2章および第3章での検討対象は,酸素供給不足や代謝産物蓄積を一過性に引き起こした際の生体の反応であった.一方,運動トレーニング中に,この酸素供給不足や代謝産物蓄積を慢性的に生じさせることにより,それに対する生体の長期的な反応(適応)として,どのような変化が生じるのかを検討することを,第4章の目的とした.まず,高陽圧の負荷に伴う動静脈血流阻害によって酸素供給不足および代謝産物蓄積を高いレベルで生じさせて検討した結果,250torrの高陽圧を付加して筋カトレーニングを行うことにより,通常であれば筋力増加が期待されない40%MVCでの膝伸展運動によっても,筋力増加が得られることが示された(4.1:高陽圧を付加した筋力トレーニング).一方,低陽圧の負荷に伴う静脈血流阻害によって主に代謝産物蓄積を生じさせて検討した結果,持久的トレーニング中に50torrの低陽圧を付加することによって,局所の酸素利用能および酸の緩衝能により大きな持久的トレーニング効果が得られることが示唆され,また,筋力も増加することが示された(4.2:低陽圧を付加した持久的トレーニング).

第5章 酸素利用の不均一性に対する筋活動の不均一性の関与

 運動中の活動筋における血流や酸素利用の状態を分析する場合,観血的な方法では,太い動静脈の血流や酸素飽和度が計測対象となるため,実際の分析結果は対象とする筋のみならず,他の協働筋や皮膚などを含む広い領域での血流や酸素利用状況の計測ということにならざるを得ない.しかし,たとえ同様な機能を有する協働筋であっても,その筋の特性によって酸素利用状況に不均一性が存在する可能性は考えられる.そして,もし,協働筋間において酸素利用動態の不均一性が存在するならば,それを引き起こす要因として,筋活動の不均一性が存在する可能性を指摘できる.

 これまでに大腿四頭筋の活動や酸素利用の不均一性を比較した先行研究は存在しないが,大腿四頭筋のエネルギー利用の不均一性やトレーニングによる筋肥大の不均一性などは報告されているため,酸素利用や筋活動の不均一性も存在する可能性が高いと考えられる.実際,(3.2)において自転車運動中の大腿四頭筋内の筋活動の経時変化が筋によって異なる傾向が観察されている.近赤外分光法を利用することにより,非侵襲的に組織での酸素利用動態を観察することができるようになり,活動筋局所を対象に酸素利用動態を検討することができる.そこで,第5章では,これまで研究対象としてきた大腿四頭筋を対象として,協働筋間における酸素利用および筋活動の不均一性について検討することを目的とした.(5.1:協動筋間における酸素利用動態の不均一性)では,片脚膝伸展運動中に,大腿四頭筋において酸素利用動態の不均一性が示され,また,最大近辺における筋脱酸素化の停滞が示された.持久的鍛錬度の差異や筋線維組成の差異が酸素利用能力の差異を生み出し,それが協働筋間でも存在して影響していることが推察された.また,協働筋間における疲労のしやすさの差異が影響している可能性も指摘された.大腿四頭筋内においては,大腿直筋の酸素利用能力が低いことを示唆する結果となり,結果的に大腿直筋が最も疲労しやすいであろうと推察された.(5.2:協動筋間における筋活動の不均一性)では,筋電図上は大腿四頭筋内の不均一性が見いだされなかったが,筋の機械的活動を示す筋音図信号に,不均一性が見いだされた.すなわち,大腿直筋において疲労が先行したと考えられるデータが得られ,これは(5.2)の結果を指示するものであった.

第6章 総括論議

 筋におけるエネルギー需要一酸素供給バランスを何らかの方法でマイナスに傾けることによって,筋の補償的活動増加が生じることが示された.通常の運動条件下では,これがVTよりも高い強度において生じ,酸素利用の非定常性としてのVO2漸増成分の発現メカニズムに,密接に関与していることが明らかとなった.この知見は,これまで不明であったVO2漸増成分の発現メカニズムの解明に大きく寄与するものである.また,局所へ高低の陽圧を付加して酸素供給不足と代謝産物蓄積を高進させ,筋の補償的活動増加を生じさせたトレーニングでは,物理的負荷が小さくともより大きなトレーニング効果が得られ,主にTypell線維の機能向上が得られることが示唆された.

 大腿四頭筋の各筋は膝伸展運動の協働筋であるにも関わらず,大腿直筋の特異性として酸素利用の不均一性が認められた.筋の電気的活動からは必ずしも観察されない筋活動の不均一性が,筋の機械的活動の検討によって発見され,それが酸素利用の不均一性と対応することが示された.これらの不均一性の生じる原因として,筋線維組成の相違に起因する疲労進行度の不均一性の影響が推察された.生体における酸素利用を研究する場合には,主働筋というひとくくりの捉え方のみならず,各筋ごとに分けて捉えるという視点を導入することにより,新たな知見が得られると考えられる.また,筋の電気的活動に加えて筋の機械的活動を検討することにより,neural inputとしての見かけ上の筋活動ではなく,mechanical outputとしての実際の筋活動を明らかにできることが示された.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文「酸素利用の非定常性および不均一性に対する筋活動の関与」は,大腿四頭筋を用いた運動において全身レベルでの酸素利用に非定常性および不均一性が生じる機序を,主働筋である大腿四頭筋の電気的および機械的な活動特性を非侵襲的に分析することによって解明したものであり,身体運動科学における研究の新しい方向性を示すものとして注目される.本論文は以下のようにまとめられる.

1:目的

 運動中のエネルギー需要に対する酸素利用の調節は精巧に制御されていると考えられがちだが,運動条件によっては酸素利用に非定常性や不均一性が生じうる.しかしそれらが生じる機序は未だ不明である.本研究では,一定負荷運動における酸素利用の非定常性(肺胞で観察される酸素摂取量の漸増)の発現メカニズムとして,筋活動の補償的増加が関与しているかどうかを明らかにすること,そして,酸素利用の不均一性とそれに対する筋活動の関与を明らかにすることを目的とした.

2:筋活動の補償的増加の発現

 大腿四頭筋の筋活動に補償的増加が生じる条件を明らかにすることを目的とした.自転車エルゴメータによる漸増負荷運動における筋活動を検討した結果,外側広筋の機械的活動は負荷の上昇に伴って直線的に増加したが,電気的活動は高い負荷領域において非直線的に増加していき,筋の機械的活動と電気的活動が解離することが示された.ただし休息をはさんだ一定パワーの発揮では,外側広筋の電気的活動と負荷との関係は非直線的にはならないこと,そして,高強度運動直後には筋の電気的活動がより多く必要とされることが明らかとなり,外側広筋の電気的活動の非直線的増加は,高い負荷強度とそれに伴う代謝産物蓄積の影響による補償的増加であることが示された.

 代謝産物の蓄積は,高い強度でなくとも酸素供給制限による無酸素性エネルギー代謝の高進によって生じうるため,本来であれば筋活動の増加が起きない低強度の運動中に動静脈血流を阻害し,酸素供給制限および代謝産物蓄積が筋の電気的活動に及ぼす影響を検討した結果,筋の電気的活動が静脈血流阻害によって顕著に増加することが明らかとなった.

3:酸素利用の非定常性(酸素摂取量漸増成分)に対する筋活動の補償的増加の関与

 物理的強度が高い場合,酸素供給が制限された場合,代謝産物が蓄積する場合,のそれぞれの条件によって筋活動の補償的増加を生じさせ,酸素摂取量漸増成分発現の機序に筋活動の補償的増加が関与しているかどうかを明らかにしようとした.まず,自転車運動において,一定負荷運動中の酸素摂取量と外側広筋筋電図を換気閾値の上下で比較した結果,酸素摂取量漸増成分が生じるか否かを決める強度が換気蘭値であること,そして,換気閾値以上の運動における大腿四頭筋の補償的活動増加が酸素摂取量漸増成分と密接に関係していることが明らかとなった.続いて,15%の低酸素ガス吸入によって酸素供給を制限して筋活動の増加を生じさせることにより,大腿四頭筋の筋活動増加と酸素摂取量漸増成分の増加が対応して生じることが明らかとなった.さらに,静脈血流制限によって代謝産物蓄積を高進させて筋活動の増加を生じさせることにより,大腿四頭筋の筋活動の増加が酸素摂取量漸増成分の増加と対応することが明らかとなった.また,活動筋を大腿四頭筋に限定した膝伸展運動では,活動筋局所における酸素利用の漸増を示す結果が得られ,さらに,持久的トレーニング実験によって筋活動の補償的増加を減少させるとこれに対応して酸素摂取量漸増成分が減少することが示された.以上,様々なレベルでのエネルギー需要/酸素供給バランスの変調を意図した方法によって主働筋筋活動の補償的増加を外因的に生じさせた結果,筋活動の補償的増加によって酸素利用の非定常性が発現することが明らかとなった.

4:酸素供給不足や代謝産物蓄積を付加したトレーニング

 筋活動の補償的増加を定期的に生じさせた場合の生体の長期的な反応(適応)特性を明らかにすることを目的とした.まず,高陽圧(250Torr)の付加に伴う動静脈血流阻害によって酸素供給不足および代謝産物蓄積を高いレベルで生じさせて筋力トレーニングを行った結果,通常は筋力増加が期待されない低い物理的強度(最大筋力の40%)での膝伸展運動によっても,筋力増加が得られることが明らかとなった.一方,低陽圧(50Torr)付加に伴う静脈血流阻害によって代謝産物蓄積を高進させて持久的トレーニングを行った結果,局所の酸素利用能および酸緩衝能に対するより大きな持久的トレーニング効果を示唆する結果が得られ,筋力も増加することが示された.以上により,トレーニングに酸素供給不足や代謝産物蓄積を付加することによって,より大きな適応が生じることが明らかとなった.

5:酸素利用の不均一性に対する筋活動の不均一性の関与

 大腿四頭筋を対象として協働筋間における酸素利用や筋活動に不均一性が存在するか,そしてそれらは互いに関連しているかどうかを明らかにすることを目的とした.片脚膝伸展運動中の活動筋局所の酸素利用動態を観察した結果,大腿四頭筋において酸素利用動態の不均一性が示され,また,最大負荷近辺において筋脱酸素化の停滞が示された.筋の機械的活動を示す筋音図信号においても,大腿直筋が他の筋よりも疲労が先行したと考えられる不均一性を示すデータが得られた.協働筋における各筋の酸素利用能力や疲労耐性の差異が不均一性を生み出していることが示唆された.

6:結論

 活動筋におけるエネルギー需要一酸素供給バランスを何らかの方法で酸素供給不足に傾けることによって,筋の補償的活動増加が生じることが明らかとなり,酸素利用の非定常性である酸素摂取量漸増成分の発現は,この筋の補償的活動の増加によって発現することが明らかとなった.また,局所へ高低の陽圧を付加して筋の補償的活動の増加を生じさせたトレーニングでは,物理的負荷が小さくとも,より大きな適応が得られることが明らかとなった.さらに,協動筋間においても酸素利用の不均一性が存在し,それが筋活動の不均一性と対応することが明らかとなった.

 このように,篠原稔氏の論文は,酸素利用の非定常性および不均一性の発現機序を筋活動と結びつけて明らかにしたものであり,身体運動科学の分野における意義は非常に大きいものがある.

 従って,篠原稔氏により提出された本論文は,東京大学大学院による学位(学術)の授与に相応しい内容と判定した.

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