学位論文要旨



No 214793
著者(漢字) 長島,弘明
著者(英字)
著者(カナ) ナガシマ,ヒロアキ
標題(和) 秋成研究
標題(洋)
報告番号 214793
報告番号 乙14793
学位授与日 2000.09.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第14793号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小島,孝之
 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 月村,辰雄
 東京大学 助教授 藤原,克己
 東京大学 助教授 菅野,覚明
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、江戸中期の文人小説家である上田秋成(1734〜1809)について、その文人としての軌跡と文業の意味を、新しい角度から描き出そうとしたものである。

 本論文は5部から成る。まずIでは、秋成の伝記に関係する新見を示した。秋成の文人としての意識を明確にするためには、階層社会である近世において、それを規定する最も大きな要因の一つである出自の確定が不可欠であるからである。まず、「秋成の実母とその周辺」では、従来不明であった秋成の実母が、大和国葛上郡樋野村の旧家、松尾家のヲサキなる女性であることを考証し、実母方の血縁者の若干を紹介しつつ、秋成の家系の一端を明らかにした。また、「末吉家蔵秋成関係資料」では、秋成の実母方の従兄弟の後裔である、奈良県御所市の末吉家所蔵の俳言皆関係資料を紹介し、特に秋成自筆書入本『也哉抄』を通して秋成の蕪村観に触れ、また『也哉抄』の執筆・改稿時期につき新見を示した。「秋成の筆名」では、時期により転変する秋成の通称や、様々に使い分けられる筆名につき、その使用年次や由来について考証し、筆名に、手指の不自由に関わる自意識や文人としての意識が投影していることを論じた。

 IIは、従来研究が手薄な、秋成の小説の処女作『諸道聴耳揖間狙』、及び次作『世間妾形気』の両浮世草子について論じたものである。「秋成浮世草子のゴシップ性―和訳太郎論―」では、『雨月物語』以前に「和訳太郎」の名で書いた両作は、実在人物をモデルして多用していることを指摘し、『世間狙』三之巻一と四之巻二を例にとり、そのモデル使用の方法が、著名人の逸話をゴシップ的に扱って笑いをとる、悪意すれすれの批評性を持っていることを論じた。また、「秋成浮世草子と浦島伝承」では、『妾形気』一之巻二・三話における浦島伝承の摂取の意義を考察し、次作『雨月物語』に見られる人間認識が、この作品中に胚胎していることを指摘した。さらに、「秋成浮世草子の狐詐欺談」では、秋成の両浮世草子の中の、狐をダシにして人間が詐欺を働くところの狐詐欺談を取り上げ、『世間狙』五之巻一では気質物と儻偶物の融合が試みられ、『妾形気』四之巻二では気質物的な色彩が薄れて、ここでも次作『雨月物語』に近い人間認識がなされていることを論じた。

 IIIは、典拠論と主題論が乖離したまま進められてきた観のある『雨月物語』研究を省み、双方を融合・統一しようとした試みであり、また従来検討されていない『雨月物語』成立の背景となった大坂文化壇についての考察の試みである。「『雨月物語』『春雨物語』と『英草紙』―主題の継承について―」は、都賀庭鐘作『英草紙』中の「三人の妓女趣を異にして各名を成話」と、『雨月物語』の「菊花の約」「浅茅が宿」、『春雨物語』の「樊〓」を比較して、その思想・作品主題の内的継承の実態を論じた。また、「『雨月物語』における作者・書肆・絵師・読者」は、同じ大坂文化壇に属する『雨月物語』の作者・書肆・絵師・読者の関係を、商品としての作品が制作され流通する過程のそれとしてではなく、文学的営為が作品という形に結晶するに至るまでの内的関係として考察したものである。「男性文学としての『雨月物語』」では、秋成の『妾形気』と『雨月物語』の作中の女性を比較し、女性への共感は、浮世草子の『妾形気』より、読本である『雨月物語』においてはるかに深まっているものの、なお『雨月物語』が男性原理に立脚した作品であることを指摘した。さらに、「『雨月物語』の男と女の「性(さが)」」は、『世間狙』『妾形気』の「気質」認識と、『雨月物語』の「性」認識の共通点と相違点を明らかにした上で、『雨月物語』の男の「性」と女の「性」は厳格に区別されており、それが『雨月物語』の男女の話を、互いに了解不可能なすれ違いの話としている原因であることを論じた。

 IVは、晩年の秀作であり、秋成が何度も推敲を重ねている『春雨物語』を、諸本の本文比較を通じて検討した。従来の『春雨物語』の本文研究は、各稿本の成立順の確定に比重が置かれ(しかも従来考えられていた成立の順序には誤謬がある)、作品論と分離する傾向があった。ここでは、本文研究と作品論、あるいは本文研究と秋成の創作意識についての論を、有機的に統一することを目指した。まず、「『春雨物語』の自筆本と転写本」では、推敲過程が錯綜する『春雨物語』の諸本を考察し、従来最終稿と目されてきた自筆の富岡本よりも、転写本の文化五年本がより推敲を経た本文である可能性が大きいことを論じ、諸本成立研究の再考を促した。次に、「『春雨草紙』の位置」では、『春雨草紙』の「血かたびら」を他の『春雨物語』諸稿―天理冊子本・富岡本・文化五年本―と比較し、『春雨草紙』の本文は、史書の記述を多く取入れていること、またストーリーの中心的な流れからそれる心理描写や状況説明が後の稿に較べて目立ち、それは事件を列挙していく編年体史書の遠心的・拡散的な文体と通じる所があること等を明らかにした。また、『春雨草紙』の「天津をとめ」を他稿と比較検討し、三善清行の『意見封事十二条』に材を仰ぐ五節の舞姫の増員に関する逸話が、この『春雨草紙』の段階からすでにあり、語り手の言説に同化して物語中に姿を見せない清行が、主人公の宗貞と対照的な、宗貞への批判者として、秋成の念頭にあったことを論じた。「『春雨草紙』の「目ひとつの神」」では、山形県酒田市佐藤家所蔵の『春雨草紙』の「目ひとつの神」の原稿断簡を復元し、『春雨物語』の「目ひとつの神」が、初期草稿の『春雨草紙』の段階では、和歌についての種々雑多な議論を盛り込んだ、ほとんど別話の趣きのある内容であったことを論じた。また、「『春雨物語』と和歌―「宮木が塚」「歌のほまれ」を中心に―」では、『春雨物語』中の「宮木が塚」及び「歌のほまれ」を主として取り上げ、秋成の小説と和歌の関係を創作意識の観点から論じた。さらに、「『春雨物語』における歴史・虚構・命禄―『鴛央行』と「歌のほまれ」―」では、秋成の晩年の小説である『鴛央行』と『春雨物語』の「歌のほまれ」を取り上げ、秋成の歴史と虚構に対する意識、また古代の歌人や、古代和歌そのものに「命禄」が顕現しているとする秋成の思考について考察した。

 Vは、これも研究の蓄積の少ない、秋成の小説以外の活動を取り上げた。多芸多才が要件である文人の一人として、秋成も様々な顔を持っている。「秋成の俳歴―漁焉時代を中心に―」では、秋成の文学的な出発点であり、また生涯関係を持ち続けている俳譜について考察した。秋成の四十歳までを第一期、五十七歳までを第二期、それ以後を第三期とし、一期は談林風が根強く残る大坂の俳譜の風に色濃く染まっていた時期、二期は蕪村一門との交流が盛んな、浪漫的な句風の目立つ時期、第三期は俳壇と距離をおき、作品も数少ないが、独自の軽妙・滑稽な句が中心の時期とした。また、第一期における作品や諸俳人との交流の様相を具体的に検討して、秋成の俳風は、酒脱を旨とする大坂の都会的な俳風の影響下に形成されたことを論じた。秋成は、和文(擬古文)の書き手として自ら任じ、小説風のものから、身辺雑記・叙景文に及ぶ、様々な和文体の文章を残している。「秋成の和文―『藤箕冊子』を例に―」では、歌文集『藤簍冊子』に収まる〓廉留銭」「中秋」「初秋」の和文作品をとり上げ、秋成の和文の質を検討した「〓廉留銭」については、原拠の『蒙求』では話の筋のみがごく簡潔に述べられているのに対して、秋成の和文は単なる翻訳ではなく物語性を帯びており、また「中秋」や「初秋」は、眼前の叙景と和漢の様々な月見の故事が融合している。秋成における和文体とは、まずもって文章に物譜性・虚構性を付与する文体であることを論じた。次に「秋成の「命禄」―『論衡』の影響について―」では、秋成の思想・創作意識の転回点を、秋成六十四歳の折の妻の死去、翌年の一時的な両眼失明の頃と見定め、「不遇」を「憤る」ことから「不遇」に「安んずる」ことへの認識の変化を明らかにし、それ以後の『春雨物語』他の著述に秋成がしばしば用いる「命禄」の語(王充の『論衡』に由来する)が、晩年の秋成の思索の中心を占めるものであり、かつ『春雨物語』を貫く統一テーマであることを論じたさらに、「秋成と天皇」では、秋成と本居宣長の天皇観を比較し、現実の天皇の無力化を逆に挺にして神話形而上学へ向う宣長に対し、神話と歴史の連続を否定し、自らの国学を遊びと規定して、歴史上の天皇を想像裡に肉体化する秋成のあり方を論じた。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、近世中期の小説家・国学者である上田秋成(1734〜1809)の人と作品を、新たな視点で論じたものである。

 本論文は5部から成る。まずIでは、秋成の伝記に関係する新見を提示する。従来不明であった秋成の家系について、実母が大和の旧家松尾から出たヲサキなる女性であることを考証し、姉妹の通婚階層(庄屋や著名な医者)から考えて、秋成は言い伝えのように遊女の私生児ではなく、少なとも母方に関してはしかるべき家系を持つことを証明する。

 IIは、従来研究が手薄な、『諸道聴耳世間狙』『世間妾形気』の浮世草子2作について論じたもので、両作が噂話にさらに虚構を加えた、都市風の一種のゴシップ小説であることや、伝承を滑稽化したパロディ小説であることを指摘し、また様式的には全く異なった次作『雨月物語』と、人間認識を一部共有することを明らかにする。

 IIIでは、乖離しがちな典拠論と主題論を融合・統一させつつ『雨月物語』の分析を試み、また『雨月物語』を生んだ大阪文化壇について考察を試みている。『雨月物語』成立に影響を与えた先行作品『英草紙』との主題的連関や、『雨月物語』の出版の周辺事情を探ることによって、『雨月物語』が文学史から孤絶した作品ではなく、文学史の上で生まれるべくして生まれた作品であることを明らかにする。また従来、女性主人公に同情的であるとされてきた『雨月物語』が、男性の論理に傾いた作品であることを明快に論じている。

 IVでは、晩年の代表作である『春雨物語』を、諸本の本文比較を通して検討する。従来の諸本研究において最終稿とされている富岡本の位置づけを再考して『春雨物語』の成立過程に新見を示し、また最初期の原稿断片である『春雨草紙』の本文復元と詳細な分析を通じて、『春雨物語』の構想の原型を明らかにする。また、『春雨物語』の発想には、和歌が重要な役割を果たしていることを指摘する。

 Vでは、多芸多才の文人である秋成の小説以外の活動を取り上げる。秋成の俳譜の業績を詳細にあとづけ、和文の意義を文体論・表現論の観点から明らかにする。また『春雨物語』などに顕著に見られる、晩年の「命禄」観の成立・展開の様相を、的確に考察している。

 従来の秋成研究は、『雨月物語』『春雨物語』の作品論に偏り、また研究者個々の好みに合う秋成像を提示することに力点が置かれ、伝記・作品の基礎的な調査や読解がないがしろにされてきた。結果として、『雨月物語』の作者秋成、あるいは幻妖の作家秋成、というような秋成の一面をもって、秋成文学の全体像とするような傾向があった。それに対し本論文は、歌人としての業績、国学者としての事績など、今後さらに精査を要する点もあるものの、秋成に関わる資料を精査し、作品を寧に読解し直すことによって、初めて過不足のない文人小説家秋成の全体像を描き出しているところが卓抜であり、大いに評価できる。よって本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断する。

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