学位論文要旨



No 214796
著者(漢字) 片柳,亮二
著者(英字)
著者(カナ) カタヤナギ,リョウジ
標題(和) 多入力飛行制御系の安定余裕評価法とPilot-Induced Oscillation(PIO)特性改善に関する研究
標題(洋)
報告番号 214796
報告番号 乙14796
学位授与日 2000.09.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14796号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,真二
 東京大学 教授 河内,啓二
 東京大学 教授 大和,裕幸
 東京大学 助教授 中須賀,真一
 東京大学 助教授 藤岡,健彦
内容要旨 要旨を表示する

 航空機の飛行制御系は、近年フライ・バイ・ワイア(電気式操縦装置)に代表される多入力多出力フィードバック制御により特性改善が図られており、従来の機械式操縦装置と比較すると多くの長所が上げられる。その一つはいわゆる、Control Configured Vehicle(CCV)といわれる機体の出現を可能にした事である。機体固有の空力的安定度の低下を許容し、尾翼サイズを小さくした機体である。機体固有の安定度が小さいため、舵面のコントロール能力も小さくできる。極端なケースとして、水平尾翼および垂直尾翼もない機体も可能となっている。このような機体は従来の機械式の操縦装置でパイロットが技量でカバーすることはもはや不可能であり、コンピュータ制御のフライ・バイ・ワイアによって初めて可能となる。

 一方、この多入力多出力フィードバック制御系の機体は、その制御系の能力範囲内であれば非常に良い特性を示す反面、その能力を越えた場合は制御に頼ることを前提にしているため、急激に性能が劣化(Flying Qualities Cliff)し、最悪は操縦不能に陥る。このように、フライ・バイ・ワイア等のコンピュータによるフィードバック飛行制御系はまだまだ解決すべき問題があるもののその利点は大きいため、今後益々コンピュータ制御が進むと思われる。従って、これから飛行制御系を設計するに当たっては、安全確実な系を実現するため、フライ・バイ・ワイア等に係わる制御系の問題点とその対策について十分理解し、同じような不具合をなくすことが重要である。 このような観点から、本論文では飛行制御系設計時に必要であるが、未だ明確になっていない次の二つの事項;

 (1)系の安定性を十分確保するために必要な、“多入力飛行制御系の安定余裕評価法”、

 (2)パイロットが操縦した結果、Pilot-Induced Oscillation(PIO)自励振動が発生した場合においても、その自励振動量が小さい制御系を実現するために必要な実用的で簡便な“PIO特性改善”の方法、

について明らかにした。

 多入力飛行制御系の安定余裕評価法については、1入力系の一巡伝達関数を多入力系に拡張した“マイナス逆ベクトル軌跡ξ”および“-1/ξ軌跡”という新しい概念を導入し、多入力系の安定余裕を正確に評価する方法を提案した。1入力多出力フィードバック制御系については、従来から1入力端で切った一巡伝達関数という非常に分かり易い安定余裕の指標があり、明快に制御系を評価することが可能である。ところが、多入力系においては従来から安定余裕に関する明確な解析手法が定まっていなかった。“マイナス逆ベクトル軌跡ξ”は、制御系の入力端にそれが挿入されると丁度系が発散することから、制御系の安定余裕を直接的に示す指標となる。そして、“-1/ξ軌跡”は1入力系における一巡伝達関数に対応し、2入力系では2つの軌跡となる。ここで考えている安定余裕は、ゲインと位相が全てのループで同時に変動すると考えたもので、これは飛行制御系では動圧等で各舵面の効きが同時に変動すること、また空気力,アクチュエータ特性,ディジタル演算等の種々のゲイン変動や遅れ(舵面が動いてから空気力としての効きを生じるまでの遅れも含む)等、いずれの場合も各舵面に共通する要素が重要であることに対応している。そして、多入力系の各入力端に挿入した共通の変動要素がξであり、-1/ξの変換によって得られるベクトル軌跡を多入力系の一巡伝達関数と考える。

 また、近年H∞制御理論等で多入力系のロバスト安定性や低感度特性を伝達関数のノルムで評価する設計理論が広く研究されているが、その方法は発振する条件は示すけれども安定余裕の評価にはconservativeな結果を与える。これに対して、本論文の方法は多入力系の安定余裕を正確に評価できる。

 本論文の方法で設計された十分な安定余裕を持つ多入力制御系において、その閉ループ系の応答特性がどのような構造となっているか、すなわち安定余裕と応答特性との関係を明らかにした。その結果、安定余裕からの要求と応答特性からの要求の両方を満足する解を得るためには、-1/ξ軌跡を

 (1)極力実軸正側の方向にする、

 (2)極力虚軸負側の方向にする、

ように設計することが良いことが示された。(図1参照)

 そして、このように設計された制御系は、操縦特性上最も厳しい状態であるPIO特性が良好化されていることが示された。パイロットはこのPIOという現象を良く理解し操縦を止めればとまることが分かっていても、遅れて反応する機体を立て直して地上への激突等の危険を避けようとやむを得ずさらに大きな操縦を続け、これがさらなる大きな遅れを生じてPIOに陥るのが、PIO現象の典型的パターンである。この現象の引き金はパイロットであるが、その原因は制御系の特性に起因する。フライ・バイ・ワイアの出現により制御性能が大幅に向上した半面、制御能力を越えた領域での操縦性は極端に悪化するという従来になかった問題に悩まされている開発機種も多く、フライ・バイ・ワイア機の出現から25年以上も経過しているが、いまだに完全な解決策が見い出されていない。

 本論文では、パイロットは何らかの要因で機体が傾いた時に直ちにスティックを反対側に急激フル操舵を行うという最悪ケースを想定して、これをリレー要素で表現し、これにアクチュエータのレートリミット、フィードバックの効果およびパイロットの操作遅れを模擬して、この時に生じる自励振動がどのようなパラメータによって引き起こされるのかを検討し、その振動発生条件と周波数および振動量を解析的に求めた。(図2参照)

 そして、図1に示した制御系についてPIO特性を解析した結果、改善前と比較して改善後のPIO自励振動量は約半分以下に下がることが確認された。

 また、実際に実機で生じたPIO現象に対して、本論文の解析的方法を用いることにより見通し良く改善策を検討できることを示した。

図1 -1/ξ軌跡を用いた飛行制御系改善結果

図2 PIO特性解析モデル

審査要旨 要旨を表示する

 工学修士片柳亮二提出の論文は「多入力飛行制御系の安定余裕評価法とPilot-Induced Oscillation(PIO)特性改善に関する研究」と題し、本文6章と、付録1項よりなる。

 航空機の飛行制御系はディジタル・コンピュータの高度で柔軟な処理能力を利用した電気式操縦系(フライ・バイ・ワイア)に移行しつつある。フライ・バイ・ワイアは操縦系にフィードバック制御系を挿入することで、機体の運動性能を向上させるだけではなく、飛行状態の監視機能を強化することによって飛行安全性の向上にも寄与している。しかし、フライ・バイ・ウイア機においては、正常に操縦しようとする人間の意図に反して自励振動が持続するPilot-Induced Oscillation(PIO)が発生する場合があり問題となっている。PIOには多くの要因が指摘されているが、フライ・バイ・ワイア機におけるPIOは、入力装置と操舵面に機械的な結合が無いため、パイロットの素早い操作に舵面のアクチュエータが追従できない入力の飽和現象が関連する場合が多い。本論文ではこうしたPIOの対策として、多入力多出力線形システムにおける安定性を十分確保することによって、不安定なPIOに陥ることを避けると共に、PIOに陥ったとしても、自励振動の振幅を小さくすることを検討し、その実現のために必要な解析法の提案と検証を行っている。

 第1章は序論で、本研究の背景を整理するとともに、多入力多出力系における安定余裕評価法の研究、およびPIOに関する研究の流れを概観している。

 第2章は多入力多出力線形システムの安定余裕を正確にかつ簡便に評価するための手法を提案している。一入力系においては一巡伝達関数を用いた安定余裕の評価法があるが、多入力系においては設計現場で正確にかつ簡便に利用できる方法が確立されていなかった。本論文では、各入力に同一のゲインと位相からなる複素数ξを挿入し、フィードバック制御系が不安定になる限界を求め周波数に対するξの軌跡を求める方法を検討している。この軌跡は一入力系における一巡伝達関数の逆数にマイナスを付けたものに相当し「マイナス逆ベクトル軌跡ξ」と名づけている。また、ξの逆数にマイナスを付けたものは一入力系の場合は一巡伝達関数と一致し、「-1/ξ軌跡」と名づけている。多入力系の場合は、「-1/ξ軌跡」は入力の数だけ存在するが、その軌跡から安定余裕を評価することが可能となることを示している。本手法は簡便な方法であるばかりでなく、H 無限大制御理論で用いられる特異値による評価よりも厳密な安定余裕を与えることができることを指摘している。

 第3章は提案する「-1/ξ軌跡」を用いて航空機のロール制御系を設計し、制御系設計問題への具体的適用を試みている。航空機の制御においては安定余裕と応答性の両立が重要な課題であり、両者の要求と「-1/ξ軌跡」の関係を明らかにすることで、設計指針を与えることに成功している。

 第4章はPIOが発生する条件と、自励振動の周波数および振幅を解析的に求める方法を示し、フィードバック制御系が備えるべき特性について考察している。具体例として、ロール制御系を考え、人間パイロットが人間固有の遅れを持つものの、ロール角速度の変化に応じて瞬間的に最大のエルロン操作を行うものと仮定して解析をすすめている。こうした機敏な操作は人間にとって振動を止めようとする最善の操縦となり、最悪な自励振動を調べることを可能としている。結果的には入力からシステム全体への位相遅れが180度以上となると自励振動が発生することを確認し、舵面のアクチュエータ速度の制限に掛かるとフィードバッグ制御の補償が効かなくなり、自励振動の振幅が大きくなることを指摘している。そして、自励振動の振幅を下げるためにはフィードバック制御を有効とするために入力の大きさを制限することが必要で、しかも、前章に示した制御系の設計指針がPIO対策にも有効であることを明らかにした。

 第5章では実際にPIOが発生した際の飛行データをもとに、第4章で示した解析手法と設計指針の妥当性を検証している。PIOの予測値と、実機での飛行データとは、ほぼ対応が取れ、本論文の解析手法の妥当性が検証された。また、実機で行われたフィードバックゲインを抑えるという対策の理論的根拠の説明を試みている。すなわち、フィードバックゲインを抑えることは、アクチュエータの速度制限に掛かる範囲を少なくし、フィードバック制御の効果を生かすことで自励振動の振幅を小さく出来ることを説明している。

 第6章は結論で本研究の成果を要約している。

 以上要するに、本論文は多入力多出力制御系の安定余裕を簡便にかつ精度良く評価できる新たな手法とPIOの解析手法を提案するとともに、航空機のロール制御系を例に安定余裕と応答特性の両者を改善できる設計指針を導き、この設計指針がPIO特性の改善にも有効であることを示すとともに、実機の飛行データによってその有効性を検証しており、航空工学上寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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