学位論文要旨



No 214802
著者(漢字) 渡邉,英宏
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,ヒデヒロ
標題(和) 炭素-13磁気共鳴を用いた非侵襲的脳代謝計測法の研究
標題(洋)
報告番号 214802
報告番号 乙14802
学位授与日 2000.09.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14802号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西,敏夫
 東京大学 教授 早川,禮之助
 東京大学 教授 鹿野田,一司
 東京大学 教授 田中,肇
 東京大学 教授 小宮山,眞
 東京大学 助教授 伊藤,耕三
内容要旨 要旨を表示する

 グルコースは脳の主要なエネルギー源である。このグルコースは脳内に取り込まれた後、神経伝達物質であるグルタミン酸を代表とする各種アミノ酸に代謝される。13C標識グルコースを用いた13C磁気共鳴スペクトロスコピー(Magnetic Resonance Spectroscopy(MRS))では、このグルコースからアミノ酸への代謝変化をとらえることができるため、脳代謝診断の有力なツールとなると期待されており、これまでに様々な13CMRSパルスシーケンスを用いた脳代謝計測が行われてきた。しかし、これらの従来の方法には一長一短があり、13CMRSを用いた非侵襲的脳代謝計測を実現するために必要な高感度化、信号取得部位の限定、すなわち局所化、そして代謝物のピーク分離を全て満足するパルスシーケンスは提案されていなかった。さらに、13CMRSの臨床応用には、脳代謝計測専用MRI装置ではなく、磁気共鳴診断装置の普及型である全身用MRI装置にて実現できるパルスシーケンスが望まれていた。

 本論文の目的は、これらの3条件を満たし、かつ全身用MRI装置にて実現可能なパルスシーケンスを提案し、全身用MRI装置にて方式の有用性を実証することにある。この目的に対し、全7章から構成される本論文では、3つのパルスシーケンスを提案し、動物実験あるいは人ボランティア試験にてその性能を実証している。

 このうちの第1章は本研究に関する序章であり、背景および本論文の内容について言及している。具体的には、13CMRSによる13C標識グルコースを用いた脳アミノ酸代謝計測について説明し、13CMRSを用いた非侵襲的脳代謝計測に求められる課題について言及している。

 第2章では、溶液系の13CNMRパルスシーケンスの特徴を13C観測法と、13Cに結合した1Hを検出する1H観測法のそれぞれに関して洞察している。このうち、代謝物ピークの良好な分離が可能である13C化学シフトを本質的に利用できる13C観測法では、高感度化でかつ局所励起性能が必要な条件となる。これに対して分極移動法は、1H分極利用による高感渡化、および代謝物間の位置ずれの影響の小さい1Hでの局所化が可能であるため、13C観測法として最適である。一方、高感渡でかつ局所励起性能の良好な1H観測法では、代謝物ピークの良好な分離検出が課題となる。これに対して、2D1H―13C相関スペクトロスコピー法であるHMQC法とHSQC法は、13C化学シフトを利用した良好なピーク分離が可能な方法である。さらに、脳代謝計測の重要な観測対象であり、JHHカップリングを有するグルタミン酸等に対して、展開期での1H磁化状態の差よりHSQC法はHMQC法よりも優れていると言える。従って、HSQC法が1H観測法として最適な方法であり、HSQC法が高感度化、局所化、そして代謝物のピーク分離を満足する最適なパルスシーケンスである。

 第3章では、13C観測法として最適な分極移動法を局所化応用する際の問題点を指摘し、これを解決するための方法として修正INEPT法を提案している。本方法の特徴は、INEPTパルス列の180°(1H,13C)パルスの役割を明確化し、両者を非同期で印加できるように工夫した点にある。すなわち、180°(13C)パルスを第1番目の1Hパルスの1/(4JCH)後、あるいは第3番目の1Hパルスの1/(4JCH)前に印加することでINEPTと同様の分極移動が可能となる。この結果、1Hのエコー時間2τを任意の時間長に設定でき、INEPTパルス列を構成する全ての1Hパルスを選択励起パルスとして用いることが可能となる。これが提案する局所励起INEPT法であり、2T全身用MRI装置を用いたファントム実験にて基本性能を実証した。また、本章では、MRI装置への組み込みの際にB0シフトによる位相回りが分極移動効率の劣化を起こすことを述べこの位相回りの計測法を提案している。計測した位相回りを局所励起INEPTシーケンスのRF位相に組み込むことで、劣化の無い分極移動が可能となる。さらに、本方法を用いて13C標識グルコース投与後のサル脳アミノ酸代謝計測を行い、グルタミン酸等の各種アミノ酸への13Cの取り込みがin vivoにて検出できることを実証している。

 第4章では、HSQC法を全身用MRI装置上で実現する際の問題点を指摘している。従来のHSQC法の局所励起応用では、全ての物質において効率良くINEPT分極移動を生起することができず、これを解決すべく修正INEPT法を用いた局所励起HSQC法を提案した。さらにこの方法ではロバストな方法であるコヒーレンス選択勾配磁場パルスを用いた水信号抑圧を組み込むことが可能であり、この際の注意点について言及している。提案したパルスシーケンスを2T全身用MRI装置に組み込み、ファントム実験にて基本性能を実証した。さらに、本方法により、13C標識グルコース投与後のサル脳2D1H―13CHSQCスペクトルを取得し、各種アミノ酸への13Cの取り込みがin vivoにて検出できることを実証した。

 第5章では、局所励起HSQC法と同一のスキャン時間で、空間1軸方向に複数部位からの2Dスペクトル取得が可能なマルチスライスHSQC法を提案した。これは、展開期後の縦2スピン秩序に対してマルチスライス技術を適用する方法である。このパルスシーケンスを2T全身用MRI装置に組み込み、ファントム実験にてマルチボクセルスペクトロスコピーが可能であることを実証した。さらに、13C標識グルコース経口投与後の人脳アミノ酸代謝計測を実施し、脳内4ボクセルから2D1H-13CHSQCスペクトルを取得することができた。さらに、13Cのグルタミン酸4位への取り込みを求め、時間変化を画像により求めることができた。この結果は、また、臨床応用が期待できる経口投与法の有用性を示すものである。

 第6章では、マルチスライスHSQC法によってさらに高感度な信号取得を可能とすべく勾配磁場系の強化を行った。この結果、グルタミン酸ファントムを用いた実験により、約1.5倍のS/N向上が期待できることがわかった。また、2D HSQCスペクトル定量化のための複素非線形最小二乗法を用いたカーブフィッティングアルゴリズムを開発し、人脳2Dスペクトルにて有用性を実証した。さらに、13C標識グルコース経口投与後の人脳アミノ酸代謝計測を実施し、時間分解能20分で空間分解能8mlの脳ボクセルからのグルタミン酸4位信号をS/N=1〜2で取得した。さらに、空間分解能36mlの脳ボクセルの2D1H-13CHSQCスペクトルを取得し、100分の積算スペクトルにてグルタミン酸4位とグルタミン酸4位の分離検出が可能であり、さらにグルタミン酸3位、アスパラギン酸3位のピークを観測することが可能であった。

 最後に第7章において、本論文を総括し、結論を簡潔にまとめている。

審査要旨 要旨を表示する

 脳の主要なエネルギー源であるグルコースは脳内に取り込まれた後、神経伝達物質であるグルタミン酸を代表とする各種アミノ酸に代謝される。13C標識グルコースを用いた13C磁気共鳴スペクトロスコピー(Magnetic Resonance Spectroscopy(MRS))では、このグルコースからアミノ酸への代謝変化をとらえることができるため、脳代謝診断の有力なツールとなると期待されている。しかし、13C MRSを用いた非侵襲的脳代謝計測を実現するために必要な高感度化、信号取得部位の限定、すなわち局所化、そして代謝物のピーク分離を全て満足する方法は提案されていなかった。さらに、13CMRSの臨床応用には、脳代謝計測専用磁気共鳴イメージング(Magnetic Resonance Imaging(MRI))装置ではなく、磁気共鳴診断装置の普及型である全身用MRI装置にて実現できるパルスシーケンスが望まれていた。

 本論文は、「炭素-13磁気共鳴を用いた非侵襲的脳代謝計測法の研究」と題し、上記3条件を満足し、かつ全身用MRI装置上にて実現可能であるパルスシーケンスを提案し、動物実験あるいは人ボランテイア試験にてその性能を実証しており、以下の7章から構成されている。

 第1章は本研究に関する序章であり、背景および本論文の内容について言及している。

 第2章では、13C NMRパルスシーケンスの特徴を13C観測法と、13Cに結合した1Hを検出する1H観測法のそれぞれに関して洞察している。このうち、13C観測法では1H分極を利用できる点で分極移動法が最適であるとことを明らかにしている。さらに、原理的に最も高感度である1H観測法では、HSQC法(Heteronuclear Single Quantum Coherence)が最適であり、従って脳代謝計測法として最適であることを明らかにしている。

 第3章では、分極移動法の局所化を可能とする局所励起INEPT法(Insensitive Nucleus Enhancement by Polarization Transfer)を提案している。本方法の特徴は、INEPTパルス列のうちの180°(13C)パルスを第1番目の1Hパルスの1/(4JCH)後、あるいは第3番目の1Hパルスの1/(4JCH)前に印加する修正INEPT法にある。ここで、JCHは13Cと1Hの異核種スピン-スピン結合定数である。この結果、1Hのエコー時間を任意の時間長に設定でき、全ての1Hパルスを選択励起パルスとして用いることが可能となる。また、静磁場B0シフトによる位相回りが分極移動効率の劣化を起こすことを述べ、この位相回りの計測法を提案している。提案したパルスシーケンスを2T全身用MRI装置に組み込み、ファントム実験にて本方法の性能を実証している。さらに、本方法を用いて13C標識グルコース投与後のサル脳アミノ酸代謝計測を行い、グルタミン酸等の各種アミノ酸への13Cの取り込みがin vivoにて検出できることを実証している。

 第4章では、HSQC法を全身用MRI装置で実現する際の課題を指摘し、修正INEPT法の利用によりこれを解決できることを明らかにしている。ファントム実験にてこの局所励起HSQC法の基本性能を実証している。さらに、本方法により、13C標識グルコース投与後のサル脳2次元(2D)1H-13CHSQCスペクトルを取得し、各種アミノ酸への13Cの取り込みがin vivoにて1H感度で検出できることを実証している。

 第5章では、逆分極移動後の縦2スピン秩序を利用したマルチスライスHSQC方を提案し、ファントム実験により局所励起HSQC法と同一のスキャン時間で複数部位からの2Dスペクトル取得が可能であることを明らかにしている。さらに、13C標識グルコース経口投与後の人脳アミノ酸代謝計測を実施し、時間分解能15分で37mlの脳内4ボクセルから2D1H-13CHSQCスペクトルを取得し、グルタミン酸への代謝変化の画像化に成功している。

 第6章では、勾配磁場系の強化により、約1.5倍感度が向上することをファントム実験より明らかにしている。また、2D HSQCスペクトル定量化のための複素非線形最小二乗法を用いたカーブフィッティングアルゴリズムを開発し、人脳2Dスペクトルにて有用性を実証している。さらに、勾配磁場系を強化したシステムを用いて13C標識グルコース経口投与後の人脳アミノ酸代謝計測を実施し、時間分解能20分で空間分解能8mlの脳ボクセルからのグルタミン酸検出に成功している。

 最後に第7章において、本論文を総括し、結論を簡潔にまとめている。

 以上、本論文では、13CMRSを全身用MRI装置で実現する上で最適な局所励起INEPT法、局所励起HSQC法およびマルチスライスHSQC法を提案、開発している。さらに、マルチスライスHSQC法を2T全身用装置に組み込み、13C標識グルコース経口投与後の人脳内グルタミン酸検出に成功している。この結果、これまでの13CMRSパルスシーケンスの課題であった1H感度で代謝物分離能に優れかつ局所化が可能という特徴を有する上記方法の有用性を、全身用MRI装置にて実証できた。この成果の磁気共鳴技術発展への貢献は多大であり、すなわち物理工学に対して寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42826