学位論文要旨



No 214804
著者(漢字) 鍋川,康夫
著者(英字)
著者(カナ) ナベカワ,ヤスオ
標題(和) 超短パルス高出力レーザーの研究
標題(洋)
報告番号 214804
報告番号 乙14804
学位授与日 2000.09.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14804号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,俊太郎
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 黒田,和男
 東京大学 助教授 三尾,典克
 東京大学 助教授 志村,努
内容要旨 要旨を表示する

1 序

 コヒーレント光源としてのレーザーは近年多様な発展を見せている。特に高強度レーザーによる高次高調波発生は、高調波自身が光源としての応用される段階に入っており、光学テーブル上で真空紫外、極端紫外を発生させる光源として期待されている。光源として用いる場合、発生する高調波の量をできるだけ多くするために、いかに高率良く発生させるかという研究と共に、基本波となるレーザー光の改良が重要になってくる。固体分光のような物性研究に用いるならば、1パルスあたりの強度の増大もさることながら、レーザーの繰返しを高め、微弱信号の計測を容易にすることも重要な要素であり、それ故、高強度レーザーの高繰返し化が近年の大きな技術課題になっている。

 本論文ではこれらの応用を目的とした高繰返し、高ピーク出力、高平均パワーのレーザー研究開発について報告する。

2 チャープパルス増幅

 超短パルス固体レーザーに於ける増幅で問題になるのは自己収束による媒質の破壊である。これを解決したのがチャープパルス増幅法(Chirped Pulse Amplificatyion, CPA)である。媒質中で問題になるのはピーク強度である事から、増幅中はパルス幅を伸ばしておき、最後にパルスを圧縮して、高エネルギーの超短パルスを得るというのが基本のアイデアである。

3 分散補償

 再生増幅器では、チタンサファイア、ポッケルスセル、薄膜フィルム偏光子などの分散媒質を光パルスが数多く通過し、20fs領域に於ては無視できない影響をパルス光に与えるため、これをいかにして取り除くかが大きな課題となる。本研究では再生増幅器の共振器内に適度な分散補償を行える媒質で作られたプリズム対を挿入すしてこの問題を解決した。

 光線追跡による数値計算によって幾つかのプリズム媒質を検討した所、小原光学製のLAH64(Shott社のLaSF014と同等)を用いると、ほぼフーリエ限界に近いパルスが得られる事がわかった。

 この方法は材料分散の変化や、StretcherやCompressorの回折格子に対する入射角の変化に対して、僅かな配置の変更であらたな分散補償を行える利点を持ち、増幅システムの拡張に対応しやすい。本研究で開発された高繰返しの超短パルス増幅器はこの手法で分散補償を行っている。

4 熱レンズ

 高エネルギーかつ高繰返しの増幅器で大きな問題となるのは、Ti:sapphire内で発生する熱の効果である。特に励起領域に生ずる温度分布に起因する熱レンズ効果はビームの伝播に直接影響を与えるので、これを考慮した増幅器設計が不可欠である。これを補償して高効率の増幅に成功したのが本研究の成果のひとつである。

 本研究では熱レンズを補償するために2枚の凹面鏡を用いたマルチパス増幅器を考案した

 ここでのポイントは凹面鏡間距離を曲率半径より長くして熱レンズとバランスをとり適度な(十分に大きい)ビーム径をTi:sapphire上で得る事にある。なおこの場合、焦点位置にTi:sapphireが無いため、各パスの折り返しは独立した45°ミラーで行う必要がある。

 ビームはほぼ同じ距離を往復するため、各パスの伝播が同じになるためには折り返しミラーの位置に0°ミラーを置くことによってできる共振器が安定であることが必要条件である。この擬共振器に対して熱レンズを含んだ形でのビーム伝播をABCD行列によって計算し、この方法が熱レンズ補償に有効である事を確かめた。

5 1kHz、0.66-TWチタンサファイアレーザーシステム

 本研究では繰返し1kHzのsub-TW Ti:sapphireレーザーシステムを開発した。モード同期発振器、Offner型Stretcher、再生増幅器を経た光パルスは熱レンズ補償を行った3-パス、2-パスで増幅される。得られたエネルギはー26.5Wである。各マルチパス増幅器のTi:sapphireに吸収された励起光に対するエネルギーの取り出し効率はそれぞれ38%、33%であり、1kHzの増幅器としては最高の効率である。

 増幅光は平行配置の回折格子によるCompressorによってパルス圧縮される。圧縮後のパルス波形を2倍波発生による周波数分解光ゲート法(SHG-FROG)によって計測、再構築した結果を図に示す。これによって得られたパルス幅は21fsである。実測したスペクトルに、光線追跡によって数値計算された位相を考慮して計算されるパルス波形は、この実測値と良く一致しており、§3で述べた分散制御の有効性が確かめられた。

 Compressor後のパルスエネルギーは14mJであり、結果として0.66TWのピーク出力が得られた。

6 全固体5-kHz 0.2-TWチタンサファイアレーザーシステム

 5-kHzのシステムの励起源はLD励起のQ-スイッチNd:YAGレーザーの2倍波である。LD励起の固体レーザーはランプ励起のものに比べて寿命が長く、熱的な安定性にすぐれ、さらにメインテナンスが容易であるという長所がある。これをTi:saphireの励起に用いる事によって、本システムは全レーザー媒質の固体化が達成されている。

 基本的な構成は1kHzのシステムと同じであるが、繰返し及び励起パルスエネルギーの違いにより、再生増幅器とマルチパス増幅器の(擬)共振器構成が異なっている。特にマルチパス増幅器は4-パスのステージが1段、それに続く最終段が1-パスの構成となっている。

 マルチパス増幅器の各パスでの出力パワー、及びパルス圧縮後のFROG計測によるパルス波形を図2(a)、(b)に示す。37Wという平均出力は今までで開発されてきた超短パルス増幅器としては最大である。

 SHG-FROGによるパルス波形計測の結果得られたパルス幅は22fsであり、パルス圧縮後のパワーが22W(5kHz)であることから、ピークパワーは0.2TWとなった。

7 KrF-チタンサファイアハイブリッドシステム

 超短パルスの高出力レーザーを紫外域で得ようとした場合、稀ガスハライドのエキシマが有力なレーザー媒質である。Ti:sapphireの利得波長域はKrFの波長248.3nmの3倍にあたる745nmをカバーしているので、745nmでのTi:sapphire CPAシステムの出力を波長変換し、十分なエネルギーの紫外超短パルスの種光を用意できる。これによってKrFでの増幅段は1つで済むので、ASEの問題を回避した紫外光の超短パルス増幅システムを構築できる事になる。本研究ではこの考え方に基づき10HzのTWシステム、kHzの増幅システムを開発し、さらに紫外領域でのsub-100fsパルス発生の実験を行った。

 なおこれらのシステムではKrF種光の3倍波発生におけるPre-delayの為に1枚の基盤に4種類のコーティングを行ったビームスプリッターを用いたマイケルソン干渉計型のdelay lineを製作している。このdelay lineを用いる事によって、745nmの基本波から248.3nmの3倍波へのエネルギー変換効率は最大で10%になった。

 10Hzの繰返しで1TWのピーク出力を持つKrFレーザーをTi:sapphireのCPAシステムをベースに開発した。得られたエネルギーは200mJ、3光子蛍光法によるパルス幅の計測結果はsech2型のパルス波形を仮定して440fsであった。パルス幅の広がりはウインドウその他によるチャープが原因であるので、これをCaF2プリズムによって補償した所、パルス幅は130fsまで縮まり、パルスエネルギーは130mJとなった。これによって1TWのピーク出力が得られた事になる。

 この開発の後、1kHz、745nm、のTi:sapphire CPAシステム(〜1mJ/pulse)と組み合わせた1kHzの超短パルスKrFエキシマレーザーの実験を行った。

 システムの基本構成は5に用いられているものと同様の共振器構成による1kHzのTi:sapphire再生増幅器によって745nmのCPAを行い160fs、570μJのパルスを得、波長変換、KrF増幅を順次行うものである。

 超短パルス増幅の平均出力は図3(a)に示す通り繰返し500Hzまでは線形に増加したが、それ以上の繰返しでは飽和した。これはおそらくガスの循環が不足気味であった事が原因と思われる。しかしながら、1kHzで7Wの平均出力が得られ、超短パルスの紫外光としてはこれまでで最大の平均出力を実現した。パルス幅は図3(b)に示す通りsech2でフィッティングして300fsであった。

 kHzのシステムにおいて、KrFの利得帯域をできるだけ広く用い、これに分散補償を行うことによって100fsを切るパルス幅の高エネルギー紫外光を得る実験を行った。

 Ti:sapphire CPAのスペクトルを制御し、さらに波長変換後の3倍波をOffner型のStretcherに通した後、KrF増幅後に回折格子対のCompressorを用いることによって分散補償を行った。

 スペクトル制御を行った後KrFで増幅して得られたスペクトルを図4(a)に示す。大きく利得の中央にディップを持った種光(Ti:sapphireの3倍波)を入力する事によって1.6nmの幅が得られた。スペクトル制御をしない時のスペクトル幅は0.9nmであり、約1.8倍の幅に広帯域化した事になる。

 Compressor後の出力は600mW、パルス幅は図4(b)に示す通り、スペクトルから計算されるフーリエ限界パルスの自己相関波形とほぼ一致しており、パルス幅は72fsであった。これによって、sub-100fsの超短パルス紫外光が1kHz、600μJという高エネルギーで得られた事になる。

8 まとめ

 本研究では高強度、超短パルスのレーザー開発を近赤外から紫外域、sub-J級の高エネルギーパルスから5kHzの高繰返し高平均出力にまで渡って行った。これらのレーザーは高次高調波実験、イオン化実験に用いられて多くの成果を挙げており、今後ますますその有用性を増していくと思われる。

 本研究は東京大学物性研究所先端分光部門(旧極限レーザー)渡部研究室に於て行われたものであり、ここで述べられた成果のすべては東京大学教授渡部俊太郎先生の指導にもとづくものです。筆者はここであらためて渡部先生に感謝の意を表したいと思います。

図1:SHG-FROGによる出力パルスの再構築結果。(a):再構築されたパルス波形。実線は光線追跡による数値計算結果。半値全幅は21fs。(b):再構築されたスペクトル領域での位相。実線は光線追跡による数値計算結果。

図2:(a):各パスの出力パワー。(b):SHG-FROGによる出力パルスの再構築結果。実線は光線追跡による数値計算結果。

図3:高繰返し超短パルスKrF/Ti:sapphireレーザー実験結果。(a):繰返しに対する平均出力の変化。(b):3光子蛍光法による自己相関波形。

図4:sub-100fs、KrF/Ti:sapphireレーザー実験結果。(a):KrFレーザーのスペクトル制御の実験結果。点線種光のスペクトル。実線:KrF増幅後のスペクトル。両脇のピークの半値の所どうしでの幅は1.6nm。(b):分散補償後の3光子蛍光法による自己相関波形(白丸)。実線はスペクトルから計算されるフーリエ限界パルスから計算される自己相関波形。両者が一致している事からパルス幅は72fsである。

審査要旨 要旨を表示する

 高出力レーザーは核融合やX線レーザーの研究に用いられるために、大口径のガラスレーザー増幅器あるいはエキシマレーザー増幅器による単一ショットパルスレーザーとしてその開発の歴史がはじまった。これらの研究においては、レーザーによる光電場の強度と共に1パルスに含まれるエネルギーも大きな値(kJクラス)が必要であったため、開発されたレーザーも巨大なものであった。一方、光電場と物質の相互作用の研究が進むにつれて、エネルギーはそれ程必要では無く(mJ〜J)、主に瞬間的な光電場のピーク強度に依存する様な物理現象も見い出されており、これらの研究を行う為には、繰返し周波数が高く、高ピーク強度のレーザーが必要になってきた。この論文はこの様な現在における高出力レーザーの開発要請に応えて開発した、超短パルス高出力レーザーについて述べたものである。

 第1章は序論として超短パルス高出力レーザーの開発に至る背景及び目的を説明しており、高強度電場中の物理現象の研究に用いる場合だけではなく、これによって得られる高次高調波を新たな光源として用いる際に超短パルス高出力レーザーの高繰返し化が重要な技術課題である事が強調されている。

 第2章は超短パルスの発生源であるモード同期発振器についての解説である。チタンサファイアレーザー発振器に於いて実現されているカーレンズ効果によるモード同期と従来用いられてきた可飽和吸収体による色素レーザーのモード同期の原理の比較、製作したチタンサファィア発振器の性能等が述べられている。

 第3章はパルス幅が100fsを切る領域での超短パルス増幅の具体的な手法が紹介されている。カーレンズ効果による自己収束によって固体レーザー媒質が破壊される現象を防ぐ目的で行う「チャープパルス増幅(CPA)」の説明の他、再生増幅とマルチパス増幅のそれぞれについて、これまで用いられてきた方法が比較されいる。また、この研究で開発された増幅器で得られると予想されるパルスエネルギーの解析も行われている。

 第4章及び第5章はこの論文の最も重要な部分であり、この研究の独自性を表わしている。まず、第4章では、20fsの超短パルスを増幅出力として得るための問題点とその解決方法が示されている。増幅によるスペクトルの狭帯域化は再生パルス整形を導入する事によって解決され、実際得られたスペクトルと計算値が比較され、良い一致をみている。分散制御についてはCPAの基本要素となっているパルス伸延器(Stretcher)とパルス圧縮器(Compressor)の解説に始まり、透過媒質による高次分散の影響を低減するために用いられてきた今までの手法が比較された。その上で、この論文に於ける独自の手法「再生増幅器共振器内プリズム対挿入法」が解析されている。この解析は光線追跡の手法による数値計算によるものであり、各光学素子による光線経路の変化等の表現法とアルゴリズムが示され、数値計算の精度が評価された上で、実際の増幅器のモデルに適用されている。この結果この手法は20fsのパルス幅を得るために有効に働くのみならず、分散媒質の長さの変化やStretcher-Compressorの配置の変化に対して柔軟に対応できる利点がある事が見い出された。また、解析式から得られる2次の分散と3次の分散の評価から、この分散補償の方法が有効に働く理由が定性的に説明されている。

 第5章では高繰返しの固体レーザーで問題となる熱レンズ効果の解析と、この効果が与える影響を増幅器に於いて補償する手法が検討されている。この解析から、熱レンズの焦点距離が(フルーエンスを一定とした場合)励起レーザーの繰返し周波数に反比例して短くなる事が示され、従来の10Hzの増幅システムに比較して1kHzあるいは5kHzといった高い繰返し周波数の増幅器に於ける熱レンズ補償の重要性が明らかにされた。熱レンズ補償の手法については、1kHzの増幅器に対して行われてきた従来の方法についての検討がなされた後、マルチkHzにも対応可能な新しい熱レンズ補償法「熱付加に対する安定擬共振器」が提案されている。凹面鏡の間隔を共焦点距離よりも長く配置したマルチパス増幅器を擬共振器とみなして解析し、この配置の安定条件から1kHz、5kHzいずれの繰返しに対しても適度なビーム径が得られる配置が存在することを見い出された。

 第6章は前章までに解析検討してきた超短パルス高繰返し化の手法を用いて実際に開発したレーザーシステムの詳細が述べられている。最初に記述された1kHzの繰返しのチタンサファイアレーザーシステムは14mJのパルスエネルギーを持ち、パルス幅は2倍波発生による周波数分解光学ゲート法(SHG-FROG)による計測によって21fsと測定されている。SHG-FROGによるパルス計測によってパルスの位相も明らかになり、この結果は第4章での解析結果と良く一致している。このシステムで得られたピーク強度は0.66TWで、1kHzの繰返しのレーザーとしては開発当時最大のものである。次に述べられている5kHzのチタンサファイアレーザーシステムは、励起レーザーとして半導体レーザー励起のNd:YAGレーザーを用い、パルス圧縮前で37.7W、圧縮後で22.2Wという、超短パルスレーザーとしては最大の平均出力が得られている。これによって高繰返し増幅器に於けるSCATの有効性が証明された。さらに第6章ではチタンサファイアレーザーとKrFエキシマレーザーを組み合わせた紫外での高出力超短パルスシステムの研究成果が述べられており、10Hzの繰返しでTWのピークパワーを持つ高ピーク出力レーザーおよび1kHzで7Wの平均出力を持つレーザーの開発、そしてKrFレーザーでのsub-100fsパルスの発生実験についての結果がまとめられている。

 第7章は以上の結果に対するまとめである。これらの成果の多くが開発段階ですべて高出力超短パルスレーザーの分野で先進的なものであり、開発されたレーザーが世界的にも最先端であり、多くの場合世界記録を更新した。以上の内容から、この研究は物理工学に大きく寄与するものであり、よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格であると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42827