学位論文要旨



No 214811
著者(漢字) 新井,宗仁
著者(英字)
著者(カナ) アライ,ムネヒト
標題(和) タンパク質のフォールディングの速度論的研究
標題(洋) Kinetic Studies of Protein Folding
報告番号 214811
報告番号 乙14811
学位授与日 2000.09.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第14811号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川戸,佳
 東京大学 教授 若林,健之
 東京大学 助教授 陶山,明
 東京大学 助教授 能瀬,聡直
 東京大学 助教授 長谷川,修司
内容要旨 要旨を表示する

 タンパク質のフォールディング機構の解明は、現代の生物物理学における最重要課題の一つである。タンパク質のフォールディング機構を明らかとするためには、フォールディング(巻き戻り)反応の途中に過渡的に形成される中間体を検出し特徴づけることが必要であり、そのためには、様々なプローブを用いた速度論的手法が必要とされている。これまでは、ストップトフロー高速混合法と円二色性(CD)スペクトルや蛍光スペクトルの測定とを組み合わせることにより、タンパク質の巻き戻り反応の測定が行われてきた。これらの方法により、巻き戻り反応開始後数10ミリ秒以内(ストップトフロー装置の不感時間以内)に中間体が形成されること、及び、その中間体は、二次構造を持つが側鎖の密なパッキングはまだ形成されていない状態であること、が明らかになってきた。しかし、この巻き戻り中間体の分子サイズと形状については、まだ明らかではなかった。一方、平衡条件下(酸性pHなど)では、MG状態と呼ばれる中間的な構造を持った状態が形成されることが知られており、MG状態は、(1)二次構造を持つ、(2)側鎖の密なパッキングを持たない、(3)分子サイズがコンパクトである、という特徴を持つことがわかっていた。これら(1)(2)の特徴が、タンパク質の巻き戻り反応の途中に形成される中間体の特徴と類似していることから、現在、MG状態は、タンパク質のフォールディング途中に形成される普遍的な中間体であると提唱されている。しかし、平衡条件下におけるMG状態はさらに、分子サイズがコンパクトであるという特徴を持っているのに対し、巻き戻り中間体の分子サイズに関する情報はまだ明らかではなかった。したがって、巻き戻り中間体とMG状態の分子サイズを調べて比較することが、タンパク質のフォールディング機構を明らかとする上での重要な課題となっていた。

 そこで我々は、タンパク質のフォールディング反応に伴うタンパク質分子のコンパクト化の速度過程を明らかとし、巻き戻り中間体の分子サイズを測定することを目的として、ストップトフローX線溶液散乱法によるβ-LGの巻き戻り反応の測定を行った。シンクロトロン放射光を利用したストップトフローX線溶液散乱法は、タンパク質のフォールディング反応を測定するための新しい方法であり、巻き戻り途中のタンパク質分子の大きさと形状を直接的に測定できる強力な方法である。しかしX線溶液散乱の時分割測定ではS/N比が悪いという問題があった。そこで我々は、積分散乱強度(Iint)というパラメタを用いて測定することにより、S/N比を向上させることを試みた。まず、このパラメタが構造転移を記述するのに妥当な指標であることを確かめるために、平衡条件下におけるβ-LGのアンフォールディング転移曲線をIintを用いて測定し、この転移曲線がCD及び吸収スペクトルで測定した転移曲線と一致することを示した。また、β-LGのアンフォールディング速度過程をストップトフローX線散乱法を用いて測定し、Iintを用いることによって、時分割実験においても分子サイズの時間変化を追跡できることを示した。そこで我々は、この方法を用いてβ-LGの巻き戻り反応を測定したところ、β-LGの巻き戻り反応に伴うタンパク質分子のコンパクト化の速度過程を直接的に観測することに成功した。その結果、β-LGは巻き戻り反応初期(反応開始後数10ミリ秒以内)にコンパクトで球状な中間体を形成することが明らかになった。100ミリ秒以内に形成される構造の慣性半径は、天然状態の慣性半径の1.1倍程度であった。また、ストップトフローCD、吸収、蛍光スペクトル法により、中間体においては多くの二次構造が形成されているが、側鎖の密なパッキングは形成されていないことが示された。以上の結果から、タンパク質分子のコンパクト化と二次構造の形成はどちらも素早い反応であること、及びβ-LGの巻き戻り中間体がMG状態であることが示された。

 我々はさらに、β-LGの巻き戻り速度過程を詳細に特徴づけるために、ストップトフローCD、吸収、蛍光スペクトル法によりβ-LGの巻き戻り反応を測定した。その結果、β-LGがMG状態からさらにコンパクトになっていく過程は、巻き戻り中間体で形成されている非天然のα-ヘリックスが天然状態様のβ-シートへと変換していく過程、及び側鎖の密なパッキングが形成されていく過程と同時に起きていることがわかった。また、巻き戻り反応の変性剤濃度依存性をストップトフロー吸収スペクトル法を用いて測定した結果、巻き戻り速度定数は変性剤濃度には依存しないことから、β-LGの巻き戻り反応には、プロリン残基のcis-trans異性化反応が関与していることが示唆された。

 以上を要約すると、本研究において我々は、ストップトフローX線溶液散乱法という画期的な方法を用いることにより、β-LGが巻き戻り反応初期にコンパクトな中間体を形成することを明らかにした。また、この中間体がMG状態であることを示した。さらに、β-LGの巻き戻り速度過程を詳細に特徴づけた。したがって本研究は、(1)タンパク質のフォールディングにおけるMG状態の重要性を明らかとした、(2)タンパク質のフォールディング速度過程を測定する新しい方法を確立した、(3)β-LGの構造形成過程を理解する上での重要な知見をもたらした、と言うことができる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究の目的は、タンパク質のフォールディング反応に伴うタンパク質分子のコンパクト化の速度過程を明らかとし、中間体の分子サイズを測定することである。論文提出者は、ストップトフローX線溶液散乱法を用いてβ-ラクトグロブリン(β-LG)の巻き戻り反応を測定し、β-LGはフォールディング反応の初期数10ミリ秒以内にコンパクトな中間体を形成すること、及びこの中間体はモルテン・グロビュール(MG)状態であることを明らかにした。

 タンパク質のフォールディング機構の解明は、現代の生物物理学における最重要課題の一つである。タンパク質のフォールディング機構を明らかとするためには、フォールディング(巻き戻り)反応の途中に過渡的に形成される中間体を検出し特徴づけることが必要であり、そのためには、様々なプローブを用いた速度論的手法が必要とされている。これまでは、ストップトフロー高速混合法と円二色性(CD)スペクトルや蛍光スペクトルの測定とを組み合わせることにより、タンパク質の巻き戻り反応の測定が行われてきた。これらの方法により、巻き戻り反応開始後数10ミリ秒以内(ストップトフロー装置の不感時間以内)に中間体が形成されること、及び、その中間体は、二次構造を持つが側鎖の密なパッキングはまだ形成されていない状態であること、が明らかになってきた。しかし、この巻き戻り中間体の分子サイズと形状については、まだ明らかではなかった。一方、平衡条件下(酸性pHなど)では、MG状態と呼ばれる中間的な構造を持った状態が形成されることが知られており、MG状態は、(1)二次構造を持つ、(2)側鎖の密なパッキングを持たない、(3)分子サイズがコンパクトである、という特徴を持つことがわかっていた。これら(1)(2)の特徴が、タンパク質の巻き戻り反応の途中に形成される中間体の特徴と類似していることから、現在、MG状態は、タンパク質のフォールディング途中に形成される普遍的な中間体であると提唱されている。しかし、平衡条件下におけるMG状態はさらに、分子サイズがコンパクトであるという特徴を持っているのに対し、巻き戻り中間体の分子サイズに関する情報はまだ明らかではなかった。したがって、巻き戻り中間体とMG状態の分子サイズを調べて比較することが、タンパク質のフォールディング機構を明らかとする上での重要な課題となっていた。

 そこで論文提出者は、タンパク質のフォールディシグ反応に伴うタンパク質分子のコンパクト化の速度過程を明らかとし、巻き戻り中間体の分子サイズを測定することを目的として、ストップトフローX線溶液散乱法によるβ-LGの巻き戻り反応の測定を行った。シンクロトロン放射光を利用したストップトフローX線溶液散乱法は、タンパク質のフォールディング反応を測定するための新しい方法であり、巻き戻り途中のタンパク質分子の大きさと形状を直接的に測定できる強力な方法である。しかし時分割測定ではS/N比が悪いという問題があった。そこで論文提出者は、積分散乱強度(Iint)というパラメタを用いて測定することにより、S/N比を向上させることを試みた。まず、このパラメタが構造転移を記述するのに妥当な指標であることを確かめるために、平衡条件下におけるβ-LGのアンフォールディング転移曲線をIintを用いて測定し、この転移曲線がCD及び吸収スペクトルで測定した転移曲線と一致することを示した。また、β-LGのアンフォールディング速度過程をストップトフローX線散乱法を用いて測定し、Iintを用いることによって時分割実験においても分子サイズの時間変化を追跡できることを示した。そこで論文提出者は、この方法を用いてβ-LGの巻き戻り反応を測定したところ、β-LGの巻き戻り反応に伴うタンパク質分子のコンパクト化の速度過程を直接的に観測することに成功した。その結果、β-LGは巻き戻り反応初期(反応開始後数10ミリ秒以内)にコンパクトで球状な中間体を形成することが明らかになった。100ミリ秒以内に形成される構造の慣性半径は、天然状態の慣性半径の1.1倍程度であった。また、ストップトフローCD、吸収、蛍光スペクトル法により、中間体においては多くの二次構造が形成されているが、側鎖の密なパッキングは形成されていないことが示された。以上の結果から、タンパク質分子のコンパクト化と二次構造の形成はどちらも素早い反応であること、及びβ-LGの巻き戻り中間体がMG状態であることが示された。

 論文提出者はさらに、β-LGの巻き戻り速度過程を詳細に特徴づけるために、ストップトフローCD、吸収、蛍光スペクトル法によりβ-LGの巻き戻り反応を測定した。その結果、β-LGがMG状態からさらにコンパクトになっていく過程は、巻き戻り中間体で形成されている非天然のα-ヘリックスが天然状態様のβ-シートへと変換していく過程、及び側鎖の密なパッキングが形成されていく過程と同時に起きていることがわかった。また、巻き戻り反応の変性剤濃度依存性をストップトフロー吸収スペクトル法を用いて測定した結果、巻き戻り速度定数は変性剤濃度には依存しないことから、β-LGの巻き戻り反応には、プロリン残基のcis-trans異性化反応が関与していることが示唆された。

 以上を要約すると、本研究において論文提出者は、ストップトフローX線溶液散乱法という画期的な方法を用いて実験を行い、β-LGが巻き戻り反応初期にコンパクトな中間体を形成することを明らかにした。また、この中間体がMG状態であることを示した。さらに、β-LGの巻き戻り速度過程を詳細に特徴づけた。本研究は、(1)タンパク質のフォールディングにおけるMG状態の重要性を明らかとした、(2)タンパク質のフォールディング速度過程を測定する新しい方法を確立した、(3)β-LGの構造形成過程を理解する上での重要な知見をもたらした、という点において、生物物理学上大変有意義な貢献をしたものと認められる。よって審査員一同、博士(理学)にふさわしい研究と判断した。

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