学位論文要旨



No 214816
著者(漢字) 百橋,明穂
著者(英字)
著者(カナ) ドノハシ,アキオ
標題(和) 仏教美術史論
標題(洋)
報告番号 214816
報告番号 乙14816
学位授与日 2000.10.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第14816号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河野,元昭
 東京大学 教授 小川,裕充
 東京大学 教授 佐藤,康宏
 (財)遠山記念館 館長 関口,正之
 東京大学 教授 小佐野,重利
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は日本・東洋美術史のなかでも、最も壮大な規模で、広範囲に発展した仏教美術について、実証的な構造解析を試みたものである。仏教美術がインドに始まるのは論を待たないが、その東端に位置する日本に至る流伝する各地での受容と変質には、多様な造形表現を時代と共に派生させていくことが確認できる。なかでも説話美術に着目し、中国大陸や朝鮮半島の作例と日本の説話美術との比較検討することによって、各地域での仏教美術の伝播と発展の過程を考究した。殊に日本の仏教美術の説話面化への変容は著しく、その諸相を個々の作例の図像と様式の分析を通じて明らかにし、その結果説話性こそが、日本の仏教美術の最も根本的な特質である事を実証した。仏教説話美術は秘密空間での造形ではなく、あくまで仏教的意味体系の伝達、即ち教化の機能的側面を前提にしており、意味の象徴としての図像の伝統的規範や基になったテキストとしての経典との関係や、表現されるべき堂塔内の位置や画面形式、構図展開法などに深く関わりなど多角的な分析を行った。美術史的な研究としてはまず造形化された説話美術に図像、様式、構図などの分析を通じて、主題の比定と時代の制作背景を探っていくのがもっとも正統的な方法論である。説話画の生命である説話の進行、すなわち物語の空間移動と時間の経過をいかに絵画化するかという点が課題である。この時間軸と空間軸の連続移動をいかに表現するかという「からくり」の分析抽出、すなわち説話美術の構造解析こそが本論文の主たる課題であった。また歴史を経た文化財資料である古代中世の絵画の鑑識や分析には、科学的な手法も必要で、文化財保存科学や光学的方法も活用した。さらに一方では説話美術を教示しようとした制作者側の意図や宗教的背景や宗教儀礼との関係、教化を受け説話美術を鑑賞、受容した信者側の理解水準や指向、さらには制作を担当した絵師達の技量や伝統、また組織や体制などの諸問題もあわせて研究領域とした。そのためには仏教史学や建築史学のほか、文学や民俗学の援用など多面的で幅広い学際的な視野が必要であったことはいうまでもない。

 本論文は五章からなり、序章である「仏教美術史研究序説」では上記の方法論を、具体的に日本における仏教説話美術受容と展開を、日本化への過程として捉え、飛鳥時代の仏教美術の伝来から説き起こし、やがて伝来の仏教美術、さらには本来時空を超越した密教美術においてさえ、いかに説話画化するかを概観した。古代から中世に至る説話画の堂塔内における主題と配置の変化、そして図像や構図の発展を述べ、すなわち仏教美術の日本における摂取と受容は説話画化であることを指摘した。またこの章は以下に続く四章の構成を理論的に統一したものである。

 次に続く四章は具体的な日本、中国大陸、朝鮮半島の作品研究を通じて、説話美術の図像、様式の分析はもとより、機能的側面や時代と地域での異相を解明した。まず「日本の仏教説話画」では東大寺に伝わった善財童子歴参図をはじめ、普賢十羅刹女図、聖徳太子絵伝など大規模で、美術作品としての評価も高く、制作年代や絵画技法の問題のみならず、一方で説話画としての受容と教義的背景や宗教儀礼との関係が極めて重要な作品をとりあげた。平安時代から鎌倉、室町時代の説話画受容の実態を具体的な作品を通じて解明した。

 「中国・朝鮮の説話美術」は敦煌莫高窟壁面における本生図や変相図をとりあげ、その主題や構図法の時代的変遷を跡づけた。また高麗の弥勒下生経変相図をとりあげ、朝鮮半島での説話画の分析とともに、東アジアの仏教美術の幅広い影響関係と連鎖の広がりを実証した。ことに敦煌莫高窟壁画は仏教美術東伝の中国側の窓口であり、インド・西域との関係が濃厚であること、早期の仏教美術を伝えていること、また日本の仏教美術を考える比較作例として極めて重要である。敦煌壁画の本生図の研究は、仏教美術の初期形態である、仏伝・本生図の解析によって中国における仏教美術受容の様相を明らかにするとともに、インド、中国、日本における仏伝・本生図という共通するテーマでの比較検討を可能にするものであった。敦煌での法華経変や高麗の弥勒下生経変相図の研究も、各地域での経変図像の比較検討と関連させることによって、その地域間での相違を明確にすることができた。一方敦煌莫高窟早期窟試論では敦煌莫高窟の千年に及ぶ造窟の歴史を振り返り、その中で、大きな転換期であった隋代窟の特異な現象を指摘し、図像的解釈のみならず、造窟の実態を解明せんとした試論である。

 「古代壁画研究」においては、古代の仏教絵画は、隋唐時代はもとより、飛鳥、奈良時代においても、ほとんど壁画という形態をとったことは周知のとおりである。よって敦煌莫高窟壁画研究に引き続いて、壁面という視点から古代絵画を見直す研究である。堂塔内においていかなる配置で、いかなる主題の壁画が、いかなる技法で描かれたかを考究することは、伝存する作例の少ない古代絵画研究にとってことに重要である。古代寺院における堂内壁画荘厳の系譜の研究は発掘などによって出土した遺物から復元される、古代寺院の堂内壁画の変遷をたどる試みであった。鳥取県上淀廃寺から出土した壁画断片は、古代寺院の堂塔壁画を研究するには貴重な発見であった。わずかな壁画断片からその絵画技法や図像的特徴を分析し、さらに堂内の配置や構図を復元し、白鳳期の仏教寺院内での堂内荘厳を考える上で示唆に富んだ研究となった。キトラ古墳壁画は仏教美術以外の壁画ではあるが、中国古代からの伝統的な主題である四神図を周壁に描いてあり、同時代の壁画技法の解明に重要な作例を加え、広くアジアに共通する主題と技法の由来を示し、研究視野を拡大させることとなった。それは隋唐陵墓壁画の研究に発展し、それによって仏教主題の壁画と非宗教的な壁画の作例を検討することが可能となって、日本の古代壁面、ひいては古代美術が広く東アジアの文化世界と密接な接点を有していたことが実証できた。壁画以外にも日本の古代美術における自然表現においても、また八、九世紀を中心とする日本絵画にみられる風俗表現においても、やはり東アジア、ことに隋唐文化圏との交流によって大きな影響を受けていることを証明した。

 終章である「仏教美術研究における図像と様式」は、先述した仏教美術研究の方法論を図像と様式という、美術史研究の基本的な二つの視点からあらためて検証するものである。なかでも十六羅漢図像の中国からの伝播と日本での摂取の実態の諸相を検討し、さらに日本における十六羅漢図像の新たな発展の系譜を整理し、日中間の羅漢図像への対応の相違を指摘した。集合図像の形成をテーマにした研究は、仏教美術の中で日本的な図像の発生のメカニズムをはじめて明らかにした研究として特筆される。一方東大寺絵画考で取り上げた香象大師画像の様式分析から、日本で制作された肖像画であるか、中国北方金の支配地域で制作された肖像画であるかを考究し、類似作例との比較検討をもまじえ、結論として従来の定説を変更し、中国北方において制作されたことを明らかにした。フィールドワークから得た個々の作品研究を通じて、東アジアに広がった仏教美術の造形的特質を、時代の流れのなかに位置づけ、また東アジアに共通する古代絵画の世界を具体的に明らかにし、日本においては仏教絵画の説話画への傾斜を、重要な日本の仏教美術の特質として捉えた一体系をなした論文である。

審査要旨 要旨を表示する

 論者は日本の仏教美術におけるもっとも根本的な特質は説話性であると規定する。本論文はこの観点から、わが国仏教説話画がどのように発展展開したかを明らかにしようとしたものである。とくに時間軸と空間軸の連続的移動が、いかに二次元の平面に表現されているかという点から考察されている。研究方法上の特色としては、観念的な思弁を排し、あくまで実際の作品に即して具体的に証明しようとする実証性を挙げることができる。また、中国や朝鮮の仏教説話画をも考究の対象とし、それらとの比較においてわが国仏教説話画の特色を明らかにしようとする広やかな視野も特筆されてよい。さらにそれらの研究成果に立ち、美術史学の観点から改めて図像や様式の問題を考察しようとする真摯な研究態度も高く評価される。

 「日本の仏教説話画」の章では「善財童子歴参図」「東大寺善財童子絵巻」「本興寺法華経変相図」「廬山寺普賢十羅刹女図」「聖徳太子絵伝」が取り上げられた。とくに「善財童子歴参図」の考察はもっとも力籠る部分であり、この章の中核をなしている。論者は東大寺をはじめ諸家に分蔵される二十面のうち十九面を精査し、伝来、典拠、図様、讃、技法などの観点から考究を進め、十二世紀後半の東大寺における復古的な気運のなかで制作された作品であることを明らかにした。その画家集団を図像的伝統に忠実なグループと、十二世紀後半の新しい絵画様式を盛り込むグループに分けた見解も、充分説得力を有するものである。

 「中国・朝鮮の仏教説話美術」の章では、おもに敦煌壁画が論究の対象となる。論者は初期本生図の重要性に着目し、主題および画面展開法の二点からこれを整理し、分析を進めた。その結果、画面形式としてはフリーズ式のものが大部分を占め、それらはフリーズの進行方向に沿って時間的経過や説話の筋をたどる形式と、フリーズ内での構図的配慮がなされる形式に分類できること、しかし隋代後半に入るとフリーズ式の限界をあえて破ろうとする傾向が生まれることが明らかにされた。内容的にはあくまで人間中心の本生図であるという特色の指摘も注目されてよい。隋代窟については別途探究が進められ、北朝時代の仏伝図・本生図から、隋末に説話性を排除した三世仏・賢劫三千仏の世界への大転換が起こったという興味深い新知見が提示された。

 「古代壁画研究」の章では、新しく出土した上淀廃寺の壁画断片とキトラ古墳壁画の全様が詳細に報告され、その制作年代などが究明された。これらは論者がとくに請われて調査団に加わり、その調査報告書に執筆したものであり、この分野における論者に対する高い社会的評価と信頼を物語っている。これらと並んで、わが国古代寺院における堂内壁画荘厳の系譜や古代絵画における自然および風俗の表現、さらに五期に分けられた隋唐陵墓壁画の展開も講究された。それは論者の日本および中国古代絵画全般にわたる深い洞察と豊かな展望を示すものであるが、その際にもつねに実証性が根底を支えている事実を見逃すべきではない。「仏教美術史研究における図像と様式」の章は、両者の関係を討究したものだが、ここでも遺品の分析を基礎とし、きわめて具体的に論述を進めて反論の余地を残さない。図像的研究と様式的研究との有効性については、対象によって慎重になるべきであるという結論は至言であろう。

 以上、本論文は強い実証性に裏打ちされるとともに、多くの独創的見解と新知見に満ち、仏教絵画なかんずく仏教説話画の研究水準を飛躍的に高めた業績だと評価することができる。労力を傾けて制作された多くの詳細なリストや付図とともに、後学を裨益するところもきわめて大である。全体の構成に統一感を欠く恨みがないでもないが、それはあくまで作品から遊離しまいとする論者の実証的研究態度と表裏一体をなすものであり、あえて瑕瑾とするには及ばない。したがって、本審査委員会は本論文が博士(文学)の学位を授与するにふさわしいものと審定した。

UTokyo Repositoryリンク