学位論文要旨



No 214821
著者(漢字) 河南,俊郎
著者(英字)
著者(カナ) カワミナミ,シュンロウ
標題(和) 安定同位体標識NMRによるエンドグルカナーゼの反応機構の研究
標題(洋) A Stable Isotope-aided NMR Study of the Reaction Mechanism of an Endoglucanase
報告番号 214821
報告番号 乙14821
学位授与日 2000.10.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14821号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 助教授 原田,繁春
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

 糖蛋白質,糖脂質,プロテオグリカンの複合糖質は,生体内に広く分布しており,細胞間の認識,接着や輸送等の重要な役割を担っている。これらの複合糖質に含まれる種々の糖鎖は,細胞内のグリコシダーゼおよびグリコシルトランスフェラーゼによって生合成される。

 近年,種々の疾病においてグリコシダーゼの関与が明らかとなり,グリコシダーゼ阻害剤の臨床への応用研究が注目されている。すなわち,癌の湿潤および転移抑制,エイズ,その他のレトロウィルスによって引き起こされる感染症の抑制,ならびに糖尿病治療への応用等が期待される。これらのうち,インフルエンザに対してはノイラミニダーゼ阻害剤としてザナミビル,糖尿病おいてはαグルコシダーゼ阻害剤としてミグリトール,アカルボースの医薬品が開発されている。安全性に優れかつ選択的性の高いグリコシダーゼ阻害剤の創製は,医薬品開発研究として極めて重要であり,そのためには,酵素反応機構をタンパク質の立体構造に基づき原子レベルで解析する必要がある。

 Bacillus sp. KSM-330が産生するエンドグルカナーゼK(EGK)は,β-1,4グリコシド結合を切断する分子量46kDaの糖鎖加水分解酵素である。pH3〜9の広い範囲で安定であるが,pH5.2を最大として極めて狭いpH-活性プロファイルを示す。

 本研究では,グリコシダーゼとしてEGKを研究対象として選び,安定同位体を用いたNMR分光法によりその酵素反応を解析し,糖鎖加水分解酵素の反応機構解析のための戦略を確立することを目指した。

【本論】

1. 加水分解反応におけるEGKの立体選択性

 グリコシダーゼは,加水分解反応によって生成した糖のアノメリック位の立体配置の変化から,保持または反転の反応機構に2分される。同じファミリー酵素は同一の反応選択性を示すことから,活性部位のトポロジーは類似していると考えられており,反応選択性は活性部位の構造を考察する上で重要である。EGKの属するファミリー8酵素の反応立体選択性は未報告であり,選択性を調べることは意味あるものと考えた。

 まず,発現系構築のためのEGK遺伝子のサブクローニングを行った。EGK遺伝子をコードした1.8kbのDNAフラグメントを,シャトルベクターpHY300PLKから構築したpHSP64発現ベクター中のB.sp.KSM-64由来のエンドグルカナーゼプロモーター領域0.7kbDNA下流に結合した。得られたプラスミドをB.subtilis ISW1214内に導入し大量発現系を構築した。

 ρ-ニトロフェニル-β-D-セロトリオシドを基質として用い,発現系より調製したEGKと反応させて,生成糖のアノメリックプロトンの1H-NMRスペクトルの経時的変化を観測した。生成したαセロビオースは,次第にβ体へと変化し,平衡状態で存在することが明らかになった。

 これによって,ファミリー8のグリコシダーゼの加水分解反応は,反転機構で進むことが判明した。

 2. EGK触媒活性に必須なTrp残基の解析

 糖鎖加水分解酵素の活性部位には,Trp残基が多く存在している。EGKのTrp残基の一部は,ファミリー8の糖鎖加水分解酵素のアミノ酸配列中に保存されている。Trp残基と特異的に反応するN-ブロモサクシミド(以下NBSと表記)を用いた化学修飾実験では,EGK中の1個のTrp残基がNBSにより修飾されると残存活性が56%になり,さらにもう1残基のTrp残基が修飾されると完全に失活することが明らかとなった。そこで,Trp残基を反応部位解析のためのNMRプローブとするために,EGKのTrp残基側鎖C2位炭素および窒素原子を選択的に13C,15Nで安定同位体標識を行った。

 標識酵素の作製は,EGK遺伝子を導入したB. subtilis ISW1214を,L-[indole-2-13C]Trpを含むアミノ酸培地で培養し,酵素のTrp残基側鎖C2位炭素原子を安定同位体標識(13C)した野生型酵素(以下[Trp]EGKと表記)を発現させた。酵素は培養上清から数段階の行程を経て精製した。

 部位特異的変異体の作製は,Kunke1法を用いて行った。プラスミドpUC118にEGK遺伝子を挿入し,プラスミドpWKC331を構築した。チミンがウラシルに置き換わったpWKC331の一本鎖DNAは,プラスミドpWKC331を含むE.coli CJ236にhelperphageのM13KO7を感染させることで得た。これに変異導入用のオリゴヌクレオチドをハイブリダイズさせ伸長反応により相補鎖を合成し,E.coli HB101に導入後アンピリシン耐性株よりプラスミドを取得した。この変異プラスミドをサブクローニングスキームに従ってプロモーター領域下流に繋ぎ変異体を作製した。

 アミノ酸配列中の全て(12個)のTrp残基側鎖C2位プロトンのクロスピークが,野生体の1H-13Cシフト相関二次元NMRのスペクトル上に分離よく観測された。174位と243位のTrpを部位特異的変異により,それぞれTyrに置換した変異体[Trp]W174Yと[Trp]W243Yのスペクトルでは,それぞれ1個のクロスピークが消失し,これによって,174位と243位のTrp由来のクロスピークが帰属された。また,他のクロスピーク化学シフトが同様の値を示すことから,変異導入によりEGKの立体構造に大きな変化が生じていないことが判明した。同様に,N末端側アミノ酸配列中の6個のTrpを帰属した。

 NBSと反応するTrp残基を特定するために,NBS修飾したEGKのNMR解析を行った。1個のTrp残基が酸化されたとき(残存活性56%)のスペクトルでは,Trp174のクロスピークが消失した。2個目のTrp残基が酸化されたときのスペクトルでは,さらに,Trp243のクロスピークも消失し,酵素は完全に失活した。

 EGKの基質結合部位を特定するため,拮抗阻害剤セロトリオース存在下NMRスペクトルの測定を行った。Trpを13Cで安定同位体標識したEGKへのセロトリオースの添加により,1H-13Cシフト相関スペクトル上のTrp174およびTrp243のクロスピークのみに化学シフト変化が観測されたことから,Trp174およびTrp243の基質への結合の関与が示唆された。

 Trp174およびTrp243の酵素反応における役割を明らかにするために,これらの残基に部位特異的変異を導入し,変異体の酵素反応論的解析を行った。174位TrpがTyrに置き換わったW174Yの比活性は1/2に,W243Yは1/12にそれぞれ減少し,Km値はそれぞれ野生体の5倍,8倍に,Kcat値は共に1/5の値を示した。

 以上の結果を総合すると,Trp174およびTrp243は,基質の結合と触媒作用の発現に関与しているものと考えられた。

3. EGK触媒反応の解析

 Trp残基の局所環境を解析するために,Trp残基の主鎖および側鎖の窒素原子を15Nで標識したEGK(以下[15N2-Trp]EGKと表記)を13C標識EGKアナログと同様の操作により作製した。その1H-15Nシフト相関スペクトル上の主鎖,側鎖由来シグナルの特定および部位特異的シグナルの帰属のために,2種の安定同位体化合物L-[α-15N]TrpとL-[indole-15N]Trpを使用し,それぞれのTrpをTyrに置換した4種の変異体に対し安定同位体標識を行った。

 主鎖アミドを15N標識した[α-15N-Trp]W174Y,側鎖インドール窒素を15N標識した[15N-Trp]W174Yと野生体のスペクトルの比較により,野生体のスペクトル中のクロスピークa〜1は主鎖に,m〜xは側鎖に帰属された。それぞれの変異体において,クロスピーク1とsがそれぞれ消失しており,それぞれTrp174主鎖と側鎖に帰属された。同様にしてTrp243も帰属された。

 野生体[15N2-Trp]EGKのNHの重水素交換の結果,Trp174の側鎖と主鎖のクロスピークが消失したことから,Trp174およびTrp243は,それぞれ親水的,疎水的環境下にあることが示唆された。

 EGKの立体構造は未決定であるが,同ファミリー8に属するclostridium thermocellumの産生するCelAの立体構造はX線結晶構造により明らかになっている。

 二者のアミノ酸配列の相同性は27%と低い値であるが,EGKに必須であるTrp174およびTrp243は酵素間で保存されている。

 そこで,CelAの立体構造に基づき,EGKのNMR解析結果を比較・考察した。CelAの立体構造において,CelA中のEGKのTrp174およびTrp243に相当するTrp132およびTrp205は,向かい合うように活性部位に存在している。Trp132側鎖NHは酵素分子外側へ,Trp205NHは分子内側へ配向しており,EGKにおいて得られたNMRのHD交換実験結果とよく一致することが示された。

 CelA X線結晶構造との比較から,EGK活性部位には,Glu130,Asp191,Asp193およびAsp300が存在していることが示唆された。そこで,これらのどの酸性アミノ酸残基が触媒反応を司っているかを検討した。

 変異体E130QとD191NのpH-比活性プロファイルにおいて,変異体El30QとD191Nの比活性は野生体と比較して著しく減少している。また,その反応のpH依存性はブロードになり,野生体で見られた狭い至適pH特性を示していない。したがって,Glu130とAsp191が反応部位に存在し酵素活性発現に決定的な役目を担っていることが示唆された。

 Glu130およびAsp191の反応部位における役割を解明するために,野生体および4種類の変異体(El30Q,D191N,D193NおよびD300N)のTrp残基を13Cで安定同位体標識し,13Cに直結した1HシグナルのpH依存性を解析した。

 野生体のTrp174およびTrp243の側鎖C2位プロトン化学シフトはpH依存的に変化しており,この二つの滴定曲線のpKa値は共に5.5を示した。これは酸性解離残基が両Trp残基の近傍に存在していることを強く示唆するものである。また,Glu193およびAsp300に変位を導入しても,C2プロトン化学シフトのpH依存性は野生型のものと同じであるが,Trp243のpH曲線が全体的に野生体と比べて高磁場方向へシフトし,活性低下を招く小さな構造変化を起こしていることが判明した。この結果は,活性のpH依存性の実験結果と良く一致している。一方,Glu130およびAsp191に対して導入された変異により,Trp174およびTrp243の滴定曲線には,もはや野生体で観測されたようなpH依存性が現れていない。この結果より,Trp残基の近傍にGlu130とAsp191が存在していることが示された。

 興味深いことに,変異体E130Qの滴定曲線にはpH4以上に解離の影響が観測されない。これは,変異体E130QのAsp191のpKaが通常のアスパラギン酸のpKaである4以下であることを示している。

 同様に,D191NのGlu130のpKaも4以下であることが滴定曲線から示された。したがって,EGKにおいて,Glu130とAsp191は互いに近傍に存在し,相互作用により,両者のpKaは通常の値4.0より上昇し,5.5であると考えられた。

【結論】

 反転機構を示すグリコシダーゼの一対の触媒残基の一つは一般酸触媒,もう一つは一般塩基触媒として働き,それらのpKa値は加水分解酵素のpH一活性プロファイルを決定づける因子であると考えられている。EGKにおいては,Glu130とAsp191が触媒残基であり,この二つの残基のpKa値が5.5であることが,著しく狭いpH一活性プロファイルを生み出していると考えられる。

【まとめ】

(1) 安定同位体標識NMRにより,酵素分子中の全てのTrp残基の原子レベルでの把握が可能となった。

(2) 阻害剤と酵素との相互作用の解析により,基質の結合に関与する2個のTrp残基(Trp174およびTrp243)を特定した。

(3) 化学反応特性を生かした標識酵素の化学修飾およびNMR解析により,活性に関与する2個のTrp残基(Trpl74およびTrp243)を特定した。

(4) 得られたNMR情報を基にして行った部位特異的変異による反応論的解析により,Trp174およびTrp243は基質の結合と触媒作用の発現に関与していることが判明した。

(5) Trp174およびTrp243のC2プロトン化学シフトpH依存性より,触媒残基Glu130とAsp191が相互作用することで共に高いpKa値(pKa=5.5)が生じており,これによって著しく狭いpH-活性プロファイルが生み出されていることが明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

 癌の湿潤および転移,エイズ,インフルエンザ,その他のレトロウィルスによって引き起こされる感染症,ならびに糖尿病などの極めて重篤な疾病においてグリコシダーゼの関与が明らかにされ,グリコシダーゼ阻害剤の臨床への応用研究が注目されている。

 安全性に優れかつ選択的性の高いグリコシダーゼ阻害剤の開発研究においては、酵素反応機構をタンパク質の立体構造に基づき原子レベルで解析することが,極めて重要であると考えられる。

 本研究は,Bacillus sp.KSM-330が産生するエンドグルカナーゼK(EGK)を研究対象として選び,安定同位体を用いたNMR分光法により極めて狭いpH-活性プロファイルを示す酵素反応を解析すると同時にグリコシダーゼの反応機構解析のための戦略を確立することを目指している。

 まず,EGK遺伝子のサブクローニングにより大量発現系を構築し、第二に,EGKの加水分解反応によって生成した糖アノメリック位の立体配置の変化に伴う1H-NMRスペクトルの経時的変化から,EGKの属するファミリー8酵素の反応立体選択性が反転の反応機構で進行することを明らかにしている。反応立体選択性は活性部位におけるアミノ酸側鎖の配向と相関していると考えられており,この結果は,ファミリー8酵素群の活性部位の構造を考察する上で意味あるものと考えられる。

 第三に,酵素活性部位に存在し活性発現に重要と考えられるTrp残基の解析を行っている。EGKのTrp残基を反応部位解析のためのNMRプローブとするために,発現系により選択的にTrp残基側鎖C2位炭素を13C標識している。また,クロスピークの帰属は,部位特異的変異体を用いることにより行っている。これにより,二次元NMRスペクトル上で酵素分子中のTrpの挙動を包括的に捉えることが可能となった。

 化学修飾剤NBSと反応するTrp残基を特定するために,修飾した13C標識EGKのNMR解析を行っている。この化学修飾では,13C標識部位のプロトンの脱離と連動し活性低下に伴ってスペクトル上の反応部位クロスピークが確実に消失する。このように,化学修飾における反応特性を生かした標識酵素の調製とNMR測定法の特徴を生かした組み合わせにより,酵素反応部位を明確に特定づける新たな方法を提示している。また,拮抗阻害剤存在下13C標識したEGKのNMR測定により,酵素活性発現に関与している2個のTrp残基(174および243位)の基質への結合の関与を明らかにしている。

 更に,NMRの結果に基づき,2個のTrp残基変異体の酵素反応論的解析を行いTrp174およびTrp243が基質の結合と触媒作用の発現に関与していることを示した。以上のように,安定同位体利用のNMRは,酵素活性部位と阻害剤との相互作用による立体構造変化や,化学修飾による官能基変換等の情報を,分子量50kDaにも及ぶ酵素分子でも正確に与えてくれることが示された。

 第四に,触媒活性に重要なこれらのTrp残基に安定同位体を導入し,触媒反応機構の解析を行っている。2種類の安定同位体標識法を用いて,野生体のスペクトルのTrp主鎖,および側鎖特異的に同定し,更に,変異体の標識によりTrp残基の部位特異的帰属を終了している。15N標識した野生体の主鎖NHの重水素交換実験より,Trp174およびTrp243は,それぞれ親水的,疎水的環境下にあることが示唆された。この結果は,同ファミリー8に属するclostridium thermocellumの産生するCelAの立体構造とよく一致することが示された。

 次に,EGK活性部位には,4個の酸性アミノ酸残基が存在していることがCelAX線結晶との比較から示唆されたことから,これらのアミノ酸残基の触媒反応への寄与について検討している。

 変異体E130QとD191NのpH-比活性プロファイル比較から,Glu130とAsp191は,酵素活性発現に決定的な役目を担っており,この2つのアミノ酸残基の役割を解明するために,野生体および4種類の酸性アミノ酸残基の変異体についてTrp残基の13Cに直結した1HシグナルのpH依存性を解析している。

 Glu193およびAsp300への変位導入は,化学シフトのpH依存性に影響を与えないものの,活性低下を招く小さな構造変化を起こしていることが判明している。この様に,生物学的挙動変化を伴う酵素活性部位の極めて小さな構造変化に対しても,NMR法は適切に情報を提供することを明示した。一方,Glu130およびAspl91の変異体はpH依存性を示さないことから,変異体E130QのAsp191およびD191NのGlu130のpKaが共に4以下であることが判明し,野生体Glu130とAsp191のpKaが,両者の相互作用により通常の値4.0から5.5まで上昇していることを示した。

 以上の結果より,EGKにおいて,この二つの触媒残基のpKa値が同じであることが著しく狭いp H-活性プロファイルが生じる原因になっていることを明らかにしている。

 本研究により,グリコシダーゼの反応機構解析手法に関する新しいアプローチを示すとともに,本酵素の極めて狭いpH一活性プロファイルに関する新しい知見を明かにしている。

 以上,河南俊郎の研究成果は酵素化学,生物有機化学,および医薬化学研究に資すること大であり,博士(薬学)の学位を授与するに十分なものと認めた。

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