学位論文要旨



No 214822
著者(漢字) 畠中,健一
著者(英字)
著者(カナ) ハタナカ,ケンイチ
標題(和) 新規抗うつ薬YM992に関する神経化学的研究
標題(洋)
報告番号 214822
報告番号 乙14822
学位授与日 2000.10.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14822号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 西山,信好
 東京大学 助教授 鈴木,洋史
内容要旨 要旨を表示する

 うつ病は現代社会において頻度の高い精神疾患であり、米国での調査では有病率が人口の約10%であることが報告されている。うつ病の本態は不明であるが、脳内のセロトニン(5-HT)およびノルエピネフリン神経系の活性低下が病態に深く関与していることが示唆されている。抗うつ薬としては従来、三環系抗うつ薬が第一選択薬として使用されてきたが、口渇、立ちくらみ、眠気、心毒性などの副作用が強い。そこで、現在では、その副作用が軽減された選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)と呼ばれる薬剤が米国では第一選択薬として繁用されている。また、最近では、セロトニン・ノルエピネフリン再取り込み阻害薬(SNRI)と呼ばれる薬剤が、SSRlより強い抗うつ効果を示すと報告され注目されている。しかしながら、既存の抗うつ薬の問題点として、治療抵抗性の患者の存在や効果発現が遅い点があげられ、それらを改善した新規抗うつ薬の必要性は高いといえる。一方、うつ病とセロトニン受容体の関連においては、うつ病患者で5-HT1A受容体の機能低下ならびに5-HT2A受容体の機能亢進が示唆されている。また、5-HT2A受容体を遮断することにより、5-HT1A受容体を介した神経伝達が増強されることが明らかとなっている。以上の背景より、選択的セロトニン再取り込み阻害作用と5-HT2A受容体拮抗作用を併有する化合物は、抗うつ効果の強力な新規の薬剤となることが期待される。YM992は、そのコンセプトに基づき山之内製薬で創製された新規の化合物であり、現在うつ病を適応症として臨床開発段階にある。本研究では、YM992の三環系抗うつ薬ならびにSSRlとのプロフィールの違いを明らかにし、新規抗うつ薬としての特徴について論じた。

 YM992はセロトニン取り込み部位と5-HT2A受容体に高い親和性を示した。アドレナリンα1受容体に対してもやや高い親和性を示したが、その他の受容体に対する親和性は非常に低かった。SSRlであるフルオキセチンおよびシタロプラムは、セロトニン取り込み部位に選択的に高い親和性を示した。非三環系の抗うつ薬であるトラゾドンは5-HT2A受容体とアドレナリンα1受容体に高い親和性を示し、セロトニン取り込み部位に対してやや高い親和性を示した。一方、代表的な三環系抗うつ薬であるアミトリプチリンは、セロトニン取り込み部位、5-HT2A受容体に加えて、副作用に関連するアドレナリンα1受容体、ドパミンD2受容体、ヒスタミンH1受容体、ムスカリンM1受容体といった受容体にも高い親和性を示した。YM992はラット脳シナプトソームにおいて強力かつ選択的にセロトニンの取り込みを阻害し、その阻害活性および選択性はフルオキセチンと同程度であった。また、ヒトおよびラット血小板においても、YM992はセロトニンの取り込み阻害活性を示した。YM992のセロトニン誘発ヒト血小板凝集に対する抑制作用を指標にした5-HT2A受容体拮抗活性は、5-HT2A受容体拮抗薬であるリタンセリンおよびトラゾドンとほぼ同等であった。l-5-Hydroxytryptophan(l-5-HTP)により誘発されるマウスの症状変化を指標にして、in vivoにおける薬剤のセロトニン取り込み阻害活性を検討した結果、YM992はl-5-HTPにより誘発される作用を用量依存的に増強し、その効力はフルオキセチンとほぼ同等であった。また、YM992は用量依存的に5-HT2A作動薬(±)-1-(2,5-dimethoxy-4-iodophenyl)-2-amino-propane(DOl)により誘発されるマウスのhead-twitchを抑制し、その効力は5-HT2A受容体拮抗薬であるトラゾドンおよびアミトリプチリンと同等であった。以上の検討より、YM992がin vitroならびにin vivoにおいて、選択的セロトニン取り込み阻害作用と5-HT2A受容体拮抗作用を示すことを明らかにした。

 抗うつ薬の評価法として繁用されているマウス尾懸垂試験において、YM992はマウスの尾を固定して6分間つるした際に観察される無動状態の累積時間を、3および10mg/kgの用量の腹腔内投与で有意に短縮した。フルオキセチン、シタロプラムならびにアミトリプチリンは無動時間を短縮する傾向を示した。以上の検討より、YM992は、抗うつ薬評価モデルで有効性を示すことが明らかとなった。

 SSRlは脳内の細胞外セロトニン濃度を、SNRlは脳内の細胞外セロトニンおよびノルエピネフリン濃度を増加させることが報告されている。そこで、YM992単回投与によるラット前頭皮質細胞外セロトニンおよびノルエピネフリン濃度に対する作用をマイクロダイアリシス法を用いて検討した。YM992は用量依存的に細胞外セロトニン濃度を著明に増加させた。フルオキセチン、シタロプラムおよび代表的なSNRlであるベンラファキシンも細胞外セロトニン濃度を有意に増加させたが、その程度はYM992よりも小さかった。また、YM992は用量依存的に細胞外ノルエピネフリン濃度も増加させ、その作用はベンラファキシンと同程度であった。フルオキセチンも細胞外ノルエピネフリン濃度を有意に増加させたが,その程度はYM992と比較して小さかった。一方、シタロプラムは細胞外ノルエピネフリン濃度に対して影響を与えなかった。

 YM992はセロトニン取り込み阻害作用に加えて5-HT2A受容体拮抗作用を有する。そこで、YM992のラット前頭皮質細胞外セロトニンならびにノルエピネフリン濃度の増加作用に対する5-HT2A受容体拮抗作用の関与を明らかにするために、SSRIであるシタロプラムと選択的5-HT2A受容体拮抗薬であるMDL100,907を併用したときの作用を検討した。シタロプラムとMDL100,907を併用投与すると、MDL100,907はシタロプラム単独投与時の細胞外セロトニン濃度には影響を及ぼさなかったが、細胞外ノルエピネフリン濃度に関しては有意に増加させた。よって、YM992のラット前頭皮質細胞外ノルエピネフリン濃度増加作用には、セロトニン取り込み阻害作用と5-HT2A受容体拮抗作用の相乗効果が寄与している可能性が示唆された。

 SSRlと比較して強力なYM992のラット前頭皮質細胞外セロトニン濃度増加作用の機序を明らかにするために、ラット大脳皮質シナプトソームからのセロトニン放出に対する作用を検討した。YM992はラット大脳皮質シナプトソームからの[3H]5-HT放出を濃度依存的に促進した。この促進作用はフルオキセチンでは10μMの高濃度でみられたが、シタロプラムおよびベンラファキシンでは認められなかった。よって、YM992のラット前頭皮質細胞外セロトニン濃度増加作用にはセロトニン取り込み阻害作用に加えて、セロトニン放出促進作用が寄与していることが示唆された。

 SSRlの反復投与によりラット前頭皮質細胞外セロトニン濃度の増加の割合が上昇することが報告されている。そこで、YM992の反復投与によるラット前頭皮質細胞外セロトニン濃度の変化について検討を行った。YM992およびシタロプラムの14日間の反復腹腔内投与は細胞外セロトニンの基礎濃度には影響を与えず、また、15日目の投与後の細胞外セロトニン濃度の増加の割合も単回投与時と同程度であった。一方、フルオキセチンの14日間の反復腹腔内投与によっては細胞外セロトニンの基礎濃度は約2倍増加したが、15日目の投与後の更なる増加は観察されなかった。この基礎濃度の増加は、フルオキセチンの血中半減期が長いために、反復投与により薬物が脳内に蓄積していることによると考えられる。

 三環系抗うつ薬の反復投与あるいは、うつ病の治療法のひとつである電気ショックの連続処置による海馬5-HT1A受容体数の増加が知られており、この受容体数の増加と抗うつ作用との関連が示唆されている。そこで、YM992反復投与による海馬5-HT1A受容体に対する影響について、[3H]8-OH-DPATを用いた受容体結合実験により検討を行った。アミトリプチリンは、3日および14日間反復腹腔内投与によりセロトニン5-HT1A受容体数を有意に増加させた。YM992も14日間反復腹腔内投与により海馬5HT1A受容体数を有意に増加させた。

 本研究を総括すると、まず、YM992はセロトニン再取り込み部位と5-HT2A受容体に対して親和性が高く、ムスカリンあるいはヒスタミン受容体などの他の受容体に対して親和性が低いことを明らかにした。この結果は、YM992が三環系抗うつ薬でみられる副作用を発現させにくいことを示唆する。また、YM992はSSRlとは異なる多彩な薬理プロフィール(選択的セロトニン再取り込み阻害作用+5-HT2A受容体拮抗作用、著明なラット前頭皮質細胞外セロトニンならびにノルエピネフリン増加作用、反復投与による5-HT1A受容体数増加作用)を有することを明らかにした。以上の結果より、YM992はセロトニン神経系およびノルエピネフリン神経系の両者を賦活し、かつ、著明な細胞外セロトニン濃度増加作用と5-HT2A受容体拮抗作用により、5-HT1A受容体を介した神経伝達をSSRIに比べ促進する可能性が考えられる。本研究成果は、YM992が三環系抗うつ薬に認められる副作用が少なく、SSRlに比べ抗うつ効果の強力な新規の抗うつ薬となることを期待させるものである。

審査要旨 要旨を表示する

 うつ病の本態は未だ不明であるが,脳内のセロトニン(5-HT)およびノルエピネフリン神経系の活性低下が病態に深く関与していることが示唆されている.抗うつ薬としては従来,セロトニン及びノルエピネフリン再取り込み阻害作用を有する三環系抗うつ薬が第一選択薬として使用されてきた.しかしながら,三環系抗うつ薬は,ヒスタミンH1受容体,ムスカリン受容体,α1受容体,或いは,ドーパミンD1受容体等に対する阻害作用をも有し,口渇,立ちくらみ,眠気,心毒性などの副作用が強い.そこで,現在では,その副作用が軽減された選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)と呼ばれる薬剤が米国では第一選択薬として繁用されている.また,最近では,セロトニン・ノルエピネフリン再取り込み阻害薬(SNRl)と呼ばれる薬剤が,セロトニン神経系とノルエピネフリン神経系の両方を選択的に賦活することにより,SSRlより強い抗うつ効果を示すと報告され注目されている.しかしながら,既存の抗うつ薬の問題点として,治療抵抗性の患者の存在や効果発現が遅い点があげられ,それらを改善した新規抗うつ薬が期待されている.

 14種類のサブタイプが同定されているセロトニン受容体のうち,うつ病患者では,5-HTIA受容体系の機能低下ならびに5-HT2A受容体系の機能亢進が示されている.また,5-HT2A受容体を遮断することにより,5-HT1A受容体を介した神経伝達が増強されることが明らかとなっている.以上の背景より,選択的セロトニン再取り込み阻害作用と5-HT2A受容体拮抗作用を併有する化合物は,抗うつ効果の強力な新規の薬剤となることが期待される.YM992は,そのコンセプトに基づいて創製された新規の薬剤であるが,本研究はYM992の神経化学的,薬理学的特徴付けを行ったものである.

 抗うつ作用の評価法として繁用されているマウス尾懸垂試験における無動時間に対するYM992の作用を検討した結果,YM992は無動時間を10および30mg/kg腹腔内投与で有意に短縮した.各種生化学的および薬理学的検討の結果,YM992が,三環系抗うつ薬ならびにSSRIとは異なる薬理プロフィールを有することが明らかにとなった.すなわち,YM992は選択的セロトニン再取り込み阻害作用と5-HT2A受容体拮抗作用を併有する今までにない新規の薬剤であること,また,三環系抗うつ薬とは異なり,ムスカリンあるいはヒスタミン受容体などの他の受容体に対して親和性が低いことを示した.以上より,YM992が臨床において抗うつ効果を示し,かつ,三環系抗うつ薬でみられる副作用発現の低いことを強く予測させるものである.

 YM992がSSRIおよびSNR1とは異なる神経化学的プロフィールを有することを明確にした.in vivoマイクロダイアリシス法を用いて,YM992,二種類のSSRI(フルオキセチン,シタロプラム)およびSNRI(ペンラファキシン)の,細胞外セロトニン及びノルエピネフリン濃度に対する影響を調べた.その結果,YM992は他剤に比べ著明なラット前頭皮質細胞外セロトニンならびにノルエピネフリン濃度増加作用を示すことが明らかとなった.また,SSRlに分類されるフルオキセチンは細胞外ノルエピネフリン濃度を有意に増加させたのに対し,別のSSRIであるシタロプラムは変化させなかった結果は興味深い.YM992の著明な細胞外セロトニン濃度増加作用には,セロトニン取り込み阻害作用に加えて,セロトニン放出薬であるρ-chloroamphetamineとは機序が異なるセロトニン放出促進作用が寄与していることを明らかにした.一方,YM992の細胞外ノルエピネフリン濃度増加作用の一部には,セロトニン取り込み阻害作用と5-HT2A受容体拮抗作用の相乗効果が寄与している可能性を示唆した.さらに,YM992の反復投与によって,三環系抗うつ薬同様,海馬5-HT1A受容体数の増加が示された.以上の検討結果は,YM992がセロトニン神経系およびノルエピネフリン神経系の両方を賦活し,かつ,著明な細胞外セロトニン濃度増加作用と5-HT2A受容体拮抗作用により,5-HT1A受容体を介した神経伝達をSSRlに比較し促進する可能性を示唆するものである.以上より,YM992が他剤に比べ抗うつ効果の点で優位性を示すことを期待させる神経化学的特徴を有することが示された.

 ストレスの高い現代社会において頻度の高い精神疾患であるうつ病の治療は,社会的,経済的コストの観点からも非常に重要であり,より安全で,効果の高い薬剤の必要性は高い.本研究において,申請者は,セロトニン取り込み阻害作用+5-HT2A受容体拮抗作用というコンセプトに基づき見いだしたYM992の有する薬理学的ならびに神経化学的プロフィールについて詳細に検討した.その結果,YM992が三環系抗うつ薬に認められる有害な副作用が少なく,かつ,第一選択薬であるSSRlに比べ抗うつ効果が強力であると期待できるプロフィールを有する新規の薬剤であることを明らかにした.特に,in vivoマイクロダイアリシス法を用いて,薬剤のラット前頭皮質細胞外セロトニンおよびノルエピネフリン濃度に対する作用を検討した結果は,SSRlならびにSNRIの神経化学的な作用を同じ実験条件下で比較した数少ない報告の一つである.現在,YM992は第二相臨床試験中であり,新規抗うつ薬として患者の治療に役立つようになるものと期待されている.

 以上より,本研究は博士(薬学)の学位に値するものと認めた.

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