学位論文要旨



No 214831
著者(漢字) 日向,一雅
著者(英字)
著者(カナ) ヒナタ,カズマサ
標題(和) 源氏物語の準拠と話型
標題(洋)
報告番号 214831
報告番号 乙14831
学位授与日 2000.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第14831号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小島,孝之
 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 助教授 藤原,克己
 東京大学 助教授 大津,透
 成蹊大学 教授 鈴木,日出男
内容要旨 要旨を表示する

 源氏物語の作品論的な研究史は院政期の引歌や出典の指摘に始まり、鎌倉・室町時代における準拠説、江戸時代の本居宣長の「もののあはれ」論、それらと並行するようにして仏教的儒教的な解釈の流れを代表的なものとして挙げることができる。明治以降現代においても、それらの研究はさまざまな形で引き継がれ更新されつつ、テクスト論ほかの新しい文学理論をも併用して、源氏物語の複雑で多面的な特色を明らかにしてきた。

 そうした多様な作品論、表現論、テクスト論による研究に対して、本論文集では主として源氏物語の準拠と話型構造に着目してみた。準拠の研究史の蓄積を再評価し、また繰り返される話型の構造論的な意味を問うことで、作品論的にどのような達成を示したか、テクスト論的にどのような地平を開いているか、主題論的にどのような展開をみせるか、そうした諸相を見定めることを目的とする。

 まず序章において本論文集における「準拠」と「話型」について定義し、準拠論と話型論の研究史を概観して、それらが源氏物語論として有効な視点であること、また準拠と話型が源氏物語のすぐれて特色ある方法であることを確認する。

 本論の構成はI「王権と家の物語の構造」、II「宿世の物語の構造」、III「女君の流離の物語の構造」、IV「平安文学諸論」という四部から成るが、I部では物語の準拠に注目しつつ、王権や政治、「家」の問題など、平安期の諸制度に関わる問題が物語の主題として構造化されていることを検討した。II部では桐壺院一光源氏一夕霧、柏木一薫という父子の系譜に、一種の因果応報の物語の構造、ないしは生き方の類似性、あるいは魂の傾向性が形象されたことと、その意味を検討した。そうした特有な構造を持つ物語として、これを「宿世の物語」と名付けた。III部では「雨夜の品定」の諷諭の方法を確認するとともに、「雨夜の品定」を起点として、女主人公たちの系譜に流離譚が形成されること、そこに流離の主題の内面化していく過程を追跡する。第十七章は上記以外のテーマについての断章である。IV部では伊勢物語、大和物語、枕草子の諸問題について触れた。特に第二十章の枕草子の聖代観の問題は第一章から第七章で論じた親政や聖代観の問題の広がりを、源氏物語以外の作品について展望するものでもある。

 以下各論の概要を述べる。I部の第一章「桐壺帝の物語の方法」では、源氏物語の開巻を飾る桐壼帝の物語は通説では醍醐天皇の時代を聖代と見なす延喜聖代観に則って語られたとするが、それよりも醍醐の皇統が光孝に始まる新しく成立した皇統(光孝一宇多一醍醐)であったように、桐壺帝の物語も成立して間もない新しい皇統の物語として出発していると考えられること、桐壺帝は醍醐に準拠する以上に、宇多の政治姿勢と深い共通性を有すること、桐壺帝の人物造型と皇統譜には仁明・光孝・宇多・醍醐の諸側面がさまざまな形で織り込まれていることを検証する。桐壼帝の物語は始めから聖代の物語として出発するのではなく、親政の実現を目指して格闘する帝の物語として始発したと捉える。

 第二章では第一章を受けて、桐壼帝と左右大臣家の物語を分析する。敵役である右大臣とその娘弘徽殿女御の造型が、外戚政策によって政権を獲得した十、十一世紀の藤原氏摂関家のありかたと共通すること、右大臣家は外戚を目指した権門の典型であること、逆に桐壺帝を支える左大臣家が廷臣の家として理想化されること、桐壼帝は両勢力を互いに牽制させながら、親政の実現を目指す戦略的な帝王であることなどを論じる。第三章では桐壼帝と更衣の純愛と悲恋の物語が、桐壼帝の立場からすると、弘徽殿女御と右大臣家の勢力を抑止する戦略の一環であり、一方更衣の側には滅亡する家の回復を悲願とする家の遺志が存したこと、それが光源氏の受け継ぐ主題の一つとなること、また桐壼帝と更衣の物語が「長恨歌」の引用による「長恨」の主題を形成し、それが光源氏の担うもう一つの主題となることなど、桐壼巻の主題の複雑で重層的かつ射程の大きいことを論じる。

 第四章「光源氏の王権と「家」」では、戦後の源氏物語論の大きな成果の一つである王権論について研究史を整理した上で、物語の予言の解釈、準拠の間題、光源氏を「王」として位置づけていく表現のコンテクストなどを検討する。また光源氏の王権譚と抱合するかたちで「家」の物語が展開するが、光源氏が滅亡する明石一門の再生という主題を担ったこと、明石一門は光源氏を新しい先祖とする源家として再生したこと、明石一門の出自の王統の可能性などを論じる。

 第五章「光源氏の儒教的形象」では臣籍に下った一世源氏、光源氏が太政大臣から準太上天皇になるという史上例のない特異な栄達に、光源氏の為政者としての儒教理念的な理想性が体現されていたことを『九条右丞相遺誠』や『令集解』に照らして確認し、源氏物語の理解には制度的な観点を媒介すべき必要のあることを論じる。第六章では桐壺帝と光源氏の人事政策に『寛平御遺誠』の人事方針と類似する点があると考える。第七章「平安物語における王権譚の展開」では、物語は歴史(正史)をどのように認識したのかという問題意識から、王権譚を取り上げた。物語文学の王権譚の展開を通観しながら、その背後に王権から疎外された悲劇の親王たちの無念の歴史があること、物語文学はそういう親王たちに対する鎮魂の意味を持ったと考える。

 源氏物語には宿世観という観念が色濃く浸透しているが、II部ではそうした観念を体現すると考えられる物語を「宿世の物語」と名づけ、それを「生き方の系図」を語る物語として話型構造論的に位置づける。第八章「光源氏と桐壺院」では、光源氏の生き方と父桐壼院の生き方との間に深層において類同的な構造が存することを確かめる。第九章「柏木物語の方法」では、柏木の生き方には太政大臣家の伝統に呪縛された家の観念があること、それが女三宮への恋の一因であり、その結果の密通であったが、それは源氏と藤壺との密通の明らかな繰り返しでもあった。そうした柏木物語の方法と意味を問うた。方法としては源氏の藤壼と紫上への恋が、柏木においては女三宮と唐猫への偏愛に置き換えられていること、柏木の死は光源氏にもありえた破滅の現実化であり、光源氏の陰画の物語であること、それは第一部の物語の質を逆転させる新しい虚構の地平を切り開くものであったことを論じた。第十章「「闇」の中の薫上では、薫の精神の彷徨が螺旋的に自己矛盾を深める閉塞性にあること、その人生には実父柏木の生の軌跡との類同的な構造が見られること、さらにその背後に光源氏の迷妄の「闇」が控えていること、薫は二人の「父」の宿業を引き受けていたと捉える。

 III部では「女君の流離の物語」という話型に着目して、その展開を辿る。第十一章では「帚木」三帖の研究史を主題論の観点から展望しつつ、「帚木」巻が「桐壼」巻に始まる物語とは別のもう一つの物語の始まりであること、「雨夜の品定」は女の人生の定めなさに対する諷諭や教誠の文学としての性格を持ち、『白氏文集』の諷諭詩の方法に倣う、新しい物語の試みであることを論じる。特に「雨夜の品定」の諷諭の方法については、その物語批評としての意味と併せて第十二章で再論した。空蝉、夕顔物語はそうした諷諭・教誡の物語の方法と表裏の関係にあり、空蝉や夕顔の人生の定めなさの主題が流離譚へと展開すると捉える。

 第十三章「朧月夜物語の方法」では、朧月夜が后妃の密通譚という「桐壼」系列の主題を担うとともに、他方で「帚木」系列の流離譚の主題をも担う女君であると捉える。瀧月夜の人生は后妃の立場と光源氏への恋との狭間で自己同一性を確立できずに終わるものとして、その宙づりにされた人生の形象を心の流離の物語とした。第十四章「玉鬘物語の流離讃の構造」では、玉婁が母夕顔の空間的な流離を引き継ぐこと、また玉鬘は継子譚に出自を持つヒロインであり、その流離も継子譚の話型に則るが、全体は継子譚のパロデイになっていることを論じる。継子姫を救う男君であるはずの光源氏と鬚黒がともに救いの男君としては失格者として戯画化されることで、玉鬘は継子姫とは反対に救われず、心の流離を語る新しい物語の地平が開かれたと見る。

 第十五章では第二部の女三宮降嫁の物語を継子譚を媒介に分析する。女三宮の降嫁は六条院の安定を破壊し、精神的葛藤と信頼の断絶に彷徨する不安定な人間関係をもたらすが、それが継子譚の方法的可能性によって引き出されたと考える。女君の流離が内面化されて心の流離の物語として到達した地点を示すものと捉える。第十六章では源氏物語の最後の女主人公であり、「人形」として登場する浮舟の人物造型の方法を検討し、その主題論的な意味を考察する。「雨夜の品定」に始まった女君の流離の物語が浮舟において仏道による救済に対する絶望と期待との狭間にに揺らぐ物語の思想の到達点を考える。第十七章「源氏物語諸論」では語り、視点、源信の往生思想、韓国語訳の問題について検討した。

 IV部では第十八章で伊勢物語の「東下り」、第十九章で大和物語の「蘆刈」譚、第二十章で枕草子という源氏物語の周辺作品の諸問題を検討したが、特に『枕草子』の表現には一条朝聖代観の論理が基本にあると考え、源氏物語の聖代観と併せて平安文学の思想として注目した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、『源氏物語』の世界形成の方法と物語の構造とを、主として準拠と話型という視点から分析したものである。日向氏の問題意識や物語分析の方法論は、序章「源氏物語研究の方法と本書の概要」において鮮明に打ち出されている。まず準拠論において日向氏は、本居宣長が物語世界を「もののあはれ」というあまりにも単一な主題に収斂させて準拠説なども軽視したために、王権と政治の主題や諷諌性など、物語世界の多面的な構造や意味を見失って物語の読みを平板化してしまったとし、中世源氏学における準拠論を再評価して、これを方法論的に精錬している。また、話型論における日向氏の論のすぐれた特徴は、貴種流離譚や継子いじめ譚といった話型を固定的に物語世界に押し当てるのではなく、物語世界の生成発展にともなって反復され変奏される話型を、あくまでも物語に内在して柔軟に捉え、その構造論的意味を問おうとする点にある。

 本論はIV部に分けられた20章から成る。まず第1部「王権と家の物語の構造」は、主として準拠論的分析を通して『源氏物語』が王権、政治、「家」といった主題に関わる平安朝の歴史的現実をいかに物語内に取り込んでその世界を形成しているかを解明しつつ、物語の儒教的な理想主義をも浮き彫りにしている。第II部・第III部は、主として話型論による物語の構造分析で、第II部「宿世の物語の構造」は、光源氏とその父桐壼院、柏木とその父太政大臣、薫とその父柏木と、いずれも父と子の間で反復されるモチーフがあることを析出し、それを「宿世」=「生き方の系図」として捉えつつ、話型論的分析をほどこす。また第III部「女君の流離の物語の構造」は、まず帚木巻の雨夜の品定に女の生き方に関する教誡と問いかけが込められていることを明らかにし、その問いかけに応ずるようなかたちで女君たちの苦悩と流離の物語が以下に展開してゆくことを論じている。

 また第IV部「平安文学諸論」は、準拠論・話型論の分析方法を、『伊勢物語』や『大和物語』、『枕草子』等の『源氏物語』周辺の作品にも押し及ぼして、本論の補足としたものである。

 以上のように本論文は、一貫した問題意識と方法論をもって緊密に構成されており、丹念で精緻な表現分析を通して、物語の有機的な構造に関する数多くの新見を提示している。また本論文は、各主題ごとに膨大な源氏研究史を手際よく整理しつつ日向氏自身の問題設定を鮮明にしている点・近年の王権論や記号学的テクスト論にも目配りを行き届かせながら、あくまでも本文の丹念な読みに即して、それらの論に対して批判的な距離を堅持している点においても、氏の誠実な学究的姿勢が評価される。もっとも、第1部では若干準拠に引き寄せすぎているように思われる箇所がないではなく、また第III部では、流離譚という話型の柔軟な適用が、かえって話型としての輪郭を曖昧にさせてしまった憾みをなしとしないのであるが、しかしながらもとよりそれは本論文の全体としての価値を損なうものではない。よって、審査委員会は本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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