学位論文要旨



No 214833
著者(漢字) 石戸谷,博範
著者(英字)
著者(カナ) イシドヤ,ヒロノリ
標題(和) 相模湾における急潮と定置網の防災に関する研究
標題(洋)
報告番号 214833
報告番号 乙14833
学位授与日 2000.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14833号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉本,隆成
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 教授 古谷,研
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 助教授 小松,輝久
内容要旨 要旨を表示する

 急潮は沿岸海域で見られる突発的な強流現象であり,沿岸に敷設された定置網や養殖網の破損・流失等の漁業被害をもたらす。相模湾では急潮の存在が古くから知られ,実態把握と予報に関する手掛りを得るために様々な調査が行われてきた。急潮の多くは急激な水温上昇を伴うことから,黒潮の流軸変動や台風の通過に伴う暖水流入の影響が指摘されてきた。一方,急潮に対する定置網の防災技術の研究は,破網の実態調査と模型実験によるものが中心であり,漁具被害の記録は残されているが,流れの影響の実測例は少ない。流速が1ノット(約0.5m/s)を越えると定置網を固定している土俵が動き出すことが記されているだけである。

 定置網の防災に関する研究を進める上では,設置海域における急潮の実態を捉え,その実態に対応した漁具の被害防止対策を検討することが重要である。最近の観測技術の急速な発展は海域における流れの動態に関する多くの情報を提供している。また,高精度の測定設備を有する水理模型実験装置の高性能化は,実験における精細な流れと漁具の関係をより定量的に明らかにし得る。

 本研究では,まず,相模湾における現場観測から急潮時の流れの構造を把握して,模型内に再現し,定置網に対する影響を調べた。まず定置網近傍で流れの長期連続観測を行い,急潮発生時の流れの大きさと鉛直構造の特徴を明らかにした。次に,定置網の模型を「田内の相似律」に基づいて作成し,高性能の回流水槽実験装置を用いて,急潮に伴う定置網の力学的挙動や各部に働く力を詳細に調べた。さらに,台浮子の浮力を変えた時の定置網の抵抗,箱網を抜いた時や網の汚れと漁獲物が入網した時の網の抵抗の違いなどの実験を行い,急潮に対する総合的な防災対策を提案した。研究の具体的な成果は以下のとおりである。

1 相模湾における定置網被害の発生原因と発生時の流況の特徴

 相模湾沿岸の25ヶ統の大型定置網漁場を対象に,1985〜96年(12年間)の漁場日報を用いて急潮による被害状況を調査し,気象海象資料と係留系による流れの長期連続観測の結果と合わせて,以下のことを明らかにした。

(1)急潮による被害68件のうち休漁日数10日以上に及ぶものが27件(推定被害総額約20億円)にもなる。大被害をもたらす急潮の発生原因は,黒潮の接近に伴う湾内への暖水流入によって起こるものと沖合を台風が通過することに伴って起こるものが大半を占める。また,急潮被害は湾西部を中心に起こり、網型では二段落網や落網の被害が多い。

(2)1993〜98年に相模湾西部沿岸で行なった係留系による流れの長期連続観測によれば,平常時の流速は0.1m/s以下の弱い流れが卓越しているが,定置網が大被害を受ける時は数時間で0.7〜0.8m/sの強流に変わり,数時間〜半日程度続く。定置網に被害を及ぼす強流は、海面から海底(約60m)までほぼ一様である。

2 回流水槽実験による急潮時の定置網の挙動の解析

 観測された急潮時の流れを回流水槽により再現し,定置網模型の流水抵抗の増加機構について調べ,以下のことを明らかにした。

(1)定置網を取囲むように扇状に張りたてられている台浮子の錨綱の張力は,流向に平行な角度の錨綱が最大となり,その綱から離れるにつれて漸減する。側張の綱は箱網の漁獲物量および流速の増大により破断する。

(2)定置網は主に矢引台浮子・運動場・登網,第一箱網,第二箱網,台浮子の順に設置され,各部はそれぞれ数本から十数本の錨綱により固定されている。錨綱の合計張力は,流向の変化に対して,流れが箱網から運動場の向きの場合に最小となり,陸から斜め沖に箱網に向う場合に最大となる。流れが運動場から箱網に向かう場合,錨綱に発生する張力は,矢引台浮子から運動場に向っての順に小さくなるが,急潮時には矢引台浮子の錨綱に集中する。また,個々の錨綱に発生する張力は,台浮子の錨綱に次いで,運動場大角や垣網1番で大きいことが確認され,これらの箇所の増強が急潮被害を防ぐ対策として重要であることが明らかになった。

3 急潮時の定置網被害防止策のための回流水槽実験とその現場検証

 定置網の流水抵抗の特性に基づいて、流水抵抗を減少させる網の設計として次のようなことを明らかにした。

(1)定置網の流水抵抗を減少させる設計として,側張を支える台浮子の浮力を増加させると側張りの傾斜沈下,流れに対する網の投影面積が減少し,側張綱の張力が減る。また,台浮子を縦型(流れに沿う方向)にすると,流れに対する投影面積が減り,さらに前端部にキャップを取り付けることにより,抵抗を著しく小さくできる。なお,大目網(433mm目)は細目網(233mm目)に比べて,箱網の張力が最大20%程度削減されるとともに,容積がより大きく保持される。

(2)急潮予報に対する現場における被害防止対策として,付着生物の成長が速い時期には,付着物による流水抵抗値は,10〜20日後に数倍にも増大するため,付着生物などの汚れの除去が効果的である。また,第一箱網や登網を撤去した場合,錨綱の張力削減に著しい効果がある。

(3)得られた成果を基にモデル網(実物網)を設計・作成し,現場に設置して,モデル網の挙動を流速計,深度計,自走式水中カメラなどにより実測し,モデル網の性能が設計に適合していることを現場検証した。

4 急潮に対する被害防止対策

現場観測と回流水槽模型実験の成果に基づいて,以下のような急潮被害防止策を明らかにした。

(1)急潮時には台浮子の錨綱に張力が集中するので,台浮子の浮力増加,縦型化,キャップの取付けなどにより側張の水平化(投影面積の減少)を図り,抵抗の増大を防ぐ。さらに,各部の網地は漁獲を損なうことなく,大目合化を図り,錨綱の張力を削減する。

(2)日常の網の管理と急潮予報に対応する緊急対策として,網・側張の付着生物などの汚れを除去し,目づまりと増重に伴う抵抗の増大を防止するとともに,張力が集中する台錨綱の固定状況を定期的に点検する。また,黒潮の接近や台風通過に伴う急潮予報が行われている。急潮警報が発せられてから1日〜2日後に定置網に急潮が到達する。この間に,まず箱網や運動場を撤去して網自体の破網防止と抵抗削減を図る。台風が房総半島を北上した場合,半日〜1日後に急潮が発生する可能性があるため,台風通過時に箱網が撤去できなかった場合でも,漁獲物はできる限り速やかに水揚げする。また,撤去した漁具は台風通過後の2日以上後に設置する。

 本研究により,落網が破壊される時の急潮の現場における流動特性,流水抵抗の増加機構が明らかとなった。また,被害防止策として台浮子の浮力および形状の改良や大目網の使用,箱網の緊急撤去や網の付着生物の除去等の有効性を定量的に明らかにし,急潮対策指針を策定した。

審査要旨 要旨を表示する

 急潮は沿岸海域で見られる突発的な強流現象で、沿岸に敷設された定置網や養殖網の破損・流失等の漁業被害をもたらすため、その実態把握と予報の手掛かりを得るべく戦前から様々な調査が行われてきた。急潮の多くは急激な水温上昇を伴うことから、黒潮の流軸変動や台風通過に伴う暖水流入の影響が指摘されてきた。最近の観測技術の発展により、海域における流れの構造と動態に関する多くの情報が得られ、また水理模型実験装置の高性能化により、実験における精細な流れと漁具の関係をより定量的に明らかにできるようになった。

 本研究では、まず相模湾における現場観測から求めた急潮時の流れ(流速0.7〜0.8m/sの鉛直に一様な強流が数時間〜半日間続く)の構造を模型に再現して定置網に対する影響を調べ、網の力学的挙動や各部に働く力を詳細に定量化した。さらに、台浮子の浮力を変えた時、箱網を抜いた時、網の汚れや漁獲物入網時等の網の流水抵抗の違いを調べ、急潮対策案を提案した。研究の具体的成果は以下の通りである。

1.相模湾における定置網被害の発生原因と発生時の流況の特徴

 過去の定置網漁場日報と気象海象情報を用いて急潮被害状況を調査し、主な原因は黒潮の接近に伴う暖水か、台風通過に伴い沿岸域に堆積した表層暖水の湾内侵入であり、被害は湾西部の落網に多いことを明示した。

2.水槽実験による急潮時の定置網の挙動の力学的解析

 急潮時の流れを回流水槽に再現して定置網模型の流水抵抗を調べた。張力は台浮子の錨網に集中し、次いで運動場と垣網1番が大きい。

3.急潮時の定置網被害防止策のための水槽実験と現場実験

 定置網の流水抵抗を減少させるための網の設計として、台浮子を従来の横型から縦型(流れに沿う方向)にして前端にキャップを取り付けることや、網の大目化、付着生物の除去により、抵抗を著しく小さくできること、急潮予報が出た際の第一箱網や登網、漁獲物の撤去は、錨網の張力削減に効果がある。

4.以上の研究に基いて、急潮の流動特性、定置網の流水抵抗の急潮時の増加機構を明らかにし、さらに被害防止策として、台浮子の浮力と形状の改良、大目網の使用、付着生物の除去や箱網の緊急撤去などの有効性を水槽実験によって定量的に明らかにし、急潮被害軽減・防止するための対策指針を提案した。 これらの成果は、わが国沿岸域における定置網の急潮による漁業災害に関して、その被害実態、台風の通過と黒潮流路変動に伴う急潮発生の海洋物理学的機構の解明、および、高精度の回流水槽実験に基づく破網の力学的過程の定量的な解明によって、さらには急潮の予報システムと被害軽減策の具体的掲示によって、学術的並びに実用的に大きな成果を収めたものと云える。

 よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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