学位論文要旨



No 214835
著者(漢字) 小川,直人
著者(英字)
著者(カナ) オガワ,ナオト
標題(和) 細菌のクロロカテコール及び2,4-ジクロロフェノキシ酢酸分解遺伝子群の構造と転写調節
標題(洋) The structure and transcriptional regulation of the bacterial degradative genes for chlorocatechols and 2,4-dichlorophenoxyacetate
報告番号 214835
報告番号 乙14835
学位授与日 2000.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14835号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 教授 大森,俊雄
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 助教授 林,浩昭
 東京大学 助教授 西山,雅也
内容要旨 要旨を表示する

 PCBや農薬,有機溶剤のような芳香属塩素化合物は分解しにくく環境中に長く残存して汚染問題を引き起こすが,環境中の微生物には,進化,適応の結果,このような化合物を分解する能力を獲得したものがいる。この微生物の分解能力を研究することは,バイオレメディエーション技術の開発のために,また,微生物の進化,適応機構を解明するためにも重要である。このような目的のもと、本研究では,芳香属塩素化合物の一種でPCBの分解中間産物である3-クロロ安息香酸(3-CB)の分解菌Ralstonia eutropha NH9株の3-クロロカテコール分解遺伝子群、及び農薬として使われた2,4-ジクロロフェノキシ酢酸(2,4-D)の分解菌 Alca-ligenes sp.CSV90株の分解遺伝子群の構造と転写調節機構の解析を行った。

 細菌による3-CBや2,4-Dなどの芳香族塩素化合物の代表的な好気的分解経路は、これらの化合物がクロロカテコールにまで変換される前半の過程(上流経路)と、クロロカテコールが完全分解される後半の過程(修飾オルソ開裂経路)から成る(図1)。修飾オルソ開裂経路は、芳香族塩素化合物を完全分解するために重要な経路である。日本で分離された3-CB分解菌R.eutropha NH9株の修飾オルソ開裂経路の遺伝子群は、オペロン様構造をなす分解酵素遺伝子群cbnABCDと、その上流に双方向プロモーター(divergent promoter)領域を介して逆向きに存在する、LysR-typeの調節因子の遺伝子cbnRから成ることが判明した(図2)。さらにcbnR-ABCD遺伝子群(5.7kb)は、NH9株の分解プラスミドpENH91(78kb)上で、両側をそれぞれ約25kbの挿入配列IS1600に挟まれ、全体として約15kbのclassl型複合トランスポゾンTn5707として存在することが明らかになった。cbnR-ABCD遺伝子群は、オランダで分離された1,2,4-トリクロロベンゼン分解菌Pseudomonas sp.P51株の分解プラスミドpP51(110kb)上の3,4,6-トリクロロカテコール分解遺伝子郡tcbR-CDEFとほぼ同一の配列を持つことから、修飾オルソ開裂経路遺伝子群の分化の過程でもごく最近水平伝達されたことが示唆された。両菌株が分解する化合物が異なるのは、保持している分解の上流経路が異なるためであった。ほぼ同じ修飾オルソ開裂経路の遺伝子群を使用しながら、生育する芳香族塩素化合物が異なることは、既存の分解遺伝子群モジュールを獲得して組み合わせることが、細菌の新たな分解経路形成の有効な戦略であることを示している。また、NH9株ではTn5707の両端のIS1600を介した相同組み換えにより、プラスミド上で分解遺伝子群の欠失や増幅が起こることが判明し、挿入配列が転移以外でも細菌の遺伝子群の再編成に寄与していることが示された。

 インドで分離された2,4-D分解菌Alcaligenes sp.CSV90株の分解遺伝子群は、その分解プラスミドpMAB1(90kb)上にtfdA-S-T-CDEF-B遺伝子群として存在していることが判明した(図3)。この分解遺伝子群は、オーストラリアで分離された2,4-D分解菌R.eutropha JMP134株のプラスミドpJP4上の分解遺伝子群tfdA-S-RDIICIIEIIFIIBIIK-T1-CDEF-Bの対応する領域とほぼ同一の塩基配列を有しており、pJP4上の分解遺伝子群から第2クロロカテコールオペロン(ゲdRDIICIIEIIFIIBIIK)の部分が脱落した構造をとっていた。このことからこれらの2,4-D分解遺伝子群は、プロトタイプ(tfdA?-)tfdT-CDEF-B遺伝子群→(ISJP4 composite transposonの挿入)→tfdA-S-RDIICIIEIIFIIBIIK-T1-CDEF-B遺伝子群(JMP134株(pJP4))→(組み換えによる欠失(?))→tfdA-S-T-CDEF-B遺伝子群(CSV90株(pMAB1))、という過程で再編成を経てきたことが推測された。

 これらの分解遺伝子群の発現調節機構を解明するために、まず、NH9株(pENH91)のcbnABCD分解酵素遺伝子群について、cbnAプロモーター領域や前後の遺伝子から構築したレポーターアッセイ系による実験を行った。その結果、cbnAプロモーター活性の誘導にはcbnRが必須であり,正の調節を行うことが判明した。また,安息香酸(Ben)や3-CBの分解経路におけるCbnA(chlorocatechol dioxygenase)による反応産物(cis,cis-ムコン酸(CCM)及び2-クロロ-cis,cis-ムコン酸(2CM)(図1))がcbnAプロモーターの真の発現誘導物質であると推定された。以上の点を、精製したCbnR、cbnAプロモーター、大腸菌RNApolymerase、誘導物質候補の各種化学物質を用いたin vitro transcription実験により確認した。これまでに発現調節機構が詳細に解析されている類縁のカテコールオルソ開裂経路の分解遺伝子群catR-BCA(Pseudomo-nas putida RB1株)、及びクロロカテコール分解遺伝子群clcR-ABDF(Pseudomonas putida putida AC8 66(pAC27)株、pseudomonas sp.B13株)では、それぞれの分解経路における中間代謝産物(前者はCCM、後者は2CM)1種類のみが主要な誘導物質であるのに対し、cbnR-ABCD分解遺伝子群ではこの両化合物が誘導物質であることが示された。一方、in vitro での結合の解析によりCbnRはcbnAの転写開始点の上流約-20から-80bpの60bp程の領域にLysR familyの調節系に特徴的なパターンで結合すること,及びめcbnA promoter領域はCbnRの結合により78度曲がり,誘導物質CCMの添加によりこのBendingの角度が54度まで弛緩することが判明した。catR-BCA(RB1)分解遺伝子群及びclcR-ABDE(pAC27)分解遺伝子群も同様のプロモーター領域の折れ曲がり角度の変化を示すことなどから,これら3つの分解遺伝子群の転写活性化の基本的な機構は共通であると推察された。以上、CbnRのよるcbnAプロモーターの転写活性化について、in vivo,in vitroで解析を行った結果、catR-BCA,clR-ABDE各分解遺伝子群の発現調節機構との相違点、類似点が明らかになった。

 次にCSV90株(pMAB1)のtfdCDEF(-B)遺伝子群の発現調節機構を解析するためにレポーター実験を行った。その結果、TfdTにはtfdCプロモーターを活性化する機能はないことが示唆され、一方、TfdSが2CMの存在下でtfdCプロモーターの発現を正に調節することが判明した。またTfdSは2CMの存在下でtfdAプロモーターの活性化も行うことが判明し、CSV90株ではTfdSが2つの制御単位に分かれた分解遺伝子群をそれぞれ正に制御していると考えられた。TfdSによるこれらのプロモーターの活性化は、CCMの存在下ではごく弱かった。tfdT(pMAB1)がレポーター実験でtfdCプロモーターの活性化を行わなかったことからは、この遺伝子が、pMAB1上の2,4-D分解遺伝子群を形成した組み換えの結果生じた偽遺伝子である可能性が示唆された。そして、tfdSが近傍のtfdAの発現のみならず、離れたところに位置するtfdCDEF(-B)の発現も活性化することは、本来の調節因子が機能しない場合に、同族の調節因子によるクロストークが分解経路遺伝子の発現に寄与することが示された。

 以上のLysR-type調節因子(CbnR,TfdS,ClcR,CatR)はいずれも、分解経路の中間産物(或いはそのアナログ)である2CMやCCMを認識して分解遺伝子群の発現を活性化する。これに対し、2-,3-,4-CB分解菌Burkholderia sp.NK8株は、Ben及び2-CBの分解中間産物として生じるカテコールをオルソ開裂経路により分解するが、その調節因子CbeRは分解中間産物ではなくBen,3-CB,4-CBそのものを認識して分解遺伝子群プロモーターの発現を活性化することがレポーター実験により判明した。またNK8株の3-及び4-クロロカテコール分解遺伝子群の発現調節因子TfcRは、レポーター実験により3-クロロカテコールを認識して分解遺伝子群の発現を活性化することが示唆された。このように芳香族塩素化合物分解遺伝子群の発現調節に関与するLysR-typeの調節因子は、その誘導物質の認識スペクトルが多様であることが明らかになった。一方、cbn,clc,cat各オペロンの誘導物質の種類の違いは、調節因子の誘導物質認識部位の進化が、転写活性化の機構の進化とは独立に起こり得ることを示唆するものと考えられた。

 本研究はクロロカテコールと2,4-Dの分解遺伝子群を対象としてその構造、発現調節機構を解明することで、細菌の芳香族塩素化合物分解能力獲得における遺伝子群の再編成の意義と、LysR-type調節因子による発現調節機構の役割を明らかにした。

図1. 3-クロロ安息香酸と2,4-ジクロロフェノキシ酢酸の分解経路

図2. 複合型トランスポゾンTn5707の模式図

図3. プラスミドpJP4とpMAB1上の2,4-D分解遺伝子群の模式図

審査要旨 要旨を表示する

 芳香族塩素化合物による環境汚染の修復技術として期待されているバイオレメディエーション技術の発展のためには、微生物の汚染物質分解機構の解明が必要不可欠である。ところが、芳香族塩素化合物の好気的分解において中心的な役割を果たすクロロカテコール分解経路の遺伝子群については、その再編成や伝播の機構に関しては、伝達性プラスミドによること以外は全く明らかにされておらず、またその発現調節機構に関しては研究例がごく少なく、近年、端緒についたばかりであった。本研究では、クロロカテコール分解遺伝子群及び関連する2,4-ジクロロフェノキシ酢酸(2,4-D)分解遺伝子群について以上の点を解明することを目的として、PCBの分解中間産物である3一クロロ安息香酸の分解菌Ralstonia eutropha NH9株のクロロカテコール分解遺伝子群、及び農薬として使われた2,4-D分解菌Alcaligenes sp,CSV90株の分解遺伝子群の構造と発現調節機構の解析を行ったもので3部から構成されている。

 環境汚染化学物質の除去技術開発の必要性とバイオレメディエーションの優位性及び、そのための微生物の化学物質分解遺伝子群の研究の意義と実験方法を述べた序論につづいて、第1部では、クロロカテコール分解を担う新規トランスポゾンTn5707の発見と、Tn5707がNH9株の3-クロロ安息香酸分解経路の形成に果たしている役割を述べている。また、分解遺伝子群の欠失・重複が起こることを発見して、これらがTn5707の両端のIS1600を介した相同組み換えによることを明確に記述しており、挿入配列が転移能以外でも細菌の遺伝子群の再編成に寄与していることを、クロロカテコール分解遺伝子群では初めて明らかにしている。そしてTn5707を構成する挿入配列や分解遺伝子群を他の類縁のものと比較し、その位置付けを行うことにより、cbnR-ABCD分解遺伝子群の水平伝達が、分解遺伝子群の進化史上ごく最近起こったことを明らかにした。

 第2部では、cbnR-ABCD分解遺伝子群の発現調節機構について、CbnRがcbnAプロモーター活性の発現を正に調節すること、また、cis,cis-ムコン酸及び2-クロロ-cis,cis-ムコン酸がcbnAプロモーターの発現誘導物質であることを見いだしている。さらにCbnRがcbnAの転写開始点の上流域にLysRfamilyの調節系に特徴的な結合をすること、及びcbnA promoter領域がCbnRの結合によりBendingを起こし、誘導物質の添加によりこの角度が弛緩することなどを明らかにしている。これらのうちいくつかのことは、ほぼ同一の配列を持つクロロカテコール分解遺伝子群tcbR-CDEFの研究では発見されておらず、適切な実験系の使用や、実験条件の検討により、本研究で初めて達成された。また、cbnR-ABCD分解遺伝子群の発現調節機構を、類縁のカテコール分解遺伝子群catR-BCA及びクロロカテコール分解遺伝子群clcR-ABDEと比較することによって、これら3遺伝子群で転写活性化の基本的な機構が保存されている部分もある一方で、誘導物質の違いがあることから、調節因子の誘導物質認識部位の進化が、転写活性化の機構の進化とは独立に起こり得ると考察している。

 第3部では、Alcaligens sp.CSV90株の2,4-D分解遺伝子群の構造を解析し、R.eutropha JMP134株の2,4-D分解遺伝子群の構造と比較して、前者が後者からの組み換えによって生じたと考察している。上記のTn5707に関する結果とともに、これらは芳香族塩素化合物分解遺伝子群の伝播や再編成を考えていくための具体的な知見であるとしている。また、CSV90株のtfdCDF(-B),tfdA分解遺伝子群の発現調節機構について検討しており、調節因子TfdSが2-クロロ-cis,cis-ムコン酸の存在下でこれら分解遺伝子群の発現を活性化することを示し、CSV90株の2,4-D分解遺伝子群全体の発現調節を定量的に明らかにした。そしてCbnRの結果などと合わせて、今までまったく研究されていなかった、(クロロ)安息香酸及び(クロロ)カテコール分解遺伝子群の発現誘導物質の多様性(スペクトル)について、LysR調節タンパク質の系統分類との関係から検討を加え、今後の詳細な解析に展望を与えることができたとしている。

 以上を要するに本論文は、クロロカテコール分解遺伝子群および関連の2,4-Dジクロロフェノキシ酢酸分解遺伝子群の構造を明らかにし、発現調節機能の解析を行ったもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42829