学位論文要旨



No 214837
著者(漢字) 川染,秀樹
著者(英字)
著者(カナ) カワソメ,ヒデキ
標題(和) 微生物由来免疫抑制剤の作用と細胞内情報伝達機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 214837
報告番号 乙14837
学位授与日 2000.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14837号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
内容要旨 要旨を表示する

 免疫抑制剤シクロスポリンA(CsA)、FK506、およびラパマイシン(Rap)はともに微生物由来の抗生物質で臓器移植時の拒絶反応を抑制できる。さらにCsAとFK506は臓器移植以外の応用、例えばアトピー性皮膚炎やリウマチなど免疫反応が異常に亢進した病態への治療に使われ、現在の医療に必要不可欠となってきた。しかしこれら免疫抑制剤の作用機構に加え副作用を起こす機構についても不明な点が多い。より特異性が高く作用の強い、しかも副作用の少ない薬剤が臨床応用の現場では求められている。そこで本研究は、新規免疫抑制剤の開発へ応用することを目的に、微生物由来免疫抑制剤の作用機構を細胞内シグナル伝達の観点から検討した。

 上述の免疫抑制剤の作用は丁細胞を中心に検討がなされてきた。CsAとFK506はそれぞれシクロフィリン(CyP)およびFK506-binding protein(FKBP)に結合してカルシニューリンを阻害し、その下流に位置する転写因子NF-ATを阻害してIL-2の産生を抑制する。一方、RapもFKBPに結合するがカルシニューリンは阻害せずに、mammalian Target of Rapamycin(mTOR)を阻害して、IL-2による細胞増殖を抑制する。これらの事実を基にして、本研究では以下の3つの方向から研究を行った。(1)CsAとFK506がアレルギー疾患の治療にも応用が広がっているため、Tリンパ球以外での作用機序の検討が必要を考えられ、アレルギー疾患の発症に重要な働きをするマスト細胞(肥満細胞)に対するこれら免疫抑制剤の作用を調べた。(2)Rapの作用については、標的分子のひとつであるp70S6キナーゼ(p70s6k)のノックアウト細胞を作製し、p70s6kを介する反応と介さない反応を明確にした。(3)アミノ酸(特にグルタミン)の免疫賦活作用に着目し、アミノ酸とRapの作用機構の異同について検討した。

 最初に、アレルギー反応に重要な役割を果たすマスト細胞からのTNF-αの産生機構に注目し、高親和性Fcεレセプター(FcεRI)とStem Cell Factorレセプター(SCFR)の相互作用および免疫抑制剤の作用について検討した。マスト細胞は表面のFcεRIにIgEを結合し、さらにIgEが抗原を認識してレセプターが二量化すると、ヒスタミンやアラキドン酸、TNF-αなどのサイトカインを放出する。また、マスト細胞はSCFRも発現している。SCFやSCFRを欠くマウスがマスト細胞を持たないことや細胞培養の研究から、SCFはマスト細胞の分化と増殖に必須の分子であると考えられている。マウスマスト細胞株MC/9を用いて、抗卵白アルブミン(OVA)マウスIgEで処理した後、OVAを添加するとTNF-αが産生された。この時SCFを同時に添加するとTNF-αの産生が増強された。FcεRIを介するTNF-α産生にはc-Jun N-terminal kinase(JNK)の活性化が関与するとされる報告があるため、JNK活性を測定した。IgE-OVAあるいはSCFを、それぞれ単独で処理するとJNKは活性化された。さらにこれらの同時刺激ではより強くJNKが活性化された。JNK活性化の機序を調べるためにCsAとFK506さらにphosphatydil inositol-3 kinase(PI3K)阻害剤ウォルトマニンの影響を調べた。FcεRIを介するJNKの活性化はCsA、FK506、およびウォルトマニンで抑制されたが、SCFRを介する活性化は抑制されなかった(図1)。これらの結果は、抗原刺激によるマスト細胞のTNF-α産生がSCFによるJNKの活性化を通じて増強されることを示している。さらに、CsAとFK506はFcεRIを介するJNK活性化を阻害するが、SCFによる活性化を阻害しなかったため、2つのレセプターは異なる経路を通じてJNKを活性化してTNF-αを産生させることを示し、SCFRからのシグナル経路が新規免疫抑制剤開発のための新たな標的となる可能性を示した。

 次に、Rapの作用におけるp70s6kの役割を調べるために、p70s6kのノックアウト細胞を作製して検討した。RapはFKBPと結合し、プロテインキナーゼmTORを阻害する。mTORの下流にはp70s6kとeIF-4E binding protein(4E-BP1)があり、Rap処理で両者は脱リン酸化される。4E-BP1は脱リン酸化されると、eIF-4E(eukaryotic initiation factor-4E)に結合してeIF-4F複合体の形成を阻害し、キャップ依存性の翻訳開始を阻害する。またRapはリボゾームタンパク質などをコードする5'末端に特殊な構造を持つ遺伝子(5'TOP mRNA)の翻訳を特異的に抑制して、G1/S期の移行を阻害するとされてきた。しかし、p70s6kのノックアウト細胞(-/-細胞)は、速度は遅いが増殖でき、またRapによる細胞増殖抑制作用も野生型細胞(+/+細胞)と同程度であり、4E-BP1のリン酸化にも影響は認められなかった。したがってRapによる細胞増殖抑制作用と4E-BP1の制御にp70s6kは必須ではないことを明らかにした。一方、リボゾームS6タンパク質のリン酸化は-/-細胞では観察されなかった。このことはS6タンパク質が生体内でp70s6kの基質であることを示している。さらに細胞の翻訳活性を測定したところ、-/-細胞では+/+細胞で見られるようなRapによる5'TOP mRNAに特異的な翻訳抑制は見られず、抑制の程度は+/+細胞や-/-細胞でのNon-5'TOPmRNAの翻訳抑制と同程度であった。これらの結果から、mTORの下流には、p70s6kとS6タンパク質のリン酸化を介してリボゾーム等のタンパク質合成に関わる分子の翻訳を制御する経路が存在することが示唆された。p70s6kはRapのもつ細胞増殖抑制作用や4E-BP1の脱リン酸化への関与の可能性は低く、S6タンパク質のリン酸化を介してリボゾーム等の翻訳制御に必要な分子であることを明らかにした。

 第三は、グルタミンに免疫賦活作用が知られ、またアミノ酸枯渇時の自食作用にS6タンパク質リン酸化の関与が注目されていることから、培養液中のアミノ酸濃度とmTORを介するシグナル経路との関係について検討した。ヒト丁細胞リンフォーマ、ジャーカット細胞の培養液のアミノ酸を除去すると、わずか30分でp70s6k活性は消滅した。一方、枯渇後にアミノ酸を再添加すると急速にp70s6kは活性化された。4E-BP1のリン酸化も同様の挙動を示した。アミノ酸によるp70s6kの活性化はRapで抑制され、Rap耐性mTOR導入細胞ではRapによる抑制は認められなかった。つまり、アミノ酸によるp70s6k活性制御もmTORを介していることを明らかにした。次にmTORがアミノ酸濃度を検出する機構を調べるために、アミノ酸トランスポーターとtRNAに着目し、これらに対する阻害剤を用いて検討した。細胞膜上には基質に対する特異性の異なるアミノ酸トランスポーターが存在するが、いずれの阻害剤もアミノ酸添加によるp7086k活性化を抑制したため、特定のトランスポーターがアミノ酸を検出しているとは考えられなかった。一方、アミノアシルtRNAシンセターゼの阻害剤であるアミノアルコールを添加したところ、アミノ酸枯渇と同様にp70s6k活性の減少が認められた。さらにヒスチジルtRNAシンセターゼ温度感受性変異株を、高温で培養してヒスチジルtRNAシンセターゼ活性を下げるとp70s6k活性が阻害され、ヒスチジンの添加で回復した。以上の結果から、細胞培養液中のアミノ酸を枯渇させるとデアシル化tRNAを介して、Rap添加時と同様にmTORを介するシグナルが抑制されることが明らかになった。細胞培養液中のアミノ酸のうちグルタミン濃度が最も高く、グルタミンの免疫賦活作用がmTORを介するシグナルで説明できる可能性を示唆するものである。

 ノックアウト細胞を用いた実験とアミノ酸制御試験の結果を図2にまとめた。増殖因子やインスリン刺激によりmTORを介してp70s6kの活性化と4E-BP1のリン酸化が起こる。Rap-FKBP複合体はmTORに結合して活性を阻害する。p70s6kはリボゾームS6タンパク質をリン酸化し、リボゾーム等の翻訳機構分子の合成を活性化する。一方、4E-BP1がリン酸化されるとキャップ依存性の全般的なmRNAの翻訳が開始される。細胞内に取り込まれたアミノ酸はアシル化tRNAとなり、タンパク質合成の材料となる。アミノ酸が枯渇すると材料不足によるタンパク質合成阻害に加え、デアシル化tRNAの増加によるmTOR阻害というシグナルを介してタンパク質合成を阻害する。この作用を体全体で見ると、高血糖により誘導されるインスリン刺激以外に、アミノ酸という栄養でもmTORやp70s6k、4E-BP1が活性化されることを本研究で初めて明らかにした。mTORはグルコースとアミノ酸という二大栄養素の状態をシグナルとして受け取る重要な分子であるといえる。

 本研究の成果をまとめると、CsAとFK506が抗原刺激によるマスト細胞からのTNF-α産生の活性化経路を阻害したため、これら薬剤がアレルギー疾患に有効と考えられる新たな作用機序を示した。しかしSCFがTNF-α産生を増強し、このシグナル経路には上記薬剤の効果が認められなかったため、マスト細胞におけるSCFの新しい役割を示すとともに、さらに有効な抗アレルギー剤開発の可能性を示した。またRapはp70s6kと4E-BP1を介するそれぞれ独立した経路でタンパク質合成を制御していること、さらにアミノ酸がtRNAを介して同経路を制御していることを明らかにした。これは動物細胞において、アミノ酸枯渇時に単に材料不足によりタンパク質合成が停止するのではなく、細胞が積極的にアミノ酸濃度を検出して、余分なタンパク質合成を素早く制御していることを示している。さらに臨床的には、免疫反応におけるアミノ酸の重要性とアミノ酸製剤による免疫制御の可能性を示すものである。細胞内シグナル伝達の観点からの検討により新しい免疫抑制剤開発は可能と考えられ、今後、生体反応の理解とともに創薬への指針のひとつとなることを期待したい。

図1 MC/9細胞の情報伝達機構

図2 アミノ酸によるmTORの調節

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、新規免疫抑制剤の開発を目指し、微生物由来免疫抑制物質の作用を細胞内情報伝達機構との関わりから検討したものである。論文は五章から構成され、第一章の免疫抑制剤の作用に関する研究の現状と目的を述べた序論に続き、第二章ではアレルギーに関わる肥満細胞に対する免疫抑制剤の効果について述べている。第三草ではタンパク質合成と免疫抑制作用が注目されているリボゾームS6タンパク質キナーゼを欠失させた細胞株を樹立して解析し、第四章では細胞がアミノ酸濃度を検知する機構に免疫抑制剤が関与する可能性を取り上げている。第五章では得られた結果を総括し、新しい免疫抑制剤の検索と開発の方法について論じている。

 免疫抑制剤シクロスポリンA(CsA)、FK506、およびラパマイシン(Rap)はともに微生物由来の抗生物質で臓器移植時の拒絶反応を抑制する。これら免疫抑制剤の作用は主に丁細胞を中心に検討がなされてきた。すなわちCsAとFK506はそれぞれシクロフィリンやFKBPに結合してカルシニューリンと下流に位置する転写因子NF-ATを阻害してIL-2の産生を抑制する。一方、RapもFKBPに結合するがカルシニューリンを阻害せず、mTORを阻害して細胞増殖を抑制する。これらの事実を基にして、以下三つの観点から本研究は行なわれた。

 初めに、肥満細胞のTNFα産生機構に着目し、Fcε受容体(FcεRI)とStem Cell Factor受容体(SCFR)の相互作用と免疫抑制剤の作用について検討した。肥満細胞はFcεRIに結合したIgEが抗原を認識すると、ヒスタミンやTNFαなどのサイトカインを放出する。マウス肥満細胞株MC/9に抗卵白アルブミンIgE処理、あるいはSCF処理するとTNFαを産生した。その際、JNKが活性化された。FcεRIを介するJNKの活性化はCsAやFK506で抑制されたが、SCFRを介する活性化は抑制されなかった。これらの結果は抗原刺激によるTNFα産生がSCFによるJNKの活性化を通じて増強されることを示している。さらにCsAとFK506はFcεRIを介するJNK活性化を阻害するが、SCFによる活性化を阻害せず、これらの受容体は異なる経路を通じてJNK活性化と、TNFα産生を引き起すことを明らかにした。SCFRからのシグナル経路が新規免疫抑制剤開発の新たな標的となる可能性を示した。

 次に、タンパク質合成と免疫抑制作用の観点から、S6キナーゼ(p70s6k)を欠失させたマウス胚性幹細胞株を樹立して解析している。RapはFKBPと結合し、プロテインキナーゼmTORを阻害してp70s6kとeIF-4E結合タンパク質(4E-BP1)の機能を抑制する。Rap処理で両者は脱リン酸化され、キャップ依存性翻訳開始を阻害するとされてきた。しかしp70s6k破壊細胞(-/-細胞)は増殖し、Rapによる増殖抑制作用も野生型細胞と同程度で、4E-BP1のリン酸化も差は認められなかった。したがってRapによる細胞増殖抑制作用と4E-BP1の制御にp70s6kは必須ではないことを明らかにした。さらに-/-細胞ではRapによる5'TOP mRNA特異的な翻訳抑制は見られず、このことはmTORの下流にp70s6kとS6のリン酸化を介してリボゾーム等のタンパク質合成に関わる分子の翻訳を制御する経路の存在を示唆している。p70s6kはRapのもつ細胞増殖抑制作用や4E-BP1の脱リン酸化への関与の可能性は低く、S6のリン酸化を介してリボゾーム等の翻訳制御に必要な分子であることを明らかにした。

 第三に、アミノ酸による免疫賦活作用の観点から、細胞がアミノ酸濃度を検知する機構に免疫抑制剤が関与することを明らかにしている。ヒトTリンパ腫由来ジャーカット細胞の培養液アミノ酸を除去すると、わずか30分でp70s6k活性は消滅するが、アミノ酸再添加で急速に回復した。この回復はRapで抑制され、アミノ酸によるp70s6k活性制御もmTORを介することを明らかにした。次にmTORがアミノ酸濃度を検出する機構として、アミノアシルtRNA合成酵素阻害剤のアミノアルコールがアミノ酸枯渇と同様にp70s6k活性を減少させ、デアシル化tRNAによってRap添加時と同様にmTORを介するシグナルが抑制されることを明らかにした。アミノ酸による免疫賦活作用をmTORを介するシグナルで理解しようとする新しい考え方である。

 以上、本論文は微生物由来免疫抑制物質の作用を細胞内シグナル伝達経路と関連付けて解析し、新規免疫抑制物質の開発と応用への基礎となるもので、学術上また応用上の寄与は少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク