学位論文要旨



No 214838
著者(漢字) 松本,真悟
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,シンゴ
標題(和) 土壌の可給態窒素の実態と作物によるその特異的吸収
標題(洋)
報告番号 214838
報告番号 乙14838
学位授与日 2000.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14838号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 助教授 林,浩昭
 東京大学 助教授 西山,雅也
内容要旨 要旨を表示する

 土壌を一定温度で培養して無機化される窒素量(インキュベーション法による可給態窒素)は作物の窒素吸収量と相関が高く,有機物を施用した栽培条件においても,その無機化特性が中心に研究されてきた.しかしながら,1993年から1998年にかけて行われた農林水産省の環境保全型栽培基準設定調査事業における各県の報告データの中には,有機物を施用して栽培されたバレイショ,ビート,ニンジン,トウモロコシ,ホウレンソウ,モモなどの窒素吸収量が栽培期間中に土壌から生成される無機態窒素量を上回る事例が認められる.これらの事例は,有機物を施用して栽培したとき,その窒素吸収反応が必ずしも土壌中の無機態窒素量を反映しない場合があることを示唆するものと考えられる.そのため,有機物を施用した栽培における作物の窒素吸収反応を解析するためには,窒素の無機化特性だけでなく,土壌中での有機態窒素の存在状態について多面的な解析および有機態窒素に対する作物の作用を明らかにする必要がある.

 有機質肥料としてなたね油かすおよび大豆油かすを施用してホウレンソウを露地栽培し,化学肥料を減肥した場合および緩効性肥料を施用した場合とその窒素吸収量を比較したところ,化学肥料の減肥によって土壌中の無機態窒素量は低下し,これに対応してホウレンソウの窒素吸収量は低下した.しかし,有機質肥料を施用した場合には,土壌中の無機態窒素量が化学肥料区や緩効性肥料区よりも低く推移したにもかかわらず同等の窒素を吸収し,体内に蓄積される硝酸含量は40%程度低下した.この結果は,作物が有機物から無機化されて生じた無機態窒素のみを吸収するという従来からの前提に疑問を抱かざるを得ない現象であった.そこで,ホウレンソウと同様の窒素吸収反応を示す作物を検索するために9種類の野菜をポットで栽培した結果,ピーマンおよびリーフレタスは土壌中の無機態窒素の存在量を明瞭に反映する窒素吸収反応を示したが,チンゲンサイおよびニンジンは土壌中の無機態窒素が低くなる有機物施用条件下でも対照区と同等以上の窒素吸収反応を示すことを認めた(図1).

 すなわち,有機物施用条件下の作物の窒素吸収反応には作物間差が認められ,チンゲンサイ,ニンジンおよびホウレンソウは有機物施用によって土壌中に増加する有機態窒素を利用している可能性が示唆された.

 土壌中の有機態窒素のうち,遊離のアミノ酸量は極めて低く,その中心はタンパク様の物質であると考えられる.そのため,中性リン酸緩衝液によって抽出されるタンパク様物質についてサイズ排除HPLCおよびSDS-PAGEによる分析を行ったところ,それが分子量8000-9000Da程度の極めて均一なタンパク様物質であることが明らかになった.また,土壌に有機物を施用した場合,その種類に関わらず,施用された有機態窒素は培養14-21日までに8000-9000Daのタンパク様物質に収れんされることを認めた(図2).この現象は,培養初期に,施用有機物の種類によって異なっていたリン酸緩衝液抽出物のアミノ酸組成が,培養の経過とともにほぼ同じ組成になることからも裏付けられた.さらに,有機物と同時にクロラムフェニコール(抗バクテリア剤)を添加して培養した場合にこの現象が抑制されることから,土壌に集積する有機態窒素はバクテリアにより誘導され,その菌遺体に由来すると推察された.

 なたね油かすを施用して栽培したチンゲンサイとニンジンの導管液中には土壌タンパク様物質と類似する画分が検出された(図3).この画分は水耕栽培されたチンゲンサイや有機物施用による効果が認められなかったピーマンの導管液中には検出されないことから,チンゲンサイやニンジンが土壌に集積するタンパク様物質を吸収していると考えられた.また,無菌条件において,無機態窒素を含まない培地にこの土壌タンパク様物質を添加して栽培した場合でもチンゲンサイとニンジンの窒素吸収量が増加した(表1)ことから,これらの窒素吸収反応は,菌根菌との共生や根圏微生物による無機化を介して行われるのではなく,チンゲンサイやニンジンが土壌タンパク様物質を直接吸収する能力を有していることによると考えられた.また,この能力の有無が,有機物を施用して栽培した場合に認められた窒素吸収反応の作物間差の主要な要因であることが示唆された.

図1有機物(稲わらと米ぬかの混合物,C/N比19)を施用してポット栽培された野菜の窒素吸収量

図2 種々の有機物を施用して培養した土壌のリン酸緩衝液抽出物のサイズ排除HPLCクロマトグラム

図3 土耕(なたね油かす施用)および水耕栽培されたチンゲンサイとピーマンの導管液のサイズ排除HPLCクロマトグラム

表1 無機態窒素を除いたMS培地に土壌のリン酸緩働液抽出液を添加し,無菌条件で栽培された作物の窒素吸収量

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,有機物を施用した栽培における作物間の窒素吸収反応の差違を認め,これが有機物の施用によって土壌中に蓄積するタンパク様物質を吸収・利用する能力の違いにあることを解明し,土壌生化学および植物栄養学的な考察を行ったもので,以下の7章より成る.

 第I章では,日本および世界各地で行われている有機物施用試験に関する既往の研究のレビューを行い,有機物を施用した場合の作物の窒素吸収特性について無機栄養説との矛盾点を抽出し,これらの矛盾点の解明を目的とする本論文の位置づけとその構成について述べている.

 第II章では,化学肥料を減肥した場合と有機質肥料を施用した場合の露地栽培ホウレンソウの窒素吸収反応について土壌中の形態別窒素量とあわせて比較検討している.減肥,有機質肥料の施用によりいずれも土壌中の無機態窒素量は慣行区よりも低く推移し,ホウレンソウ中の硝酸含量が低下した.同様に減肥した場合にはホウレンソウの窒素吸収量は土壌中の無機態窒素量を反映して低下した.これに対し,有機質肥料を施用した場合には土壌中の無機態窒素量が慣行区よりも低く推移したにもかかわらず,ホウレンソウの窒素吸収量は慣行区と同等以上であった.このことから,植物の窒素吸収反応が単に土壌中の無機態窒の存在量のみで説明することができない場合があるという問題提起がなされた.

 第III章では,第II章の結果を受けて,9種類の作物を供試してポット栽培試験が行われ,有機物を施用した場合の窒素吸収反応について,作物の種類による違いが検討されている.その結果,ピーマンおよびリーフレタスは土壌中の無機態窒素の存在量を明瞭に反映する窒素吸収反応を示したが,チンゲンサイ,ニンジンおよびホウレンソウは土壌中の無機態窒素が低くなる有機物施用条件下でも対照区と同等以上の窒素吸収量を示すことを認めた.すなわち,有機物施用条件下の作物の窒素吸収反応には作物間差が認められ,チンゲンサイ,ニンジンおよびホウレンソウは有機物施用によって土壌中に増加する有機態窒素を利用している可能性が示唆された.

 第IV章では,第III章で言及された土壌中の有機態窒素の実態について解析が行われている.可給態窒素の抽出法として広く用いられている中性リン酸緩衝液によって抽出されるタンパク様物質についてサイズ排除HPLC,イオン交換HPLCおよびSDS-PAGEによる分析が行われた.供試した20種類の土壌の抽出液には,いずれの分析法においても単一の画分のみが検出され,その分子量は8000〜9000と推定された.また,HPLCで検出された単一のピークの面積と抽出液中のタンパク質濃度には極めて高い相関が得られたことから,土壌の可給態窒素はその土壌の種類にかかわらず極めて均一な分子量幅のタンパク様物質であることが明らかとなった.

 第V章では,第IV章で明らかにしたタンパク様物質の土壌中での動態およびその起源を解明するために,土壌に種々の有機物および抗生物質を添加した培養実験が行われている.土壌に有機物を施用した場合,その種類に関わらず,施用された有機物は培養14〜21日までに分子量8000〜9000の土壌固有のタンパク様物質に収れんされることを認めた.この現象は,培養初期に,施用有機物の種類によって異なっていたリン酸緩衝液抽出物のアミノ酸組成が,培養の経過とともにほぼ同じ組成になることからも裏付けられた.さらに,有機物と同時にクロラムフェニコール(抗バクテリア剤)を添加して培養した場合にこの現象が抑制されることから,土壌に集積する有機態窒素はバクテリアにより誘導され,その菌遺体に由来することが明らかとなった.

 第VI章では,第III章で有機物施用効果の高い作物として見出されたチンゲンサイおよびニンジンが,第IV,V章で明らかにした土壌中のタンパク様物質を吸収・利用している可能性について考察している.なたね油かすを施用して栽培したチンゲンサイとニンジンの導管液中にはサイズ排除HPLC分析において土壌タンパク様物質と類似する分子量画分が検出された.この画分は水耕栽培されたチンゲンサイや有機物施用による効果が認められなかったピーマンの導管液中には検出されないことから,チンゲンサイおよびニンジンが土壌に集積するタンパク様物質を吸収している可能性を認めた.さらに,無菌条件において,無機態窒素を含まない培地に土壌タンパク様物質を添加して栽培した場合でもチンゲンサイとニンジンの窒素吸収量が増加したことから,チンゲンサイおよびニンジンが土壌タンパク様物質を直接吸収する能力を有していると考えられた.また,この能力の有無が,有機物を施用して栽培した場合に認められた窒素吸収反応の作物間差の主要な要因であることが示唆された.

 第VII章では,本研究の総括を行うとともに,有機物施用効果の高い作物を利用した輪作,作付け体系を確立することによる環境保全的な農業技術への応用の可能性について考察している.

 以上要するに,本論文は有機物を施用した作物栽培において,すべての作物が一様な窒素吸収反応を示すのではなく,そこには作物の種類による多様性が認められ,特に有機物の施用によって土壌中に蓄積する有機態窒素を特異的に吸収利用する作物が存在することを明らかにしたもので,学術上,応用上貢献するところが少なくない.よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42830