学位論文要旨



No 214842
著者(漢字) 榊原,陽一
著者(英字)
著者(カナ) サカキバラ,ヨウイチ
標題(和) 光機能を有する有機蒸着薄膜材料の研究
標題(洋)
報告番号 214842
報告番号 乙14842
学位授与日 2000.11.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14842号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀江,一之
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 助教授 瀬川,浩司
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 電界発光、光導電体、太陽電池、薄膜導波路など、近年の有機光機能材料の研究開発の進展は目覚ましい。これらの光機能はπ共役電子をもつ有機化合物の高い光応答性を利用するものがほとんどであるが、その機能は薄膜素子化されてはじめて発現する。したがって、材料としての基本形態は有機薄膜であり、光機能は化合物単体というよりは薄膜材料に対して評価される。ゆえに有機光機能材料の研究においては、新規化合物の開発の他にも、既存化合物を用いた新規有機薄膜の調製、膜構造や膜質の評価、膜の光学基礎物性の解明、素子構造の構築による光機能の評価などを統合的に進める必要がある。

 本研究では、光機能材料として注目されているフタロシアニン化合物やポルフィリン化合物などを対象に、それらを薄膜化した材料による新しい光機能の開拓を目的とした。薄膜化はこれらの化合物の昇華性を利用した蒸着法を採用した。近年上記化合物は発光材料として注目されているが、薄膜中では分子は凝集し、分子間相互作用により電子状態や励起状態の緩和過程が分子状態とは大きく異なるので、まずフタロシアニン蒸着薄膜の光吸収やフォトルミネッセンスなどの基礎光物性を論じた。その知見の下にポルフィリン系色素の蛍光性に注目し、単色性にすぐれた赤色有機電界発光(EL)素子を得た。また、フタロシアニン系色素を高分子薄膜中に蒸着プロセスを利用して分散する色素分散蒸着重合法をはじめて開発し、フタロシアニン色素分散ポリイミド系などの薄膜成長プロセスと色素の分散状態を論じた。さらにその成果の応用として光微小共振器素子の構築を試み、素子特性の評価から、良好な微小共振器構造の形成を示した。

2.フタロシアニン分子集合体の光吸収と発光

 近年フタロシアニン化合物は有機電界発光材料として注目されているが、薄膜中では分子は凝集し、分子間相互作用により電子状態や励起状態の緩和過程が分子状態とは大きく異なるので、その基礎特性を解明するためにフタロシアニン蒸着薄膜の光吸収やフォトルミネッセンスを調べた。まず、最も単純な分子集合体である二量体構造の吸収スペクトルを、一連の構造について拡張双極子モデルおよび拡張2重双極子モデルでシミュレートした。分子状態では縮退している吸収帯が分子間相互作用のために分裂し、その吸収波長が分子の重なり方の変化にともなって移動することを示した。次に軽い中心原子をもつ5種類のフタロシアニン化合物(H2Pc,MgPc,AlC1Pc,SiCl2Pc,PcSi[OSi(CH3)3]2)の固体薄膜を真空蒸着法により作製し、吸収スペクトル、蛍光スペクトル、発光量子収率を測定した。その結果、PcSi[OSi(CH3)3]2が他のものに比べて2桁以上大きい2.5xlO-2の発光量子収率を示すことがわかった。分子構造と結晶構造の比較から、PcSi[OSi(CH3)3]2がもつ大きな面外配位子が立体障害となって分子間距離を大きくしていることが,発光効率の増大に貢献していることを論じた。PcSi[OSi(CH3)3]2固体薄膜の発光を多波長時間分解測定したところ、715nmの発光は0.08nsの寿命で減衰し、840nmの発光は715nmの発光よりも遅れて立ち上がり0.26nsの寿命で減衰した。このことから、薄膜中には複数の発光種が存在し、遅れて立ち上がる発光成分はレーザーで直接励起されるのではなく、エネルギー移動を経て励起されることがわかった。またPcSi[OSi(CH3)3]2をPMMA中に3.3×10-4〜7.Ox10-2mo1/iの諸濃度で分散して発光寿命を測定したところ、濃度上昇にともなって寿命が短くなった(図1)。この現象を低効率発光サイトへのトラップで説明し濃度消光の主因と捉えた。さらにPcSi[OSi(CH3)3]2固体薄膜の蛍光が、50K以下の低温で著しく強度が増大するとともに先鋭化し、振電バンドを付随しないことを見出した(図2)。この発光は、低温での強度の増大にもかかわらず寿命が長くならないことも見出した。これらの実験結果からこの発光は超放射現象であると帰結した。

3. ポルフィリン系色素の有機電界発光素子への応用

 2.で得た知見の下、より短波長の赤色領域に発光帯を持つポルフィリン系色素の発光材料としての可能性に注目し、テトラフェニルポルフィリン(TPP)およびその一部が還元されたテトラフェニルクロリン(TPC)を利用した有機EL素子を作製した。Alq3からなる電子輸送層中にTPCをドープした素子は、TPC分子のもっ蛍光特性を反映して、660nm付近にピークをもっ単色性にすぐれた赤色EL発光を示した(図3)。ドープ濃度が低いとAlq3の緑色発光が共存し、ドープ濃度が高いと濃度消光により発光効率が低下するので、色純度と発光効率を両立するためには最適なドープ濃度が存在することが明らかになった。正孔輸送材料としてα-NPDを用いた素子は、TPDを用いた素子よりも駆動電圧が低下し、500cd/m2の最高輝度を得た。Alq3からなる電子輸送層とTPDからなる正孔輸送層の間にTPCあるいはTPPの単独薄膜層を挿入した素子は、緑色のAlq3の発光とTPCあるいはTPPの発光が共存するEL発光を示した。TPCの発光成分は赤色成分はほとんど含まれず、750nmをピークとする近赤外の成分が主体であった。TPPの発光成分は660nmの赤色発光成分と730nmの近赤外成分を含んだ。このことから、TPPは単独発光層材料としても有望であることがわかった。

4. 色素分散蒸着重合法の開発および高分子膜中のフタロシアニン色素の分散状態の評価

 フタロシアニンなどの色素分子単独の蒸着薄膜の他にも、それらの色素分子を高分子中に分散した薄膜も応用上重要である。作製方法としては、共通溶媒中で混合溶解してスピンコートするウェットプロセスが一般的である。申請者は、真空中で高分子薄膜を合成する方法である蒸着重合法と、色素の真空蒸着法を組み合わせれば、ドライプロセスで色素が分散した高分子薄膜を合成できると考えた。そこで、蒸着重合により芳香族ポリ尿素や芳香族ポリアミド酸を成長させているところにフタロシアニン色素を共蒸着したところ、良好な薄膜形成に成功した。フタロシアニンの共存下でも高分子は非共存下と同様に蒸着重合することがIRスペクトルから確認された。またTEM像(図4)やUVスペクトルからフタロシアニンは長径が数百ナノメートル以下のα型針状微結晶として分散することがわかった。微結晶は通常ランダムに配向するが、ポリ尿素を塩化カリウム劈開面上に蒸着した場合には2軸選択配向することが見出された。また、フタロシアニンの濃度あるいは蒸着源の形状などの作製条件によっては、微結晶の他に単分子状態や会合体状態のものも混在することが明らかとなった。微結晶の粒子径分布の解析などから微結晶は基板上で成長するのではなく、蒸着源を飛び出す段階で形成されていることがわかった。銅フタロシアニン微結晶を含むポリアミド酸薄膜を200℃まで加熱すると、高分子の主鎖構造が大きく変化するイミド化反応にともなって微結晶が破砕され分子分散することが、TEMから微結晶像が消失すること、銅イオンのESRスペクトルに超微細構造が出現すること、UVスペクトルの単分子ピークが増大することから明らかになった。ポリイミド中に単分子分散した銅フタロシアニンの共鳴ラマンを測定したところ、スペクトルが結晶に比べて単純化され、スペクトル線が不均一広がりを持つことを見出した。また、会合状態の銅フタロシアニンに特有の蛍光発光現象を見出した。

5. 色素分散蒸着重合ポリイミド薄膜の光微小共振器素子への応用

 色素分散蒸着重合法により作製した薄膜を利用して微小共振器構造を作製した。微小共振器は、2枚の反射ミラーが光の波長程度の距離で向かい合った構造である。無機誘電体多層ミラーの上に、色素分散蒸着重合法により発光性低分子材料であるアルミニウムキノリン錯体Alq3をドープしたフッ素化ポリイミド薄膜を1波長に相当する厚さで形成し、さらに無機誘電体多層ミラーをイオンビームアシスト蒸着法で蒸着して、微小共振器構造(図5)を作製した。ストップバンドと呼ばれる誘電体ミラーの高反射率波長領域(440-620nm)中に、先鋭化した透過帯が出現し、良好なファブリ=ペロー型微小共振器の形成が確認された(図6)。また、Alq3の発光スペクトルも透過帯に対応して先鋭化し、レーザー励起発光のなかに誘導放出と思われる高速緩和時間の成分を見出した。また、共振モードは、誘電体層への光のしみ込みを考慮したモデルで良好に解析できることを示した。

6.まとめ

 フタロシアニン分子集合体の光吸収と発光の現象解明を進め、高効率発光への指針を得た。また、色素分散蒸着重合法を開発し、フタロシアニン色素分散系の薄膜成長プロセスと分散状態を明らかにした。これらの成果を応用して、光微小共振器素子および有機EL素子を作製し、すぐれた機能発現を実証した。本研究で得られた新しい知見は有機光機能材料研究の発展に寄与するものと考える。

図1 PcSi[OSi(CH3)3]2の蛍光寿命の濃度依存性

図2 PcSi[OSi(CH3)3]2蒸着膜の蛍光スペクトルの温度依存性

図3 正孔輸送層にTPDを用いたTPCドープ素子のELスペクトル

図4 塩化カリウム劈開面上に蒸着した銅フタロシアニン/ポリアミド酸薄膜のTEM像

図5 微小共振器構造の模式図

黒塗りの層はTiO2またはTa2O5

図6 透過スペクトル

審査要旨 要旨を表示する

 フタロシアニン化合物は、青色の高い着色力をもち化学的安定性と耐光性にすぐれるために、古くから有機顔料の主役として揺るぎない地位を占めている。また近年は、光導電性・光電変換・非線形光学効果・光記録性などの光機能が活発に研究され、その一部はすでに実用化されている。さらに最近では有機エレクトロルミネッセンス(EL)素子用の発光材料としての可能性が期待されている。材料加工技術の立場から見ると、フタロシアニン化合物は難溶性のためウェットプロセスによる加工は多くの困難を伴うが、きわめて高い熱安定性を誇り真空中で昇華可能であるために、蒸着薄膜化技術が活発に研究されてきた。これまでは単層薄膜あるいは異種化合物との交互積層などの研究が中心であったが、応用上非常に重要な材料形態である高分子分散薄膜についても蒸着薄膜化技術の開発が期待されている。

 本論文は、上述のようにすでに有機材料の中では目立って多様な光機能性をもつフタロシアニン化合物に対して、その機能や加工技術に関する基礎研究を展開したものである。中心的な内容は、フタロシアニン固体薄膜の発光の研究、および新しい作製法によるフタロシアニン分散高分子薄膜材料の創製の研究である。また、これらの基礎研究の成果をもとにして、光微小共振器構造の構築および有機EL素子の作製という応用研究を展開している。

 第1章では、有機光機能材料、フタロシアニンの電子状態・光学遷移と光機能、有機蒸着薄膜について過去の研究例をまとめ、本研究の背景と各章の研究目的について述べている。

 第2章では、従来研究がほとんどなされていない固相のマグネシウム及びアルミニウムのフタロシアニン錯体化合物の発光現象に対して、発光量子収率や発光スペクトルを正確に測定した結果を述べている。また、励起子の準位構造が異なる複数の結晶型の薄膜の発光特性を比較することにより、最低励起子準位の光学選択律に基づいた解釈を確立している。さらにこれらの固相薄膜中での無輻射緩和過程の要因を推察し、この過程を抑制する分子構造をもつケイ素フタロシアニンで発光量子収率が2桁以上大きくなることを見出している。また、この化合物の発光挙動を時間分解測定、温度依存性などから詳しく検討し、50K以下の低温での励起子超放射現象を、フタロシアニンで初めて見出している。

 第3章では、色素分散蒸着重合法という新しく考案した作製法によるフタロシアニン分散高分子薄膜材料の創製と薄膜構造評価について述べている。この方法により芳香族ポリ尿素薄膜や芳香族ポリアミド酸薄膜の成長中にフタロシアニン化合物を共蒸着すると、フタロシアニンは微結晶として高分子中に分散するが、高分子の重合度は非共存下と同程度であることを透過型電子顕微鏡(TEM)や赤外吸収スペクトル(IR)や紫外可視吸収スペクトル(UV)から明らかにしている。さらにフタロシアニン微結晶を含むポリアミド酸薄膜を200℃まで加熱すると、高分子の主鎖構造が大きく変化するイミド化反応にともなって微結晶が壊れて分子分散することを、TEM、電子スピン共鳴スペクトル(ESR)、UVなどから明らかにしている。

 第4章では、色素分散蒸着重合薄膜を光微小共振器素子に応用し、その機能の発現を実証した結果を述べている。微小共振器構造は、光の波長程度の厚さを持つスペーサー層を両側からミラーで挟み込んだ構造であるが、色素分散蒸着重合ポリイミド薄膜のもつ耐熱性、透明性、膜厚制御可能なことなどの特長はスペーサー層として適している。そこで、無機誘電体多層ミラーの上に、発光性低分子アルミニウムキノリン錯体Alq3をドープしたフッ素化ポリイミド薄膜を1波長に相当する厚さで形成し、さらに無機誘電体多層ミラーを蒸着したところ、ストップバンドと呼ばれる誘電体ミラーの高反射率波長帯中に先鋭化した透過帯が出現し・良好な微小共振器の形成が確認された。以上から、色素分散蒸着重合薄膜材料が、光微小共振器を構成する材料として優れたポテンシャルを持つことを明らかにしている。

 第5章では、フタロシアニン化合物の類縁体であるポルフィリン系色素テトラフェニルクロリン(TPC)およびテトラフェニルポルフィリン(TPP)の、赤色有機EL発光材料としての可能性を検証している。ホスト材料層中にTPCをドープした素子は単色性にすぐれた赤色EL発光を示し、ポルフィリン系化合物としては最高クラスの最高輝度を得ている。TPPの非ドープ型単独発光層を挿入した素子でも、隣接層の緑色の発光が共存するもののTPP層の赤色の発光が得られている。以上から・TPCはドープ材料としてすぐれ、TPPは単独発光層材料としてすぐれることを明らかにしている。

 以上のように、本論文は、フタロシアニン系化合物の発光物性と新しい薄膜作製法を基礎研究の立場から論じ、それをベースにしたデバイスヘの応用として光微小共振器および有機EL素子が有望であることを示している。これらの研究により得られた基礎から応用に至る新しい知見は、今後の光機能性有機材料の開発に貢献するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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