学位論文要旨



No 214856
著者(漢字) 鳥井,寿夫
著者(英字)
著者(カナ) トリイ,ヨシオ
標題(和) ルビジウム原子気体のボース・アインシュタイン凝縮体の生成および原子波干渉計への応用
標題(洋)
報告番号 214856
報告番号 乙14856
学位授与日 2000.12.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第14856号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 勝本,信吾
 東京大学 助教授 香取,秀俊
 東京大学 助教授 酒井,広文
 東京大学 教授 和達,三樹
 東京大学 教授 兵頭,俊夫
内容要旨 要旨を表示する

 1995年,これまでのレーザー冷却技術の集大成として,原子気体のボース・アインシュタイン凝縮が実現された.原子気体のボース凝縮体は,単一の量子状態にマクロな数の原子が存在している.この状況は1つの共振器モードにマクロな光子が存在している光のレーザーと似ていることから,ボース凝縮体はしばしば“原子レーザー”と形容される.実際,これまでの実験でボース凝縮体が光レーザーと同じようなコヒーレンス特性を保有していることが確認されてきている.

 このように,我々は今や「原子レーザー」を手に入れることができたわけだが,原子レーザーの応用は,これまで光のレーザーを用いて行われていた実験を,単に原子レーザーに置き換えて実行することだけに留まらない.光子と違って質量と豊富な内部自由度を持つ原子レーザーは、光のレーザーでは原理的に実現不可能であるような現象やデバイスを生み出す可能性を秘めている.そのような原子レーザーの応用実験を今後大きく進展させていくためには,これまで光レーザーのために開発されてきた種々の光学素子の「原子レーザー版」を開発していく必要がある.本研究では,光定在波によるボース凝縮体のブラッグ回折を利用して,ボース凝縮体のミラー,ビームスプリッターを開発し(図1),さらにボース凝縮体によるマッハ・ツェンダー型干渉計を世界で初めて実現した(図2).

 本研究で実現されたボース凝縮体の干渉計は、凝縮体の極めて狭い運動量幅と長いコヒーレンス時間を反映して,ほぼ100%のフリンジコントラストを示した(図2(b)).これは原子波干渉計では、初めて得られた値である.しかし、今回の実験は,単なるコントラスの定量的な進歩ではない.原子ビームの干渉計が基本的に一原子干渉によるものであるのに対し、ボース凝縮体の干渉計ではマクロな数の原子が同時に干渉しているという点で,根本的に新しい実験である.

 今回実現されたボース凝縮体のミラー,ビームスブリッターおよびブラッグ干渉計の応用は多岐にわたる.反射率を任意に調節できるビームスプリッターは,原子レーザーを用いた原子光学実験における非常に便利な道具となる.また,ボース凝縮体のブラッグ干渉計は,これまで光のレーザーを用いて行われていた重力加速度などの物理最の精密測定や,墨子渦といったボース凝縮体の位相特性の観測などに応用できる.

図1 (a)ボース凝縮体のブラッグ回折.周波数が15kHz(2光子反跳周波数)だけ違う対向するレーザー光(ブラッグパルス)は、ボース凝縮体にとって進行する回折格子を生成する.(b)ブラッグパルス照射後から20ms後の吸収イメージング画像.中心と右側の斑点がそれぞれ|p==0>と|p=2hk>の凝縮体に対応している.τ=40μs(80μs)のとき、回折効率は50%(100%)であり、ボース凝縮体にとってπ/2(π)パルスとなっている.

図2 (a)ボース凝縮体のマッハ・ツェンダー干渉計の構成するためのブラッグパルスのタイミングチャート.出力である|0>と|2hk>の存在確率の比は、最後のπ/2パルスの位相で決まる.(b)ΔT=190μs(パスの分離が2.2μm)のときの干渉計のフリンジパターン.ほぼ100%のコントラストが得られた.

審査要旨 要旨を表示する

 この論文は,ルビジウム原子気体のボース・アインシュタイン(BE)凝縮体の生成とその原子波干渉計への応用の実験について報告・議論したものである.原子気体のボース・アインシュタイン凝縮,(BEC)は,1995年に米国の2つの研究グループがレーザー冷却技術を駆使して初めて実現した.その後,関連する実験的並びに理論的研究が世界的に展開されている.論文提出者は,原子気体のBECを日本で初めて実現し,研究の活性化に大きな貢献をした.更に,光定在波による原子波のブラッグ反射を用いてマッハ・ツェンダー干渉計を構成することに成功し,BE凝縮体の干渉効果について重要な知見を得た.この技術は,BECの研究に広く応用され,いくつかの重要な発見を生む礎となっている.

 本論文は,このBE凝縮体の生成と干渉計の実験について述べたもので,6章と付録からなる.第1章で,本論文に関係する研究の歴史的な背景を説き,第2章でBECの理論的基礎を準備する.第3章でBE凝縮体の生成実験について詳述し,第4章ではその物理諸量の測定結果が与えられる.第5章で原子波干渉計の実験について,第6章で今後の発展について述べている.以下各章の内容を紹介する.

 第1章は,BECの研究の歴史についてのレビューであり,簡潔で要点を衝いたものになっている.本研究の位置付けと論文全体の構造も明確に示されている.

 第2章は,BECの一般的な理論についてレビューし,実験についての議論に備えている.初歩的な理論・計算の多くは付録に回されている.BE凝縮体の巨視的波動関数がグロス・ピタエフスキー方程式で記述できること,それを用いてのアスペクト比の時間発展,等について議論している.

 第3章では,前半でレーザー冷却の手法を用いたBE凝縮体の生成法について一般的しビューを行った後,実際のルビジウム原子気体のBEC実験について,原子輸送に重力のみを使うという,本研究の独創的な点も含めて詳述している.BE凝縮体を干渉計に応用して実験を行うには,その物理的諸特性を抑えておく必要があるが,そのための測定法についてもここで記述される.

 測定結果は第4章に与えられ,第2章で議論した理論との比較を行っている.特に,トラップからの凝縮体の開放後,十分長時間経過後のアスペクト比の時間発展の実験結果が,運動エネルギーを無視したトーマス・フェルミ近似で良く記述されることを示している.比較の結果,干渉計の実験に進むために,BE凝縮体の物理的な性質が十分に把握されていることを明確にしている.特に,拡散開始から5ms後,拡散前の凝縮体の相互作用平均場エネルギーの96%が運動エネルギーに変換されると見積っている.

 第5章は,本論文の中心部分で,原子波干渉計についての小レビューの後,この論文が解答を与えようとする2つの問題:(1)粒子間相互作用が弱いながら無視できないBE凝縮体での干渉の有無,(2)干渉があったとすると,干渉計のフリンジパターンに100%のコントラストが得られるか,が提示される.続いて,本研究の最もオリジナルな部分である,干渉計を構成するための実験的なアイデアについて説明される.具体的には,光定在波を用いて原子波に対する回折格子を構成し,ブラッグ回折を起こす.これは運動量空間におけるラビ振動であり,回折格子を形成する時間,すなわち光パルスの照射時間を制御することで,凝縮体の一部を別の運動量状態へ移送して一旦空間的に分離し,再度運動量を移送して合体させる.実験結果として,凝縮体の空間的分離の距離が2.2μmと小さい場合は,100%のコントラストを持つ干渉計が構成可能であること,しかし,分離を35μmと大きくすると干渉出力が得られないことを報告している.分離開始時の相互作用エネルギーは,第4章で見積ったようにトラップされていた時の相互作用エネルギーの4%である.分離が大きい場合に干渉が消えたように見える原因について,光学系の不安定性にあるということを議論している.最後に,2つの問題について(1)については,相互作用が弱い(相互作用の96%が運動エネルギーに変換された)場合という限定付きの解答(有),(2)については空間分離が上記のように小さい場合について,yesという解答を与える.

 第6章で,この実験を基礎としてどのような発展が可能かについて述べられる.

 本論文の重要性は,冒頭に述べた通りであり,この仕事を基礎に,BE凝縮体の位相構造の研究,物質波増幅の検証など,多くの重要な研究が現れたことからも明らかである.より相互作用の強い場合の実験など,今後に委ねられる部分も多いものの、以上より、実験手法・結果とともに、学位論文として充分な水準にあることが審査員全員によって認められ,博士論文として合格であると判定された.

 論文提出者は,本研究に必要なノウハウを自分の実験と米国のグループとの連絡とから蓄積し,使用した装置のデザイン,立ち上げについての中心となって行った.実験のアイデアも論文提出者と共同研究者との議論から得られたものであり、実験そのものはほとんど論文提出者一人で行っている.本論文の内容は,すでに学術雑誌(Physical Review A)に発表済みであり,これを本学位論文に使用することについては共同研究者から同意が得られている.論文の内容は上記の通り,提出者が主体となっての研究で,その寄与が十分であると判断された.

 以上より,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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