学位論文要旨



No 214859
著者(漢字) 高久,和明
著者(英字)
著者(カナ) タカク,カズアキ
標題(和) Smad4ノックアウトマウスにおける消化器癌の解析
標題(洋) Gastrointestinal Tumorigenesis in Smad4 Mutant Mice
報告番号 214859
報告番号 乙14859
学位授与日 2000.12.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14859号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武藤,誠
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 新井,洋由
内容要旨 要旨を表示する

[序論]

 ヒト第18番染色体長腕の欠損は膵臓癌の約90%で、また大腸癌の約30%で認められる現象であり、DCC遺伝子の欠損がその原因とされてきた。しかし近年、膵臓癌においてSMAD4(DPC4)遺伝子が原因遺伝子として単離され、DCC遺伝子座の近傍に存在することが明らかにされた。Smad4遺伝子はショウジョウバエのMad遺伝子と相同性を示し、TGF-βスーパーファミリーの情報伝達経路に関与していることが知られている。

 TGF-βスーパーファミリーは、様々な機能を有するポリペプタイドとして知られているが、特にTGF-βの主な作用として、正常上皮細胞の増殖抑制効果が知られている。しかしTGF-βの増殖抑制作用に対する抵抗性は、浸潤、転移といった悪性化進行癌で多く見られる現象である。さらに、この情報伝達経路に関わる遺伝子の変異および不活性化が多数報告され、またトランスジェニックマウスの解析からも、TGF-β情報伝達経路の遮断と悪性化進展の関連を示す状況証拠が蓄積している。癌の悪性化進行の機序を探索する上で、TGF-β情報伝達経路において中心的な役割をしているSMAD4遺伝子を解析することは極めて重要なものと考えられた。そこで我々は、癌形成におけるSMAD4遺伝子の役割を解析するために、Smad4遺伝子ノックアウトマウスの作出を試みた。

[本論]

1. Smad4遺伝子ターゲティングベクターの構築とノックアウトマウスの作出

 Smad4遺伝子のエキソン1から4までを含む10.8kb鎖長のゲノムDNAを単離し、このゲノムDNAを用いて、ターゲティングベクターを構築した(図1)。このベクターをES細胞D3a2に導入した後、192個のG418耐性コロニーのうち7個の相同性組み換えクローンを同定した。3個の相同組替えクローンをC57BL/6由来の3.5日胚へ移植した後、キメラマウスを作出し、Smad4遺伝子ノックアウトマウスを獲得した。

1-1. Smad4-/-マウスの解析

 ホモ接合体マウスは胎生7.0日で致死であり、原条形成と中胚葉が形成不全で、BMP受容体(Bmpr)のノックアウトマウスで観察された表現型と類似していた(表1、図2)。

1-2. Smad4+/-マウスの解析

 Smad4+/-マウスは、少なくとも1年齢まで生育および繁殖能力は正常で、外見および行動にも異常は認めらず、各種臓器、特に膵臓や消化器においても、異常は認められなかった。しかし、1年齢を過ぎたSmad4+/-マウスでは、胃の幽門部および十二指腸にポリープが観察された(表2、図3、図4)。

 幽門部のポリープの腺腔の形状は、間質細胞の増殖に伴い様々な分様をみせている。腺腔を構成している細胞は過形成を示しており、均一な細胞であった(図3C,D)。中には異形成を示す腺腔細胞が認められた(図3E)。間質には形質細胞や好酸球などが多数浸潤しており、炎症性ポリープ様を呈しており、ヒト家族性若年ポリープの特徴と近似していることが判明した。

 このポリープ細胞でSmad4遺伝子のヘテロ接合性の消失(LOH)が誘発されているかを解析した結果、野生型染色体を示すバンドが検出できなかった(図5A)。さらに、ポリープ細胞ではSmad4タンパク質が発現していないことも確認できた(図5B,C)。また、十二指腸の初期ポリープにおいても同様な結果が得られた。以上の結果から、Smad4遺伝子のLOHが、ポリープ発生初期段階でおこる現象の一つであることが示唆された。

 次にSmad4遺伝子以外の遺伝子に変異を解析した。まず、Wnt情報伝達経路の異常によりβ-カテニンは、核へ移行することが知られている。本マウスのポリープにおいては、β-カテニンは細胞膜に局在し、核移行は認められなかったことから(図5D,E)、少なくともWnt情報伝達経路に関与する遺伝子群には変異が導入されていないことが示唆された。現在、一部の家族性若年ポリープ症やCowden病の責任遺伝子として知られているPTEN遺伝子にも変異は認められなかった。さらに、消化器癌の悪性化進展に関与すると報告されているK-ras2遺伝子およびp53(Trp53)遺伝子にも変異導入は確認できなかった。

1-3. Smad4+/-の総括

 Smad4+/-マウスの加齢に伴い発生する幽門部や十二指腸のポリープ形成において、少なくともSmad4遺伝子のLOHがひとつの原因であることが示唆された。このポリープは、ヒトの過誤腫である家族性若年ポリープの特徴を備えていた。今後、さらにポリープの発生機序を解明していく予定である。

2. ApcΔ716+/-Smad4+/-シス複合変異マウスの解析

 背景: 家族性大腸ポリープ症や散発性の大腸癌では、Vogelsteinらにより多段階発癌モデルが提唱され、早期の腺腫から癌化への進行過程でAPC遺伝子、K-ras遺伝子、第18番染色体長腕領域の欠損、p53遺伝子といった癌抑制遺伝子や癌遺伝子が多段階に変異を受けていることが示されている。ヒト第18番染色体欠損領域のDCC遺伝子が、悪性化進行の鍵となる癌抑制遺伝子であると考えられていたが、DCC遺伝子とApc遺伝子との欠損マウスの解析結果より、DCC遺伝子の欠損が癌の悪性化進展に直接関与していないことが報告された。

2-1. シス複合変異ヘテロマウスの作出とLOHの解析

 ヒトApc遺伝子は第5番染色体、ヒトSMAD4遺伝子は第18番染色体に位置しているのに対し、マウスではApc、Smad4両遺伝子とも第18番染色体上に存在しており、両遺伝子座の距離は30cMであることが判明した(図6)。またApcΔ716マウスにおけるポリープ形成には、Apc遺伝子のLOHによるtwo hitsが必要であり、野生型Apc遺伝子を持つ染色体全体の欠失によって起こると考えられていた。そこで我々は、Apc変異遺伝子とSmad4変異遺伝子を同一の染色体にもつマウス(シス複合変異ヘテロマウス)の作出を試みた。Smad4+/-マウスとApcΔ716+/-マウスを交配し、トランス複合変異ヘテロマウスを作出した(図7)。次に、トランス複合変異ヘテロマウスをC57BL/6に戻し交配することにより、シス複合変異ヘテロマウスを獲得した。実際、138匹の子供のうち、野生型マウスが23匹、シス複合変異ヘテロマウスが19匹得られ、減数分裂時の組換え効率が30.4%[(19+23)/138x100]であり、両遺伝子座の距離30cMに一致した。

 本マウスのポリープ上皮細胞において、野生型Apc遺伝子だけでなく、野生型Smad4遺伝子の欠損を確認した(図8A)。さらに継代培養可能な細胞を用いてFISH法を行った結果、2つのスポットが検出できた(図8B)。以上の結果から、シス複合変異ヘテロマウスのポリープ細胞において、第18番染色体のLOHは、変異型染色体の再倍体化が起り、Aρc遺伝子に加えてSmad4遺伝子もホモ接合体となることが明らかとなった。

2-2. シス複合変異マウスのポリープの組織病理学的解析と皮下移植実験

 本マウスの腸管において、同じ遺伝的背景を持つApcΔ716マウスと比較すると、ポリープの増殖亢進が認められ、加齢に伴いより大きなポリープ数の割合が亢進していた(図9)。組織学的解析結果より、悪性化進展の一つの指標である腸管の粘膜下層への浸潤像(表3)や著しい間質増生が観察された(図10,11)。ApcΔ716マウスにおいて腺腔を構成している細胞は、未分化で均一な細胞であるが、本マウスでは、特に浸潤している領域の腺腔構造は、かなり不規則で、微小腺腔構造などの形態を示し、均一でないヘテロな集団により構成されていた。浸潤領域の細胞は、酸性粘液を産生しており、予後不良な患者で散見する印環細胞も認められた。

 また、ポリープ細胞の造腫瘍能を調べる為に、ヌードマウスヘの皮下移植実験を行い、2ヶ月間の経過観察をした結果、ApcΔ716マウスの12塊のうち1つが、シス複合変異ヘテロマウスの12塊のうち9個が、皮下へ定着していた。従って、ヌードマウスヘの移植といったin vivoにおける造腫瘍性の評価系においても、シス複合変異ヘテロマウスのポリープ細胞は、ApcΔ716マウスの細胞と異なることが明かとなった。

 以上の結果から、Smad4遺伝子の欠損は、細胞の悪性化進展の獲得に関与していることが示唆された。

2-3. シス複合変異ヘテロマウスの腸管以外の表現型の解析

 腸管以外の表現型としては、複数のマウスの十二指腸乳頭部の膵管開ロ部で癌が形成されており、これもまた悪性化進展したFAP患者で散見する像である(図12)。この癌細胞にもSmad4蛋白質が発現していないことを免疫組織学的解析により確認している。

 また、皮下組織において、多数のマウスにシスト(嚢)形成が認められた(図12E,F)。これは、Apc変異マウスにガン誘発剤を投与したときに観察されたものと同様であり、このシスト形成にもSmad4遺伝子の欠損が関与していることが示唆された。

2-4. シス複合変異マウスの総括

 シス複合変異ヘテロマウスにおけるポリープでは、筋層への浸潤亢進、著しい間質増生、腺腔形成細胞のヘテロ化といった組織病理学的な悪性度だけでなく、ヌードマウスヘの皮下移植能の獲得といった細胞の造腫瘍性を示すことができた。従って、腸癌においてSmad4遺伝子の欠損が悪性化進展に深く関与していることが示されたのである。

 今後本マウスを用いて浸潤や転移に関わる蛋白質などを詳細に解析するとともに、化学療法の高次評価系マウスとしての利用を考えている。

審査要旨 要旨を表示する

 Smad4遺伝子は、膵臓癌のヒト第18番染色体長腕欠損領域の原因変異の候補として、単離・同定された癌抑制遺伝子であり、大腸癌や他の癌においてもこの領域に欠損や変異があることが知られている。遺伝子産物であるSmad4蛋白はTGF-β情報伝達経路の中で受容体により燐酸化されたSmad2やSmad3蛋白と三量体を形成し、核へ移行して転写因子として作用する。

 家族性胃若年ポリープ症(FJP)は常染色体優性遺伝性の疾患であり、一部のFJP家系においてSmad4遺伝子に変異があることが知られている。申請者はSmad4遺伝子欠損マウスを作出する事に成功し、Smad4遺伝子欠損ヘテロ接合体マウスの表現型を解析したところ、1年以上経過した個体では、胃幽門部と十二指腸に過形成性のポリープを見い出した。このポリープには、好酸球や形質細胞が多数浸潤しており、FJPの組織病理像と近似してた。さらにポリープの上皮細胞ではSmad4遺伝子にヘテロ:接合性の消失(LOH)が生じていた。以上の結果から申請者は、Smad4遺伝子欠損ヘテロ接合体マウスがFJPのモデルマウスとして有効であることを示した。

 家族性大腸ポリープ症(FAP)や散発性の大腸癌では、Vogelsteinらにより多段階発癌モデルが提唱され、早期の腺腫から癌化への進行過程でAPC遺伝子やK-ras遺伝子の変異、第18番染色体長腕領域の欠損、p53遺伝子変異などの多段階な変異が見い出されている。FAPモデルマウスであるApcΔ716マウスのポリープ発生においては、Apc遺伝子座のLOHが最初の引き金である。ヒトでは,4PC遺伝子は第5番、Smad4遺伝子は第18番染色体に存在するが、申講者はマウスでは両遺伝子とも第18番染色体に存在することを見い出し、減数分裂期の組換えを利用してApc,Smad4両欠損遺伝子とも一つの染色体に存在するシス複合変異ヘテロマウスを作出することに成功したシス複合変異ヘテロマウスで発生したポリープでは、Apc遺伝子座とSmad4遺伝子座の両方でLOHが生じ、両遺伝子ともホモ変異体となる。このシス複合変異ヘテロマウスの腸ポリープでは、大きさの急激な増大、筋層への著しい浸潤、間質細胞の増殖によるデスモイド様変化など典型的な腺癌の組織像を呈し、予後不良患者で散見する印環細胞癌も観察されている。

 以上本研究によって、ヒト第18番染色体長腕欠損領域の腫瘍悪性化遺伝子は、従来提唱されていたDCC遺伝子ではなく、Smad4遺伝子であることを遺伝学的に証明し、Smad4遺伝子変異が大腸癌の悪性化進行に深く関与している事が明らかにされた。これらの結果は、癌の悪性化進行を初めて実験的に直接立証したばかりでなく、創薬における薬効評価のためのモデルマウスとしても有効であり、博士(薬学)に値すると判断した。

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