学位論文要旨



No 214875
著者(漢字) 深川,剛生
著者(英字)
著者(カナ) フカガワ,タケオ
標題(和) 胃癌腹膜播種の成立機構についての基礎的検討
標題(洋)
報告番号 214875
報告番号 乙14875
学位授与日 2000.12.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14875号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 教授 清木,元治
 東京大学 助教授 北村,聖
 東京大学 助教授 高山,忠利
 東京大学 助教授 真船,健一
内容要旨 要旨を表示する

 近年、分子生物学の著明な発達により癌について多くの知見が得られるようになった。しかし、臨床の場においては、癌の再発に対する予防と治療には多くの問題点が残されているのが現状である。特に腹膜播種は、胃癌の再発形式のなかでも非常に大きな問題であるが、そのメカニズムについては依然不明な点が多い。今回の研究は胃癌腹膜播種のメカニズムの解明を目指し、予防あるいは治療として、将来の臨床応用への足掛りをつけることを目的とする。また、基礎的な検討を論じる前に、第1章で、当科における症例から、腹膜播種の実態について統計的検討を加えた。

 第1章 腹膜播種についての臨床的検討

 腹膜播種と他の因子の関係、および生存率におよぼす影響

 東京大学第一外科において1964年から1996年の間に入院した胃癌患者のうちデータに不備のない1696例の手術時の所見から検討すると、肉眼的腹膜播種(P)の有無は、年齢、性別とは特に相関は認められないが、肉眼的リンパ節転移(N)、肝転移(H)、漿膜露出度(S)、組織型(高,中分化型、低分化型)、組織学的リンパ管侵襲(1y)の各因子とはいずれも相関が認められた(t検定、X2乗検定)。次に、患者の生存日数を基にP,N,H,S,分化度,lyの各因子が、生存率に与える影響をKaplan-Meier法にて解析すると、いずれの因子も生存率に及ぼす影響は明らかだが、腹膜播種を伴う患者の生存率が極めて低いことが示された。また、これらの因子が生存率に与える影響を多変量解析してみると、いずれの因子も各々p値が小さく、生存率に対して独立した影響を持つため、腹膜播種をともなう患者の生存率が低いのは“腹膜播種を生じる患者はリンパ節転移も多いので、結果として予後が悪くなっている”ということではなく、それ自体の危険度が高いためである、と考えられた。

 第2章 腹膜播種についての基礎的検討

 胃癌腹膜播種成立のメカニズムは、リンパ行性経路の関与が考えられるものもあるが、主として次のように考えられる。つまり、胃の漿膜表面に浸潤した癌原発巣から癌細胞が腹腔内に遊離し、やがて腹膜に接着着床し、その後浸潤増殖を繰り返して播種結節を形成する、というプロセスである。そこで、腹腔内遊離癌細胞が腹膜上に播種結節を作る第一段階としての、癌細胞と腹膜表面の中皮細胞との接着について、如何なる因子が媒介しているのか、接着という微小環境における修飾因子は何か、また癌細胞の接着後の動態はどうなっているのか、などの点を中心に検討した。

(実験1)腹膜中皮細胞の培養。

 腹腔内での癌細胞の着床部位となる腹膜を構成する中皮細胞を、外科開腹手術時に採取した胃大網組織より分離培養した。

(実験2)中皮細胞の接着分子の発現。

 腹膜播種の母地となる腹膜中皮細胞の生物学的特性を接着分子の面からflowcytom etryにて検討した。中皮細胞はICAM-1,VCAM-1を発現しており、炎症性サイトカインの刺激によりその発現は変化するので、血管内皮細胞と同様に微小環境の調節を行っているものと推測された。ELAM-1,P-Selectinはrestingの状態、及び炎症性サイトカイン刺激時いずれも発現がみられなかった。

(実験3)中皮細胞の産生する細胞外基質。

 腹膜播種の母地となる腹膜中皮細胞の生物学的特性を細胞外基質の面から検討した。培養中皮細胞を免疫組織染色した結果、細胞外基質(フィブロネクチン,typeIVコラーゲン,ラミニン)の産生が示された。

(実験4)患者由来胃癌細胞株の樹立。

 腹膜播種を生じている患者腹水より癌細胞株MASUDAを樹立し、その生物学的特性を検討した。この癌細胞は幾つかの細胞が集塊を成し浮遊性に増殖するが、フィブロネクチンには接着性を持ち、形態を変えて進展増殖する。この浮遊性細胞と付着性細胞の間には接着分子や増殖因子レセプターの発現に差がみられた。この結果からは、癌細胞が、原発巣から離脱して腹腔内で浮遊し、やがて腹膜に接着する、というプロセスが癌細胞の接着分子発現のon/offによって調節されている可能性がある、と考えられた。

(実験5)患者由来胃癌細胞株と中皮細胞との関係。

 前項で樹立した患者由来胃癌細胞株を用いて、腹膜中皮細胞との関係を検討した。単独で培養すると集塊を成して浮遊するMASUDAを、confluentに培養した中皮細胞のフラスコ内に加えて静置しておくと、当初は、底に沈んだ集塊は振動によって容易に動くが、約4時間後には、振動させても動かない集塊が生じてくる。さらに、24時間後にはほとんどすべての集塊は完全に中皮細胞上に接着し、集塊の周囲では癌細胞が伸展増殖している様子がみられた(図.1)。このような状態で48〜96時間のco-cultureが可能であり、MASUDAが中皮細胞に強固に接着して、臨床的な播種結節のような様子を示すものも認められた。その後、集塊はフラスコ底から徐々に離脱してくるが、離脱した集塊はそのまま培養を続けると、再び浮遊性に増殖する。一方、集塊が離脱した後には中皮細胞の欠損がみられた。つまりMASUDAの集塊は、中皮細胞に接着した後、中皮細胞上で増殖していただけではなく、中皮細胞間に侵入し増殖していたものと考えられた。また、MASUDAをあらかじめ抗β1インテグリン抗体で中和処理をして中皮細胞の上に静置させると、接着は阻害され、その後の浸潤も全く起こらなかった。ここでは、癌細胞の中皮細胞への接着浸潤、及び中皮細胞の解離という現象がin vitroで形態学的に明瞭に観察され、また、その接着浸潤におけるβ1インテグリンの関与が明確に示された。

1 まとめ

 本研究は、腹膜を構成する中皮細胞の培養からモデル作りを始め、主として癌細胞と中皮細胞の接着浸潤に関与する因子の検討を行った。臨床的に播種の予防や治療につなげる、という当初の目的からすると、ごくpreliminaryではあるが、予測も含めて、今後につながる知見もいくつか得られたものと考えられる。

1).癌細胞と中皮細胞の接着、及びその後の癌細胞の増殖進展には、中皮細胞の産生する細胞外基質と癌細胞の発現するβ1インテグリンが重要な役割を持っている。

2).癌細胞と中皮細胞の接着後、増殖進展する際には、中皮細胞の解離が生じる。

3).癌細胞は、腹膜播種の各段階(腹腔内浮遊状態から腹膜上接着状態)において接着分子や増殖因子レセプターの発現を調節している可能性がある。

MASUDA細胞と腹膜中皮細胞の共培養(x100):中皮細胞上に静置したMASUDA細胞のクラスターは、24時間後には完全に接着し、周囲に伸展増殖している様子がみられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は胃癌の再発形式のなかでも非常に大きな問題である腹膜播種について、外科手術症例から臨床的検討を行い、またその発生機構に関する基礎的検討を行ったものである。

1)東京大学第一外科において1964-96年の間に入院した胃癌患者のうちデータに不備のない1696手術例についての検討から、肉眼的腹膜播種(P)の有無は、患者の年齢、性別とは相関が認められないが、肉眼的リンパ節転移(N)、肝転移(H)、深達度(S)、組織型(分化度)、組織学的リンパ管侵襲(1y)の各因子とはいずれも相関が認められた。次にこれらの因子(P、N、H、S、分化度、1y)が患者の生存率に与える影響を解析すると、いずれの因子も生存率に対して明らかな影響を持っているが、腹膜播種を有する患者の生存率が極めて低いことが示された。またこれらの因子について多変量解析を行った結果、腹膜播種の存在は独立した危険因子であることが示された。再発例に対する検討も行ったが、有意な結果が得られず割愛した。

2)腹膜播種発生の機構に関する基礎的研究は数多くみられるものではなかったため、まずヒト大網由来の腹膜中皮細胞を培養してin vitroでの腹膜播種モデルの確立と、中皮細胞の生物学的特性の検討から開始した。中皮細胞の分離培養については安定した方法を確立することが可能となった。また、接着分子や細胞外基質の発現およびサイトカインや増殖因子による発現調節をflowcytometry、免疫染色法にて検討した。

3)次に、腹膜播種を実際に生じている患者腹水より癌細胞株を培養樹立し、その生物学的特性を検討した。この癌細胞(MASUDA)は通常浮遊細胞として増殖するが、フィブロネクチンには接着性を有しフィブロネクチンでコートしたフラスコでは底面に接着し形態を変えて増殖する。その両者の間には接着分子(主としてインテグリン)及び増殖因子受容体の発現に差が認められたため、腹膜播種発生時における原発巣からの癌細胞の離脱と腹膜への接着という現象が、このような生物学的変化によって調節されている可能性を示唆すると考えられる。

4)この癌細胞を用いて、中皮細胞との関係を検討した。通常、培養系において癌細胞を中皮細胞上に静置してもそのまま共生することはあまりみられないが、MASUDAを中皮細胞と共培養すると、数日間にわたって中皮細胞上にがっちりと接着し増殖をはじめ結節を形成した。これはin vitroにおける腹膜播種発生のモデルと考えられる。この現象はMASUDAを抗β1インテグリン抗体によってあらかじめ処理を加えることで完全に阻害された。

 つまり、MASUDAが中皮細胞に接着し浸潤していくためのリガンドはβ1インテグリンであることが示された。また数日間の共培養の後MASUDAは底面から離脱するが、接着面には中皮細胞の大きな間隙が見られたので、MASUDAが中皮細胞に接着し浸潤していく過程で中皮細胞をおしひろげていたものと考えられた。

以上本論文は、腹膜播種発生機構についての基礎的研究を主として行ったものであるが、腹膜中皮細胞の基本的な生物学的特性を明らかにし、自家培養癌細胞株を用いた検討では、腹膜播種発生におけるβ1インテグリンの重要性を明らかにした。この結果、今後の腹膜播種研究に重要な貢献をもたらしたと考えられ、学位の授与に値するものと思われる。

図1

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