学位論文要旨



No 214877
著者(漢字) 岡崎,睦
著者(英字)
著者(カナ) オカザキ,ムツミ
標題(和) 扁平母斑における、表皮角化細胞および真皮線維芽細胞のメラノサイトに対するパラクリン作用の解析
標題(洋)
報告番号 214877
報告番号 乙14877
学位授与日 2000.12.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14877号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 玉置,邦彦
 東京大学 教授 高戸,毅
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 助教授 菊地,かな子
内容要旨 要旨を表示する

 扁平母斑(Nevus spilus)は、母斑細胞の増殖のない、褐色調の皮膚面より隆起しない色素斑とされ、その治療法としては、皮膚剥削術、ドライアイスの圧抵法、化学的表皮剥離法(chemical peeling)、レーザー治療などが行われている。しかし、経過観察中に色素斑の再発を認める症例が多く、形成外科的な切除術も行われているが、線状痕が残るなどの欠点もあり、有効な治療法がないのが現状である。有効な治療法の開発には、扁平母斑における色素沈着のメカニズムの解明が必要である考えられるが、扁平母斑の病理学的・組織学的研究報告は意外に少なく、その病因に関しても仮説の域を出ていない。

 一方で、皮膚の色素沈着に影響を与えるホルモン以外の因子について、表皮角化細胞由来のET-1、GM-CSF、IL1-α、真皮線維芽細胞由来のHGF、SCF、bFGFがメラノサイトの増殖・分化に大きな影響を与えていることが近年わかってきた。本研究では、整容的な面から形成外科を受診する機会が比較的多い、単発性扁平母斑とRecklinghausen病に伴う多発性扁平母斑を研究対象とし、色素沈着の原因を、表皮角化細胞や真皮線維芽細胞からのパラクリン作用によるメラノサイトへの持続的な刺激に帰する仮説を立て、扁平母斑における過剰色素沈着のメカニズムの解明を試みた。

 単発性扁平毎斑、Recklinghausen病に伴う多発性扁平母斑はいずれも先天性で、単なる削皮術治療が母効あることから、その異常は局所の細胞が生来から固有に持っており、細胞分裂や老化に関係なく持続する性質ものである可能性が高いと考えた。そのため、生体内の諸細胞間相互作用を排した培養細胞を用いる系を実験に用いた。培養表皮角化細胞と真皮線維芽細胞を用いて、まずELISA法によってタンパクレベルでのサイトカイン分泌の解析を行った。ELISA法によって得られた結果に対して、さらに半定量的Reverse transcription-polymerase chain reaction法(RT-PCR法)を用いて、mRNA発現レベルでのサイトカイン分泌の解析を行った。後半では、メラノサイト、表皮角化細胞、真皮線維芽細胞を用いた皮膚三次元培養法を樹立して、表皮角化細胞,真皮線維芽細胞の由来を変えた扁平母斑皮膚モデルを作成して色素沈着量を調べた。

 実験の対象は、単発性扁平母斑(以下単発群)9例とRecklinghausen病に伴う多発性扁平母斑例(以下レック群)5例で、東大病院形成外科において、患者の希望により切除術を行った皮膚を検体とした。単発性扁平母斑皮膚9検体より、表皮角化細胞8例、真皮線維芽細胞8例を、Recklinghausen病に伴う扁平母斑皮膚5検体より、表皮角化細胞、真皮線維芽細胞ともに5例を初代培養することができた。コントロール(以下正常群)としては、形成外科の手術中に余剰となった正常皮膚のうち、頭部皮膚、陰部皮膚、手掌・足底部皮膚などの特殊な部位の皮膚を除いた任意の検体より、表皮角化細胞16例、真皮線維芽細胞19例を採取した。それとは別に、Recklinghausen病患者の非扁平母斑部の正常と考えられる皮膚より、真皮線維芽細胞5例を採取した。

 Recklinghausen病に伴う多発性扁平母斑では、病変局所由来の真皮線維芽細胞が、正常皮膚由来の真皮線維芽細胞に比べて、高いレベルのHGF、SCFを分泌する性質を持ち、このHGF、SCFによるメラノサイトヘの持続的刺激が過剰色素沈着の原因である可能性が示唆された。Recklinghausen病に伴う多発性扁平母斑では、病変部皮膚でのメラノサイトの数が増加しているがチロシナーゼ活性は正常であるとされてきたが、HGF、SCFはメラノサイトに対して主に細胞増殖を刺激することがわかっており、本実験の結果と一致するものと考えられた。Recklinghausen病患者の非扁平母斑部皮膚由来の線維芽細胞による、サイトカイン分泌量を調べた結果、扁平母斑部と同様に高いレベルのHGF、SCFを分泌する1症例と、正常人と同レベルのHGFと正常人よりやや高いレベルのSCFの分泌パターンを示す4症例に分かれた。これはRecklinghausen病の表現型の違いによるものと考えられた。また、Recklinghausen病の皮膚神経線維腫では、正常人皮膚に比べて肥満細胞が増加しているとの報告があり、高いレベルのSCF分泌と関連している可能性があると考えられた。また、HGFは組織・臓器の線維化を抑制する作用があるが、Recklinghausen病の患者の手術瘢痕は肥厚性にはなりにくいことが臨床的に知られており、真皮が高いレベルのHGFを分泌していることと関連がある可能性が考えられた。

 近年、Recklinghausen病の原因となる遺伝子(Nf1遺伝子)が第17染色体の長腕17q11.2に座位し、腫瘍抑制遺伝子の一つとして作用していることが解明された。この遺伝子がcodeするneurofibrominは、癌遺伝子のRasを、活性型のRas-GTPから不活性型のRas-GDPに変換することによって、Ras活性を負に制御する作用を有している。Recklinghausen病では、Nf1遺伝子の変異によりRasの不活性化が行われにくいために・神経線維腫やメラノサイトの増殖(扁平母斑)その他の増殖性疾患が引き起こされるとされている。サイトカインとneurofibrominとの相互作用に関しては、培養メラノサイトを用いた実験で、培地にSCFを加えることによりメラノサイトにおけるneurofibrominの産生量が増加したとされる報告がある。また培養線維芽細胞を用いた実験では、PDGF(Platelet-derived Growth Factor)、TGF-β(Transforming Growtn Factor-β)の添加によって、線維芽細胞におけるneurofibrominの発現が増加したとする報告がある。この報告の中ではさらに、正常真皮と瘢痕部におけるneurofibrominの産生を比較し、瘢痕部で増大していることを示し、neurofibrominが創傷治癒に関連している可能性を述べている。しかし、neurofibrominが線維芽細胞のサイトカイン分泌に対して、どのような作用を有しているかに関する報告は現在のところなく、本研究により示された、扁平母斑部由来の真皮線維芽細胞によるHGF、SCFの分泌増加が、Recklinghausen病の病態の中でneurofibrominとどのような関連性をもっているかは今後の研究課題である。

 正常な個体に発生する単発性扁平母斑では、病変局所由来の表皮角化細胞が正常皮膚由来の表皮角化細胞に比べて高いレベルのET-1を分泌する性格を持ち、このET-1によるメラノサイトヘの持続的刺激が過剰色素沈着の原因である可能性が示唆された。また、このET-1の高い分泌量は、継代を重ねた細胞においても、ある程度維持されることが分かった。このことは、削皮術などにより扁平母斑部の表皮を除去しても、扁平母斑局所に存在する表皮角化細胞が分裂増殖し上皮化する限り、色素沈着は再発してくることを意味すると考えられ、われわれが臨床で経験する所見に一致していると考えられた。単発性扁平母斑は、病変部においてメラノサイトの数は正常で、チロシナーゼ活性が上昇しているとされているが、ET-1は、HGF、SCFに比較して、強いメラニン産生刺激作用を持つことがわかっており、本実験の結果と一致するものと考えられた。単発性扁平母斑では、表皮角化細胞からのIL1-αの分泌も亢進していることが分かった。IL1-αは色素沈着における作用以外にも、主にfirst mediatorとして多様な生物学的活性を示し、急性期炎症反応、免疫反応・造血反応の調節などに関与しているため、病変局所で何らかの病的反応が持続している可能性もあると考えられ、今後の研究が必要であると考えられた。

 表皮角化細胞、メラノサイト、真皮線維芽細胞を用いた皮膚三次元培養モデルを樹立し、表皮角化細胞と真皮線維芽細胞の由来を変えて、色素沈着量の違いを調べた。Recklinghausen病の扁平母斑由来の線維芽細胞を用いたモデルは、正常皮膚由来の線維芽細胞を用いたモデルに比べて有意に色素沈着量が多かった。一方、表皮角化細胞の由来を単発扁平母斑皮膚由来と正常皮膚由来に分けて行った実験では、色素沈着量の明らかな違いは認められなかった。この理由としては、コラーゲンゲル中で培養されている線維芽細胞は、真皮中のように増殖せず定常化した状態であるのに比較して、ゲル上に播種された表皮角化細胞は、削皮術を行った直後のように盛んに分裂している未分化な状態に近いことが一つの原因である可能性が考えられる。また、単発群由来の表皮角化細胞では、メラノサイトの増殖因子であるET-1が多量に分泌されているほかに、抑制因子とされるIL1-αも多く分泌されており、これらの増殖・抑制機構が皮膚三次元培養内で複雑に関与しているものと考えられた。

 本研究は、扁平母斑皮膚の過剰な色素沈着についてメラノサイト自身の異常を否定するものではないが、扁平母斑をはじめとした皮膚色素沈着症の治療法や、Recklinghausen病の病態解明に対して一つの方向性を示すものであると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、扁平母斑における過剰色素沈着を、局所の表皮角化細胞・真皮線維芽細胞からのパラクリン作用による持続刺激にその原因を求め、病変部由来の培養表皮角化細胞・真皮線維芽細胞によるサイトカイン分泌量を、正常皮膚由来の培養細胞と比較しながら解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.培養表皮角化細胞と真皮線維芽細胞によるメラノサイト刺激性サイトカインの分泌の解析を行った結果、Recklinghausen病に伴う多発性扁平母斑では、病変局所由来の真皮線維芽細胞が、正常皮膚由来の真皮線維芽細胞に比べて、高いレベルのHGF(Hepatocyte Growth Factor)、SCF(Stem Cell Factor)を分泌する性質を持ち、このHGF、SCFによるメラノサイトヘの持続的刺激が過剰色素沈着の原因である可能性が示唆された。

2.Recklinghausen病患者の非扁平母斑部皮膚由来の線維芽細胞による、サイトカイン分泌の解析を行ったところ、Recklinghausen病患者の表現型の違いにより、扁平母斑部と同様に高いレベルのHGF、SCFを分泌する症例と、正常人と同様の低いレベルのHGFと正常人より高いSCFの分泌を示す症例があることが示された。

3.単発性扁平母斑についても同様の解析を行った結果、病変局所由来の表皮角化細胞が正常皮膚由来の表皮角化細胞に比ベて高いレベルのET-1(Endothelin-1)を分泌する性質を持ち、このET・1によるメラノサイトへの持続的刺激が過剰色素沈着の原因である可能性が示唆された。また、この高いレベルのET-1を分泌する性質は、表皮角化細胞の継代を重ねても同様に持続することが示された。

4.表皮角化細胞、メラノサイト、真皮線維芽細胞を用いた皮膚三次元培養モデルを樹立し、表皮角化細胞と真皮線維芽細胞の由来を変えて、色素沈着量の違いを調べた。Recklinghausen病の扁平母斑由来の線維芽細胞を用いたモデルは、正常皮膚由来の線維芽細胞を用いたモデルに比べて有意に色素沈着量が多かった。一方、表皮角化細胞の由来を単発扁平母斑皮膚由来と正常皮膚由来に分けて行った実験では、色素沈着量の明らかな違いは認められなかった。

 以上、本論文は単発性扁平母斑とRecklinghausen病に伴う扁平母斑において、両者は本来異なるものであり、それぞれ表皮角化細胞と真皮線維芽細胞におけるサイトカイン分泌の異常に起因する可能性が高いことが示された。本研究はこれまで未知であった扁平母斑における過剰色素沈着の病態解明と治療法の開発に重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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