学位論文要旨



No 214878
著者(漢字) 細井,温
著者(英字)
著者(カナ) ホソイ,ユタカ
標題(和) 近赤外分光法を用いた歩行運動時の静脈還流機能に関する検討
標題(洋)
報告番号 214878
報告番号 乙14878
学位授与日 2000.12.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14878号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 教授 江藤,文夫
 東京大学 助教授 小塚,裕
内容要旨 要旨を表示する

緒言

 静脈疾患に対する無侵襲的な還流機能評価法として、現在ではduplex超音波検査法や各種脈波法が広く用いられるようになり、その病態の解明が進んでいる。しかしながら、これら既存の検査法では、歩行運動時における測定は困難であるために、静脈疾患の動的状態における血行動態に関してはいまだ明らかではない。下肢の静脈機能においては、下腿筋ポンプは重要な要素の1つであり、その作用が運動時にもっとも発揮されることを鑑みれば、静脈疾患の病態を把握する上では、歩行運動時の静脈還流機能を評価することはきわめて重要であると考えられる。近赤外分光法(NIRS)は、近赤外光が生体組織を良好に通過し、ヘモグロビンなどの組織酸素代謝に関連する物質においてのみ吸収されることを利用して、波長の異なる近赤外光の透過光量変化を測定することにより、組織酸素動態、組織血液量の変化を連続的かつ無侵襲的に計測可能な検査法である。NIRSは、歩行運動中においても下腿筋肉内の酸素化ヘモグロビン量(OxyHB)・脱酸素化ヘモグロビン量(DeoHb)の経時的変化量を安定して測定できるため、本法を静脈疾患に応用することにより、従来明らかでなかった運動中の下肢血行動態を評価しうる可能性があると考えられる。そこで、本研究ではNIRSを用いて静脈疾患の歩行運動時における病態を解明することを目的として、以下の4点を中心に臨床的検討を行った.

1)NIRSの静脈還流機能評価法としての有用性

2)下肢静脈瘤に対する機能的評価法としてのNIRSとair plethysmographyとの比較

3)深部静脈血栓症に対するスクリーニングテストとしてのNIRSの有用性

4)深部静脈血栓症発症後のpostthrombotic syndromeにおける運動時静脈還流機能

対象と方法

 各種静脈疾患を対象とし、以下の4つの項目について検討を行った。方法は、近赤外光の送受光プローブを患肢の下腿腓腹部内側に4cm離して装着し、後方光散乱測定法にてトレッドミル運動負荷検査中のDeoHbの相対的変化量を測定した。運動負荷は、速度2.4Km/h、傾斜12%の漸増負荷とし、歩行時間は原則として5分間とした。運動中に得られたDeoHbの経時的変化の波形より、基線からボトムまでの低下量(E)とボトムからプラトーに達するまでの上昇量(R)との比を求め、これをambulatory venous retention index(AVRI)と定義し、歩行運動中の静脈うっ滞の指標とした(AVRI=R/E)。

結果

1.慢性静脈不全に対するNIRSの静脈還流機能評価法としての有用性に関する検討

 正常例13例20肢と一次性下肢静脈瘤例59例72肢を対象として、正常例と静脈疾患症例におけるNIRSの測定結果の相違を比較するとともに、臨床的重症度とAVRIとの関連について検討した。

 正常例では、全例で運動開始直後に筋ポンプ作用による静脈還流の増加に伴いDeoHbが減少し、運動中も基線よりも低いレベルで推移した後、運動終了後に徐々に基線に戻る波形を示した。一方、静脈瘤例では、運動開始直後は正常例と同様にDeoHbが減少するものの、運動中に逆流による静脈うっ滞が種々の程度に生じるために、DeoHbが上昇する波形を示し、両者の間に明らかな波形の相違がみられた。また、対象症例を重症度分類に基づき、正常群(class 0;20肢)、軽症群(class2,3;50肢)、中等症群(class4;11肢)、重症群(class5,6;11肢)の4群に層別化し、各群のAVRI値を比較すると、中等症群と重症群間を除くすべての群間で有意差を認め、臨床症状が重症であるほど平均AVRI値は有意に高値を示した(p<0.02,Scheffe's F test)。さらに軽症群を細分類し、class 0,2,3の3群でAVRI値を比較すると各群間に有意差がみられ、軽症例においても静脈還流機能に相違があることが確認された(p<0.01,Scheffe's F test)。

2. 下肢静脈瘤に対する機能評価法としてのNIRSとair plethysmographyとの比較検討

 NIRSおよびair plethysmography(APG)による測定を施行しえた一次性下肢静脈瘤患者96例136肢を対象とした。対象を臨床的重症度により、mild群(class2;56肢)、moderate群(class3;44肢)、severe群(class4-6;36肢)の3群に分類し、NIRS,APGにより得られた各指標と臨床症状との関連について検討した。また、両検査の重症度判定における検出能の相違を検証するために各々のsensitivity, specificityを比較し、さらに指標相互の相関関係についても検討を加えた。NIRS上の指標としてAVRIを、APG上の指標としてはvenous filling index(VFI)、ejection fraction(EF)、residual volume fraction(RVF)を用いた。

<各指標と臨床的重症度との関連> NIRSにより得られるAVRIとAPG上の指標であるVFIは、3群間すべてにおいて有意差を認め、両指標ともに臨床症状が重症であるほど有意に高値を示した(AVRI;p<0.001,VFI;p<0.02,Scheffe's F test)。一方、APGの指標の中で、つま先立ち運動により得られるEF,RVFに関しては、各群間で有意差はみられず臨床症状との相関は得られなかった。

<重症度判定における検出能の比較> 臨床症状との関連がみられたAVRIとVFIに関して検出能の比較を行った。両指標において、class4-6のsevere群を検出する際のsensitivityおよびspecificityの値からreceiver-operating characteristic (ROC)curveを求めた結果、AVRIの方がVFIよりも鋭敏に重症肢を検出可能であった(p<0.01,bivariate chi-square test)。

<指標相互の相関関係> NIRS上の指標であるAVRIとAPGにより得られる3つの指標との相関関係についてそれぞれ検討したところ、AVRIはVFIと弱い相関(r=0.34,p<0.0001)を示したが、EFとは相関を認めなかった(r=0.12,p=0.15)。また双方ともに運動時の指標であるAVRIとRVFとの間にも相関関係はみられなかった(r=0.02,p=0.84)。

3. 深部静脈血栓症に対するスクリーニングテストとしてのNIRSの有用性に関する検討

 臨床的に下肢深部静脈血栓症(DVT)が疑われた39例50肢を対象として、静脈造影をreference standardとした場合のNIRSのsensitivity,specificityをAPGと比較した。

 膝窩静脈より中枢に病変を有する中枢型DVT(26肢)では、両検査ともにsensitivityは100%で差は認められなかったが、下腿静脈に血栓が限局する下腿型DVT(9肢)においては、APGよりもNIRSの方が明らかに検出能が高いことが判明した(22%[2/9]vs89%[8/9])。一方、specificityに関しては、両検査間に差はみられなかった(73%[11/15]vs73%[11/15])。

4. 深部静脈血栓症発病後のpostthrombotic syndromeにおける運動時静脈還流機能に関する検討

 DVT発症後より1年以上経過したpostthrombotic syndrome(PTS)症例45例51肢を対象とし、PTSにおける臨床的重症度とAVRIとの関連、およびDVT発症時の血栓部位によるその後の還流機能の相違について検討した。DVT発症からNIRS測定までの平均期間は8.2年であった。対象をPTS症状の有無と皮膚変化の有無により、無症状群(class 0;17肢)、軽症群(class1-3;27肢)、重症群(class4-6;7肢)の3群に分類し、この3群間でAVRI値を比較した。DVT発症時の血栓の部位および範囲の判定は静脈造影にて行い、下肢静脈を、下腿静脈(脛骨・腓骨静脈接合部より末梢の静脈)、膝窩静脈、大腿静脈(浅大腿静脈および大腿深静脈)、腸骨静脈(総大腿静脈および腸骨静脈)の4つの領域に分割し、各領域における初期病変の有無によるAVRIの相違を比較検討した。

 臨床的重症度別のAVRIの比較では、下肢静脈瘤の場合と同様にすべての群間において有意差を認め、臨床症状と静脈還流機能との間に相関がみられた(p<0.01,Scheffe's F test)。初期病変の範囲によりAVRIを比較すると、血栓が2つ以上の領域にまたがる複合病変例(35肢)の方が、1つの領域にとどまる単独病変例(16肢)よりも有意にAVRIが高く、病変が広範であるほど静脈機能は損なわれていた(p=0.005,Mann-Whitney U test)。初期病変の部位とその後の静脈還流との関連については、膝窩および大腿静脈領域において、血栓が存在した群の方が血栓がなかった群に比して有意にAVRIが高く、これら2つの領域に病変を有した場合には、その後の還流障害が強いことが判明した(膝窩;p<0.0001,大腿;p<0.02,Mann-Whitney U test)。さらに、大腿静脈病変を認めた35肢を、同時に膝窩静脈病変も併存していた群(23肢)と併存していなかった群(12肢)に分けて比較したところ、膝窩静脈病変併存例の方が有意にAVRIが高値であった(p=0.0005,Mann-Whitney U test)。このことより、膝窩静脈領域の血栓の存在が静脈還流機能の悪化に関与する最も重要な因子であることが判明した。

考察とまとめ

 NIRSトレッドミル運動負荷検査法は、現在まで測定が困難であった歩行運動時における下肢静脈うっ滞の程度を無侵襲的に測定可能であり、静脈疾患に対する従来の検査法とは原理的にも方法論的にも異なる新しい機能的検査法である。NIRS法の最大の利点は、歩行運動時においても安定して結果が得られる点にある。特に、歩行運動時には筋ポンプ作用がリズミカルに機能している状態であり、筋ポンプ能も含めた運動生理学的側面から静脈疾患の病態を解明しうるという点で、本法は画期的であると考えられる。

 また、下肢静脈瘤、DVT、PTSというそれぞれに病態の異なるすべての静脈疾患において、還流障害の重症度を同一の測定方法で評価可能であったことは、本法の有用性を強く示すものであると考えられる。特に、病態が複雑で従来の方法では評価が難しかったPTS症例においても、NIRSにより静脈還流機能を客観的に評価しえたことは臨床的意義が大きく、今後、本症における還流機能の経時的変化を本法を用いて観察することにより、治療効果や治療継続の必要性の判定、あるいは血栓の再発・進展の早期検出が可能であると思われる。

結語

1)NIRS法は、従来の方法とは原理的に異なった新しい無侵襲的検査法であり、静脈疾患の歩行運動時における静脈還流機能に関する情報を提供しうる点で有用である。

2)NIRSは、APGよりも下肢静脈瘤における重症肢の検出に優れており、本法により静脈瘤に対する客観的な重症度診断が可能である。

3)NIRSは、DVTにおけるスクリーニングテストとして有用である。

4)NIRSは、従来評価が困難であったPTS症例における静脈還流障害の程度を機能的側面から評価可能である。

審査要旨 要旨を表示する

 静脈疾患に対する無侵襲的な還流機能評価法として、現在ではduplex超音波検査法や各種脈波法が広く用いられるようになり、その病態の解明が進んでいる。しかし、これら既存の検査法では、歩行運動時における測定が困難であるために・静脈疾患の動的状態における血行動態に関してはいまだ明らかではない。一方、近赤外分光法(NIRS)は、歩行運動中においても下腿筋肉内の酸素化ヘモグロビン量(OxyHb)、脱酸素化ヘモグロビン量(DeoHb)の経時的変化量を安定して測定しうる無侵襲的検査法である。本研究は、NIRSを静脈疾患に応用することにより、従来明らかでなかった歩行運動中の静脈還流機能の評価を試みたものであり、以下の結果を得ている。

1.NIRS法をトレッドミル運動負荷検査と併用して行い、DeoHbの変化を測定することにより運動中の静脈うっ滞の程度を検討したところ、慢性静脈不全例においては歩行中にも静脈うっ滞が種々の程度に生じていた。また、DeoHbの波形から算出したambulatory venous retention index(AVRI)をパラメーターとして臨床症状との関連を検討し、AVRIが臨床的重症度と強い相関を認めることを確認した。

2.NIRSの静脈機能評価法としての精度を明らかにするために、下肢静脈瘤症例96例136肢において、本法とair plethysmography(APG)の測定結果を比較検討し、NIRSがAPGよりも臨床的重症度の検出において、より鋭敏な検査法であることを示した。

3・臨床的に下肢深部静脈血栓症(DVT)が疑われた39例50肢を対象として、静脈造影をreference standardとした場合のNIRSのsensitivity,specificityをAPGと比較したところ、膝窩静脈より中枢に病変を有する中枢型DVTでは、両検査ともにsensitivityは100%で差は認められなかったものの、下腿静脈に血栓が限局する下腿型DVTにおいては、APGよりもNIRSの方が明らかに検出能が高いことが判明し、NIRSの深部静脈血栓症に対するスクリーニングテストとしての有用性が示された。

4.DVT発症後のpostthrombotic syndrome(PTS)症例を対象とした検討により、PTS症例においても下肢静脈瘤症例と同様に、臨床的重症度に応じて歩行運動時の静脈うっ滞が生じていることが判明した。また、DVT発症時の血栓部位によるその後の還流機能の相違に関する検討により、発症初期の膝窩静脈病変の有無がPTSの下肢血行動態に影響を与える因子として最も重要であることを示した。

 以上より本論文は、NIRS法を従来の静脈機能検査法とは原理的にも方法論的にも異なる新しい検査法として確立させたものであり、本法により筋ポンブ能も含めた運動生理学的側面から静脈疾患の病態を解明しうる可能性を示したという点で、画期的であると考えられる。また、病態が複雑で従来の方法では評価が難しかったPTS症例においても、NIRSにより静脈還流機能を客観的に評価しえたことは臨床的意義が大きく、今後、静脈疾患の病態解明を進めていく上で重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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