学位論文要旨



No 214883
著者(漢字) 谷内,誠
著者(英字)
著者(カナ) ヤナイ,マコト
標題(和) apo E分泌促進活性を有する高脂血症治療薬の開発を指向した合成化学的研究
標題(洋)
報告番号 214883
報告番号 乙14883
学位授与日 2000.12.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14883号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 助教授 作田,庄平
 東京大学 助教授 渡邉,秀典
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は従来にない新しい見地からの高脂血症治療薬の開発を指向した研究結果について述べたものである。

 近年の日本人のライフスタイルの変化、特に食習慣の欧米化により、動脈硬化性疾患である虚血性心疾患や脳血管障害および末梢血管障害が増加しつつある。その原因の一つとして高脂血症の増加があげられる。

 高脂血症は高血圧、喫煙とともに動脈硬化の危険因子として最も重要である。動脈硬化症の予防と治療の基本は食事療法であり、それに加えて運動療法などの生活指導が重要である。しかし、これらで効果が見られない場合には薬物療法が選択される。

 薬物療法により冠動脈疾患の一次予防(全く既往に動脈硬化のない高脂血症患者における冠動脈疾患の予防)、ならびに二次予防(既に冠動脈硬化が明らかである症例を対象とした予後の改善や病変の進展予防・退縮)が可能であるという成績が蓄積され、高脂血症治療の重要性が広く認識されてきた。抗高脂血症薬はあくまでもこの動脈硬化の発症、進展を予防・治療することを目的とするものであることから、より優れた抗動脈硬化作用を有する高脂血症薬の開発が望まれている。

 血清脂質はリポ蛋白粒子単位で代謝されており、高脂血症はリポ蛋白代謝異常としてもとらえることが出来る。

 アポ蛋白は、リポ蛋白粒子の表面にあって、

 1)水と脂の仲介をすることによってリポ蛋白粒子の構造を安定させる

 2)リポ蛋白リパーゼ(LPL)のような脂質を加水分解する酵素の活性を修飾する

 3)リポ蛋白を細胞内に取り込むレセプターのリガンドとなるなどの役割を果たしている。

 アポ蛋白の中でapo Eは主に肝臓で作られ、様々なリポ蛋白の主要な構成成分として血漿中に分泌される。apo Eは、リポ蛋白中のコレステロール輸送に関与し、コレステロールを肝より末梢へ、あるいは末梢より肝へ、また末梢組織内において脂質分布の役割を担っている。さらに、VLDL、IDL、LDLのようなリポ蛋白の血漿からのクリアランスは、LDLレセプター、VLDLレセプターあるいはカイロミクロンレムナントレセプターに結合することができるapo Eによって規制されている。つまり、apo Eはリポ蛋白の代謝的運命を決定している。

 また、高脂血症ウサギにapo Eを静脈内投与することにより血漿中のコレステロールレベルが大きく下がったという報告、あるいは遺伝的高脂血症のWatanabe rabbitでapo Eが動脈硬化の進展を防いだ,という2つの報告が別々に発表された。

 これらのことから、肝臓からのapo Eの分泌を薬物によって増やすことで血漿中のapo E濃度が上昇し、リポ蛋白の代謝が活性化され、高脂血症治療の効果、さらに直接的な抗動脈硬化作用が得られることが期待される。

 著者は、このような仮定を元にして以下の研究を行った。すなわち、アポリポ蛋白の分泌を含め、正常な肝実質細胞の機能を有するヒト肝腫瘍Hep G2細胞を用いて、apo E分泌促進活性を有する化合物の探索研究を行った結果、Bacillus sp. No.4691株の培養液からapo E分泌促進活性を有する化合物、N-4909(A)、を見いだすことができた。N-4909(A)を医薬品として開発するためには、安定した大量供給方法を確立しなければならない。培養液から抽出・精製する当初の方法では、同時に生産される類縁体が多いために精製が困難で、大量に確保・供給することが難しかった。そのため、化学合成的アプローチを検討することとした。検討の結果、アシル基の合成法を確立し、さらに液相法および固相法の両合成法について、効率的なN-4909(A)の化学合成法を確立することができた(Figure 1)。

 その後、吸収性等の物性が改善できずN-4909(A)そのものでの開発が困難であることが判明したので、類縁体を合成し、より活性が高く物性の優れた化合物を探索することにした(Figure 2)。つまり、経口投与可能な非ペプチド低分子化合物の探索研究を行った。

 まず、N-4909(A)と同じ環状デプシペプチド構造を有する類縁体を合成した。アシル基やアミノ酸残基の種類や数を変換させた類縁体を20種類合成したが、活性の増強に必要な明確な情報を得ることが出来なかった。そこで、環状デプシペプチド構造を開き、調製が容易で誘導体化しやすい鎖状デプシペプチド構造を有する類縁体を合成した。その結果、6アミノ酸残基を有する鎖状デプシペプチドN-5849(B)に高い活性があることが見いだされた。しかし、N-5849(B)はin vivo試験であるコレステロール負荷食ラット試験において血中脂質改善効果を示さなかった。

 環状デプシペプチドよりも低分子である鎖状デプシペプチドN-5849(B)をリードにしてさらに類縁体合成を進めることにした。N-末端保護基やアミノ酸残基などを変換させた結果、より低分子の4アミノ酸残基を有するN-6046(C)を見いだすことができた。また、この時の検討により、アミド結合を非アミド結合に変換しても活性が保持させることが判明した。

 N-6046(C)は、4アミノ酸残基を有する鎖状のデプシペプチドである。この化合物の低分子化および安定性の向上をめざし、N-末端保護基の変換やアミノ酸残基の変換、さらにはpiperazinone単位の導入を含めたアミド結合の変換等を行った。その結果、高いapo E分泌促進活性を有する非ペプチド低分子である(11)、(12)および(13)を見いだすことができた。これらは、ペプチドではないため分解等も起こりにくく、またapo E分泌促進活性は、リード化合物であるN-6046(C)と同等かそれ以上の活性を有する化合物である。しかし、残念ながらこれらの化合物は、いずれもin vivo試験での活性が見られなかった。

 これまで、HepG2細胞からのapo E分泌促進活性を指標として開発を進めてきた。しかし、N-4909(A)はその後の研究により、apo E合成促進作用を持たないことが明らかとなった。すなわち、Hep G2細胞に含まれているapo Eの分泌を促進するだけで細胞内でのapo E合成促進活性を示さなかった。この為、細胞は内部に含有するapo Eを分泌すると、補充することがないためすぐに枯渇するということが判明した。

 また、in vivo試験において、N-4909(A)投与後に血中のapo E濃度上昇を確認することができなかった。さらに、apo Eノックアウトマウスを用いたin vivo試験においても、N-4909(A)は血中脂質低下傾向を示すことが分かった。当初in vivo試験で活性のあったN-4909(A)は、apo E以外の他のリポ蛋白にも作用することが知られている。in vivoでの血中脂質改善効果と他のリポ蛋白との関連については、現在も未知のままである。

 これらのことより、環状デプシペプチドN-4909(A)の非ペプチド低分子化には成功したが、血中apo E濃度を増加させることによりリポ蛋白代謝を促進し、血中脂質を低下させさらに動脈硬化を直接改善するというコンセプトを明確に証明することができず、有効な医薬品への展開はできなかった。しかし、apo Eなどのリポ蛋白の研究は、まだ始まったばかりであり、今後の研究により新たな展開も十分考えられる。その時には、これらの研究成果が大いに役立つと考えられる。

Figure 1:Synthesis ofN-4909(A).

Figure 2:The steps for developing non-peptide and smole molecules from N-4909(A).

審査要旨 要旨を表示する

 本論文はapo E分泌促進活性を有する高脂血症治療薬の開発を指向した合成化学的研究に関するもので7章よりなる。近年の日本人の食習慣の欧米化は、動脈硬化性疾患である虚血性心疾患、脳血管障害、末梢血管障害の増加を引き起こしているが、その原因の一つとして高脂血症の増加があげられる。apo Eは主に肝臓で作られ、様々なリポ蛋白の主要な構成成分として血漿中に分泌され、リポ蛋白の代謝的運命を決定している。高脂血症はリポ蛋白代謝異常としてもとらえることが出来るので、肝臓からのapo Eの分泌を増やし、リポ蛋白代謝を活性化すれば高脂血症治療効果さらには直接的な抗動脈硬化作用が得られると期待される。筆者はその観点から、Bacillus sp. No.4691の培養液から見いだされたapo E分泌促進活性を有するN-4909(A)に着目し、その効率の良い合成法を開発し、さらにN-4909をリード化合物とする高脂血症治療薬の開発を目的として以下の研究を行った。

 まず第1章で研究の背景を概説した後、第2章ではN-4909(A)の安定した大量供給方法を確立するために、化学合成的アプローチを検討した結果について述べている。すなわち、アシル基の合成法を確立し、さらに液相法および固相法の両合成法について、効率的なN-4909(A)の化学合成法を開発することができた。

 しかし、吸収性等の物性が改善できずN-4909(A)そのものでの医薬品への開発が困難であることが分かったため、類縁体を合成し、より活性が高く物性の優れた化合物を探索することにした。まず第3章で詳述しているように、N-4909(A)と同じ環状デプシペプチド構造、さらに鎖状デプシペプチド構造を有する様々な類縁体を合成した。その結果、6アミノ酸残基を有する鎖状デプシペプチドN-5849(B)が高い活性を保持していることを見いだした。さらに第4章ではN-5849(B)をリード化合物として、各種類縁体の合成を行った結果について述べている。すなわち、より単純化した4アミノ酸残基を有するN-6046(C)にも高い活性があることを見いだした。

 しかし、N-5849(B)、N-6046(C)のいずれもコレステロール負荷食ラットを用いたin vivo試験において血中脂質改善効果を示さなかった。そこで第5章では経口投与可能な非ペプチド低分子化合物の探索研究を行った結果について述べている。すなわち、N-6046(C)をリード化合物としてさらに類縁体合成を進めた。その結果、高いapo E分泌促進活性を有する非ペプチド低分子(11)、(12)および(13)を見いだすことができた。しかし残念ながら、これらの化合物もin vivo験で有効な活性を示さなかった。

 第6章は総括、第7章は実験の部である。

 以上、本論文ではapo E分泌促進活性を有する高脂血症治療薬の開発を指向し、環状デプシペプチドN-4909(A)をリード化合物として構造の単純化・非ペプチド化を行い、高活性を有する類縁体を見いだしている。残念ながら有効な医薬品への展開には到らなかったが、合成した類縁体によって大変興味深い構造一活性相関の知見が得られており、学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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