学位論文要旨



No 214888
著者(漢字) 川嶌,健司
著者(英字)
著者(カナ) カワシマ,ケンジ
標題(和) PRRSVが関与する豚肺炎の発病機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 214888
報告番号 乙14888
学位授与日 2000.12.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第14888号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 助教授 遠矢,幸伸
 東京大学 助教授 大野,耕一
内容要旨 要旨を表示する

 豚繁殖・呼吸障害症候群(porcine reproductive and respiratory syndrome:PRRS)は,アルテリウイルスとして最近分類された小型RNAウイルス(PRRSV)による異常産と肥育豚の呼吸障害を主徴とする新しい豚の疾病である。最近のPRRS汚染農場の特徴として,異常産の発生は少ない一方,若齢豚が重篤な呼吸器症状を示す肺炎に罹患し,その結果,死亡率の上昇と発育率の低下をきたす消耗性疾病が多く認められることがあげられる。これら罹患豚の肺炎病巣からは,様々な病原微生物が検出されている。一方,PRRSVの接種実験によっては野外で認められるような重篤な呼吸器障害は再現されていないことから,PRRSVの関与する豚肺炎の発病には他の病原微生物との相互作用と宿主の防御能の低下が関与していることが推察されている。近年の豚肺炎の多くに病因学的にPRRSVが関連していることが明らかにされ,PRRSVの関与する豚肺炎の発病機構の解明が豚肺炎防除のための大きな課題となっている。そこで,本研究ではPRRSVが関与する豚肺炎の発病機構における本ウイルスと他の病原微生物との相互作用ならびにPRRSV感染に対する宿主の細胞性免疫能に焦点をあて,それらの病理学的,微生物学的および免疫学的な検討を行った。

 最初に,PRRSV感染豚の症状重篤化に関与する微生物因子を検索するために,第1章では野外で呼吸器症状を示し発育不良となった豚の病変から病原微生物の検出を行った。まず,重篤な呼吸器症状を示した豚の肺炎病巣においてPRRSVおよび2次感染因子とされる細菌の検出を免疫組織学的および微生物学的に行った。その結果,検査した豚に共通して肺病巣からPRRSVとともにMycoplasma hyorhinis(M. hyorhinis)が検出された。また,M. hyorhinis抗原が間質性肺炎および化膿性肺炎の病変内に認められたことから,両型の肺炎形成に関与することが示唆された。一方,豚肺炎の2次感染細菌として考えられている細菌はほとんど検出されなかったことから,今回検査された豚肺炎の病変形成には,PRRSVとM. hyorhinisの両微生物の関与が大きいことが示唆された。次に,野外の呼吸器症状を示した発育不良豚の肺炎病巣におけるPRRSVとブタサイトメガロウイルス(PCMV)の検出を行った。その結果,PCMV抗原は検索した全頭で認められたが,病変の程度によりPCMV抗原の組織内分布が異なり,その分布はPRRSV抗原検出の有無と関連していた。すなわち,病変の軽度な間質性肺炎ではPCMV抗原は主に細気管支上皮細胞に局在していたのに対し,病変の重篤な間質性肺炎ではPCMV「抗原は主に肺胞マクロファージに存在し,同一部位からPRRSV抗原も同時に検出された。この結果から,PCMVはPRRSVの間質性肺炎の病変重篤化に関連することが示唆された。

 第1章ではPRRSVの発病機構には複数の病原微生物が複雑に関与していることが示された。中でも,M.hyorhinisが検査した豚肺炎のほとんどに認められたことから,PRRSVとM.hyorhinisとの混合感染時の病原性を調べることがPRRSの発病機構を解析するうえで重要であることが示された。そこで,第2章では,PRRSV単独の感染試験ならびに,PRRSVとM.hyorhinisの混合感染試験を行った。PRRSV単独接種豚は接種3日後からPRRSV抗原陽性の間質性肺炎がみられ,病変は接種35日後まで継続した。大部分の豚には重篤な呼吸器症状は認められなかったが,接種豚の1頭が重篤な呼吸器症状を呈し、死亡した。この豚の肺からM.hyorhinisが多量に分離され,肺病変内からもPRRSVとM.hyorhinisが多量に検出されたことから,PRRSV感染豚の肺炎発病機構に両微生物の相互作用が強く関連することが示唆された。次いで,無菌豚にPRRSVとM.hyorhinisを接種時期を変えて混合感染させた結果,M.hyorhinisを接種して1週間後にPRRSVを接種した豚群において全頭が重篤な呼吸器症状を示し,瀕死ないし死亡した。これらの豚の肺ではPRRSV前接種M.hyorhinis接種群やPRRSV単独接種群と比べて,肺胞性肺炎と細気管支炎の量的な増大に加えて,血栓形成による出血といった質的な病理変化が加わっていた。さらに,これらの豚肺から両微生物が他の群に比べて多量に検出された。以上のことから,M.hyorhinisの前感染により両微生物の増殖が促進された結果,重篤な症状を発現する肺炎病変を形成することが明らかになり,豚肺炎の発病に両微生物が相乗作用的に関与している可能性が示唆された。

 第1章では,PRRSV感染豚の肺病変内にM.hyorhinisが多く検出されることを明らかにした。第2章では,ウイルスが基礎疾患となり2次感染細菌が増えるという従来想定されてきたような肺炎重篤化機構だけでなく,細菌の前感染が細菌やウイルスの増殖を促進させて重篤化に導くことを明らかにした。PRRSVの主要な受容細胞であるマクロファージが抗原提示細胞のひとつであること,また,PRRSV感染豚のリンパ組織に病変があることから,PRRSV感染は,肺局所だけでなく全身性の免疫能に変調を来している可能性がある。そこで,第3章では,PRRSV感染豚の細胞性免疫能を解析するために,PRRSV感染豚におけるリンパ球サブポピュレーションの変化を調べた。まず,野外PRRSV感染豚の末梢血においてリンパ球サブポピュレーションを解析した結果,CD2陽性細胞およびCD8陽性細胞数が増加してCD4陽性細胞数が減少しており,このため,CD4+/CD8+比の減少がみられた。次いで,他の微生物による影響の排除ならびにリンパ球サブポピュレーションの時間的推移を検討するため,PRRSV接種SPF豚およびHPCD豚において同様の解析を行った。PRRSV接種3日後の末梢血では,全リンパ球数,CD2,CD4およびIgM陽性細胞数が減少していた。CD4陽性細胞数の減少は接種14日後まで続いたが,CD2陽性細胞数は増加傾向にあった。一方,CD8陽性細胞数は一過性に接種3日後に減少した後,増加に転じ,接種28日後および35日後には顕著な増加が認められた。これらの結果,CD4+/CD8+比の顕著な減少が接種3日後から28日後までみられた。以上のことから,PRRSV感染の末梢血においてリンパ球サブポピュレーションの割合に変化が認められることが明らかになった。次いで,末梢血でのリンパ球サブポピュレーションの変化要因について検討を行った。感染豚と非感染豚間で胸腺におけるリンパ球サブポピュレーションの割合に違いが認められなかったことから,PRRSV感染が胸腺内T細胞分化に影響しないことが明らかになった。また,末梢血単核球培養においてリンパ球サブポピュレーションの変化や細胞増殖が認められなかったことから,PRRSVがCD4陽性細胞に対する壊死作用ならびにCD8陽性細胞に対する細胞増殖活性を持たないことが示唆された。さらに,感染初期のリンパ組織におけるウイルス分布とリンパ球サブポピュレーションを調べた結果,PRRSVはリンパ組織に感染しており,一部のリンパ組織において末梢血の変化と関連した変化が認められたことから,末梢血リンパ球サブポピュレーションの変化はリンパ組織でのウイルス感染による細胞の変動によって起きている可能性が示唆された。以上のことから,PRRSV感染豚は細胞性免疫能に変調をきたしていることが示唆された。

 本研究ではPRRSVが関与する豚肺炎の発病機構を調べるために,野外発病豚での微生物因子の検索,混合感染試験による病気の再現および宿主の免疫能の解析を行った。本研究の成果は豚肺炎のみならず,日和見感染症・複合感染症の発病機構の解明に役立つことが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 ある特定の微生物が病気を呈する宿主から検出されるが、その微生物の単独接種ではかならずしも病気は再現されないという、従来のコッホの条件に当てはまらないような疾病が増加している。これらの疾病に関する微生物は、他の微生物、宿主および環境要因の関与により症状を顕在化させていると考えられ、このような疾病は日和見・混合感染症と呼ばれている。豚肺炎の多くは、日和見・混合感染症の範疇に入ると考えられているが、その詳細は不明である。

 本研究では、コッホの条件に当てはまらないようなヒトおよび家畜の日和見・混合感染症における発病機構の解明の一助とするために、近年、新しく検出された豚繁殖・呼吸障害症候群ウイルス(PRRSV)の関与する豚肺炎の発病機構における本ウイルスと他の病原微生物との相互作用ならびにPRRSV感染に対する宿主の細胞性免疫能の検討を行った。

 まず、PRRSV感染豚の肺炎重篤化に関与する微生物因子を検索するために、野外で重篤な呼吸器症状を示す豚の肺炎病変から病原微生物の検出を行った。その結果、検査した豚肺炎に共通して病変内からPRRSVとともにMycoplasma hyorhinisが分離された。また、M.hyorhinis抗原がPRRSV抗原と同一病変内から検出されたことで、上部気道の正常細菌叢の一員としてM.hyorhinisが肺炎に随伴して検出されるという従来の考え方よりも、むしろM.hyorhinisがPRRSVによる肺炎形成により密接に関与していると推量された。また、ブタサイトメガロウイルス(PCMV)が、PPRSVの検出される重篤な豚肺炎病変とPRRSVが検出されない軽微な肺病変とでは異なった部位に感染していたことから、PCMVかPRRSVの関与する豚肺炎の病変重篤化に関与していることが考えられた。

 次に、PRRSV単独接種およびPRRSVとM.hyorhinisの混合接種試験を行って、豚肺炎におけるPRRSVとM.hyorhinisとの相互作用の解析を行った。PRRSV単独接種豚では、いずれの豚もPRRSVの増殖による間質性肺炎がみられたが、そのほとんどの豚では重篤な呼吸器症状は認められなかった。しかしながら、接種豚の1頭が重篤な呼吸器症状を現し死亡した。この豚の肺からM.hyorhinisが多量に分離され、肺病変内から多数のPRRSV抗原とM.hyorhinis抗原が検出された。次いで、無菌豚にPRRSVとM.hyorhinisを接種時期を変えて混合接種した結果、両微生物の単独接種群ならびにPRRSV前接種M.hyorhinis接種群では軽微な呼吸器症状を示したのに対し、M.hyorhinis前接種PRRSV接種豚群では全頭が重篤な呼吸器症状を示し、瀕死ないし死亡した。これらの豚肺においては、PRRSV前接種M.hyorhinis接種群やPRRSV単独接種群に比べて、肺胞性肺炎と細気管支炎の量的な増大に加えて、血栓形成による出血といった質的な病理変化が加わり、より重篤な肺炎が形成されていた。また、これらの豚の肺病変内から、PRRSV前接種M.hyorhinis接種群やPRRSV単独接種群に比べて、両微生物がより多量に検出された。以上のことから、PRRSVの肺病変重篤化においてはM.hyorhinisの感染時期が重要で、M.hyorhinisが前感染することにより両微生物か肺内において相乗的に作用してPRRSVの肺炎を重篤化させていることが示唆された。

 次に、PRRSV感染豚の細胞性免疫能を解析するために、PRRSV感染豚におけるリンパ球サブポピュレーションの変化を調べた。まず、野外PRRSV感染豚の末梢血においては、CD2陽性細胞ならびにCD8陽性細胞数が増加してCD4陽性細胞数が減少しており、その結果、CD4+/CD8+比の減少が認められた。次いで、PRRSV接種豚では、接種3日後に全リンパ球数ならびに各リンパ球サブポピュレーション数の減少が一過性に認められた後、接種14日後までCD4陽性細胞数の減少と接種28日後ならびに35日後のCD8陽性細胞数の増加が認められ、CD4+/CD8+比の減少が接種3日後から28日後まで認められた。次に、末梢血でのリンパ球サブポピュレーションの変化要因の解析を行った。PRRSV感染豚と非感染豚間の胸腺ではリンパ球サブポピュレーションの割合に違いがみられず、また、PRRSV接種未梢血単核球培養においてリンパ球ザブポピュレーションの割合に変化が認められなかったことから、PRRSVが胸腺内丁細胞分化やリンパ球に対する直接的な作用がないことが示唆された。一方、PRRSV感染豚のリンパ組織におけるウイルス分布とリンパ球サブポピュレーションの変化においては、PRRSVはリンパ組織に感染しており、一部のリンパ組織では未梢血と同様のCD8陽性細胞数の増加がPRRSV感染豚の感染初期から認められた。よって、末梢血リンパ球サブポピュレーションの変化はリンパ組織でのウイルス感染による細胞の変動によって起きている可能性が示唆された。

 以上本論文はPRRSVの関与する豚肺炎の発病機構の一部には、M.hyorhinis前感染による両微生物の肺内での相乗作用が関与することを明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)論文として価値あるものと認めた。

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