学位論文要旨



No 214890
著者(漢字) 山川,睦
著者(英字)
著者(カナ) ヤマカワ,マコト
標題(和) チュウザンウイルスの分子遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 214890
報告番号 乙14890
学位授与日 2000.12.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第14890号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 助教授 遠矢,幸伸
 東京大学 助教授 大野,耕一
内容要旨 要旨を表示する

 1985年から1986年にかけて南九州を中心に水無脳症・小脳形成不全症候群を主徴とする異常仔牛の出産が多発した。その総数は2463頭に達し、畜産農家に多大な経済的被害をもたらした。血清疫学的及び病因学的研究により、本病は1985年におとり牛血液及びウシヌカカ(Culicoides oxystoma)から分離されたチュウザンウイルスに起因するものであることが明らかにされ、新しい節足動物媒介ウイルス(アルボウイルス)性疾病として「チュウザン病」が確立された。チュウザンウイルスは、レオウイルス科オルビウイルス属パリアム血清群に分類されている。パリアム血清群ウイルスは、アジア、オーストラリア、アフリカを含む世界中の熱帯・亜熱帯地域に分布し、蚊、ヌカカ、ダニなどの多様な吸血昆虫によって媒介され、牛を主体とする反芻動物に感染する。従来よりパリアム血清群ウイルスの流産・先天性奇形を伴う牛の異常産への関与が示唆されていたが、チュウザン病の発生をみるに至るまで、その病原性について明確にされることはなかった。

 近年の遺伝子工学的技術の導入によって、ブルータングウイルス(BTV)やアフリカ馬疫ウイルス(AHSV)を中心にオルビウイルスの分子生物学的性状が急速に解明されつつあり、遺伝子診断法や分子疫学的研究手法の確立、組換えウイルスタンパク質を用いた血清診断法、ワクチンの開発などが精力的に試みられている。しかしながら、チュウザンウイルスを含むパリアム血清群ウイルスに関する分子レベルの研究は、これまでほとんど行われていないのが現状である。チュウザン病の診断・予防法の改良、パリアム血清群ウイルスの疫学や遺伝学的・進化学的関連性の解明のためには、チュウザンウイルスの分子生物学的研究が必要である。そこで、本研究ではチュウザンウイルスの遺伝子構造を明らかにし、組換えバキュロウイルスによる主要カプシドタンパク質VP7の発現並びにRT-PCR法を用いたパリアム血清群ウイルスの検出と解析を試みた。

 最初に、1985年におとり牛血液から分離されたチュウザンウイルスK-47株のRNAを抽出・精製し、cDNAライブラリーを構築した。これをもとに全10分節の塩基配列を決定した結果、チュウザンウイルスのゲノムは、分節1の3930bpから分節10の728bpまで、総塩基数18915bpからなり、7個の構造タンパク質及び3個の非構造タンパク質(計6071個のアミノ酸)をコードすることが明らかとなった。各RNA分節は介在配列のない単一のオープンリーディングフレームを有し、その5'及び3'末端には共通の塩基配列5'GU(U/A)UAAA......(A/G)C(U/A)(U/C)AC3'や分節に特異的な逆位反復配列が認められた。チュウザンウイルス遺伝子と他の血清群に属するBTV、AHSV、シカ流行性出血熱ウイルス(EHDV)及びBroadhavenウイルスの遺伝子をアミノ酸レベルで比較した結果、コアタンパク質VP3が最もよく保存されていた(35.5〜63.9%)。一方、ウイルス中和抗原の本体である外殻カプシドタンパク質VP2間の相同性は19.7〜22.5%と最も低かった。また、オルビウイルス間では、VP2の場合を除いて、非構造タンパク質より構造タンパク質の方が保存されていることが判明した。さらに分子系統樹解析を行ったところ、宿主域や分布地域、病性が異なるにも関わらず、チュウザンウイルスは遺伝的にAHSVに最も近縁であることが明らかとなった。

 次いで、組換えバキュロウイルスによって主要コアタンパク質VP7を発現させ、性状解析を行うとともに、その血清診断用抗原としての有用性を検討した。発現したVP7は、SDS一ポリアクリルアミド電気泳動によって分子量38Kの単一のバンドとして検出され、抗チュウザンウイルス血清を用いた間接蛍光抗体法によって組換えウイルス感染昆虫細胞質内に確認された。各種パリアム血清群ウイルスに対する抗血清、抗BTV及び抗EHDV血清を用いて組換えVP7の抗原性状について検討したところ、免疫沈降法とイムノブロット法で異なる結果が得られた。免疫沈降法では、VP7はパリアム血清群ウイルスに対する抗血清すべてと強く反応し、通常の血清試験では交差反応を示さない抗BTV及び抗EHDV血清とも反応した。一方、イムノブロット法では、VP7は抗チュウザンウイルス血清を含むすべての抗血清と反応を示さなかった。チュウザンウイルスVP7はパリアム血清群特異抗原であることが確認されたが、その抗原決定基は一次構造によって直接決定されるlinearなものではなく、立体構造に依存するconformationalなものであると考えられた。また、VP7には血清群を越えて保存されている抗原決定基の存在も示された。組換えVP7を用いて寒天ゲル内沈降反応を行ったところ、パリアム血清群ウイルスに対する抗血清とVP7の間に明瞭な沈降線が確認された。しかしながら、免疫沈降反応でみられた抗BTV及び抗EHDV血清とVP7の間の交差反応は認められなかった。以上のことから、組換えバキュロウイルスを用いて発現させたチュウザンウイルスVP7は、チュウザン病の血清診断用抗原として有用であることが明らかとなった。

 最後に、チュウザンウイルスとパリアム血清群に属するウイルスのRNA電気泳動パターンの比較、チュウザンウイルスのcDNAクローンをプローブとして用いたノーザンブロットハイブリダイゼーション、さらにRT-PCR法によるパリアム血清群特異遺伝子の検出と分子疫学的解析を行った。チュウザンウイルスはRNAゲノムの電気泳動により他の血清群と容易に区別されたが、パリアム血清群ウイルスとは共通のパターンを示した。また、ハイブリダイゼーションの結果、外殻カプシドタンパク質をコードするRNA分節2及び6を除く8分節は血清群内で保存されていることが明らかとなった。これらの成績をもとにパリアム血清群ウイルスRNA分節5、7及び9を特異的に検出するRT-PCR法を確立し、日本、オーストラリア及びジンバブエ分離株24株のウイルスから得られたPCR産物の塩基配列を解析した。チュウザンウイルス分離株の遺伝子の変化を分離年順に調べたところ、これらRNA分節にはほぼ同時期に塩基の置換が認められた。また、同じ地域で分離されたウイルス株は、血清型に関係なく相互に遺伝的に近縁であり、地域型(topotype)別に分類されることが判明した。分子系統樹解析により、1991年に日本で分離されたD'AguilarウイルスKY-115株は、異なる地域型間で起こったRNA分節の交換(reassortment)によって生まれた可能性が示された。

 PCR産物を用いて制限酵素断片長多型解析を行った結果、調べたオーストラリア及びジンバブエ分離株の全8株、日本分離株1株(KY-115株)の計9株の同定が可能であった。KY-115株以外の日本分離株は塩基配列が同一であったため、個々の同定はできなかったが、1991年を境に2つの群に分けられた。この方法は、新たに分離されたパリアム血清群ウイルスの地域型や遺伝子の変異を迅速かつ簡便に知るための有力な手段となることが示された。

 本研究で明らかになったチュウザンウイルスの全塩基配列データは、本ウイルスの抗原性、病原性の詳細な解析やサブユニットワクチンの開発を容易にするだけでなく、オルビウイルス属の分類学的・進化学的研究の推進にも貢献すると考えられる。また、組換えVP7を用いた寒天ゲル内沈降反応やRT-PCR法は、チュウザン病の診断や本ウイルスのモニタリングに有効利用されると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 1985年から1986年にかけて南九州を中心に水無脳症・小脳形成不全症候群を主徴とする異常仔牛の出産が多発した。血清疫学的及び病因学的研究により、本病は1985年におとり牛血液及びウシヌカカから分離されたレオウイルス科オルビウイルス属パリアム血清群ウイルス(PALV)に属するチュウザンウイルスに起因することが明らかにされ、「チュウザン病」か確立された。

 チュウザン病の診断・予防法の改良、PALVの疫学や遺伝学的・進化学的関連性の究明のためには、チュウザンウイルスの分子生物学的研究が必要であるが、本ウイルスを含むPALVに関する分子レベルの研究は、これまでほとんど行われていない。そこで本研究では、その遺伝子構造を明らかにし、主要カプシドタンパク質VP7の発現並びにRT-PCR法を中心としたpALVの分子疫学的解析を試みた。

 第1章では、チュウザンウイルスのcDNAライブラリーを構築し、全10分節の塩基配列を決定した。そのゲノムは総塩基数18915bpからなり、7個の構造タンパク質及び3個の非構造タンパク質をコードすることが明らかとなった。各分節は介在配列のない単一のORFを有し、その両末端には共通の塩基配列や分節に特異的な逆位反復配列が認められた。チュウザンウイルス遺伝子と他の血清群に属するウイルスの遺伝子をアミノ酸レベルで比較した結果、VP3が最もよく保存されていた(35.5〜63.9%)。一方、ウイルス中和抗原の本体であるVP2間の相同性は19.7〜22.5%と最も低かった。また、宿主域や分布地域、病性が異なるにも関わらず、チュウザンウイルスは遺伝的にアフリカ馬疫ウイルスに最も近縁であることが判明した。

 第2章では、組換えバキュロウイルスによって発現させたチュウザンウイルスVP7の性状解析を行った。VP7はSDS-PAGEによって分子量38Kの単一のバンドとして検出され、抗チュウザンウイルス血清を用いた間接蛍光抗体法によって組換えウイルス感染昆虫細胞質内に確認された。各種PALVに対する抗血清、抗ブルータングウイルス(BTV)及び抗シカ流行性出血熱ウイルス(EHDV)血清を用いて組換えVP7の抗原性状について検討した。免疫沈降法では、VP7はPALVに対する抗血清すべてと強く反応し、かつ抗BTV及び抗EHDV血清とも反応した。一方、イムノブロット法では、VP7は抗チュウザンウィルス血清を含むすべての抗血清と反応を示さなかった。以上の成績から・その抗原決定基は一次構造によって直接決定されるlinearなものではなく、立体構造に依存するconformationalなものであると考えられた。また、VP7には血清群を越えて保存されている抗原決定基の存在も示された。寒天ゲル内沈降反応により、組換えVP7はチュウザン病の血清診断用抗原として有用である.ことが明らかとなった。

 第3章では、チュウザンウイルスとPALVの分子疫学的解析を行った。チュウザンウイルスはRNAゲノムの電気泳動により他の血清群と容易に区別されたが、PALVとは共通のパターンを示した。ノーザンブロットハイブリダイゼーションによる解析の結果、外殻カプシドタンパク質をコードする分節2及び6を除く8分節は血清群内で保存されていることが明らかとなった。これらの成績をもとにPALVの分節5、7及び9を特異的に検出するRT-PCR法を確立し、日本、オーストラリア及びジンバブエ分離株から得られたPCR産物の塩基配列を解析した。チュウザンウイルス分離株の遺伝子の変化を分離年順に調べたところ、これら分節にはほぼ同時期に塩基の置換が認められた。また、同じ地域で分離されたウイルス株は血清型に関係なく相互に遺伝的に近縁であり、地域型(topotype)別に分類されることが判明した。PCR産物を用いてRFLP解析を行った結果、調べたオーストラリア及びジンバブエ分離株の全株、日本分離株KY-115株の同定が可能であった。KY-115株以外の日本分離株は1991年を境に2つの群に分けられた。

 以上本論文は、チュウザンウイルスの全塩基配列を明らかにし、本ウイルスの抗原性、病原性の詳細な解析やサブユニットワクチンの開発の基礎的な知見を与えたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42837