学位論文要旨



No 214892
著者(漢字) 秋庭,正人
著者(英字)
著者(カナ) アキバ,マサト
標題(和) パルスフィールドゲル電気泳動を用いた牛由来腸管出血性大腸菌0157:H7に関する分子疫学的研究
標題(洋) Molecular epidemiological study on enterohemorrhagic Escherichia coli Ol57:H7 isolates from cattle using pulsed-field gel electrophoresis
報告番号 214892
報告番号 乙14892
学位授与日 2000.12.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第14892号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 熊谷,進
 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 助教授 伊藤,喜久治
 農林水産省家畜衛生試験場 部長 山本,孝史
 日本獣医畜産大学 教授 澤田,拓士
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

 腸管出血性大腸菌0157:H7(0157)は,1982年に米国において集団食中毒の原因と認識されて以来世界的な問題となり,わが国においても1996年に本菌による集団食中毒が多発した。北米やヨーロッパにおいては0157保菌牛がヒトの感染源として重要視されているが,わが国においてはヒトの集団感染に牛が直接関連した事例は報告されていない。一方,農林水産省が1996年に行った農場における0157の浸潤調査では0.62%の牛から本菌が分離されている。しかし,これら保菌牛の排菌数や排菌期間に関する情報は少なく,農場レベルでの本菌の動態は不明であることから,ヒトの0157感染症におけるわが国の牛群の重要性は依然として明らかではない。そこで本研究においては,農場における0157の生態と伝播様式の解明を目的として一連の研究を行った。

1. わが国の牛から分離された0157の遺伝子型別

 農場レベルでの0157の疫学的動態を明らかにするために必要な0157型別法の評価を行った。23県の家畜保健衛生所等で分離された77頭の牛に由来する77株の0157について,パルスフィールドゲル電気泳動(PFGE)法による型別,PCR法による毒素遺伝子型別,ファージ型別を行った。また得られたPFGE像を用いてクラスター解析を行い,PFGE型と毒素遺伝子型,ファージ型との相関を調べた。これらの手法を用いて国立感染症研究所から分与を受けたヒト由来11株と牛由来株を比較した。

 制限酵素XbaIを用いたPFGEでは77株に50の異なる泳動像を認めた。ファージ型別では15の型が確認され,このうちファージ型21(16株,20.8%),54(16株,20.8%),および34(11株,14.3%)が優勢であった。また77株中75株(97.4%)はstx1およびstx2のいずれかの遺伝子を保有しており,28株(36.4%)は両遺伝子保有菌,43株(55.8%)はstx2単独保有菌であった。

 識別力の指標であるシンプソンのD値はPFGE型別で0.987,ファージ型別で0.884,すなわち77株からランダムに2株を選んだとき,それらが異なる型に属する確率がPFGEで98.7%,ファージ型別で88.4%と算出された。したがって,わが国の牛由来0157型別法としてはPFGEがもっとも優れており,疫学解析上の有力なツールとして使用可能であるものと考えられた。一方,PFGE像を用いてクラスター解析を実施したところ,PFGE型と毒素遺伝子型には相関が認められたが,PFGE型とファージ型とは関連性が低かった。したがって牛由来0157型別法としてPFGEを標準的な方法として用い,ファージ型別を併用することによって,より詳細な疫学的知見を得ることができるものと考えられた。

 また牛由来77株中1株は2種類の制限酵素(XbaI,B1nI)を用いたPFGE,毒素遺伝子型別,ファージ型別のいずれの手法を用いてもヒトの集団感染株と識別不能であった。これは,欧米と同様にわが国においても牛がヒトヘの感染源となっている可能性を示唆する成績と考えられた。

2. 自然感染牛における0157の排菌パターンと分離菌の遺伝子型の変化

 農場における本菌の排菌数,排菌期間を究明するために,1農場における保菌牛7頭について経時的に糞便からの菌分離を行い,分離菌の毒素遺伝子型やPFGE像を調べた。7頭中1頭において2ヶ月以上の持続的排菌が,3頭において2ヶ月前後の間欠的排菌がそれぞれ認められ,この間の排菌数は糞便1g当たり4〜43個と推定された。分離菌46株をPFGEで解析したところ,XbaIで4型,B1nIで6型,SpeIで4型に区分することができ,さらにこの組み合わせで,46株を9つのサブタイプに区分することができた。1菌株を除くと,各制限酵素で検出できた異なるバンドの数は3本以下であり,これら菌株の近縁度が高いことが示された。

 調査対象牛のうち持続的または間欠的排菌が認められた4頭中3頭において分離菌のサブタイプが時間の経過とともに変化する現象が認められた。特に保菌牛1頭においては,1週間おきに分離菌のサブタイプが変化した。これら分離菌は互いに近縁であることが示唆されたので,本現象は牛腸管内における遺伝的変異と優勢菌の交代を反映するものと推察された。

3. 実験感染牛における0157の排菌パターンと分離菌の遺伝子型の変化

 自然感染牛で認められたClonal turnover(Karch et al.1995)が実験的に再現できるか否か検討を加えた。事前に腸管出血性大腸菌陰性であることを確認した8週齢のホルスタイン去勢雄牛3頭を個別飼育し,うち2頭(No.1,2)に109CFUの0157(stx1-,stx2+,eaeA+)を経口投与し,他の1頭(No.3)は未投与対照とした。投与の翌日より計3頭の牛から毎日直腸便を採取し,0157を分離し,それをPFGEで解析した。

 図1に示したように2頭の実験感染牛において,0157の排菌は投与後49日,50日後まで観察された。未投与対照牛からは0157は分離されなかった。自然感染牛における成績と合わせて考えると,0157は牛に対して病原菌としてよりも,大部分の非病原性大腸菌と同様の挙動を示し,その排菌は再感染がなければ2ヶ月前後で終了することが示唆された。

 分離菌401株の解析において,投与後2日目には両牛から変異菌が回収された(図1)。牛No.1では投与後32日目以降投与菌が回収不能となった。牛No.2では投与後38,42日目に投与菌は回収されなかったが,その後投与菌のみが回収された。各牛由来の変異菌に17種類および10種類のPFGE型が認められたが,両牛間で同じPFGE型を示す株は認められなかった。以上の成績から牛腸管内における0157のランダムな変異と,適応クローンの増殖による優勢菌の交代を反映する現象としてのClonal turnoverが2頭の実験感染牛で再現できたものと考えられた。

 牛No.1から分離された株に90kbプラスミドの脱落を伴う変異菌が認められた(図1)。プラスミド脱落による変化を差し引くと,変異菌と投与菌のPFGE像の比較において,染色体DNAに由来する範囲で異なるバンド数は最大4本であった。このことから,PFGEを用いて牛由来0157の解析を行う場合,少なくとも異なるバンド数が4本までは疫学的関連を疑う必要があることが示唆された。

4. 日本および米国の牛から分離された0157の疫学マーカーによる比較

 グローバルな視点からの疫学的知見を得ることを目的として,わが国と米国における牛由来0157の比較を行った。国内の牛から分離された91株と米国内で牛から分離された415株をPFGE,PCR,あるいはファージタイピング等の手法によって比較したところ,日本の牛から分離された3株(JP37,JP88,JP102)は米国の牛から分離された株と高い相同性を示した。すなわちJP37株は1米国株とB1nIを用いたPFGEで識別不能であり,XbaI,SpeIを用いたPFGEでは異なるバンド数が4本以下であった。またJP88株は1米国株と同じファージ型に属しており,上記3種の制限酵素を用いたPFGEで異なるバンド数は3本以下であった。さらにJP102株は1米国株と同じファージ型に属しており,上記3種の制限酵素を用いたPFGEで異なるバンド数は5本以下であった。以上の成績から本菌は共通の媒体を介して長い距離を伝播し,複数の大陸の牛群に広がる汎流行型感染を引き起こす可能性が考えられた。

おわりに

 以上の研究より,わが国の牛由来0157型別法としてはPFGEが最も優れており,疫学解析上の有力なツールとして使用可能であることが明らかとなった。牛由来77株中1株は2種類の制限酵素を用いたPFGE,毒素遺伝子型別,ファージ型別のいずれの手法を用いてもヒトの集団感染株と識別不能であったこと,さらに牛の保菌期間が少なくとも50日以上であったことから,わが国においても牛がヒトヘの感染源となっている可能性が示唆された。また本研究において牛の腸管内において0157の遺伝的変異と優勢クローンの交代現象,すなわちclonal turnoverが起こることを初めて明らかにした。さらに0157は共通の媒体を介して長い距離を伝播し,複数の大陸の牛群に広がる汎流行型感染を引き起こす可能性が考えられた。

図1 実験感染牛における大腸菌0157:H7の排菌経過と分離菌のPFGE像の変化

審査要旨 要旨を表示する

 農場における腸管出血性大腸菌0157:H7(0157)の生態と伝播様式の解明を目的として一連の研究を行った。成績の概要は以下の通りである。

 0157型別法の評価を目的として23県の家畜保健衛生所等で77頭の牛から分離した77株の0157について,パルスフィールドゲル電気泳動(PFGE)法による型別,PCR法による毒素遺伝子型別,ファージ型別等を行った。その結果,わが国の牛由来0157型別法としてはPFGEが識別力の点で優れており,疫学解析上の有力なツールとして使用可能であることが明らかとなった。一方,PFGE像を用いてクラスター解析を実施したところ,PFGE型と毒素遺伝子型には相関が認められたが,PFGE型とファージ型とは関連性が低かった。したがって牛由来0157型別法としてPFGEを標準的な方法として用い,ファージ型別を併用することによって,より詳細な疫学的知見を得ることができるものと考えられた。

 また牛由来77株中1株はいずれの手法を用いても人の集団感染株と識別不能であった。これは,欧米と同様にわが国においても牛が人への感染源となっている可能性を示唆する成績と考えられた。

 農場における本菌の排菌数,排菌期間を究明するために,1農場における保菌牛7頭について経時的に糞便からの菌分離を行い,分離菌の毒素遺伝子型やPFGE像を調べた。7頭中1頭において2ケ月以上の持続的排菌が,3頭において2ケ月前後の間欠的排菌がそれぞれ認められ,この間の排菌数は糞便1g当たり43個以下と推定された。

 調査対象牛のうち持続的または間欠的排菌が認められた4頭中3頭において分離菌の遺伝子型が時間の経過とともに変化する現象が認められた。特に保菌牛1頭においては,1週間おきに分離菌の遺伝子型が変化した。これら分離菌は互いに近縁であることが示唆されたので,本現象は牛腸管内における遺伝的変異と優勢菌の交代を反映するものと推察された。

 自然感染牛で認められた0157分離菌の遺伝子型変化が実験的に再現できるか否か検討を加えた。2頭の実験感染牛に由来する分離菌401株の解析において,投与後2日目には両牛から変異菌が回収された。牛No.1では投与後32日目以降投与菌が回収不能となった。牛No.2では投与後38,42日目に投与菌は回収されなかったが,その後投与菌のみが回収された。各牛由来の変異菌に17種類および10種類のPFGE型が認められたが,両牛間で同じPFGE型を示す株は認められなかった。以上の成績から牛腸管内における0157のランダムな遺伝子型の変化と適応遺伝子型の増殖による優勢菌の交代を反映する現象が2頭の実験感染牛で再現できたものと考えられた。

 グローバルな視点からの疫学的知見を得ることを目的として,わが国と米国における牛由来0157の比較を行った。国内の牛から分離された91株と米国内で牛から分離された415株をPFGE,PCR,あるいはファージタイピング等の手法によって比較したところ,日本の牛から分離された3株は米国の牛から分離された株と高い相同性を示した。本菌は共通の媒体を介して長い距離を伝播し,複数の大陸の牛群に広がる可能性が考えられた。

 以上の成績から,わが国の牛由来0157型別法としてはPFGEが識別力の点で優れており,疫学解析上の有力なツールとして使用可能であることが明らかとなった。牛由来77株中1株は2種類の制限酵素を用いたPFGE,毒素遺伝子型別,ファージ型別のいずれの手法を用いてもヒトの集団感染株と識別不能であったこと,さらに牛の保菌期間が少なくとも50日以上であったことから,わが国においても牛が人への感染源となっている可能性が示唆された。また本研究において牛の腸管内で0157の遺伝子型の変化と優勢遺伝子型の交代現象が起こることを初めて明らかにした。さらに0157は共通の媒体を介して長い距離を伝播し,複数の大陸の牛群に広がる可能性が考えられた。

 以上本論文は,牛の腸管内における遺伝子型の変化を含め腸管出血性大腸菌0157:H7(0157)の生態を分子疫学的に究明したもので,学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50057