学位論文要旨



No 214893
著者(漢字) 等々力,徹
著者(英字)
著者(カナ) トドロキ,トオル
標題(和) 脂質クラス別脂肪酸組成解析法の開発と生体試料への応用
標題(洋)
報告番号 214893
報告番号 乙14893
学位授与日 2001.01.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14893号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 助教授 三田,智文
内容要旨 要旨を表示する

【はじめに】

 脂肪酸は脂肪酸そのものとして存在するほか、すべてのクラスの脂質に脂肪酸エステルとして存在しており、脂質の主要な構成成分となっている。それらの脂肪酸の種類は多く、肝臓内の糖・脂質代謝や、酸化還元平衡などが脂肪酸の組成に影響を与え、肝臓内の脂肪酸組成比を変化させることが推察される。さらに、肝臓内で合成された脂質は、その一部がリポ蛋白を構成し血中へ放出されることから、肝臓内の脂肪酸組成の変化は、血清中脂質の脂肪酸組成にも反映し、種々の疾患と対応させる事が可能であると考えられる。従って生体試料中のエステル型脂肪酸および遊離脂肪酸の組成を解析することは意義あることと思われる。

 エステル型脂肪酸および遊離脂肪酸の組成を解析するには、脂質の抽出一脂質のクラス分画一メタノリシスによる脂肪酸メチルエステルの生成一脂肪酸メチルエステルの分離定量の行程が想定される。しかし個々の行程については検討はされているものの、各脂質クラスの脂肪酸組成をクラス別に解析する方法としては組み立てられてはいなかった。そこで本研究では、クラス別脂肪酸組成を解析するための一斉分析法の確立を目的とし、各行程につき、手法を選択して組み合わせ、その条件設定を行った。また本研究で確立された脂質クラス別脂肪酸組成解析法を用いて、脂肪酸組成に変化を与える因子の検索を行った。

【本論】

【1】脂質クラス別脂肪酸組成解析法の確立

 種々の検討の結果、Folch法による脂質抽出、フロリジルカラムクロマトグラフィーによる脂質クラス分画、BF3-メタノールによるメタノリシス、およびキャピラリーガスクロマトグラフィー(GC)による脂肪酸メチルエステルの分離定量の4行程につき、最適条件を検討して定量的解析法を確立した。

(1) GCによる脂肪酸メチルエステルの分離定量

 脂肪酸のメチルエステルのGCによる分析には、内径0.3mm、長さ30mのキャピラリーカラムを使用した。定量はヘプタデカン酸を内標準として用いる面積強度法により行った。本法による保持時間や相対面積強度の再現性はすべて、CVで5%以内と良好であった。

(2) 脂肪酸メチルエステルの調製

 ジムロートを取り付けたナシ型フラスコで加熱する還流法で、試薬の組成や反応時間の検討を行った。メタノリシス試薬としてグリセリド(GL)についてはメタノール中20%ベンゼンー4.3%BF3、コレステロールエステル(CE)についてはメタノール中30%ベンゼン-5.9%BF3、他のクラスの脂質についてはメタノール中17%BF3を用いた。各々の反応時間で生成した脂肪酸メチルエステルをヘキサン抽出し、GCにて定量し収率を算出した。その結果、GLとCEは2時間の反応で、他の脂質クラスでは30分の反応で100%近いメタノリシスの収率が得られた。さらにこれらの条件で各脂質クラスについて、異なる脂肪酸組成の試料を検討した結果、各脂質クラスともに脂肪酸の種類による収率の差はみられなかった。

(3) フロリジルカラムクロマトグラフィーによる脂質クラス分画

 本法では試料量や脂質の空気酸化が少ない点からカラムクラマトグラフィーを採用した。また充填剤として、再現性や回収率の難点を回避するために、脂質に対する吸着力を適度に低下させた50%メタノール処理フロリジルを用いた。この50%メタノール処理フロリジルのヘキサン溶液を充填したカラムに、溶離液としてn-ヘキサン(H)-ジクロルメタン(D)-メタノール(M)系を用いて、最適の溶離条件を検討した結果、30%D/HでCE、10%M/DでGL、100%Mで遊離脂肪酸(FFA)、そしてクロロホルム:メタノール:ピリジン:酢酸(3:2:3:3)のCMPA液でリン脂質(PL)を溶出させることにより、各脂質クラス画分において高い回収率で標準試料が再現よく分画された。以上の結果、確立された解析法を図に示した。

【2】本解析法の生体試料への応用-脂肪酸組成変動因子の検索-

(1) 高脂血症における血清リポ蛋白中脂質のクラス別脂肪酸組成の解析

 各高脂血症型と各リポ蛋白中脂質の脂肪酸組成との関連について、平衡密度勾配遠心法で分離した各リポ蛋白を試料として検討を行った。その結果、従来の報告と同様に、同一脂質クラスの脂肪酸組成は、リポ蛋白種や高脂血症型によらずほぼ同じであることが確認された。

(2) CESD患者の肝臓内脂質の脂肪酸組成変化

 CESD患者の肝臓について、脂質の組成やその脂肪酸組成の検討を行った。患者肝臓内に多量のCEの蓄積が観察されたが、他のクラスの脂質は軽度の蓄積であった。患者の肝臓中のCEの脂肪酸組成はリノール酸が最も多く、ついでオレイン酸であった。これに対して、対照の肝臓中のCEの脂肪酸組成はオレイン酸が最も多く、ついでリノール酸であった。一方、健常人の血清LDL中のCEの脂肪酸組成は、リノール酸が最も多く、ついでオレイン酸と報告されている。したがって、患者のCEの脂肪酸組成は対照の肝臓中のCEではなく、血清中のLDLのCEの脂肪酸組成に類似している結果となった。GLについては、患者肝臓中、対照肝臓中および血清LDLでほぼ類似した脂肪酸組成であった。これらの相違を理解するために、酸性および中性コレステロールエステルヒドロラーゼ(ACEH、NCEH)活性について検討した。ACEH活性は対照肝に比べ患者肝では1/20に低下していたが、NCEH活性では対照肝と差は認められなかった。細胞に取り込まれたLDLはファゴソーム中に移行し、ライソソームと融合して二次ライソソームとなり、このときACEHにより加水分解をうけることが知られている。本症例の場合、このACEH活性が低下しているためにCEが加水分解できずに蓄積した結果、CEの脂肪酸組成が血清LDLと類似したと考えられる。したがって、本症における肝臓に蓄積したCEの由来は血清LDLであり、ACEHの欠損に基づく蓄積であることが示唆された。

(3) 肝臓内酸化還元平衡と2型糖尿病患者、急性アルコール中毒患者及びC型肝炎患者の血清脂質の脂肪酸組成

 肝臓内での脂肪酸の炭素鎖の延長と不飽和化は、肝臓内のRedoxと密接に関連している。そこで、グルコース負荷による肝臓内Redoxの変動による血清脂質中の脂肪酸組成の変化と、肝臓内Redoxが還元方向へ変移していると報告されている2型糖尿病患者の血清脂質中の脂肪酸組成の変化との関連を検討するために、糖尿病患者および健常者についてグルコース経口負荷後の血清脂質中脂肪酸組成の変動をクラス別に分析した。その結果、肝臓内Redoxの臨床的指標の一つである肝動脈ケトン体比(AKBR)の逆数が健常人に対して高値で還元状態にある2型糖尿病においては、血清中のGLやPLの脂肪酸の不飽和脂肪酸の総和(US)が増大していることが確認された。更に、肝臓内のグルコース負荷によるRedoxの酸化方向への変動にともない、血清中GLのUSが健常者および2型糖尿病患者ともに減少していた。これらの結果から肝内のRedoxの短期的な変動では血清中GLのUS、長期的な変動ではGLだけではなくPLのUSも変化することが明らかとなり、Redoxの変化が2型糖尿病における血清脂質の脂肪酸組成の変化の原因の一つである可能性が示唆された。一方、アルコールは、アルコール脱水素酵素およびアルデヒド脱水素酵素の作用により肝臓内Redoxを還元方向に変動させる。そこで急性アルコール中毒患者について解析したところ、血清GLとPL中の脂肪酸組成は、USやオレイン酸/ステアリン酸(0/S)の上昇、アラキドン酸/リノール酸(A/L)比の減少が認められた。アルコール投与による肝臓内Redoxの還元方向への変動も、血清脂質の脂肪酸組成を変化させることが確認された。

 東大消化器病内科との共同研究により、C型肝炎の病態モデルであるHCVコア蛋白遺伝子導入トランスジェニックマウス(TgM)の肝臓では脂質の蓄積(ステアトーシス)が認められた。そこで、このTgMの脂質解析の結果に基づき、HCV感染患者の肝臓および血清中の脂質の分析を行ったところ、肝臓に蓄積している脂質は主にGLであり、対照に比べて上昇が認められた。肝臓及び血清中の脂質クラス別脂肪酸組成では、0/Sの上昇が肝臓中と血清中のPLで認められたが、GLにおいては食餌や感染の進行度などの個体差のために、有意な差は認められなかった。またUSについては肝臓でGL、PLとも上昇が認められたが、血清では有意の差は認められなかった。またA/Lは血清のPLで有意に下降していたがGLでは下降傾向は認められるものの有意な差は認められなかった。一方、炭素鎖長(MNC)や不飽和脂肪酸1分子あたりの二重結合数(MNUSB)では、肝臓および血清中脂質で対照と差は殆どみられなかった。以上の結果から、マウスで認められたようなHCVコア蛋白発現に伴う脂肪酸組成の変化はヒトでは顕著ではなかったが、Redoxの変化に伴う脂肪酸組成の変化と類似したものであった。

【総括】

 Folch法による脂質抽出、フロリジルカラムクロマトグラフィーによる脂質クラス分離、BF3-メタノールによるメタノリシス、およびキャピラリーガスクロマトグラフィーによる脂肪酸の分離定量を組み合わせ、クラス別脂肪酸組成を解析するための一斉分析法を確立した。本法を用いて、コレステロールエステル蓄積症患者の肝臓内の脂質の脂肪酸組成を解析した結果、蓄積脂質の由来は血清リポ蛋白であり、脂質の加水分解酵素の活性変動が脂肪酸組成変動因子の一つであることが明らかとなった。さらに、糖尿病患者や急性アルコール中毒患者の血清、Redoxの変動を起こすグルコース負荷後の血清脂質の脂肪酸組成解析から、肝臓内Redoxの変動が、脂肪酸組成を変化させる因子の一つであることを明らかにした。加えてHCV感染患者の肝臓と血清中脂質の脂肪酸組成の解析結果から、HCV感染が肝臓内のRedoxを還元方向に変移させて、脂肪酸組成を変化させている可能性が示唆された。

図. 脂質クラス別脂肪酸組成解析法

審査要旨 要旨を表示する

 脂肪酸代謝、脂質クラス代謝、および脂質複合体である血清リポ蛋白代謝の異常をきたす疾患においては、血清や臓器内脂質の脂肪酸組成が変化することが予想され、これら病態の生化学的理解には脂肪酸組成解析が有用であると考えられる。しかし、従来、各脂質クラス別に脂肪酸組成を解析する系統的な分析法が乏しかったこと、および脂肪酸組成変動因子が明らかでなかったことなどのため脂肪酸組成解析の意義は明らかではなかった。。

 そこで、まず脂肪酸組成解析による脂肪酸や脂質代謝疾患の病態把握の為の各脂質クラス別の脂肪酸組成解析法の確立を行った。まず想定される分析行程の手法を選択し、最適条件を検討した。その結果、Folch法により試料より脂質を抽出し、溶媒蒸発乾固後、固形物を1mlのヘキサンに溶解し、この試料1mlを50%メタノール処理フロリジルカラムに適用し、まず50mlのヘキサン中30%ジクロロメタンでコレステロー一ルエステル、次いで50mlのジクロロメタン中10%メタノールでグリセリド、次いで50mlの100%メタノールで遊離脂肪酸、最後に50mlのクロロホルム・メタノール・ピリジン・酢酸(3:2:3:3)の混液にてリン脂質を、それぞれ順に溶出し、得られた各分画に内部標準物質であるヘプタデカン酸を1.Omg加え、蒸発乾固して、メタノリシス試薬を加えて加熱し、各脂質クラスからの脂肪酸のメチルエステルを生成させ、これをヘキサン抽出し、濃縮してキャピラリーガスクロマトグラフィーにて脂肪酸メチルエステルの組成比と定量を行う方法を確立した。この方法は、再現性も回収率も良好であった。

 更に、本法を用いて、平衡密度勾配遠心法で分離した種々高脂血症の各リポ蛋白中の脂質について、その脂肪酸組成解析を脂質クラス別に行った。その結果、従来の報告どおり、同脂質クラスでは、リポ蛋白や高脂血症の型によらずほぼ同様な脂肪酸組成を呈していることなどが確認され、本法の信頼性も保証されるとともに、リポ蛋白代謝の変動は脂肪酸組成変動因子ではないことも明らかとなった。

 次に申請者は、本邦では初の報告例であるコレステロールエステル蓄積症患者の肝臓内脂質につき、本法を用いて脂質クラス別脂肪酸組成を解析した。その結果、コレステロールエステル蓄積症患者の肝臓に蓄積したコレステロールエステルの由来は、血清LDLである可能性を示唆し、本症例の病態はライソソームの酸性コレステロールエステルヒドロラーゼの欠損に基づく過剰蓄積であることの根拠の一つを示した。それと同時に、その脂質クラスの脂肪酸組成も変化していることを明らかにした。

 更に、脂肪酸の不飽和化には肝内の酸化還元平衡(Redox)が関与することが知られているので、長期的にRedoxが変化する2型糖尿病、中期的にRedoxが変化するアルコール性中毒、および短期的にRedoxが変動するグルコース経口負荷試験施行例につき血清中の脂肪酸組成解析を行うことにより、Redoxの変動と肝内脂質や血清脂質の脂肪酸組成変化との関連性を検討した。その結果、肝内のRedoxが還元方向へ変移すると、それぞれ、血清グリセリド中(短期)の、血清グリセリドと血清リン脂質中(中期および長期)の、モノエン酸の組成率の増加による不飽和脂肪酸の総和の上昇と、多価不飽和脂肪酸組成率の低下による脂肪酸組成変化を見いだし、肝内Redoxの変化が血清中脂質の脂肪酸組成を変化させる因子の一つである可能性が示唆された。また、最近、脂肪酸代謝に変化のあることが知れているC型肝炎につき、患者の肝臓及び血清脂質の脂肪酸組成を解析した結果、弱い変化ではあったが、上に述べたRedoxの変化に伴う脂肪酸組成の変化とほぼ類似した変化が観察され、C型肝炎ウイルスコアの発現に伴う肝内Redoxの変化の可能性が示唆された。C型肝炎ウイルスコアの発現やコア自身の宿主に対する生化学的影響は未だ明らかではないが、この示唆は今後のC型肝炎研究の方向性に影響を与える知見であると考えられる。

 以上、申請者は、脂質クラス別脂肪酸組成の解析法を確立し、それを生体試料に応用して得られた知見から、脂質代謝に関与する酵素活性およびRedoxの変化が脂肪酸組成を変動させる可能性があることを見いだした。今後、本法を、種々の背景を有する疾患の生体試料に応用することにより、脂肪酸組成解析の意義がより明らかになることが期待される。このように、本研究は、病態生化学、臨床化学の発展に寄与すると思われ、博士(薬学)の学位に値するものと認めた。

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