学位論文要旨



No 214895
著者(漢字) 冨田,秀一郎
著者(英字)
著者(カナ) トミタ,シュウイチロウ
標題(和) カイコヘの遺伝子導入に関する研究
標題(洋)
報告番号 214895
報告番号 乙14895
学位授与日 2001.01.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14895号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,正彦
 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 教授 永田,昌男
 東京大学 助教授 石川,幸男
 東京大学 助教授 嶋田,透
内容要旨 要旨を表示する

 今日の分子生物学的研究は、主にモデル生物を使って得た知見を一般化できるかどうかを検証する形で進んでおり、モデル生物には外来遺伝子の導入系が求められている。言いかえれば外来遺伝子導入系の整備された種がモデル生物として頻用されている。カイコは養蚕業との関わりで長年にわたって人間の手が加えられ他に類を見ないほど家畜化された昆虫であるが、同時に多くの生理学および遺伝学的知見が集積した結果、モデル生物として利用されるようになった。遺伝子導入系には一過的なtransient系と永続的なstable系がある。カイコに外来遺伝子を導入する方法としては、transient系としてはバキュロウイルス発現系が開発されているが、ゲノムに安定的に外来遺伝子を導入するstable系は確立されておらず、このことが分子生物学的方法論を用いた研究を困難にしてきた。本研究ではカイコに遺伝子を導入して発現させる系の技術開発を行うことを目的として、一過的および永続的な導入法の開発や改善のために、バキュロウイルス発現系の改良による応用範囲の拡大、導入ベクターとして利用するためのトランスポゾンの単離、および配列特異的組換酵素の利用の検討という三つのアプローチを行った。

1 カイコ核多角体病ウイルスp1O遺伝子の単離と利用

 カイコ核多角体病ウイルス(BmNPV)はAutographa carifornica NPV(AcNPV)と並んで外来遺伝子の大量発現に利用されているバキュロウイルスである。核多角体病ウイルスには感染後期になって旺盛に合成される2つのタンパク質がある。その一つは多角体の構成タンパク質であるポリヘドリンであり、もうひとつはp10タンパク質である。外来遺伝子発現に利用されてきたのは主にポリヘドリンプロモータであったが、近年AcNPVではp10プロモータを用いた外来遺伝子発現が報告されている。p1O欠損ウイルスは正常に増殖し多角体を形成する。これを利用した組換ウイルスはウイルス粒子が多角体に包埋され経口接種が可能となる。BmNPVはその宿主であるカイコの大量飼育体系が整っていることから、経口接種可能な組換ウイルスの作製法の確立はカイコ-BmNPV系の利便性を飛躍的に高めると思われる。そこでBmNPVのp1O座位に外来遺伝子を導入するベクターを構築し、実際に組換ウイルスを作製してその性状を明らかにした。

1-1 BmNPVp1O遺伝子のクローニングとトランスファーベクターの構築

 クローン化したBmNPVのp1O遺伝子の配列はAcNPVのものと90%以上の相同性を示した。BmNPVのp10遺伝子はORFの途中にフレームシフトがあり、AcNPVのp10タンパク質と比較するとカルボキシル末端を欠いた、70アミノ残基よりなる約7.7kDaのタンパク質をコードしていた。これは完全なplO遺伝子が形成する繊維状構造(fibrillar structure)が、BmNPV感染細胞においては観察されないことと符合する。プロモータ領域においては、推定されるTATA boxおよびバキュロウイルスのvery lateプロモータに共通するATAAGモチーフは保存されていた。トランスファーベクターの構築においては、p10遺伝子の5'上流域と3'下流域をそれぞれ別個にクローニングし、それらを組み合わせてNruIをユニークなクローニングサイトとして持つpBNT1を構築した。pBNT1はBmNPVのp10座位にp10プロモータにより制御される外来遺伝子を導入することが可能である。

1-2 p10ベクターを用いた組換ウイルス作製とその性状解析

 pBNT1を用いてBmNPVのp10座位にp10遺伝子の代わりにルシフェラーゼ遺伝子を導入した組換ウイルスBmp1O-Lucおよび対照としてポリヘドリン座位にルシフェラーゼ遺伝子を導入した組換ウイルスBmPH-Lucを作製した。Bmp10-Lucはポリヘドリン遺伝子を無傷のまま保持しているため多角体を形成し,ウイルス粒子がその中に包埋されていた。カイコ由来培養細胞株NISES-BoMo15AIIcにこれらの組換ウイルスを感染させて行った経時的なルシフェラーゼ・アッセイの結果、BmNPVのp10およびポリヘドリンプロモータは感染後約60時間でピークを迎えるよく似た発現パターンを示すこと、発現量の最大値は前者は後者の約1/2であることが示された。これらの結果はp10およびポリヘドリンがともにvery late geneと呼ばれる遺伝子のグループに属していることやAcNPVにおいてもp1Oプロモータの活性がポリヘドリンの1/2であることと整合性がとれている。

 Bmp10-Lucがp10遺伝子を欠損していることの病原性への影響を検討するため、野生型ウイルスを対照としてカイコに対して多角体の添食試験を行った。その結果、多角体の感染力価は野生型のほうが若干高いこと、多角体の長期保存後の感染力価の低下については両者に明確な差異が認められないことが明らかとなった。以上のことよりBmNPVのp10組換ウイルスは経口接種による物質生産に利用可能であることが示された。また、Bmp10-Luc感染虫の血リンパ中の多角体密度は野生型感染虫に比べ顕著に低かったが、これはp10欠損ウイルスが感染した培養細胞において多角体の培地への放出が抑制されるという報告と合致する。

2 カイコのmariner様因子のクローニングと性状解析

 形質転換の最初のステップは外来のDNAを細胞内に導入することであるが、カイコにおいては卵へのマイクロインジェクションにより一過的に外来遺伝子を導入することがすでに可能となっている。そこで、次のステップである外来遺伝子のゲノムヘの挿入を起こさせるベクターとして、利用可能なトランスポゾンを探索した。本研究では、幅広い生物種にその存在が確認されているmariner様因子に着目してカイコよりクローニングを行い、その性状を解析した。

2-1 カイコのmariner様因子のクローニングと構造解析

 縮重プライマーによるPCRで部分配列をクローン化した後、それをプローブとしてゲノムライブラリをスクリーニングしてゲノムクローンを取得した。このクローンのトランスポザーゼのORFには挿入配列、終止コドン、そしてフレームシフトがあり不完全であったため、さらにいくつかのプライマーを設計してPCRを行った。そしてPCR産物の配列から、完全型のカイコmariner様因子(BmMLE)の塩基配列およびそのコードするタンパク質のアミノ酸配列を予想した。この仮想のタンパク質はモーリシャスショウジョウバエDrosophila mauritianaの活性型marinerであるMos1因子とアミノ酸配列で34%の相同性を示し、分子系統学的にはセクロピア蚕H.cecropiaのMLE(HcMLE)と非常に近縁であった。

2-2 カイコゲノム中でのBmMLEの存在様式の解析

 大造およびC1O8系統を用いたサザンブロット解析の結果、BmMLEは半数体ゲノム当たり約80から100コピー存在すること、ゲノム中でかなりのバリエーションがありその多くは欠失型と予想されること、そしてゲノム上の多数の座位に分散して存在していることが明らかとなった。次にBmMLEがゲノム中でどのような修飾を受けてきたかを解析するため、入手できる限りの地理的品種を用いて末端の逆位反復配列をプライマーとしてLAPCRを行った。これはまた同時にBmMLEを持っていない系統を探索するという意味もあった。その結果、BmMLEはそのサイズにおいて約20種類以上の多型を持ち子孫に安定的に受け継がれることが示唆された。バンドの出現パターンに着目すると地理的品種のグループでは中国種がもっとも多様性に富んでおり、他のグループではグループ内の多型は顕著ではなかった。このことよりBmMLEがカイコのゲノム中で動き、修飾を受けていることが示唆された。また全てのカイコの系統の起源が中国種であるというこれまでの研究結果ともよく一致していた。供試した限りではBmMLEを保持していない系統は見つけることが出来なかった。従ってBmMLEの転移酵素が細胞内に存在すると、数多く存在する内在性コピーが一斉に転移してゲノム構造を大きく変化させてしまうおそれがあるため、現時点ではBmMLEをカイコの遺伝子組み換えに利用することは困難であると結論した。しかし、ランダムに遺伝子を破壊する実験には利用できる可能性がある。

3 FLPリコンビナーゼによるカイコ培養細胞および卵での配列特異的DNA切り出し

 カイコの形質転換についてはいくつかの成功例の報告はあるものの効率が極めて低く、実用化にはその効率を向上させることが強く求められている。また同時に遺伝子操作の自由度を高くすることも望まれている。そこで配列特異的DNA組換酵素であるFLPリコンビナーゼに着目し、これのカイコにおける利用可能性を探るため、FLPリコンビナーゼの活性を染色体外でのDNA切り出しによって検定する系を構築し、カイコ培養細胞および卵においてFLPリコンビナーゼが機能しうるか否かを検討した。

 まずFLPリコンビナーゼを発現するヘルパー、FLPの認識配列(FRT)を両端にもつ遺伝子カセットの挿入により破壊されたβ-ガラクトシダーゼ遺伝子を有する切り出しインディケーター、およびインディケーターが組み換えを受けた後に取ると予想される構造をもつポジティブコントロールの3種類のプラスミドを構築した。カイコ由来の培養細胞にこれらのプラスミドを一過的に導入したところ、インディケーター単独では内在性レベルであったβ-ガラクトシダーゼの活性がヘルパーとコトランスフェクトすることにより顕著に増大した。ポジティブコントロールとの比較から切り出し効率は10〜20%と予想された。β-ガラクトシダーゼ活性による細胞化学的染色による検出も同様の結果を与えた。

 次にこれらのプラスミドDNAを卵にマイクロインジェクションし、組織化学的染色によりβ-ガラクトシダーゼ活性を検出した。その結果、インディケーターのみでは染色される細胞は全く現れず、ヘルパーとのコインジェクションによって染色される細胞が出現した。さらにインディケータープラスミドが実際に組み換えを受けていることを検証するため、DNAを注射した卵からプラスミドを回収してサザンブロット解析を行った。その結果ヘルパーとのコインジェクションによるインディケーターの構造変化が検出され、2つのFRT間で正確に組み換えが起こったことが示唆された。デンシトメトリー定量により求めた切出効率は約20%であった。

 以上の結果よりFLPリコンビナーゼはカイコの培養細胞および卵においてFRT間のDNA組み換えを触媒することが示された。また切出効率においても哺乳動物細胞において得られた値と大きな違いは認められず、FLPリコンビナーゼがカイコの遺伝子操作ツールとして利用可能であることが示唆された。

 以上本研究においてはカイコに遺伝子を導入する系の技術開発を行うことを目的として、BmNPVのp1O座位に外来遺伝子を導入するトランスファーベクターを構築し、p1O組換ウイルスの経口接種における有用性を示した。また、形質転換を行うためのツールとしてトランスポゾンの1種であるmariner様因子をカイコより単離し、これをBmMLEと名付けた。BmMLEは内在性のコピー数が多く遺伝子導入ベクターとしての応用は困難であると思われた。一方カイコの形質転換における遺伝子導入効率を改善し、遺伝子操作の自由度を向上させるためのツールとして、FLPリコンビナーゼに着目し、これがカイコ培養細胞および初期胚において機能することを明らかにし、利用可能であることを示した。また本研究により明らかとなった知見を組み合わせることにより、さらに様々なカイコの遺伝子操作法への応用が考えられる。例えばFLP-FRT系を利用することにより高効率に組換NPVを得ることが可能となるであろう。また、活性型のBmMLEを組み込んだAcNPVの経口接種により遺伝子破壊を誘発して、多数の突然変異を得ることができると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、カイコ個体へ遺伝子を導入し一過的および永続的に発現されるシステムの開発を目的とし,以下に示す三つの方法でその可能性を検討したものである。

1. バキュロウイルス発現系の改良

 カイコ核多角体病ウイルスは,すでに外来遺伝子導入発現用のベクターとして利用されている。しかし,従来のベクターはポリヘドリン遺伝子を外来遺伝子で置換するため,核多角体が形成されず,経口感染ができない,という欠点があった。本研究では,ポリヘドリン遺伝子の替わりにplOという後期遺伝子のプロモーターの下流に外来遺伝子を組み換えることのできるトランスファーベクターを構築し,試みにルシフェラーゼ遺伝子を組み換えたウイルスを作出した。組換えウイルスは,ポリヘドリン遺伝子を組み換えた場合に比して遜色のないタンパク質合成能を示し,またウイルスの感染性や安定性も野生型ウイルスに匹敵するものであった。このシステムはウイルスの経口接種による遺伝子発現に利用できると考えられる。

2. カイコゲノムからの新規トランスポゾンの単離

 マリナー(mariner)は,昆虫を中心に多くの動物で発見されているトランスポゾンである。縮重プライマーによるPCRを利用してカイコのゲノムDNAからマリナーに似た配列BmMLEを増幅することができた。サザン解析の結果,BmMLEは,カイコのゲノムに約90コピー存在すると推定され,そのほとんどは挿入/欠失変異や点変異によって転移酵素のORFが崩れていた。しかし,複数の配列を継ぎ合わせることによって完全な転移酵素の0RFを推定することができた。BmMLEは,特定の遺伝子をカイコへ導入するベクターとしては不向きだが,この転移酵素を別のベクターでカイコヘ導入することにより,突然変異を高頻度で誘発することができるものと考えられトランスポゾンタギング法など新規な遺伝子工学技術へ応用できる可能性がある。

3. 配列特異的組換え酵素の利用

 FLPリコンビナーゼは出芽酵母の組換え酵素であり,FRTと呼ばれる塩基配列を特異的に認識してDNAの切断と再結合を行う。FLP-FRTのシステムはショウジョウバエなどで人為的な組換えを誘導する目的に利用されている。カイコの培養細胞および卵においてFLP-FRTのシステムが動いて組換えが起こるか否かを,組換え酵素をコードするヘルパープラスミドとβガラクトシダーゼをコードするインジケータープラスミドのコトランスフェクションによって検定した。その結果,培養細胞・卵ともに10〜20%と高い切り出し効率が観測され,哺乳動物細胞で得られる値と遜色がなかった。したがって,FLPリコンビナーゼは,カイコにおいてもDNAの組換えを触媒するものと推定され,たとえばBmNPVの組換え効率を上昇させることなど,カイコヘの遺伝子導入のいろいろな場面に利用できると考えられる。

 以上要するに、本研究は、カイコ個体への遺伝子導入に関し、後期遺伝子p10のプロモーターを利用してバキュロウイルスによる一過的な発現システムの改良を図り、同時に永続的発現システムの開発のために新規のトランスポゾン及び配列特異的組換え酵素の利用を検討したもので、学術上、応用上価値ある知見を得ている。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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