学位論文要旨



No 214897
著者(漢字) 高井,敏朗
著者(英字)
著者(カナ) タカイ,トシロウ
標題(和) 免疫療法のための改変ダニアレルゲンの創製
標題(洋)
報告番号 214897
報告番号 乙14897
学位授与日 2001.01.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14897号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 客員助教授 戸塚,護
 東京大学 助教授 八村,敏志
内容要旨 要旨を表示する

 アレルギー性喘息、アレルギー性鼻炎、アトピー性皮膚炎、食物アレルギーなどのI型アレルギーには先進国の人口の20%以上が罹患しているといわれ、大きな社会問題となっている。I型アレルギーの原因となる抗原はハウスダスト、花粉、食物などであり、アレルゲンと呼ばれる。アレルゲン特異的免疫療法はアレルゲンを長期間繰り返し患者に投与するアレルギー治療法であり、今世紀初頭より効果的な治療法として実施されてきた。一般に天然アレルゲンの粗エキスが投与されており、品質および量に限界があったが、1980年代の終わりから1990年代にかけて様々なアレルゲン遺伝子がクローニングされ、高純度かつ大量の組換アレルゲンが供給可能となりつつある。一方では、免疫学的手法により作用機序の解明がなされつつある。組換アレルゲンと作用機序理解を礎として、アレルゲン特異的免疫療法は新しい局面を迎えつつある。ハウスダストは様々なアレルギー疾患に関わる、最も重要なアレルゲンである。その実体はハウスダスト中に生息するDermatophagoides属のダニである。さらに、ほとんどのダニアレルギー患者がダニ主要アレルゲンDer f 2に対して皮膚テスト陽性かつ血清中の特異的IgE抗体陽性であり、強く感作されていることが知られている。筆者らはDerf2をモデルアレルゲンとして選択し、IgEエピトープ解析を行い、アレルゲン特異的免疫療法において安全かつ高い有効性が期待できる改変アレルゲンを創製した。

 アナフィラキシーショックを起こしにくいことが改変アレルゲンに望まれる第一の条件である。この条件を満たすDerf2の欠失体および部位特異的変異体を患者IgEとの反応性低下および患者好塩基球からのヒスタミン遊離刺激活性低下を指標に検索した。

 Der f 2は6個のCysを含む129アミノ酸残基からなる糖鎖を持たないタンパク質である。N末端あるいはC末端からの連続的なアミノ酸配列欠失体の解析により、患者IgEの結合はアミノ酸配列1-24,25-30,121-123を欠失させた各段階で顕著に低下してしまうことを明らかにした。これはIgEの結合には高次構造の保持が非常に重要であることを示唆する。

 ダニ抽出物より精製したDer f 2には3組の分子内ジスルフィド結合が存在し、その位置はCys8-Cys119,Cys21-Cys27,Cys73-Cys78であった。さらに、Cys変異体の解析により、IgE結合能への寄与はCys8-Cys119>Cys73-Cys78>>Cys21-Cys27の順であることを明らかにした。特に、システインのセリンへの置換によりCys8-Cys119のジスルフィド結合を破壊した変異体(C8/119S)ではIgE結合活性が顕著に低下し、ヒスタミン遊離活性も約1/100に低下した。

 3種のマウス・モノクローナル抗体のエピトープ解析を行った。2種のモノクローナル抗体のエピトープが67-90の配列中に存在し、またCys73-Cys78結合に依存性であることを示した。ただしそのうち1種はN末端およびC末端配列の欠失、およびCys8-Cys119結合の破壊により結合能が顕著に低下した。残るもう1種のモノクローナル抗体についてはN末端およびC末端配列の欠失、およびCys8-Cys119結合の破壊により結合能が顕著に低下することを明らかにした。欠失体およびCys変異体のポリクローナルな患者IgEとの反応性とモノクローナル抗体との反応性をあわせて考察すると興味深い。Cys8-Cys119結合は患者IgEおよびモノクローナル抗体との反応性に非常に大きく影響を与え、conformationalなエピトープの構造保持に大きく貢献していると考えられる。Cys73-Cys78結合は患者IgEとの反応性においてCys8-Cys119結合に次いで重要であり、2種のモノクローナル抗体ではCys73-Cys78結合がsequentialなエピトープ内に存在する。Cys8-Cys119およびCys73-Cys78の2つの分子内ジスルフィド結合がDerf2の構造保持における重要性がうかがわれる。

 アレルゲン特異的免疫療法の作用機序として、効果的治療におけるアレルゲン特異的T細胞の性質変化の重要性が指摘されている。よってターゲット細胞であるT細胞の刺激活性が保持されていることが改変アレルゲンに望まれる第二の条件であると考えた。欠失体、変異体の添加によるT細胞増殖を検証した。

 欠失体による患者T細胞刺激試験により、Derf2のT細胞エピトープは複数あり、1次配列上に散らばって存在することが示唆された。近年試みられつつあるペプチド療法ではアナフィラキシー反応のリスクは回避されるが、1種類の短いペプチドだけでは、Derf2のようにアレルゲンの配列上に複数のT細胞エピトープが存在したり患者間でT細胞エピトープが異なるケースに対応できないと考えられる。一方、Cys8-Cys119結合を破壊した変異体C8/119Sは野生型と同等以上のT細胞刺激活性を保持していた。標的細胞であるT細胞に対する増殖刺激活性が保持されていることが改変アレルゲンに望まれる第二の条件であるが、C8/119Sはこの条件を満たしている。

 C8/119Sのような特性をもつ改変アレルゲンによる免疫療法は、アレルゲン活性を大幅に低減しているためアナフィラキシー反応を誘導しないために、安全である。さらに、ほとんど全てのT細胞エピトープを保存していることおよび高い投与量が実現できることにより、より高い治療効果が期待できる。また、配列上オーバーラップするにも関わらず両者ともアレルゲン活性を失っている2種類のDerf2欠失体の組み合わせのような、アナフィラキシーを誘導しない比較的長いアレルゲン断片の組み合わせも、同様の有用性をもつと考えられる。

 伝統的なアレルゲン特異的的免疫療法がなぜ有効なのかという疑間に答えるべく、基礎免疫学での知見や分子生物学的手法が適用され、徐々にその姿が明らかにされつつある。筆者らは、その成果を理論的基盤とし、一方で組換技術およびタンパク質工学的発想により具体的問題の解決を試みた。本研究は、アレルゲンの部位特異的変異による“アレルゲン・エンジニアリング”における2つの条件-アレルゲン活性が低下しており、かつT細胞エピトープを保存している-を満たした最初の報告となった。このようなアプローチの実践、in vitroおよびin vivoでの解析は、さらなるアレルギー・ネットワークの実体の理解、治療にフィードバックされていくと展望する。本研究で得られた改変Derf2は動物実験でもアナフィラキシー反応を起こしにくく高い治療効果を有することが既に証明されており、臨床への応用が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、ダニ主要アレルゲンDerf2をモデルアレルゲンとした、次世代の治療用アレルゲンワクチンの開発に関するもので、6章よりなる。アレルギー性喘息、アレルギー性鼻炎、アトピー性皮膚炎、食物アレルギーなどのI型アレルギーの原因となる抗原はハウスダスト、花粉、食物などであり、アレルゲンと呼ばれる。アレルゲン特異的免疫療法(以下、免疫療法)はアレルゲンを長期間繰り返し患者に投与するアレルギー治療法であり、今世紀初頭より効果的な治療法として実施されてきた。その主要な問題点はアレルゲン投与によるアナフィラキシー反応の危険性である。よって、次世代のアレルゲンワクチンに望まれる第一の条件はアナフィラキシー反応を起こしにくいことである。免疫療法の作用機序として、効果的治療におけるアレルゲン特異的T細胞の性質変化の重要性が指摘されている。よって、標的細胞であるT細胞に対する刺激活性が保持されていることが第二の条件である。ハウスダストは、様々なアレルギー疾患に関わる重要なアレルゲンであり、その実体はDermatophagoides属のダニである。ほとんどのダニアレルギー患者がダニ主要アレルゲンDer f 2に強く感作されていることが知られている。申請者はDer f 2をモデルアレルゲンとして選択し、その欠失体および部位特異的変異体を作製してアレルギー患者の血清と末梢血細胞を用いた解析および皮膚テストを行い、それらの結果を指標に次世代のアレルゲンワクチンに望まれる上記の二つの条件を満たした改変アレルゲンを創製した。

 まず第1章で研究の背景を概説した後、第2章と第3章では、大腸菌で融合タンパク質として発現させたDerf2の欠失体を用いた解析について述べている。第2章では、数多くの欠失体とアレルギー患者血清中のIgEとの反応性の解析を行った。その結果、Der f 2のIgE結合能が、その立体構造に大きく依存することが明らかとなり、IgE結合能の保持に必要なN末端およびC末端領域の配列を同定した。第3章では、第2章で作製したいくつかの欠失体を研究材料として、N末端およびC末端配列の相互作用により生成するIgE結合部位の存在を確認すると共に、アレルゲン活性の評価(血清中IgE結合能および皮膚テスト)および末梢血T細胞刺激試験を行うことにより、免疫療法への応用の可能性を探った。その結果にもとづき、比較的長い配列を有し、配列が互いにオーバーラップした組換アレルゲンの欠失体の、免疫療法への応用を提案した。

 第2章と第3章の結果より、分子内ジスルフィド結合がDerf2の立体構造保持に大きく貢献していると考えられたので、第4章では、分子内ジスルフィド結合に着目して、IgE反応性が大幅に低減した部位特異的変異体を創製することを試みた。融合タンパク質としてではなく、直接発現させたDer f 2のシステイン変異体を実験に用いた。アレルゲン活性の評価(血清中IgE結合能、末梢血好塩基球のヒスタミン遊離刺激試験、および皮膚テスト)および末梢血T細胞刺激試験を行うことにより、免疫療法への応用可能性を探った。その結果、N末端領域とC末端領域を架橋するジスルフィド結合を破壊した変異体C8/119Sは、次世代のアレルゲンワクチンに望まれる二つの必要条件-アレルゲン活性は低下しているがT細胞結合部位は保持している-を満たしていることが明らかになった。

 第5章では、3種類のマウス抗Derf2モノクローナル抗体の結合部位の解析を行い、第2章から第4章におけるアレルギー患者IgEの認識する結合部位の解析の結果と比較し、考察を行った。

 第6章では、本研究の成果をまとめるとともに、関連分野の今後の研究について展望した。

 以上、本論文では、安全かつ効果的な免疫療法のための次世代のアレルゲンワクチンを開発することを目指し、ダニ主要アレルゲンDerf2をモデルアレルゲンとしてその抗原構造を明らかにし、アレルゲン活性は低下しているがT細胞結合部位は保持している改変アレルゲンとして、1.部位特異的変異によりアレルゲン活性を低減した変異体、および2.オーバーラップした二種の非アナフィラキシー性欠失体の組み合わせ、の有効性を示した。部位特異的変異体C8/119Sは動物実験でもアナフィラキシー反応を起こしにくく、かつ高い治療効果を有することが証明されており、臨床への応用が期待される。本論文で得られた知見は学術と応用の両面において重要である。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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