学位論文要旨



No 214899
著者(漢字) 岩下,和裕
著者(英字)
著者(カナ) イワシタ,カズヒロ
標題(和) 白麹菌のβ-グルコシダーゼと可溶性多糖に関する研究
標題(洋)
報告番号 214899
報告番号 乙14899
学位授与日 2001.01.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14899号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 堀内,裕之
 東京大学 助教授 中島,春紫
内容要旨 要旨を表示する

1. 背景

 β-グルコシダーゼは、セロビオースなどのβ-1,4-グリコシド結合を持つ物質の加水分解を触媒する酵素で、セルロース分解の最終段階において重要な役割を果たす。このように、一般にはセルロース資材の有効利用という点で重要であるが、これに加えて焼酎醸造では、甘藷焼酎の特徴香形成において重要な役割を果たしている。甘藷焼酎の特徴香(ネロール、ゲラニオール、リナロール、α-テルピネオール、シトロネロール)は、その不揮発性の前駆体である配糖体(ネリル-β-グルコシド、ゲラニル-β-グルコシド)が白麹菌のβ-グルコシダーゼにより加水分解され、さらに、蒸留時の熱等により化学変化を受け、生成するものと考えられている。このように白麹菌のβ-グルコシダーゼは、特徴香の精製過程の最も初期の反応をつかさどっており、本酵素の活性を制御する事で焼酎の香気生成をコントロールすることが可能であると考えられる。しかしながら、白麹菌が生産するβ-グルコシダーゼについては詳細な研究がなされていない。そこで本研究では、白麹菌のβ-グルコシダーゼの酵素化学的諸性質、遺伝子の構造等について検討を行った。また、白麹菌は多量のクエン酸を生産するため、その生育環境はきわめて低pHとなっている。このような環境に適応するために、白麹菌が生産する酵素の多くは耐酸性を獲得している。そこで、この酵素の耐酸性についても視野に入れ検討を行った。

2. 白麹菌が生産するβ-グルコシダーゼの精製

 まず、β-グルコシダーゼの生産条件等について検討を行った。固体培養、液体培養により検討を行ったところ、本菌株は培地中に分泌される「遊離型」の酵素と、菌体細胞壁に結合した状態で存在する「結合型」の酵素を生産していた。また、固体培養を行うと「遊離型」の酵素が多く生産され、液体培養を行うと「結合型」の酵素が多く生産されるということが明らかとなった。続いて、各酵素の精製を行った。「遊離型酵素」は固体培養抽出液から、「結合型酵素」は液体培養した菌体から精製を行った。その結果、2種類の遊離型β-グルコシダーゼ(EX-1,EX-2)、と1種類の結合型β-グルコシダーゼ(CB-1)を精製する事が出来た。これらの分子量はそれぞれ、EX-1:145kDa、EX-2:130kDa、CB-1:120kDaと異なっていた。

3. 精製β-グルコシダーゼの特徴

 次に精製酵素の特徴について検討を行った。精製した酵素の至適pHは5.0、至適温度は60℃でいずれも一致した。また、基質特異性や阻害剤の影響等についてもほとんど一致した。続いて精製酵素のN末端および、C末端アミノ酸配列について検討したところ、すべての精製酵素が同じアミノ酸配列を持っていることが明らかとなった。さらに、エンドグリコシダーゼH(EndoH:TaKaRa)を用いてN結合糖鎖の消化を行ったところ、すべての精製酵素の分子量は、同一の分子量、約98kDaとなった。これらの結果は、精製した酵素がすべて同一遺伝子の産物であることを強く示唆するものであった。

4. β-グルコシダーゼをコードする遺伝子(bglA)のクローニング

 局在性や糖鎖の修飾量が異なるにも関わらず、すべての精製β-グルコシダーゼは同一遺伝子産物であることが示唆された。そこで、これらのことを明らかにするために、β-グルコシダーゼCB-1の内部アミノ酸配列をもとに、本遺伝子のクローニングを試み、bglA遺伝子をえた。cDNA及び染色体DNAシーケンスの結果から、bglAは860アミノ酸からなる推定分子量約91kDaのタンパク質をコードし、6つのイントロンを含んでいることが明らかとなった。さらに、本遺伝子が実際にβ-グルコシダーゼをコードするか確認するために、bglA cDNAを酵母で発現させたところ、ウエスタン解析およびβ-グルコシダーゼ活性測定により、β-グルコシダーゼタンパク質が生産されていることが明らかとなった。以上のこと、およびβ-グルコシダーゼCB-1の内部アミノ酸配列との比較から、本遺伝子がβ-グルコシダーゼCB-1をコードする事が明らかとなった。また、酵母での組換えβ-グルコシダーゼは、ほとんどが細胞壁画分に検出された。

5. 3種類の精製酵素は、すべて一つの遺伝子bglAによりコードされている

 β-グルコシダーゼCB-1をコードする遺伝子をクローニングすることが出来たので、本遺伝子の破壊株の作成を行った。sC遺伝子をマーカーに遺伝子破壊を行い、1株の遺伝子破壊株を取得した。つづいて本破壊株のβ-グルコシダーゼ生産について検討を行ったところ、液体培養、固体培養ともに、総β-グルコシダーゼ活性は10%以下になっており、本遺伝子の発現を制御することで、白麹菌のβ-グルコシダーゼを十分に制御できることが明らかとなった。また、bglA破壊株の遊離型β-グルコシダーゼ活性は1%以下となっていた。この結果から、遊離型β-グルコシダーゼもbglAによってコードされることが明らかとなった。また、結合型β-グルコシダーゼ活性は10%以下となっていた。わずかな活性が細胞壁画分に残っていたことから、ウエスタンブロッティングと液体クロマトグラフィーにより検討を行ったところ、β-グルコシダーゼに相当するシグナルは検出されず、わずかに残った活性はbglA遺伝子以外の産物であることが確認された。以上のことから、白麹菌が生産する主なβ-グルコシダーゼはbglAによってコードされ、培養条件により、その遺伝子産物の局在性および糖鎖の修飾がコントロールされていることが明らかとなった。

6. 精製β一グルコシダーゼの安定性と細胞壁多糖画分

 白麹菌が生産する多くの酵素は、周りの環境に合わせるために耐酸性となっている。また、実際の焼酎もろみの中で、β-グルコシダーゼ活性は安定に保持されている。そこで、本酵素の耐酸性について検討を行った。ところが、精製した3種類の酵素は、pH5.0、37℃という比較的穏和な条件下でも急速に失活する事が明らかとなった。これらの酵素はそれぞれの粗酵素中では安定であることから、粗酵素液中にβ-グルコシダーゼを安定化している何らかの物質があると考えられる。そこで様々な検討を行った結果、本酵素は、白麹菌の細胞壁多糖画分により顕著に安定化されることが明らかとなった。また、遊離型、結合型に関わらず、すべての精製酵素は、細胞壁多糖画分に強く吸着する事が明らかとなった。

7.白麹菌が生産する可溶性多糖(ESP)

 遊離型β-グルコシダーゼも細胞壁多糖画分に吸着した。このことから、実際の固体培養を行った場合、遊離型β-グルコシダーゼは、何らかの可溶性多糖類により細胞壁への吸着を阻害され、培地中に遊離の状態でしかも安定に存在しているのではないかと考えられた。そこで、麹の抽出液中から可溶性多糖の精製を進め検討を行った。精製は、β-グルコシダーゼの安定化活性および吸着阻害活性を指標とし、ゲルろ過、陰イオン交換、陽イオン交換クロマトグラフィーにより行った。精製した可溶性多糖(Extracellular Soluble Polysaccharide: ESP)の分子量はおおよそ10,000〜15,000で、糖組成を検討したところ、マンノース、グルコース、ガラクトースにより構成されていることが明らかとなった。つづいて精製ESPによる遊離型精製β-グルコシダーゼ(EX-1、EX-2)の安定化について検討したところ、pH3.0〜7.0の範囲、50℃以下の範囲でいずれの遊離型酵素も安定化されることが明らかとなった。また精製ESPは精製β-グルコシダーゼの細胞壁多糖画分への吸着を阻害するだけでなく、あらかじめ吸着させておいたβ-グルコシダーゼを遊離させる作用も有していた。さらに、ビオチン化ESPを使用し、精製β-グルコシダーゼとの相互作用について検討を行ったところ、両者は直接結合していることが明らかとなった。以上のことから、ESPは白麹菌β-グルコシダーゼの安定性および局在性に重要な役割を果たしていることが明らかとなった。また、この可溶性多糖は、各精製β-グルコシダーゼのKm値にはほとんど影響を与えず、わずかに酵素を活性化した。

8.ESPに影響を受ける他の白麹菌酵素

 白麹菌は、β-グルコシダーゼの安定性および局在性に影響を与えるESPを生産していた。このような現象はこれまでに知られておらず、他の麹菌酵素への影響についても興味が持たれる。そこで、β-グルコシダーゼ同様、固体、液体培養間で酵素の局在性が異なるα-グルコシダーゼを精製し、検討を行った。α-グルコシダーゼは、疎水および陰イオン交換クロマトグラフィー、ゲル濾過により精製をおこなった精製α-グルコシダーゼは、β-グルコシダーゼ同様、不安定で、ESPにより安定化されることが明らかになった。また、本精製酵素は細胞壁多糖画分に吸着する活性も有していたが、これもESPの添加により阻害された。精製の段階で、本酵素はmaltose等の低分子オリゴ糖に対して非常に高い活性を持っていることが明らかとなっていることから、焼酎醸造では、清酒醸造以上に糖化に関わる役割が大きいものと思われる。このように白麹菌が生産するESPは、β-グルコシダーゼ以外の酵素の安定性、および局在性に関与しており、醸造に一般に重要であるとものと思われた。

審査要旨 要旨を表示する

 β-グルコシダーゼは、セロビオースなどのβ-1,4-グリコシド結合を持つ物質の加水分解を触媒する酵素であり・焼酎醸造では甘藷焼酎の特徴香形成において重要な役割を果たしている。甘藷焼酎の特徴香(ネロール・ゲラニオール・リナロール、α-テルピネオール、シトロネロール)は、その不揮発性の前駆体である配糖体(ネリル-β-グルコシド、ゲラニル-β-グルコシド)が白麹菌のβ-グルコシダーゼにより加水分解され、さらに、蒸留時の熱等により化学変化を受け、生成するものと考えられている。本研究は、白麹菌のβ-グルコシダーゼの遺伝子構造ならびに酵素化学的諸性質等について検討を行ったもので、4章からなる。

 第1章では、白麹菌のβ-グルコシダーゼの精製及び諸性質について述べている。生産条件等について、固体培養、液体培養により検討を行い、本菌株は培地中に分泌される「遊離型」の酵素と、菌体細胞壁に結合した状態で存在する「結合型」の酵素を生産していること、また、固体培養を行うと「遊離型」の酵素が多く生産され、液体培養を行うと「結合型」の酵素が多く生産されることを明らかにした。続いて、各酵素の精製を行い、2種類の遊離型β-グルコシダーゼ(EX-1,EX-2)、と1種類の結合型β-グルコシダーゼ(CB-1)を精製している。これらの分子質量はそれぞれ、EX-1:145kDa、EX-2:130kDa、CB-1:120kDaと異なっていた。

 次に精製酵素の特徴について検討を行い、3種の酵素の至適pHは5.0、至適温度は60℃、また、基質特異性や阻害剤の影響等についてもほとんど差がないことを示している。続いて精製酵素のN末端および、C末端アミノ酸配列について検討したところ、すべての精製酵素が同じアミノ酸配列を持っていることが明らかとなった。さらに、エンドグリコシダーゼHを用いてN結合糖鎖の消化を行ったところ、すべての精製酵素の分子量は、同一の分子質量、約98kDaとなった。これらの結果から、精製した酵素がすべて同一遺伝子産物に由来すると推定した。

 第2章では、β-グルコシダーゼをコードする遺伝子(bglA)のクローニング及び遺伝子破壊株の作成による機能解析を行っている。β-グルコシダーゼCB-1の内部アミノ酸配列をもとに、本遺伝子をクローニンクし、bglA遺伝子と命名した。cDNA及び染色体DNA塩基配列から、bglAは860アミノ酸からなる推定分子質量約91kDaのタンパク質をコードし、6つのイントロンを含んでいることを明らかにした。

 次に、bglA遺伝子の破壊株の作成を行い、β-グルコシダーゼ生産について検討を行ったところ、液体培養、固体培養ともに、総β-グルコシダーゼ活性は10%以下になっており、特に、遊離型β-グルコシダーゼ活性は1%以下となっていた。この結果から、遊離型β-グルコシダーゼもbglAによってコードされることを明らかにた。また、わずかながら結合型β-グルコシダーゼ活性が、細胞壁画分に残っていたことから、ウエスタンブロッティングと液体クロマトグラフィーにより検討を行い、β-グルコシターゼに相当するシグナルは検出されず、わずかに残った活性はbglA遺伝子以外の産物であることを確認している。以上のことから、白麹菌が生産する主なβ-グルコシダーゼはbglAによってコードされ、培養条件により、その遺伝子産物の局在性および糖鎖の修飾がコントロールされることを明らかにした。

 第3章では、白麹菌が生産する可溶性多糖(ESP)の精製とβ-グルコシダーゼの安定性に対する影響について述べている。遊離型β-グルコシダーゼは、何らかの可溶性多糖類により細胞壁への吸着を阻害され、培地中に遊離の状態でしかも安定に存在しているのではないかと考えられた。そこで、麹の抽出液中からβ-グルコシダーゼの安定性に関与する可溶性多糖(Extracellular Soluble Polysaccharide: ESP)を精製した。その分子量はおおよそ10,000〜15,000で、糖組成を検討したところ、マンノース、グルコース、ガラクトースにより構成されることを示した。つづいて精製ESPによる遊離型精製β-グルコシダーゼ(EX-1、EX-2)の安定化について検討したところ、pH3.0〜7.0の範囲、50℃以下の範囲でいずれの遊離型酵素も安定化されることを示した。

 第4章では、ESPに影響を受ける他の白麹菌酵素について解析を行い、固体、液体培養間で酵素の局在性が異なるα-グルコシダーゼも、β-グルコシダーゼ同様にESPにより安定化されることを示し、白麹菌が生産するESPは、多数の酵素の局在と安定性に関与している可能性を示している。

 以上、本論文は白麹菌のβ-グルコシダーゼの遺伝子構造及び酵素化学的諸性質等について解析したもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42838