学位論文要旨



No 214902
著者(漢字) 藤井,智幸
著者(英字)
著者(カナ) フジイ,トモユキ
標題(和) 高分子系の状態転移と物性・機能
標題(洋)
報告番号 214902
報告番号 乙14902
学位授与日 2001.01.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14902号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 清水,謙多郎
 東京大学 助教授 宮脇,長人
 東京大学 助教授 大久保,明
内容要旨 要旨を表示する

 平衡系の相転移や非平衡系の状態転移においては、転移点近傍で複雑系が現れる。複雑系においては、粒子間相互作用により形成されるクラスターのサイズ分布やクラスターの形態がべき乗則に従い、また様々な物理量が転移点からの隔たりのべき関数で記述される。このような複雑系の考え方は、近年様々な分野で応用され、めざましい発展を遂げている。

 食品科学・工学分野における重要な研究目標のひとつとして、物性・機能変換技術の開発をあげることができる。食品の構造や物性は、加工中や貯蔵中での食品成分の相互作用と相転移/状態転移の結果である。従って、食品の組成のみならず、これらの転移により生じる化学的、構造的、レオロジー的変化を知ることが重要である。しかしながら、食品の場合には対象の化学組成や組織構造が多様であるばかりか、それらは環境条件や受ける操作に応じて時間的にも変化する。そのため現象の理解が充分には進んでいないのが現状である。

 このような不均一な分散系である食品の関わる転移現象には複雑系のアプローチが有効であることが予想されるが、複雑系の観点からの研究は現時点ではほとんどなされていない。食品では、高分子が関与する場合水分が減少してゆくにつれてゾル-ゲル転移が起こり、さらに水分が減少するとガラス-ラバー転移が起こる。このような相転移/状態転移と関係した食品の変化は究極的には分子の相互作用と関係している。パーコレーションは複雑系の最も単純なモデルとして知られており、粒子間相互作用の結果生じたクラスター集団というミクロな状態から、様々なマクロな特性を解析することが可能であり、ゲル化過程、多孔体中に液体が浸透していく過程、伝染病の伝播過程などの輸送物性・速度過程に及ぼす系の状態転移の影響を解析する場合に応用されている。本研究では、複雑系のアプローチのひとつである、べき乗則(スケーリング則)に着目し、食品ゾル/ゲルでの適用妥当性を検討するとともに、パーコレーション理論による食品の物性・機能の解析とその制御への応用を試みることを目的とした。

 ゾル-ゲル転移過程を非平衡系の状態転移の視点からとらえると、様々な物理量Xが、状態変数の転移点からの隔たりεに対して

とスケールされる。ここで指数aを臨界指数と呼ぶ。ゲル化能を有する高分子溶液系では平均クラスター半径がべき乗則で記述され、その臨界指数が0.88となることがパーコレーション理論による計算機実験から推定されている。動的光散乱法によりゾル-ゲル転移点近傍におけるポリアクリルアミドおよびアガロース溶液のクラスター半径を求めた。ポリアクリルアミド溶液では、重合が進むにつれてまず一次クラスターが、続いて二次クラスターが生成することが観測された。アクリルアミド濃度が高くなるにつれて二次クラスターの平均半径は発散する傾向を示し、転移濃度1.53%、臨界指数0.84の値が求められた。

 アガロース溶液においても、濃度が高くなるにつれて平均クラスター半径は発散する傾向を示し、27℃においては転移濃度4.5x10-2%、臨界指数0.92であった。これらの結果から、非共有結合によりゲル化するアガロースにおいてもゾル-ゲル転移点近傍における平均クラスター半径はパーコレーション理論により良好に記述されることが示された。

 ゲル・マトリックス構造の定量的評価法として相関距離ξに着目した。この相関距離ξはマトリックス内の最近接架橋点間平均距離に相当すると考えられている内部構造パラメータであり、動的光散乱測定により求められる。アガロースゲルについて動的光散乱法により相関距離ξを測定したところ、この値は濃度が低くなるにつれて大きくなり、発散していく傾向が認められた。このことは、アガロース濃度が低くなるにつれて架橋点間平均距離が大きくなりゲル・マトリックスが疎になっていくことを示している。また、ξを濃度についてスケーリングすると、両対数プロットは直線となり、べき乗則が成立することが明らかとなった。

 高分子溶液の粘性率を対象にパーコレーション理論による解析を試みた。ゲル化能を有する高分子溶液の粘度変化を理論化するために、広い濃度領域にまで適用し得る粘性理論である拡張Einstein式において、有効体積分率φeffをパーコレーション理論から推定するモデルを構築した。パーコレーションクラスターはそれぞれの空間的広がりに対応した有効半径を有しているため、体積分率φpollとφeffの関係を、2次元正方格子モデル上のクラスターの面積分率から算出した。一般に、浸透閾値は仮定する格子模型ごとに異なっているが、格子の充填率を考慮すると格子模型に依らず、3次元では総分散質体積が全空間の16%を占めたときパーコレーション転移が起こることが知られている。従って、φpolが0・16となった時ゲル化すると仮定した。拡張Einstein式とパーコレーション理論とを組み合わせた粘性理論の適用妥当性を、非共有結合によって重合・ゲル化するアガロース水溶液について検討した。計算の際必要となる孤立高分子鎖の比体積は、希薄濃度領域での実験値から推定した。この粘性理論による計算結果は、粘度の濃度依存性の実験データを良好に記述できた。このことから、ゲル化における高分子の性質の違いは比体積の違いとして反映され、重合化過程は確率論的な現象であって分子量分布変化はそれほど高分子の性質に依存せずパーコレーション理論が一般的に適用できる可能性が示された。

 高分子ゲルの内部構造と物性・機能との関係を対象にしてスケーリング則による解析を試みた。ゾル-ゲル転移点近傍で、弾性率G'および相関距離ξは、状態変数の転移点からの隔たりεに対して

とスケールされる。この時、弾性率の臨界指数tは、相関距離の臨界指数ν、空間次元dおよび弾性のメカニズムに依存し、高分子鎖が固くたわみにくい場合には

高分子鎖が柔らかい場合には

高分子鎖がブラウン運動している場合には

というスケーリング則が導かれている。アガロースの円二色性スペクトルを測定し、降温ゲル化過程において顕著な温度依存性を示した210nmでの楕円率Eをヘリックス分率の指標とした。相関距離は動的光散乱法により測定した。アガロースゲルの相関距離は、温度が低くなりヘリックス分率が大きくなるにつれて小さくなり、楕円率に関するε(=E-Eg;Eg,転移点での楕円率)によって良好にスケールされた。動的弾性率の温度依存性についても楕円率に関するεにより良好にスケールされ、その臨界指数は1.87であった。弾性のメカニズムによって異なる3種の表現式について、その適用妥当性を検討したところ、動的弾性率の臨界指数tと相関距離の臨界指数νの間にはde Gennesの式(式(4))が成立し。このことから、アガロースゲルでは高分子鎖が固く、たわみにくいことが示唆された。

 相関距離ξは、ゲルや膜の分離機能に直接的に関与する内部構造パラメータと考えられる。アガロースゲルについてλ-DNAのHindIII断片の電気泳動を行いスケーリング則による解析を試みた。各DNA断片の電気泳動後の易動度μを、自由易動度μoで割ることにより得た値を規格化易動度(μ/μo)、DNA断片の直径dを相関距離ξで割ることにより得た値を規格化直径(d/ξ)とした。濃度の異なるアガロースゲルのいずれにおいても規格化易動度と規格化直径の両対数プロットは、1本のマスターカーブで記述できた。このマスターカーブは、規格化直径の値が約1のところ、即ちDNA断片の直径dと、相関距離ξがほぼ同じ値になるところに遷移領域を持つことが示された。スケーリングの結果から、ゲル中を移動する高分子の大きさと、相関距離ξで表されるゲル網目の大きさとの大小関係により、高分子のゲル中での移動挙動が異なることが示唆された。

 食品分野では耐熱性、耐薬品性の高い無機膜の利用が注目されている。無機膜をゾル-ゲル法によって製膜する場合には、ゲル化における構造形成過程が最終的な膜の特性に重要な影響を及ぼす。パーコレーション型のゲル化では形成される凝集体の構造も複雑であり、かつそのサイズ分布も一様ではない。結果として最終的に形成されたゲルの細孔径も複雑となる。高機能の膜を製造するという観点からは、細孔径分布は狭い方が望ましい。従って、非パーコレーション型のゾル-ゲルプロセスを検討した。支持体には多孔質アルミナ管(三井研削砥石、外形10mm、内径8mm、平均細孔径1.6μm)を、シリカコロイドには、スノーテックスXS(日産化学工業、形状が球状で、粒子径が4〜6nm)を用いた。シリカゾルを支持体上に塗布し、表面が乾燥してからさらにシリカゾルを塗布することを繰り返した後、焼結させた。この時、用いたシリカゾルの濃度は不規則な凝集体を形成しない条件を選んだ。このようなコーティングと焼結を繰り返し、多孔性シリカ薄膜を作成した。作成した多孔性シリカ薄膜について窒素吸着法により細孔分布を求めたところ、細孔径は約3.3nmであり、粒子間の間隙としてナノスペースを形成させることができ、かつ細孔径分布が比較的狭いことを確認した。

 ガラス-ラバー転移は、粘度が極めて高く種々の速度過程が抑制されるガラス状態と、粘度がやや低く速度過程が進行するラバー状態との状態転移現象である。食品分野では保存・貯蔵の観点から注目され、酵素安定化を目指した研究も進められている。DSC測定からゼラチン溶液の状態図を作成したところ、ゼラチン溶液は-150℃まで冷却すると、ガラス化していることが示された。47℃においては、ゼラチン濃度が85%程度以上になるとガラス状態となることが示された。一方、水分子の挙動に着目すると、ゼラチン濃度が低いとき水クラスターが観測されたが、ゼラチン濃度が40%より高くなると水クラスターが消失した。水クラスターの消失に伴ってβ-ガラクトシダーゼが安定化されるようになったことから、一種の水分子の状態転移が酵素安定化に関与していることが示唆された。

 以上本研究では、まず高分子ゾルを対象に分子間相互作用が生じ不均一構造が形成されていく過程を解析した結果、パーコレーション理論が適用可能であることを示した。また、高分子ゲルを対象に平均網目サイズに相当すると考えられている相関距離を解析した結果、スケーリング則が成立していることを確認した。さらに、複雑系のアプローチを適用することにより、ゲル化能を有する高分子溶液を対象とした粘性モデル、高分子ゲル内の弾性率と高分子鎖の硬さを解析する手法、ゲル網目中の分子の移動過程を解析する手法を開発することができ、またナノ細孔径を有するシリカ膜を新たに開発する方法論についても検討を加えることができた。ガラス状態を利用した酵素安定化技術に関しては安定化への水クラスターの関与の可能性を示すことができた。これらの知見や手法は、食品及び食品製造分野での物性や機能の制御に今後少なからず貢献することが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、高分子系の状態転移のモデルとしてゾル-ゲル転移現象をとりあげ、状態転移を解析する方法論を複雑系の手法を用いて確立し、食品および食品製造分野への応用を検討したもので、以下の7章から成る。

 第1章では、状態転移を解析するスケーリング則とパーコレーション理論について概説するとともに、既往の研究をまとめている。

 第2章では、高分子ゾルを対象に、分子間相互作用により不均一構造が形成されていく過程を解析している。転移点近傍では、様々な物理量が転移点からの隔たりに関して、スケーリング則が成立する。ポリアクリルアミドおよびアガロース溶液のクラスター半径を求めたところ、ポリアクリルアミド溶液では、重合が進むにつれてまず一次クラスターが、続いて二次クラスターが生成することが示唆され、二次クラスターの平均半径にスケーリング則が成立していることを明らかにしたアガロース溶液での平均クラスター半径は濃度についてスケーリング則が成立し、非共有結合によりゲル化するアガロースにおいても転移点近傍におけるクラスターの挙動がパーコレーション理論により良好に記述されることを示した。

 第3章では、高分子ゲルを対象に平均網目サイズに相当する相関距離に着目し、解析を加えている。アガロースゲルの相関距離は、濃度が低くなるにつれて大きくなり発散していく傾向が認められ、相関距離と濃度との関係には、スケーリング則が成立することを明らかにした。

 第4章では、ゲル化能を有する高分子溶液の状態転移に伴う粘性率変化を対象にパーコレーション理論を応用した。粘性率に関する拡張Einstein式中の有効体積分率をパーコレーション理論から推定するモデルを構築し、非共有結合でゲル化するアガロース溶液について本粘性理論を適用した結果、実験データを良好に記述できた。本粘性理論は、食品エマルションなど、分布が単一でない液状食品の粘性率の予測に広く応用できる可能がある。

 第5章では、高分子ゲルの内部構造と物性・機能との関係を対象にスケーリング則による解析を試みている。ゾル-ゲル転移点近傍で、弾性率および相関距離にはスケーリング則が成立し、このとき弾性率の臨界指数は、相関距離の臨界指数、空間次元および弾性機構に依存し、対応したスケーリング則が導かれている。アガロースゲルの動的弾性率の温度依存性についても相関距離のそれについても、楕円率に関してスケーリング則が成立した。動的弾性率の臨界指数と相関距離の臨界指数との間にはスカラー弾性モデルの関係式が成立し、このことから、アガロースゲルでは高分子鎖が固く、たわみにくいことが示唆された。この弾性率のスケーリング理論は、食品ゲル中の高分子鎖の弾性機構の解析法に発展させることが可能である。

 次に、λ-DNAのHindIII断片の電気泳動を行い、ゲル網目中の分子の移動過程を解析した。各DNA断片の電気泳動易動度を自由易動度で割ることにより得た規格化易動度と、DNA断片の直径を相関距離で割ることにより得た規格化直径の両対数プロットは、1本のマスターカーブで記述できた。このマスターカーブは、規格化直径の値が約1のところに遷移領域を持つことが示された。この結果から、高分子とゲル網目との大小関係に基づいた、ゲル中での移動挙動の定量的解析が可能となった。

 第6章では、高分子系の状態制御とその応用について検討している。最初に、食品製造分野において耐熱性、耐薬品性の高さから注目されている無機膜を、ゾル-ゲル法によって製膜する技術をとりあげ、ナノシリカ粒子を支持体上にコーティングして多孔性シリカ薄膜を作成した。この時細孔径分布を狭くするために、シリカ粒子濃度を不規則な凝集体を形成しない条件にすることにより、多孔性シリカ薄膜の細孔径は約3.3nmとなり、狭い細孔径分布を達成することができた。ここで開発された無機膜により、超臨界二酸化炭素中での食品成分の膜分離の可能性が初めて実証された。

 次に、食品の保蔵技術として注目されているガラス転移における状態変化を解析した。ゼラチン溶液の状態図を作成し、47℃においては、ゼラチン濃度が85%程度以上でガラス状態となる一方、水分子の挙動に着目すると、ゼラチン濃度が40%以上で水クラスターが消失することを示した。水クラスターの消失とともにβ-ガラクトシダーゼが安定化されるようになり、水分子の状態転移が酵素安定化に関与していることを示した。

 第7章では、本研究の総括を行っている。

 以上、本論文は複雑系の手法であるスケーリング則とパーコレーション理論を食品及び食品製造分野に対して適用することを試みたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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