学位論文要旨



No 214905
著者(漢字) 安保,充
著者(英字)
著者(カナ) アボ,ミツル
標題(和) 脱窒光合成細菌の生産するDMSO還元酵素の反応に関する研究
標題(洋)
報告番号 214905
報告番号 乙14905
学位授与日 2001.01.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14905号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 助教授 宮脇,長人
 東京大学 助教授 若木,高善
 東京大学 助教授 大久保,明
内容要旨 要旨を表示する

 近年、微生物、酵素を用いた物質変換が、様々な産業で利用されるようになった。発酵食品やアミノ酸生産といった食品分野や、抗生物質生産といった医薬品分野に加え、光学活性体調製といった合成化学分野においても利用されている。筆者は、生体の代謝系において重要な酸化還元酵素に着目し、本論文では、脱窒光合成細菌Rhodobacter sphaeroides f.sp. denitrificansのDMSO(ジメチルスルホキシド))呼吸の末端酵素であるDMSO還元酵素の反応に関する基礎と応用について研究を行った。本酵素の基質特異性、鏡像選択性といった基礎的なデータを調べると同時に、本酵素の有機合成化学を中心とした物質変換への応用について併せて検討した。

 DMSO還元酵素は、R. sphaeroidesがDMSO存在下、嫌気明条件でDMSO呼吸を行う際に、菌体のペリプラズムに誘導合成される酵素で、DMSOをDMS(ジメチルスルフィド)に還元する反応を触媒する。In vivoでは、還元に必要な電子は、NADHから何らかの電子伝達体(推定)を介して、最終的にDmsCからDMSO還元酵素に伝達されると推定されている(図1)。

 一方、in vitroで本酵素は、メディエーターと呼ばれる電子伝達活性をもつ幾つかの人工低分子化合物から電子を受け取り、還元反応を触媒することができる。本研究では、還元剤としてジチオナイト(Sodium hydrosulfite)あるいは電極、メディエーターとしてビオロゲン系の化合物を用いて反応を行った。ジチオナイトを用いた場合の反応系を示す(図2)。

 本酵素の反応特異性とその応用研究についてまとめる。

1.DMSO還元酵素の基質特異性

 上記の系を用いて、DMSO還元酵素の基質特異性を調べた。DMSO還元酵素の本来の基質は、DMSO、TMAO(トリメチルアミン N-オキシド)といった天然に存在する低分子の酸化物であるが、その他にメチオニンスルホキシド、クロレートなど多彩な化合物に対して還元活性を示す。そこで、本研究では主にアルキルアリールスルホキシドの反応性を調べた。この基質は、アルキル部分の大きさを合成によって任意に変えることにより、酵素の立体特異性を調べることができると同時に、アリール部分の置換基をハロゲン基、メチル基、アルコキシ基にかえることによって基質の電子的な性質を変化させることができる(図3)。

 その結果、1)スルホキシドの一方の置換基にフェニル基が付くことによって、DMSO以上の反応性を示すこと、2)アルキル部分がメチル、エチル、プロピルとかさ高くなるにつれ、その反応速度が遅くなること、3)スルホキシドの2つの置換基が共に大きなジフェニルスルホキシドやt-ブチルフェニルスルホキシドは、本酵素の基質とならないこと、4)アリール側のパラ位の置換基の電子吸引-供与性は、反応速度にそれほど強い影響を与えないこと、5)図4に示すような、スルホキシド以外の官能基を持った基質に対しては、そのスルホキシド部分のみを還元し、本酵素が極めて広い基質特異性を持つことが示された。

2.DMSO還元酵素の鏡像選択性

 スルホキシドは、2つの置換基が異なる場合、安定な鏡像体を与える。DMSO自身には鏡像異性体は存在しないが、DMSO還元酵素がスルホキシドの不斉を認識することができるのか、極めて興味深い結果が期待された。そこで、キラルなスルホキシドを各種合成して調べた。図5に還元反応スキームを示すが、ラセミ体のキラルスルホキシドを本酵素と反応させ、反応溶液中に残ったスルホキシドの鏡像体純度をDaicel Chiralcel OB-Hを用いて分析した。

 その結果、アルキルアリールスルホキシドの(S)-体を優先的に還元することが明らかになった。回収スルホキシドの鏡像体純度は、スルホキシドのα-位に芳香環があるもので>99%e.e.と極めて高く、芳香環は、ベンゼン環だけでなく、ピリジン環、ナフタレン環であっても、スルホキシドのα-位にあれば、その鏡像体純度は高かった。一方、ベンジル基といったスルホキシドと芳香環の間にメチレン基をはさんだ基質や、シクロヘキサン環といった芳香環でない置換基では、その鏡像体純度の低下が観察された。(図6)。

3.DMSO還元酵素の不斉有機合成への応用

 酵素の極めて高い鏡像選択性を利用して、不斉有機合成への応用を試みた。光学活性スルホキシドは、不斉有機合成の分野において、光学活性な合成原料、あるいは合成中間体として利用されており、その新たな調製法を開発することを目的とした。ここでは、スルホキシド以外に官能基を持ったスルホキシドを中心に調べた。具体的に検討した調製法は1)R. sphaeroidesを直接用いる菌体反応、2)電極-DMSO還元酵素を用いる電気化学的酵素反応の二つである。

3.1.R.sphaeroidesを直接利用する菌体反応

 基質となる合成スルホキシドは、DMSO還元酵素を誘導することができず、菌体に対して毒性を示すため、まず、DMSOを添加した培地で菌を培養し、DMSO還元酵素が誘導合成された状態で合成基質を添加、反応を行った。その結果、メチルフェニルスルホキシドの(R)-体を>99%e.e.、グラムオーダーで調製することに成功した。このことから、菌体反応を光学活性スルホキシドの大量調製法として利用可能であることを示した。酵素の鏡像選択的還元を利用した速度論的分割による光学活性スルホキシド調製としては、これが初めての報告となった。しかしながら、菌体を用いた反応では、反応速度の遅い基質では十分に鏡像体純度の高いスルホキシドを回収することが出来ないこと、また、エステル、ケトンといったスルホキシド以外の官能基が、菌体内の他の酵素によって変換を受けることから、様々な官能基をもつキラルスルホキシドを鏡像体純度よく調製するという点で、菌体反応の限界も示された。

3.2.電極を用いた電気化学的酵素反応リアクターとしての応用

 本酵素は電子供与体に電極を用いることによっても還元反応を行うことができる。そこで、電気化学的酵素反応システムを構築した。システムは3電極のバッチ型システムで(図7)、作用極にグラッシーカーボン電極、参照極に銀/塩化銀電極、対極は白金電極を用い塩橋で隔離した。メディエーター、酵素はいずれも遊離の系で反応を行い、数10mgのオーダーで、光学活性スルホキシドの調製に成功した。この反応系では、スルホキシド以外の官能基を持った基質も鏡像体純度よく、その(R)-体を回収することができた。

4.DMSO還元酵素のスルホキシドセンサーとしての応用

 電気化学的な酵素反応システムを応用し、スルホキシドセンサーを作製した。システムはリアクターの場合と同様に3電極系で、酵素はウシ血清アルブミン(BSA)と混合し、グルタルアルデヒドで架橋化することによってフィルム状に固定化した。

 このスルホキシドセンサーは、検出濃度範囲100μM〜7mMで、応答時間は約1分となった。さらに、センサーの感度を上昇させれば。食品中のDMSO分析など、低濃度DMSO分析への応用も可能である。

 以上、本論文では、脱窒光合成細菌のDMSO還元酵素の基質特異性、鏡像選択性を明らかにした。特にDMSO還元酵素の高い鏡像選択性については、はじめての報告となった。また、本酵素あるいは菌体を利用して、各種光学活性スルホキシドの調製と、その反応特性を明らかにした。さらに、電極-酵素を用いる電気化学的酵素反応リアクターの開発、およびスルホキシドセンサーの開発と応用に新たな視点を与えた。本研究は、1つの酸化還元酵素の基礎的性質の解明と、その応用に新たな進展を与えることができた。

図1 in vivoでのDMSO還元酵素の反応系

図2 in vitroでのDMSO還元酵素の反応系

図3 アルキルアリールスルホキシドの構造式

図4 スルホキシド以外の官能基を持ったDMSO還元酵素の基質

図5 DMSO還元酵素のラセミ体スルホキシドとの反応スキーム

図6 DMSO還元酵素の鏡像選択性

図7 電気化学的酵素反応システムの概略図

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、脱窒光合成細菌R. sphaeroidesの生産するDMSO(ジメチルスルホキシド)還元酵素の反応に関するもので、酵素の基質特異性、鏡像選択性について基礎的な検討を行うと同時に、本酵素を利用し、不斉有機合成で用いられる光学活性スルホキシド調製への応用、スルホキシドセンサーヘの応用を行ったもので6章よりなる。

 1章では、DMSO還元酵素の諸性質について記述した。この酵素は、R. sphaeroidesがDMSO存在下、嫌気明条件でDMSO呼吸を行う際に誘導合成される酵素で、DMSOをDMS(ジメチルスルフィド)に還元する反応を触媒する。本酵素は、幾つかの人エメディエーターから電子を受け取り、還元反応を触媒することができるので、このin vitroの系を用いて、各種スルホキシドとの反応性を調べた。

 2章では、DMSO還元酵素の基質特異性を調べた。各種アルキルアリールスルホキシドを合成し、その反応性を調べた。その結果、本酵素が極めて広い基質特異性を有することが明らかになった。具体的には1)アルキルアリールスルホキシドのアルキル部分が小さな置換基では、DMSOよりも反応速度が速くなること、2)反応速度は、電子的要因よりも立体的要因が強く影響し、アルキル部分がかさ高くなるにつれ、反応速度が遅くなること、3)スルホキシドの2つの置換基が共に大きなジフェニルスルホキシドやt-ブチルフェニルスルホキシドは、本酵素の基質とならないこと、4)スルホキシド以外の官能基を変化させることなく、そのスルホキシド部分のみを還元することが示された。

 3章では、DMSO還元酵素の鏡像選択性を調べ、DMSO還元酵素がスルホキシドの不斉を認識することを、初めて明らかにした。すなわち、ラセミ体のアルキルアリールスルホキシドに対し、本酵素は(S)-体を優先的に還元することがわかった。

 回収スルホキシドの鏡像体純度は、スルホキシドのα-位に芳香環があるもので>99%e.e.と極めて高く、芳香環はベンゼン環だけでなく、ピリジン環、ナフタレン環であっても、その鏡像体純度は高かった。一方、ベンゼン環がスルホキシドのβ-位にくるベンジル基の場合や、シクロヘキサン環のように芳香環でない場合、鏡像体純度の低下が観察された。

 4章では、DMSO還元酵素の不斉有機合成への応用について述べた。酵素の極めて高い鏡像選択性を利用して、光学活性な合成原料、あるいは合成中間体であるアルキルアリールスルホキシドの調製を行った。R. sphaeroidesの菌体培養液を直接用いる菌体反応では、>99%e.e.の(R)-メチルフェニルスルホキシドをグラムオーダーで調製することに成功した。これは、酵素を利用した速度論的分割による光学活性スルホキシド調製として初めての例である。さらに、反応速度の遅い基質では、菌体反応の最適化をはかり、菌体反応の応用の可能性について検討した。

 5章では、電極を利用した電気化学的酵素反応システムに関する応用研究を行った。DMSO還元酵素を用いた光学活性スルホキシド調製リアクターとして、3電極のバッチ型システムを構築し、メディエーター、酵素は、いずれも遊離の系で反応を行った。その結果、数10mgのオーダーで、光学活性スルホキシドの調製に成功した。この反応系では、菌体反応でうまく調製できなかった基質についても、その(R)-体を鏡像体純度よく調製することができた。また、スルホキシドセンサーヘの応用も行った。BSA-グルタルアルデヒド架橋化法により、酵素を電極に固定化し、スルホキシドセンサーを作製した。検出濃度範囲100μM〜7mM、応答時間は約1分のセンサーであった。これを用いた実サンプルヘの応用を検討した。

 6章では総括を行った。

 以上、本論文は、脱窒光合成細菌のDMSO還元酵素の基礎的性質の解明と、その応用に新たな知見と進展を与えたもので、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

in vitroでのDMSO還元酵素の反応系

DMSO還元酵素の基質

DMSO還元酵素のラセミ体スルホキシドとの反応スキーム

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