学位論文要旨



No 214907
著者(漢字) 奥山,佳代子
著者(英字)
著者(カナ) オクヤマ,カヨコ
標題(和) 新規Na+およびCa2+チャネル遮断薬T-477の脳浮腫に対する作用に関する研究
標題(洋) Study on the effect of a novel Na+ and Ca2+ channel blocker, T-477, 0n brain edema
報告番号 214907
報告番号 乙14907
学位授与日 2001.01.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第14907号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 教授 小川,博之
 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 助教授 西村,亮平
内容要旨 要旨を表示する

 脳浮腫は脳梗塞を含む様々な脳障害の急性期に併発し,重度症例では脳ヘルニアや脳幹圧迫等により死亡する場合もある.脳梗塞は高齢者に頻発する重大な疾患であり,しばしば発症後に生じる脳浮腫に対して,集中的な治療を行う必要がある.現在,脳浮腫に対して,高浸透圧薬剤,過換気やドレナージ等が用いられるが,常に高い効果が得られるとは言えないため,抗脳浮腫作用を併せ持つ脳虚血治療薬は有用性が高いと考えられる.

 T-477 ((R)-(+)-2-(4-chlorophenyl)-2,3-dihydro-4-diethyl aminoacetyl-4H-1,4-benzothiazine hydrochloride)は新規Na+およびCa2+チャネル遮断薬であり,当初は脳虚血を適応とするCa2+チャネル遮断薬として見出された.このタイプの薬にはflunarizineやnimodipine等が存在し,T-477の脳梗塞抑制作用もラットを用いた中大脳動脈閉塞モデルで既に報告されている.一方,本薬剤のNa+チャネル遮断作用は後から見出された.Na+は細胞浮腫と強く関連していることから,脳梗塞抑制による二次的な抗脳浮腫作用だけでなく,脳浮腫のうち,cytotoxic edemaと呼ばれる細胞浮腫に効果を示すことによって,比較的強い抗脳浮腫作用を有する可能性が考えられた.

 ヒトの脳卒中は通常,覚醒下で脳の局所に発症し,これに併発する脳浮腫は3〜5目で頂点に達し,2〜3週間で回復すると報告されている.しかし,これまでの脳浮腫モデルでは局所よりも全体的な脳虚血をみるものが多く,どちらもほとんどの場合麻酔下で誘発している.脳虚血発症時あるいはその直後にバルビタール系等の麻酔薬を用いると,脳虚血が軽減されることが知られており,当然それに併発する脳浮腫も軽減することが予想され,薬物による治療効果を検討する上では避けるべきであると考えられた.しかし,局所脳虚血を無麻酔下で誘発するモデルは,マイクロスフェア誘発脳血管閉塞モデルでわずかに1報告があるのみであり,充分な情報が報告されていない.さらに,いずれの動物モデルにおいても脳浮腫の進行・回復の過程を,1週間を超えて検討しているものはなく,ヒトの脳浮腫の回復に2週間かかることから考えると観察期間が短すぎる.

 そこで本研究では,唯一報告されている無麻酔下ラットにおけるマイクロスフェア誘発脳血管閉塞モデルを用い,脳浮腫の進行・回復過程を8週間に渡って観察し,ヒトの脳浮腫との比較および薬物評価系としての有用性について検討した.次に,このモデルを用い,T-477の抗脳浮腫作用を検討した.さらに,T-477の作用機序を初代培養海馬神経細胞を用いて評価・検討した.

 第1章では,あらかじめ外頚動脈に設置しておいたカテーテルを介して覚醒下のラットに1000-2000個のマイクロスフェアを注入し,その脳浮腫誘発作用を検討した.その結果,いずれの数のマイクロスフェア注入によっても脳浮腫は誘発された.また,1000個のマイクロスフェアを注入すると,脳内水分含量は注入2日後に頂点に達し,2週間でほぼ完全に回復した.これは上述したヒトの虚血後の浮腫形成過程とほぼ同等であった.脳内NaおよびK含量は,脳水分含量の変化とそれぞれ正および負の高い相関性をもって変化した.脳内Ca含量は,脳浮腫の進行期には水分含量と相関して増加したが,その後は高いレベルが維持された.脳の病理組識学的検討では,脳虚血において認められる,梗塞→顆粒球の浸潤やグリア細胞の増加→軟化,海綿化→空洞化,石灰沈着等の過程はすべて観察された.また,本モデルは注入するマイクロスフェアの数を増減することによって,脳浮腫の程度を調節することができ,再現性も良く,かつ個体間のばらつきも少なかった.

 以上より,本モデルは覚醒下での発症,局所の虚血,進行・回復の過程等ヒトの脳虚血に併発する脳浮腫に良く類似していることが明らかとなった.さらに,薬物の抗脳浮腫作用を評価する上で,ヒトの病態に類似し,再現性良く安定した結果が得られ,かつ,麻酔薬等他の薬物の影響を排除できることは大きな利点であり,本モデルが薬効評価系として優れていることが示された.

 第2章では,このモデルを用い,第一に脳浮腫の治療薬として最も一般的に使用されているglycerolの作用を評価した.1000個のマイクロスフェアを脳内へ注入した直後から,glycerol(glyceol(R);10% glycerol, 5% fructose,0.9% NaCl)を0.6ml/hrの速度で,腹大静脈にあらかじめ設置しておいたカテーテルを介して24時間連続静脈内投与を行った.その結果,glycerolは脳内水分,NaおよびCa含量の増加を有意に抑制し,脳水分含量増加の抑制率は47.7%であった.

 次に,T-477の作用を,24時間連続投与および3時間投与を3時間の間隔を空けて2回繰り返す2通りの方法で検討した.薬物投与はglycerolと同様にマイクロスフェアの脳内注入直後からカテーテルを介して行った.その結果,どちらの投与方法でも用量依存的に脳浮腫を抑制し,24時間連続投与では25mg/kg/24hrの用量で脳水分含量の増加を有意に抑制し,3時間×2の断続投与では14mg/kg/9hrの用量で脳内水分,K含量の減少およびCa含量の増加を有意に抑制した.脳水分含量増加の抑制率は前者で24.9%,後者では63.5%であった.glycerolは臨床で使用されている用量の3〜14倍の投与を行っていること,通常脳浮腫では,過剰な投与量の輸液は浮腫を悪化させることを考慮すれば,T-477の断続投与は,脳浮腫抑制率もglycerolより高く,この薬物の抗脳浮腫作用のpotentialの高さが伺えた.また,24時間連続よりも3時間×2の断続投与の方が治療上,管理や処置が楽であり,有用であると考えられた.一方,3時間×2の断続投与が24時間連続投与よりも強い効果を示した理由は,T-477の濃度の差(それぞれ1および0.5mg/ml)によるのではないかと思われた.

 第3章では,初代培養海馬神経細胞を用いて,T-477の抗脳浮腫作用の機序を検討した.T-477はCa2+チャネルよりもNa+チャネル遮断作用の方が5倍以上強いことから,実験にはNa+チャネル開口薬であるveratridineによる細胞障害モデルを用いた.この系では,Na+チャネルの活性化によって,細胞内へNa+が流入し,細胞内Na+濃度([Na+])の増加により,細胞浮腫が起こる.[Na+]の増加はまた,細胞内外のNa+勾配を減少させ,このために,本来Na+勾配を利用してグルタミン酸を細胞内へ取り込むグルタミン酸トランスポーターが逆回転を起こし,グルタミン酸遊離が誘導される.また,詳しい機序は不明であるが,細胞内Ca2+濃度([Ca2+])も増加し,細胞死も誘発される.Na+チャネルの活性化は脳虚血時の1現象でしかないが,それから誘導される上記変化はすべて脳虚血時に観察される.従って,veratridineによって誘導される変化に対するT-477の作用を検討することで,この薬物の虚血時脳内変化に対する作用を示唆し,さらにその機序を推察できる.

 T-477はラット初代培養海馬神経細胞におけるveratridine誘発細胞浮腫,細胞死,[Na+],[Ca2+],およびグルタミン酸遊離の増加を濃度依存的に抑制した.それぞれの作用に対する50%阻害濃度は4.1,3.6,4.8,13.8,および4.5μMであった.T-477による細胞浮腫抑制,[Na+]およびグルタミン酸遊離の増加抑制作用はNa+チャネル遮断作用が寄与していると考えられる.また,最も弱かった[Ca2+]増加抑制作用もCa2+チャネル遮断作用と比較すると,その効力は3倍以上強かったことから,Na+チャネル遮断作用が機序であると推測される.従って,グルタミン酸遊離および[Ca2+]の増加に起因すると考えられる細胞死に対する作用も,その効力から考えても,Na+チャネル遮断作用が寄与していると考えられる.これらの結果から,T-477はNa+チャネルを遮断することによって,脳虚血時に起こる細胞浮腫,細胞死,[Na+],[Ca2+],およびグルタミン酸遊離の増加を抑制することが推測された.

 以上より,T-477は比較的強い脳浮腫抑制作用を有し,その機序は,Na+チャネルの遮断によって,細胞浮腫すなわちcytotoxic edemaを抑制すると共に,やはりNa+チャネルの遮断によって細胞死を抑制し,虚血に併発する脳浮腫を二次的に抑制するのではないかと推察された.既に報告されている脳虚血抑制作用と合わせて考えると,T-477は脳虚血急性期の有効な治療薬となり得ると考えられた.

審査要旨 要旨を表示する

 脳梗塞では脳虚血に伴って重度の脳浮腫が発生し,重度症例では脳ヘルニアや脳幹圧迫等により死亡する場合もある.これらに対しては,集中的な治療を行う必要があるが,現在用いられている,高浸透圧薬剤,過換気やドレナージ等が常に高い効果を示すとは言えないため,より効果の高い脳虚血後の抗脳浮腫薬の開発が望まれている。

 T-477((R)-(+)-2-(4-chlorophenyl)-2,3-dihydro-4-diethyl aminoacetyl-4H-1,4-benzothiazine hydrochloride)は新規Na+およびCa2+チャネル遮断薬であり,脳梗塞抑制による二次的な抗脳浮腫作用だけでなく,脳浮腫のうち,cytotoxic edemaと呼ばれる細胞浮腫に効果を示すことによって,比較的強い抗脳浮腫作用を有する可能性が考えられた.

 そこで本研究では,まず無麻酔下ラットにマイクロスフェア誘発脳血管閉塞モデルを作成し,脳浮腫の進行・回復過程を8週間に渡って観察し,ヒトの脳浮腫との比較および薬物評価系としての有用性について検討した.次に,このモデルを用い,T-477の抗脳浮腫作用を検討した.さらに,T-477の作用機序を初代培養海馬神経細胞を用いて検討した.

 第1章では,あらかじめ外頚動脈に設置しておいたカテーテルを介して覚醒下のラットにマイクロスフェアを注入し,その脳浮腫誘発作用を検討した.その結果,マイクロスフェア注入により,脳内水分含量は注入2日後に頂点に達し,2週間でほぼ完全に回復した.これはヒトの虚血後の浮腫形成過程とほぼ同様であった.脳内NaおよびK含量は,脳水分含量の変化とそれぞれ正および負の高い相関性をもって変化した.脳内Ca含量は,脳浮腫の進行期には水分含量と相関して増加したが,その後は高いレベルが維持された.病理組織学的検討では,脳虚血において認められる,梗塞→顆粒球の浸潤やグリア細胞の増加→軟化,海綿化→空洞化,石灰沈着等の過程がすべて観察され,本モデルはヒトの脳虚血に併発する脳浮腫に良く類似しており,薬効評価系としても優れていることが示された.

 第2章では,このモデルを用い,最も一般的な脳浮腫治療薬であるglycerolの作用を評価した.1000個のマイクロスフェアを脳内へ注入した直後から,10%のglycerolを0.6ml/hrの速度で,腹大静脈にあらかじめ設置しておいたカテーテルを介して24時間連続静脈内投与を行った.その結果,glycerolは脳内水分,NaおよびCa含量の増加を有意に抑制した.次に,T-477の作用を,24時間連続投与および3時間投与を3時間の間隔を空けて2回繰り返す2通りの方法で検討した.その結果,どちらの投与方法でも用量依存的に脳浮腫を抑制し、Kの減少やCaの増加も抑制されたが、特に後者では脳水分含量増加の抑制率は63.5%と高く,脳浮腫治療薬としては、glycerolの投与量が比較的多いことから、より有用であると考えられた。

 第3章では,初代培養海馬神経細胞を用いて,T-477の抗脳浮腫作用の機序を検討した.T-477はCa2+チャネルよりもNa+チャネル遮断作用の方が5倍以上強いことから,実験にはNa+チャネル開口薬であるveratridineによる細胞障害モデルを用いた.

 その結果,T-477はラット初代培養海馬神経細胞におけるveratridine誘発細胞浮腫,細胞死,[Na+],[Ca2+],およびグルタミン酸遊離の増加を濃度依存的に抑制した.T-477による細胞浮腫抑制,[Na+]およびグルタミン酸遊離の増加抑制作用はNa+チャネル遮断作用が寄与していると考えられた.また,最も弱かった[Ca2+]増加抑制作用もCa2+チャネル遮断作用と比較すると,その効力は3倍以上強かったことから,Na+チャネル遮断作用が機序であると推測される.従って,グルタミン酸遊離および[Ca2+]の増加に起因すると考えられる細胞死に対する作用も,その効力から考えても,Na+チャネル遮断作用が寄与していると考えられた.

 これらの結果から,T-477はNa+チャネルの遮断によって,細胞浮腫すなわちcytotoxic edemaを抑制するとともにグルタミン酸等による細胞死を抑制し,虚血に併発する脳浮腫を二次的に抑制するのではないかと推察され,脳虚血急性期の有効な治療薬となり得ると考えられた.

 以上要するに本論文は、新規Na+チャネル遮断薬による脳梗塞後の脳浮腫治療の可能性とその機序を明らかにしたものであり、学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の論文として価値あるものと認めた。

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