学位論文要旨



No 214911
著者(漢字) 石田,茂資
著者(英字)
著者(カナ) イシダ,シゲスケ
標題(和) 砕波による小型船の転覆機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 214911
報告番号 乙14911
学位授与日 2001.01.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14911号
研究科 工学系研究科
専攻 環境海洋工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤野,正隆
 東京大学 教授 前田,久明
 東京大学 教授 木下,健
 東京大学 教授 影本,浩
 東京大学 助教授 多部田,茂
内容要旨 要旨を表示する

 小型船は、自船のスケールに比較して荒れた海象に遭遇することが多いため、転覆海難がしばしば発生している。海洋レジャーの発展に伴って、海難に占めるプレジャーボートの比率も増加していることから、小型船の転覆事故対策が急がれるところである。

 小型船の安全基準としては、我国では「小型船舶安全規則」(20トン未満、1974)が制定されており、また国際的にはISO(国際標準化機構)において、全長24m以下の舟艇を対象に新たな復原性基準が検討されているところである。これらの基準では、まず海水が打ち込まない条件や過度に傾斜しない条件が準静的に定められている。また、風波中の動的な転覆過程については、中大型船を対象とした「船舶復原性規則」のいわゆるC係数基準が準用されている。C係数基準は、定常風を受けて定傾斜しながら横波によって同調横揺れしている船を想定し、そこに最悪のタイミングで突風を受ける場合を最も危険な状態と仮定して、傾斜エネルギーのバランスから安全性を評価したものである。この基準は、中大型船に対しては優れた基準として広く認められ、国際的にもこれを若干修正したものがIMO(国際海事機関)の決議A.562(Weather Criterion、1985)として採択されている。

 しかしながら、小型船は以下にあげるような特徴を有する。

 (1) 自船のスケールに比較して荒れた海象に遭遇することが多い。

 (2) 水面下の形状は喫水が小さく幅広の船型である。

 (3)スケグやハードチャインなど角のある複雑な形状を持つ。

 (4) 重心が比較的高い位置にある。また、初期復原力が大きいがブルワークトップが没水すると復原力は急に減少する。

 (5) 人の移動や荷崩れによる傾斜が大きい。

 従って、風波がある程度大きくなれば大振幅の船体運動を生じるが((1),(2))、その振る舞いは中大型船とやや異なったものとなる。たとえば、静的に考えても大角度で傾斜すれば水面下の形状が大きく変化するし((2),(3))、動的に考えれば砕波等の外力によって大きな横流れを生じ((2))それが剥離を伴う複雑な流場につながる((3))。またこの他に、横風による定傾斜が小さい((4))、横揺れの回転中心が高い位置にある((4))、定傾斜を生じた時の流体力や運動特性が重要になる((5))、などの性質がある。

 このような特徴は近年増加している高速船型にも共通する部分が多く、これを踏まえた上で安全性を検討しておくことが必要である。しかし、このような特徴を十分に踏まえた研究はほとんど行われていない。そこで、小型船の復原性基準は、中大型船のものを準用しているのが現状であるが、それが小型船の実態に必ずしも合わないことが指摘されている。たとえば、海難統計によれば小型船の転覆の主原因は波の作用であるが、上に述べたC係数基準では横風による傾斜モーメント、すなわち水面上の風圧側面積を重視しており、そこには整合性がない。

 また、転覆に関する近年の研究では、追波中を対象にしたものや確率論的なアプローチが多くなっているが、小型船の転覆海難の記録によれば、突然の一、二発の大横波による転覆もまた多くを占めている。確率論以前の問題として、このような小型船の転覆メカニズムを明らかにしておく必要がある。

 上に述べたような視点から著者は、船の横から来襲する一、二発の大波による転覆現象について研究を行った。剥離流を生ずる現象、すなわち粘性による非線形な流体力の影響が大きい現象であることから、ポテンシャル理論を用いた従来の船体運動理論が適用できないため、多くの実験を実施しながら研究を進めた。

 まず、試験水槽に砕波を伴う集中性過渡水波を発生させ、これを真横から模型船に当てて転覆実験を行った。その結果、模型船の運動の顕著な特徴は、波の山で波下側に傾斜しながら波乗り状態となり、波下側にかなり速い速度で横流れすることであった。

 そこで、大振幅かつ傾斜角をパラメータとした強制左右揺れ試験によって流体力を調べたところ、左右揺れ加速度に比例する成分(付加質量)は線形理論によるものと大きな差は見られなかった。しかし、減衰力では線形成分(造波減衰力)は小さく、運動速度の自乗に比例する抗力成分の寄与が極めて大きかった。そして、左右揺れ-横流れ連成流体力の減衰力成分(左右揺れ減衰力と同位相の傾斜モーメント)には、船型によって傾斜角に対する顕著な非対称性が確認された。

 この連成流体力は、(1)船が傾斜した方向に横流れする場合には傾斜を大きくする方向に作用する、(2)逆方向に横流れする場合には傾斜モーメントがかなり小さくなる(場合によっては傾斜を小さくする方向に作用する)、という性質を示す。すなわち、この連成流体力は、上に述べたような「波の山での高速な横流れ」においては、船を転覆する方向に作用するものである。時間領域のシミュレーション計算を行って横揺れ運動を構成する各流体力の寄与を調べたところ、転覆運動の最終段階においては、この連成流体力が支配的な成分であることが判明した。そして、船体表面に作用する水圧分布を計測した結果から、(1)この流体力の性質はチャイン部に発生する局所的な剥離流に起因すること、(2)スケグを持った船型やV字型の船型では船底中央からの大規模な剥離によってこのような危険な連成モーメントが生じにくいこと、等が明らかになった。

 また、船型および波高をパラメータとして砕波中の転覆実験を行った結果から、次の結論が得られた。

 (1) 波高が高い場合には短時間に転覆し、船型による運動の差は小さい。

 (2) 波高が比較的低い場合には、船型によって転覆限界波高が異なる。また、転覆は砕波中ではなくそれに続く次の波で発生する。

 (1)は、あらゆる海象下で転覆しない小型船を設計することが実際上困難であることを示している。従って、これは「荒天を避ける」という運用でしか解決できない。一方、(2)は安全基準によって防ぐべきものである。そこで、この転覆パターンのメカニズムについて詳しく検討したところ、次のような知見が得られた。

 (1) 小型船の重心と衝撃力の作用中心との位置関係から、砕波による衝撃的な傾斜モーメントはあまり大きくない。

 (2) しかし、砕波による衝撃モーメントは、「次の波に出会う条件」を変化させるという意味で重要である。

 (3) 「次の波に出会う条件」で最も危険なのは、波による傾斜モーメントと横揺れ速度が同位相となる、一種の同調状態になる場合である。

 (4) 同調状態になった船はかなりの角度まで傾斜する。その後は、上に述べた非対称な連成モーメントによって転覆に至る。

 従って、小型船の安全基準は、この転覆メカニズムを反映したものでなければならない。

 以上の検討から、小型船の性質を反映したC係数基準の改良案を提案した。現在のC係数基準の概念を図1に示す。この基準は、復原力曲線において風による傾斜モーメント(Dw)を考慮し、復原エネルギー(面積ABC)が最大傾斜角から揺れ戻るエネルギー(面積BDE)を上回ることを求めている。しかしながら、真に重要なのは風による傾斜モーメントではなく左右揺れ-横揺れ連成モーメントであり、それは船が波下側に傾斜した場合にのみ作用する。そこで、図2に示すように、上記連成モーメント(Ds)を傾斜角が正の範囲でのみ考慮する基準案を提示し、これが船型による転覆限界波高の違いを説明できることを明らかにした。本研究で提示したのは新しい復原性基準のコンセプトの段階であるが、多くの小型船の実態を調査し、基準を評価するための各種パラメータ(たとえば想定する横流れ速度)を小型船の実態に合わせて設定することにより、合理的な復原性基準が定められ、転覆海難の減少につながるものと考えられる。

図1 現在のC係数基準

図2 C係数基準の改良案

審査要旨 要旨を表示する

 小型船舶の転覆海難は少なくなく、とくに最近のプレジャーボートの海難の比率は増加傾向にあり、転覆事故対策の確立が急務であるとの認識から、小型船舶の転覆機構を明らかにし、これを基に、小型船舶にとり有効な復原性基準の新たな考え方を提案することが、本論文の趣旨である。本論文は6章から構成されている。

 第I章は緒論で、小型船舶の転覆海難の発生頻度とその特徴を海難統計から明らかにするとともに転覆に対する安全基準の概要を、その制度の歴史的経緯とともに記述している。とくに、一般船舶に対する復原性基準を小型船舶に課する場合の不具合について簡潔にまとめているが、この事は小型船舶の荒天中での転覆機構が一般船舶のそれと異なることによるものであり、小型船舶の転覆機構を詳細に研究することの重要性を述べている。

 第II章では、小型船舶の多くの転覆が砕波などの大破による転覆であることに注目し、小型プレジャーボートの縮尺模型による集中性過渡水波中での転覆実験を広範囲に水槽で実施した結果から、転覆の発生するGMなどの条件や転覆に至る運動の特徴を調べている。とくに、小型船舶の転覆の特徴として、一発大破よりは連続した2つの大波に遭遇することにより転覆しやすくなることを明らかにし、そのときの力学的要因として、第一波による船舶の大きな横流れ運動の発生が船体を転覆させる横揺れモーメントを誘起することを明らかにした。この事は数値シミュレーションによっても明らかにされた。すなわち、直接転覆を引き起こすのは、第二波であるが、その波に出会う時の船体の運動状態の微妙の差が転覆に至るか否かを左右することになり、第一波中の運動も転覆に大きな役割を果たしていることを示した。

 前章で、左右揺れから横揺れの連成流体力が小型船舶の転覆に大きく寄与していることが示されたので、第III章では種々の二次元模型船を用いて、船型要素が左右揺れ流体力に及ぼす影響を系統的に調べている。具体的には、船底勾配角、チャインの形状、スケグの有無などにより、左右揺れ流体力とその着力点の位置がどのように異なるかが調査された。また、船体横傾斜の存在、すなわち横流れする方向に傾くほど、船の傾斜を益々大きくする不安定な連成モーメントを発生させることなどを明らかにした。

 第IV章では、前章の系統的模型試験に使用された三隻の二次元模型船を用いて集中性過渡水波のなかでの転覆実験およびシミュレーション計算を実施し、転覆限界波高、波高や船型による転覆運動の違い、転覆運動のメカニズムを検討している。また、本論文中で使用されている非線形横揺れ数値シミュレーション手法の妥当性を、水槽実験による横揺れ運動の計測結果との比較により検証している。通常のストリップ法による横揺れ運動の計算結果の実験値との一致度は良くないが、本論文中の非線形シミュレーション結果は実験結果と良好に対応することを示した。また、三隻の模型船の転覆に及ぼす種々の要因についての検討も行っている。

 一般船舶の場合と同様に横風による傾斜モーメントを考慮することでは、小型船舶の転覆現象を良好には説明できないが、波下側に初期に傾斜している場合は転覆限界波高が低くなることが本研究で示された。そこで第V章では、今迄明確に調査されていなかった小型船舶の風による傾斜特性を、三次元模型船を用いて実験的に明らかにしている。その結果、一般船舶に比べた場合の小型船舶の特徴として、横風による抗力係数が中大型船に比しやや小さいこと、一方、着力点は、横投影面積の中心よりやや高いことなどを明らかにしている。また、横流れに対する抗力係数は船体傾斜の方向によって明確に異なること、抗力の着力点の位置はチャインが没水するほど船体傾斜が大きいか否かで、明確に異なることを示している。

 第VI章は、前章までに明らかにした小型船舶の転覆メカニズムや流体力の特性が一般船舶のそれと異なることから、これらの特性を考慮した小型船舶のための復原性基準の在り方を検討している。また、これと併行して、現在、検討が進められている国際的な基準制定の動向についても言及している。小型船舶の復原性基準も可能ならば、従来の中大型船舶の復原性基準の考え方に類似したものの方が一般に理解し受け入れやすいことから、現行のC係数基準を小型船舶に適合するよう改良した案を試案として示している。これによれば従来のC係数基準を直接適用する場合よりも、小型船舶め船型による復原性の良否の相違を、明確に反映しうることを示している。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42839