学位論文要旨



No 214913
著者(漢字) 歌島,昌由
著者(英字)
著者(カナ) ウタシマ,マサヨシ
標題(和) 「作用圏境界を飛行する軌道の力学的性質と小衛星探査への応用」
標題(洋)
報告番号 214913
報告番号 乙14913
学位授与日 2001.01.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14913号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川口,淳一郎
 東京大学 教授 鈴木,真二
 東京大学 助教授 中須賀,真一
 東京大学 教授 河内,啓二
 東京大学 教授 藤原,顕
 宇宙科学研究所 助教授 吉川,真
内容要旨 要旨を表示する

 太陽系の探査の対象は、従来の月・惑星中心から、近年は小惑星、彗星や惑星の衛星などの小天体にもかなりの比重が置かれるようになってきた。太陽系及び宇宙の起源、生命の起源などの研究にとって、これらの小天体の探査が必要不可欠なものと認識されて来たからである。今までの小天体探査はフライバイ観測が中心であり、大きな相対速度を持って傍を通過する時に観測を行なうもので、観測に十分な時間を掛ける事は困難であった。小天体探査の次のステップとして、フライバイ観測でなく、その小天体の周回軌道からの観測が望まれる。しかるに惑星周回軌道とは異なり、惑星を周回する小衛星の探査では、作用圏境界を飛行する新たな問題が顕在化する。

 惑星周回小衛星では、自身の半径と作用圏の半径が同程度の場合が多く、そのような小衛星周りに単純な周回軌道を実現させるのは、実は困難である。本論文では、小衛星の探査軌道として、作用圏の境界又はその外を飛行する2種類の軌道を検討した。一つは小衛星全球を観測するための高高度の周回軌道である。この軌道は小衛星とは僅かに異なる離心率を持ち、小衛星の作用圏の外に存在する。従って、探査機は主に惑星重力の下に運動し、このような重力環境での事実上の周回軌道をここでは「擬周回軌道」と呼ぶ。小衛星の極域も観測するため、小衛星軌道に大きな傾斜角をもたせる必要があるが、その場合、面外運動が安定性に大きな影響をもたらす。もう一つは小衛星のごく近傍を探査するための低高度の軌道群である。小衛星は一般に歪な形状をしているため、その回りの低高度の軌道は容易に衝突が生じ得る。衝突を避けるため、低高度の軌道は、推力で高度を維持するホバリング、ないしは作用圏境界を衝突を回避して飛行する特殊な軌道が求められる。このように2種類の軌道とも、惑星周回軌道では現れない、作用圏境界を飛行する軌道に特有の難しさを持っている。

 高高度の軌道である擬周回軌道を円制限三体問題で考察する。擬周回軌道の中心力は第一天体重力であるため、最初に第二天体重力を無視した二体問題近似で考える。第二天体軌道を傾斜角ゼロの円軌道と近似すると、(1)式で二体問題近似の擬周回軌道を表わす事ができる。ξ、η、ζは図1に示す第一天体-第二天体ライン固定座標系である。第二天体が小衛星の場合、形状が三軸不等であって、自転周期と公転周期が一致する場合が多く、それは小衛星固定座標系ともなっている。

 近点引数ω=0度と90度の場合の擬周回軌道を図2に示す。第二天体(小衛星)の全球観測のためには、ωが360度回転する必要のある事が解かる。

 小衛星の極域も観測するには、ある程度の傾斜角iが必要であるが、安定な擬周回軌道の傾斜角には上限が存在する事を、Innanenら(1997年)が示している。彼らは、円制限三体問題で言うと、ω=0の場合に、ある特定の離心率eに対してi>eとなると、擬周回軌道が不安定になる事をポテンシャルの数値計算により示した。しかし、離心率を変えると傾斜角の安定限界がどのような影響を受けるか等については何ら議論しておらず、擬周回軌道の安定性の全容は解明されていない。

 本論文では、擬周回軌道の安定性をInnanenらとは異なる全く新しい観点から議論する。始めに、擬周回軌道の離心率には下限eLimが存在し、それは第二天体と第一天体の質量比m2/m1の1/3乗に比例する事を示した。擬周回軌道の離心率をeLimよりも小さくすると、探査機が第二天体に接近し過ぎて、その前方通過時に第二天体重力による大きな減速を受け、逆に後方通過時には大きな加速を受けて、擬周回軌道から離脱してしまう。次に、仮想エネルギーの方法により、擬周回軌道が傾斜角を持ち面外運動をすると面内に対して1周で元に戻らない擾乱を及ぼす事を示した。この面内への擾乱は、i/eが大きくなると急速に大きくなり、ω=0、πで最大になる。この擾乱により、擬周回軌道の安定性に最も大きな影響を与えるη方向の振動が生じる。この振動を平均法にて検討し、擬周回軌道の楕円のη方向の変位に比例する量εが以下のMathieu方程式を満足する事を示した。

(2)式の中のλとh2は、m2/m1、擬周回軌道の離心率と傾斜角で定義されるパラメータであり、h2の増大は傾斜角の増大に対応する。λ一2h2cos2ωは振動の復元力であり、ω=0、πで復元力が最小になる。λ=2h2となるまで傾斜角が大きくなると、ω=0、πで復元力がゼロになり、この状態が、擬周回軌道の平均的な安定限界である。λ=2h2からi/e≒1という安定限界が導かれる。図3に、円制限三体問題におけるフォボス擬周回軌道の安定領域を、Mathieu方程式の安定領域に重ねて示す。Mathieu方程式の安定領域は、特徴ある複数の髭状領域から成っている。フォボス擬周回軌道の安定領域は、初期要素である(e0,i0)の平面で得たものを、(λ,h2)平面に変換して描いた。変換に際して、不安定軌道のεとωの周期関係を調べる事で、各髭状領域をMathieu方程式のそれに対応付けられる事を利用した。h2の大きい髭状領域は、ωとεの変動が共鳴関係にある境界で挟まれている。この髭状の安定領域を採用する事で、傾斜角の大きい安定な擬周回軌道を実現でき、この事を本論文では「共鳴安定化」と呼ぶ。色々な天体系へ共鳴安定化を適用する際に重要な役割を果たす相似則(共鳴安定が実現される離心率eResと離心率の下限値eLimとの比は天体系に依存しない)の存在も理論的に示し、火星-フォボス系と太陽-地球系を対象にこれを実証した。

 小衛星のごく近傍を探査するための低高度の軌道群の検討においては、ミッション設計者にとって最も基本的な量である飛行時間と所要速度増分を検討した。ここでは、非弾道的な軌道移行としてホバリング及び定高度移動を、弾道的な軌道移行として惑星-小衛星系L1-L2点連絡極域通過軌道を取り上げた。鉛直方向にはホバリシグの状態にあって、スラスタを使って水平面内を移動する軌道移行をここでは「定高度移動」と呼ぶ。L1、L2点間の軌道移行では、小衛星の南北の極も低高度から観測できる軌道を2インパルス近似で議論する。本論文が対象とする小衛星では、L1,L2点は小衛星の近くに存在し、フォボスの場合は表面から約5kmの所に存在している。

 ホバリング及び定高度移動の検討では、Hillの方程式を用い、小衛星の自転角速度と公転角速度は等しいと仮定した。位置を指定したホバリング及び経路を指定した定高度移動は、時間の関数としての探査機の位置が与えられるため、各点での小衛星重力加速度を考慮する事で、必要な推力加速度が求められる。小衛星回りの1周の定高度移動に要する速度増分ΔVtotalは、スラスタが発生すべき加速度の絶対値を1周積分する事で得られる。小衛星の表面におけるホバリングでは惑星潮汐力が無視できない事を示した。定高度移動に要するΔVtotalは、移動速度に大きく依存し、燃料最小の意味での最適移動速度が存在する。その値は、小衛星が惑星を周回している事による影響(主にコリオリカ)のため、小衛星との二体問題の円軌道速度とは異なっており、移動経路の傾斜角i=0(順行)から180度(逆行)への変化に対して、フォボスの場合に約5m/sから11m/sまで単調に増加する。定高度移動のΔVtotalは、惑星の潮汐力の影響で、小衛星固定座標系において移動経路の昇交点が惑星-小衛星ライン上にある時に最大となる。

 L1-L2点連絡極域通過軌道では、L1、L2点間空間の大きな部分を小衛星が占めるために、衝突しないで移行できるかが大きな課題となる。フォボスの場合、L1、L2点間距離の70%以上をフォボスが占めている。はじめにL1-L2点連絡極域通過軌道の可能性を、L1又はL2点近傍の線型運動方程式を用いて検討した。小衛星質量は惑星質量に比べて十分小さいため、座標系の原点がL1点でもL2点でも同じ方程式を使用できる。線型運動方程式の解は、右回りの周期項と指数関数項との和で表わされる面内成分と、面内とは独立な周期項の面外成分とから成る。非線型性のために面内周期項の角振動数が大きくなる事を考慮した線型解の近似接続により、ポテンシャルの特異点を回避し、極の上空を低高度で通過してL1点からL2点まで小衛星と衝突する事無く移行できる螺旋状軌道の可能性を示すと共に、飛行時間と所要速度増分に関しては見通しのよい近似値を与える方法を得た。更にフォボスに対し、円制限三体問題の微分修正法にて、フォボスと衝突する事無く、極上空を低高度で飛行してL1点とL2点を結ぶ軌道を実証した。図4、図5に最短時間且つ最小ΔVの場合の対称な軌道と非対称な軌道の例を示し、表1、表2に、これらの軌道の場合の飛行時間と所要速度増分を、線型解による見積もりと比較して示す。

 前半の擬周回軌道の安定性に関する成果は、本論文が初めて明らかにしたものであり、これにより、擬周回軌道の安定限界が明確化され、色々な天体系への傾斜角の大きい安定な擬周回軌道の利用に道が開かれた。L1-L2点連絡極域通過軌道の存在可能性に関しては、L1点及びL2点近傍での線型運動方程式を用いた考察に特徴がある。傾斜角の大きい擬周回軌道は、小衛星探査だけでなく、太陽惑星系に適用する事で惑星のまわりの広い空間の太陽プラズマ等を黄道面から大きく離れた点から観測するミッションなどにも利用できるものである。低高度の軌道に関して得た成果は、探査計画の立案、設計作業を省力化するもので、小衛星探査に必須のものであり、工学的に有用である。

図1 ξ-η=ζ座標系

図2 ωによる擬周回軌道の変化

(a)ω=0の場合

(b)ω=90°の場合

図3 フォボス擬周回軌道の安定領域

図4 フォボスL1-L2点連絡極域通過軌道の最短時間・最小ΔV解(対称軌道)

図5 フォボスL1-L2点連絡極域通過軌道の最短時間・最小ΔV解(非対称軌道)

表1 対称なフォボスL1-L2点連絡極域通過軌道

表2 非対称なフォボスL1-L2点連絡極域通過軌道

審査要旨 要旨を表示する

 工学修士歌島昌由提出の論文は「作用圏境界を飛行する軌道の力学的性質と小衛星探査への応用」と題し、本文4章と、付録4項よりなる。

 太陽系の探査対象は、その創世、生命の起源などの研究にとって必要不可欠なものと認識されるようになり、近年、小惑星、彗星や惑星周回の小衛星などの小天体の探査に比重が置かれるようになってきた。これまでの小天体探査は、大きな相対速度を持つフライバイ観測が中心であり、次のステップとしては、それら小天体の周回軌道からの観測が望まれている。しかるに、惑星周回の小衛星の多くでは、自身のまわりの二体問題が支配する空間、すなわち作用圏の大きさが、自身と同程度またはそれ以下であり、そのような天体回りに単純な周回軌道を実現するのは、当該天体の重力の寄与が小さいゆえに困難である。本論文で扱っているのは三体問題であり、そのなかでも作用圏境界付近を飛行する、従来の解析が及ばない領域の問題で、大きく二種類の軌道群である。一つは惑星周回の小衛星の全球を観測するのに適した高高度の周回軌道であり、もう一つはごく近傍を探査するための低高度の軌道群である。前者の軌道は当該天体の作用圏外に存在するが、あたかも周回するかのように飛行するため「擬周回軌道」と呼ばれている。観測上有意義であるのは、極域を観測するための大きな傾斜角を持つ軌道であり、主たる観点は、その安定性が当該天体の重力の影響で不安定となりうる点にある。後者においては、作用圏自体が天体の内部に埋没してしまう場合が多く、低高度の周回軌道では容易に当該天体との衝突が生じ得るため、衝突を回避して飛行する特殊な軌道が求められる点に、その主論点がある。

 高高度の軌道である擬周回軌道では、傾斜角に応じて不安定性が生じうるが、これまでの解析では、この不安定化をもたらす機構、および安定化条件は未解明であった。本論文は、その機構が周期係数を有する微分方程式、マシューの方程式で記述されることを数学的に初めて明らかにしている。また、きわめて離散的かつ特異的に安定様相を示しうる高傾斜角の軌道の存在を、解析的かつ理論的な論拠で明らかにし、その実探査計画への応用性を議論することにも成功している。低高度の探査軌道においては、非弾道軌道である定高度移動と、作用圏の境界を飛行し、ラグランジュ点L1、L2点間を結ぶ螺旋状の弾道軌道とを、はじめて系統的に考察している。

 本論文が扱っている主題は、高高度、低高度に関わらず、三体問題の特徴が顕在化する、作用圏の境界を飛行する場合の軌道運動の解析である。

 第1章は序論で、本研究の背景を概観し、従来考察が困難で機構の理解が十分でなかった、作用圏境界における軌道運動の特徴について述べ、想定される応用例とそのための要求条件をまとめている。

 第2章は擬周回軌道の安定性と、その惑星周回の小衛星探査への利用法を検討している。まず、惑星-小衛星系に限らず、太陽-惑星系なども含む一般的な制限三体問題の形で、擬周回軌道の安定性についての力学的な考察を行なっている。擬周回軌道の離心率には下限が存在すること、擬周回軌道が高傾斜角の下では不安定であり、安定性を確保できる傾斜角には上限が存在することを数学的に示している。続いて、この擬周回軌道の安定性の判別が、周期係数を有する微分方程式、マシューの方程式に帰着できることを数学的にはじめて証明している。この結果、離散的かつ特異的に安定となる、高い傾斜角の特殊な軌道条件を導き、その議論を火星-フォボス系及び太陽-地球系を例に数値的に実証して、それを実現する上での具体的な課題と概念設計法について述べている。

 第3章は惑星周回の小衛星まわりの低高度の探査軌道群を検討している。非弾道軌道としてはホバリングおよび定高度移動軌道が、弾道軌道としてはラグランジュ点L1、L2点間を結ぶ螺旋状の軌道を検討している。前者のホバリングに対しては、所要速度増分量と火星の潮汐力の影響を評価し、定高度移動に対しては所要速度増分最小となる最適移動速度を系統的に議論することに成功している。後者については、ヤコビポテンシャル面の近似手法を導入することによって、見通しのよい線形解を導き、その結果が数値解と比較的良い一致を示すことを述べている。数値例では、火星-フォボス系に対して、L1、L2点間を移動する4つの移行経路について、所要時間と必要速度増分量を比較、検討している。

 第4章は結論で、本研究の成果を要約している。

 以上要するに、本論文は、擬周回軌道の安定性に関する数学的な議論を初めて行い、それを積極的に利用し、高傾斜角の探査軌道について独自の安定化手法を提案するとともに、低高度の移行軌道を解析し、系統だてた方策間の検討を行っており、得られた成果は惑星周回の小衛星探査ならびに広く惑星探査計画の立案、設計作業を効率化するもので、航空宇宙工学上寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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