学位論文要旨



No 214914
著者(漢字) 比留間,伸行
著者(英字)
著者(カナ) ヒルマ,ノブユキ
標題(和) 立体映像システム設計のための視機能の研究
標題(洋)
報告番号 214914
報告番号 乙14914
学位授与日 2001.01.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14914号
研究科 工学系研究科
専攻 電子情報工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 坂内,正夫
 東京大学 教授 今井,秀樹
 東京大学 教授 池内,克史
 東京大学 教授 喜連川,優
 東京大学 助教授 相澤,清晴
内容要旨 要旨を表示する

1 序論 急速な技術革新の中にあって、放送の将来像をめぐる議論が盛んだが、その際、「いつの時代もより美しくダイナミックな表現をめざして進歩してきた」という放送の特徴を認識して議論を進めることが大切である。通信と放送の境界が曖昧になりつつある現在、通常上り回線を持たない一方通行の性格の強いメディアとしての放送の存在意義を考えるにあたって、上記の「豊かな表現の可能性」という特質は非常に重要である。すなわち、放送とは、大容量の下り回線をすべての受信者で共用するという特徴から、双方向性にある程度制限がある代わりに、非常に高いレベルの表現力を獲得する可能性を有するメディア、と位置付ける事ができるのである。

 もちろん、放送というメディアが比較的大容量の伝送路を利用可能だからといってその容量を無意味に浪費するわけにはいかない。限られた容量内でいかに効果的な情報伝送を行うか、というのはシステムの設計上第一義的に重要な事である。その際に最も重視すべき点の一つは、情報の最終的な受容者である人間の感覚の特性に適合した情報を伝えるべきであるという視点である。したがって、新しい表現力を放送メディアに導入するにあたっては、当該情報を人間がいかに受容するか、受信者に心理・生理的な負担を与えないようにするにはどのような条件が満たされればよいか、そのためにはどのようなシステム設計上・番組制作上の配慮が必要か、などの研究が不可欠であると言える。

 本研究は、「より豊かな表現力」という観点から、未来の放送メディアとして重要な候補である立体映像システムの設計においても、同様の意味で視機能の特性についての理解を深め、その知見を生かして、高度な表現力を持つとともに人に優しい見易く疲れにくいシステムを実現するよう努めることが肝要であると考え、立体映像の受け手である人間の視機能にマッチしたシステム開発に資する知見を得るべく行ったものである。

2 立体映像システムの設計における視機能研究の意義

 立体画像表示法は各種提案されているが、現在のところ、画質、汎用性等から、ほとんどの立体表示装置は両眼融合式立体画像(Binocular Stereoscopic Imaging)と呼ばれる技術を用いている。両眼融合式立体画像においては、輻輳刺激だけが変化し、調節刺激は一定であるという、通常我々が自然界の対象物を見る時とは異なった条件が生じる。立体映像の視聴者への影響を考える上で、この特徴が眼球制御系、とくに調節機能に与える影響や奥行き手掛かりの間の食い違いの効果などが問題と考えられており、この実体を明らかにすることが必要である。

3 実写番組観視中の焦点調節の測定

 通常の平面映像を見ている被験者の調節応答を他覚的に測定しつつ、そのとき見ている被写体が主観的に「近く感じる」、「遠く感じる」「どちらともいえない」のいずれかを押しボタンで答えさせた結果を、測定値と重ね合わせたグラフを図1に示す。平面映像でも距離感を与える奥行き手がかりが調節応答に影響を与えることがあることが示されている。

 また、両眼融合式立体映像技術による立体テレビ番組を見ている時の調節応答の測定を行ったところ、立体画像と立体画像の応答を比べると、立体画像の方が被験者の眼球の焦点が近方に調節されている(応答のディオプタ値が大きくなる)部分が多く見られることが判明した。これを、全体的な傾向を表す調節値のヒストグラムで表したものを図2に示す。これを見ると、立体画像の方が調節値の分布が近方にシフトする傾向があることがわかる。

 被験者間で共通して近方への調節応答が見られたシーンとしては、急激な距離感の変化を伴うカットの切り換えにおける応答、および、画面から飛びだして見える被写体への応答、が挙げられる。前者の例を図3に示す。

 これらのシーンで近方への調節が誘起される第1の原因は、手前に現れた被写体を両眼融合するために視線が輻輳するのに伴って調節応答が誘導されるためであると考えられる。輻輳が起こるような刺激を与えると調節応答も誘起される輻輳性調節は古くから知られているが、自然画像の立体テレビ番組観視時にも生じていることが実測により確認された。

4 調節測定の視環境評価への応用

 立体VDT作業前後の調節機能の測定したところ、画面より近くに表示される立体視標で長時間作業すると調節のステップ応答の立ち上がりが遅くなる、調節刺激に対する応答のずれが大きくなる、などの変化が生じていることが確認された。

 画面より遠方に表示される視標での作業後は自覚的な疲労は少なく、立ち上がりの遅れも見られないが、調節ラグはやや増加している。これらに対し、平面表示での作業の前後では調節応答の顕著な変化は見られなかった。ゲーム等では迫力を求めるあまり刺激の大きい画面で長時間熱中するという可能性があり、注意が必要である。また画面後方の表示による作業においても、自覚的にはあまり疲れを感じなくても調節ラグの増加に見られるように影響が生じている可能性もあるので、配慮が必要である

5 立体表示した視覚刺激に対する調節応答

 両眼融合式立体画像に対する調節応答の詳細をさらに調べるため、視標の左右の像の間隔すなわち、視標の見かけの奥行き位置を変化させたときの調節応答を測定した。視標が5秒間ごとにCRT面に見える状態と、CRTより奥や手前に見える状態をステップ状に変化させることを繰り返し、これに伴う調節応答を記録した結果を図4に示す。図4においてグラフの下に影を付けてある部分が視差を与えた部分である。グラフは上が最も手前に見える場合、下が最も奥に見える場合である。

 図4で、刺激の左右像間隔に対する調節変化量をプロットしたものを図5に示す。左右像間隔と共に調節応答の変化量が増加しているが、0.2Dないし0.3Dで飽和する傾向が見られることが分かった。この飽和値の大きさは眼球の焦点深度とほぼ等しい。図中の直線は像の幾何学的な見かけの位置に焦点が合っているとした場合の計算値である。これはあくまで目安であるが、左右像間隔が小さい範囲では良く対応していることが分かる。

6 立体映像に対する焦点調節制御動作のモデル化

 調節と輻輳の相互作用に関する知見を取り込んだ調節制御系のモデルとして図6(a)に示したようなもの想定すると、上記の現象を説明するモデルの動作は次の様であろうと考えられる。まず、調節状態が焦点深度内で変化した場合には、焦点がスクリーン位置から離れることによる「ボケ」の変化が知覚されないため調節制御系のフィードバック系が働かず、開ループ的な状態になって輻輳系への入力と共に調節応答が増加する(同図(b))。一方、焦点深度から外れると調節フィードバック系が閉ループとなって、調節の変化が抑制され飽和傾向を示す。このモデルに基づくと、輻輳調節が飽和レベルより小さい応答をしている限りでは調節制御系は動作していないので負担はかかっておらず、一方飽和レベルに達すると調節及び輻輳制御系が先に述べたような矛盾した奥行き手がかりに対応しようとして負荷を受け、疲労の原因となると予想できる。従って、立体画像によって生じる輻輳調節を適切に設定することが眼精疲労を防止する上で効果的であると思われる。

7 調節の特性に基づく立体映像システム設計の要件

 ある調節輻輳を生じる左右像問隔でどの程度の飛び出し量が得られるかを評価でき、また逆に、輻輳調節をある値に抑えるためには、左右像間隔は画面幅の何パーセントにすべきかを求められる。輻輳調節を上記の考察で制御系に負荷がかからないとしたレベル、約0.3Dに抑えるとすると、左右像間隔は画面幅の9%となる。この値を用いて手前側に見える場合について、視距離と、スクリーン面を基準とした像の見かけの位置の関係をプロットしたものを図7の実線で示す。図中に各種の大きさのディスプレイの標準観視距離を印した。同図点線は同じ計算を視距離の何割まで飛び出して見えるかの形で表したものである。このグラフから、ある一定の輻輳性調節を許容するなら(すなわち疲れにくい立体映像のシステム設計を行うには)大画面を離れた所から観視した方が表現範囲が広いことがわかる。同様に奥に見える場合のグラフを図8に示す。この場合も同様に大画面を離れた所から観視した方が表現範囲が広いことがわかる。さらに遠方に再現される像の場合は、僅かな左右像間隔で見かけの位置を大きくスクリーンから離して表現できることが示されており、過剰な左右像間隔を設ける必要はないことがわかる。

 ここで考察した左右像間隔の上限は絶対に超えてはならないという性格のものではない。演出上のアクセントとしてより大きい像間隔を提示することは当然あり得るが、大きい刺激ばかりでは観察者に負担を与える。上記の知見はそのような問題を避けるための番組制作上の指針ともなると考えられる。

8 まとめ

 本研究により、立体映像に対する調節機能の働きが明らかになり、撮影条件、観視条件を十分考慮すれば疲れにくい番組が制作できる可能性を確認した。また、調節系にあまり負担を与えず、十分な立体感を得るためには大きいディスプレイを十分な視距離をとって観視するべきであることなど、システムとしての立体映像ディスプレイの設計指針が得られた。

図1 平面画像の距離感に対する調節応答

図2 立体映像に対する調節応答(ヒストグラム)

図3 距離感の急激に変化に対する応答の例

図4 立体像の見かけの動きに対する調節応答

図5 輻輳刺激に対する調節変化

図6 調節輻輳制御系モデルの動作

(a)簡略化した調節及び輻輳系のモデル

(b)輻輳性調節が眼球焦点深度より小さい場合

図7 標準観視距離と立体映像の表現範囲(近方)

図8 標準観視距離と立体映像の表現範囲(遠方)

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、「立体映像システム設計のための視機能の研究」と題し、人間の知覚・感覚によく適合し高い表現力を有する立体映像システムを設計するにあたっての指針を得ることを目的とした視機能に関する研究をまとめたものであって、8章から構成されている。

 第1章「序論」では、映像システムのシステム設計における視覚研究の重要性を指摘し、従来のテレビ方式のためのシステム設計の策定において視機能研究がはたしてきた役割について述べるとともに、本研究の目的、本論文の構成を示している。

 第2章は「立体映像システムの設計と視機能研究」と題し、立体映像システムの設計においては、最終的に情報を受容する人間の視機能に適合した諸元の決定が、性能・経済性の両者の確保の点から重要であること、両眼融合式立体映像においては視差情報の調節の特性が重要であることが論じられている。特に、左右の視野の画像を融合させる眼球運動(輻輳)と焦点調節(調節)が密接に関係し、輻輳が起こるような刺激を与えると調節も誘起され(輻輳性調節)、逆に調節が起こるような刺激に対し輻輳も起こる(調節性輻輳)という現象が、両眼融合式立体映像の観視において視差と実距離が矛盾した奥行き手がかりをもたらす問題点を指摘している。

 第3章は「実写番組観視中の調節応答の測定」と題し、自然な画像を観視している被験者の調節応答の実態が分析されている。通常の平面映像を見ている被験者の調節応答を多面的に測定し、平面映像でも距離感が調節応答に影響を与えうること、また、立体テレビ番組観視時の調節応答の測定では、急激な距離感の変化を伴うカットの切り換えにおける応答、および、画面から飛びだして見える被写体への応答では、被験者間で共通して近方への調節応答が見られたことが明らかにされている。

 第4章は「調節測定の視環境評価への応用」と題し、立体VDT作業前後の調節機能を測定し、画面より近くに表示される立体視標を注視して長時間作業した場合、調節のステップ応答の立ち上がりが遅くなること、調節刺激に対する応答のずれ(調節ラグ)が大きくなること、更には、画面より遠方に表示される視標での作業後は自覚的な疲労は少なく、立ち上がりの遅れも見られないが、調節ラグはやや増加すること、などを明らかにしている。

 第5章は「立体表示した視覚刺激に対する調節応答」と題し、立体画像の刺激視標を提示して左右の像の間隔を変化させた場合の調節を測定し、この際誘起される調節応答は左右像間隔と共に変化量が増加するが、0.2D乃至0.3D(これは眼球の焦点深度とほぼ等しい大きさである)で飽和する傾向を発見している。

 第6章は「立体映像に対する焦点調節制御動作のモデル」と題し、上記の分析にもとづき、調節・輻輳制御系のモデルを想定し、その動作の考察とシミュレーションを行っている。これにより、輻輳性調節が飽和レベルより小さい応答をしている限りでは制御系に負担はかからず、飽和レベルに達すると調節及び輻輳制御系が前述のような矛盾した奥行き手がかりを処理しようとして負荷を受け、疲労の原因となるとの分析を行っている。これにもとづき、立体画像によって生じる輻輳調節を適切に設定することが眼精疲労を防止する上で効果的であることが示されている。

 第7章は「調節の特性に基づく立体映像システム設計の要件」と題し、前章までの知見に基づき、ある調節輻輳を生じる左右像間隔でどの程度の飛び出し量が得られるか、また逆に輻輳調節をある値に抑えるとすると左右像間隔は画面幅の何パーセントにすべきか、を評価できることが示されている。このことから、同じ輻輳性調節を許容するなら大画面を離れた所から観視した方が表現範囲が広いことが示されている。

 第8章は「結論」であり、本論文の成果を要約すると共に今後の課題が示されている。

 以上これを要するに、本論文では、立体映像に対する調節機能の働きを明らかにすることによって、撮影条件、観視条件の十分な考慮により疲れにくい立体映像番組が制作できる可能性を確認するとともに、調節系に負担を与えず十分な立体感を得るためには大きいディスプレイを適切な視距離をとって観視するべきであることなど、立体映像システムの設計指針が得られており、電子情報工学上貢献するところが少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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