学位論文要旨



No 214926
著者(漢字) 山口,裕之
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,ヒロユキ
標題(和) ベンヤミンのアレゴリー的思考 : デーモンの二義性をめぐる概念連関
標題(洋)
報告番号 214926
報告番号 乙14926
学位授与日 2001.01.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第14926号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 麻生,建
 東京大学 教授 鈴木,啓二
 東京大学 助教授 足立,信彦
 東京大学 教授 杉橋,陽一
 東京大学 教授 浅井,健二郎
内容要旨 要旨を表示する

 本論文はベンヤミンの三つの著作『カール・クラウス』、『ボードレールにおける第二帝政期のパリ』、『ドイツ悲劇の根源』を中心的な対象としながら、彼の「初期」の思考に顕著な神学的・秘教的特質と「後期」の思考を特徴づける唯物論的・政治的特質がどのように媒介されうるかを、ベンヤミンの思考における三段階的な展開の枠組み、およびそのうちに構造的に組み込まれているアレゴリーの考察を通じて示し、またそれによって、彼が方法論的に提示する「アレゴリー的な見方」を明らかにすることを目指している。

 第一章では、「全人間」、「デーモン」、「非人間」という三つの章からなるベンヤミンのクラウス論をその外的構造に従った思考モデルとして分析することによって、本論文全体に通底するベンヤミンの思考における三段階的な展開の枠組みを示すことになる。クラウス論では、「全人間」という人物像のうちに描き出される「古典的ヒューマニズム」から、「デーモン」像における「古典的ヒューマニズム」の否定をへて、「非人間」の体現する唯物論的な方向での「現実的ヒューマニズム」への転換が弁証法的な構成によって示される。こういった思考モデルの提示においてとりわけ特徴的であるのは、まずベンヤミンが第二段階の「デーモン」を規定する「二義性」という特質を執拗に指摘していることである。クラウス論における「デーモン」の「二義性」は、単にこの形象のもつ曖昧さ・いかがわしさを表すのではなく、彼の初期の著作にも見られる「デーモン」や「二義性」の概念内容を取り込みつつ、第三段階の「現実的ヒューマニズム」への展開の可能性を胚胎するものとして示されている。この「二義性」はまた、パサージュ論の連関において述べられた「弁証法的形象」のうちに認められる「静止状態にある弁証法」の特質として理解することができ、その意味においてパサージュ論の問題圏に直接に結びついてゆく。このデーモン的な二義性が支配する領域を「非人間」の「現実的ヒューマニズム」へといたらせる力を、ベンヤミンはとりわけ「破壊」と「根源」という両極的要素を特質とする「引用」のうちに見る。彼にとって「引用」は、デーモンの連関におかれた事物・言葉をその連関から破壊的に取り出し、それを新たな連関のうちに置くことによって「根源」を別の仕方において回復させる機能をもっている。ベンヤミンはこの力を「非人間」クラウスのうちに認めるとともに、そのような機能を持つものとして「引用」を自分自身の方法論的な基盤に据えることになった。

 第二章では、『ボードレールにおける第二帝政期のパリ』およびこれを含む本来の構想(「ボードレール論」)をクラウス論との構造的な並行性のうちにとらえることによって、ベンヤミンの後期の思考においてこの著作がもつ位置を示すとともに、この著作のうちに見られる特徴的な概念をその連関において明らかにする。『第二帝政期』は本来、パサージュ論の「ミニチュアモデル」として考えられていた三部構成の「ボードレール論」のうち、その第二部として構想されていた。つまり、『第二帝政期』はクラウス論における第二章「デーモン」と構造的に対応関係を持ち、「デーモン」の章がクラウス論の全体において占めていた位置を「ボードレール論」全体の中でとるものと見なすことができる。

 『第二帝政期』の全集版テクストに見られる三つの章の展開を通じてベンヤミンの視点は、外側から社会を見るアウトサイダーの類型としての「ボヘミアン」(職業的陰謀家、下級の陰謀家としての屑屋、文士)から、社会の内側において「遊歩者」というアウトサイダーとして存在することを可能とする「大衆」へと向かい、さらにこれらアウトサイダーや大衆を可能とした「近代」そのものの特質へと収歛していく。『第二帝政期』を通じてベンヤミンはさまざまな事象に見られる二重性を指摘していくが、この特質はなによりも彼が古典古代と近代の相互浸透としてとらえる「ディゾルヴ」という概念のうちに集約される。没落する近代とそれとともに浮かび上がってくる古典古代が二重写しにされる「ディゾルヴ」は、ベンヤミンにとってまさにアレゴリーのあり方として提示されている。アレゴリーとしてとらえられる都市の中のさまざまな形象は、パサージュ論の連関において述べられた「弁証法的形象」として、弁証法的な展開をたどるべき両極的要素が時間性を捨象され「静止状態」のうちに凝固した「二義性」をそのうちにもつ。「高度資本主義の社会」としての「近代」(およびその特質を一身に担った「英雄」という人物像)は没落を定められたものでありながらも、「弁証法的形象」としての「アレゴリー」のもつ「二義性」のうちに弁証法的な解決の可能性を胚胎するものとして位置づけられる。その「アレゴリー」を「陰謀家」としてのボードレールは都市を題材とする彼自身の詩のうちに潜伏させている。ベンヤミンはこのようにしてブランキと重ね合わされたボードレールのうちに、クラウス論で提示されたような「現実的ヒューマニズム」へと向かう芸術の政治的可能性を読みとろうとしている。

 第三章では、クラウス論やボードレール論に顕著に見られる唯物論的な志向をもつ三段階的な展開の枠組みや、その第二段階において決定的な意味を持つことになる「アレゴリー」、「デーモン」、「二義性」といった概念が、ベンヤミンの初期の思考の集大成である『ドイツ悲劇の根源』においてどのように準備されていたかという視点から、この著作の中心的な論点である「自然史」、「アレゴリー」、「根源」をめぐる概念連関に光を当てている。

 ベンヤミンにおける「自然史」は、神学的コンテクストでは神の恩寵の領域に属する「歴史」が被造物の罪の連関にとらわれた「自然」のうちに形象(とりわけ「廃墟」)となったものを意味するとともに、歴史哲学的コンテクストでは(自然史に対置される)純粋な歴史の時間の流れのうちに存在する、時間性が空間化された形象でもあり、また理念論のコンテクストにおいては現象の世界のうちに存在しつつ理念を指し示す「根源的なもの」でもある。「アレゴリー」とはそういった形象そのものとして純粋な歴史の世界、現象の世界のうちに現れる。アレゴリーは、宗教史的・文化史的な視点においても異教的なデーモンの罪の連関にとらわれた形象であるとともに、弁証法的な展開における両極を時間性が捨象された「二義性」として自らのうちに含む空間的形象でもある。自然史が形象化されたものとしてのアレゴリーは、このように罪の連関にとらわれ、純粋な歴史の世界、現象の世界のうちに存在するものでありながら、他方それ自体が、理念の構造性が現象の世界へと展開される力の場としての「根源」を指し示し、理念の世界のうちへと再び救済されることを志向している。自然史としてのアレゴリーは、「一回性」によって規定される純粋な時間の流れのうちに、理念の構造性を指し示すがゆえに「反復性」という特質をもちつつ存在する。ベンヤミンの歴史概念は、この純粋な歴史のうちに存在する自然的な歴史がアレゴリーの「配置」・「布置(Konstellation)」による理念の表現によって、再び理念の構造性のうちに救済される展開のうちにとらえることができる。

 結論としての第四章では、『ドイツ悲劇の根源』でベンヤミンがその枠組みを示した「アレゴリー」とその救済が、彼の「初期」および「後期」の思考全体においてどのような媒介的役割を果たし、またこのアレゴリー的思考のあり方がどのようなアクチュアリティをもちうるかを論点として提示している。現象の世界においてアレゴリーとして存在する自然史は、「根源的なもの」としての「前史」および「後史」を指し示している。理念の構造性が展開される場としての「根源」(「前史」)、それが展開された現象・歴史の世界、そしてその現象の世界の諸要素(アレゴリー)が再び理念の総体性のうちに救済される「後史」という思考の枠組みは、後期の唯物論的思考においてはクラウス論やボードレール論に見られるような三段階的な展開を特徴とする思考へと接合されていく。その際、ベンヤミンは「救済」の場としての「現実的ヒューマニズム」を提示することを試みるとともに、第二段階としての「近代」、すなわち現象の世界、歴史の世界のうちに「根源」を指し示すアレゴリーが存在する「近代」を、まさにそのアレゴリーの配置によって描き出すことにとりわけ大きな関心を向けている。ベンヤミンにとってアレゴリー「理念の表現」(それがすなわちアレゴリーの救済となる)のために配置されるべき素材であるとともに、その配置の方法そのものに関わる思考のあり方を規定している。ベンヤミンは世界を現象のうちに自然史としてのアレゴリーが存在している場ととらえ、それらのアレゴリーの配置によって理念の構造性を描き出そうとする。この「アレゴリー的な見方」において、配置されるべきものとしてのアレゴリーは、現象の世界からいわば「引用」されることになる。ベンヤミンはこうした思考のあり方を「19世紀の体系概念」、すなわち概念による対象の記述的把握をめざす思考に対置されるものとして提起したのである。本論文において明らかにしたベンヤミンのアレゴリー的思考は、彼自身意識していたように、とりわけ知覚のメディアの転換をとらえる視点に結びつくとともに、その方法的意識に基づいて書かれるはずであったパサージュ論の考察のためにも、その構造分析の基盤を与えるものとなりうる。

審査要旨 要旨を表示する

 山口裕之氏の論文は,これまでさまざまな解釈がなされてきた,きわめて難解なヴァルター・ベンヤミンの思想に関して,その3つの著作,すなわち『カール・クラウス』,『ボードレールにおける第2帝政期のパリ』および『ドイツ悲劇の根源』を中心に構造的な分析を行うことによって,その思想全体の基本的な枠組みを明らかにし,また同時にそこにおいて一貫して用いられている独特の手法の特徴を取り出すことを目的としている.したがって,本論文はベンヤミンの思想の新たな解釈を提示するものではなく,言ってみれば,それぞれの解釈者が解釈の際に考慮すべき基本的な前提に関して考察を加えたものである.

 そもそもベンヤミンの思想は,ヨーロッパ近代の位置づけや批判に関する問題,あるいは現代における最もホットなテーマの一つである言語論などに関して,大きな手がかりを与えてくれる内容を含むきわめて重要なものである.しかし従来のべンヤミン研究においては,そうした点に関する意味は十分認識されながらも-そしてそれゆえにこそ多くの研究者や思想家がベンヤミンにさまざまな形で言及してきたにもかかわらず-,そこには本論文が解明を目指しているベンヤミンの思想の基本的な枠組みや,その独特な手法に対する反省が欠如していたため,一方で表現そのものの難解さや思想内容の外見的な不整合,例えば前期における神学的な傾向と後期における唯物論的な傾向の間に存在する差異の大きさなどに惑わされ,また他方で,それぞれの解釈者の立場やアプローチの違いに起因する,時には全く相反する解釈がなされてきた.本論文はこうした状況に一石を投ずるものであり,その意図の持つオリジナリティーと意義は十分に評価できるものである.

 本論文はベンヤミンの思想の構造の最大の特徴を,<3段階的な展開の枠組み>ないしは独特の〈弁証法>によって構成されているものとして捉えている.本論文は上述のベンヤミンの著作の分析を,比較的後期に属するカール・クラウス論から始めているが,それは著者が,クラウス論においてこの枠組みが最も典型的な形で現れていると考えたからである.本論文はそれをふまえて,それ以後の著作(ボードレール論)とそれ以前の,つまり最初期に属する著作(ドイツ悲劇論)の構造を分析するという形を取っているが,この試みは十分に成功しており,また大いに説得力のある結論が導き出されていると考えられる.

 さらに本論文は,ベンヤミンのこの独特の<弁証法>を<二義性>,<破壊>,<引用>,<根源>ないしは<根源的なもの>,<ディゾルヴ>,<アレゴリー>といった,思想の構造に関わるベンヤミン自身のさまざまな<概念>を駆使しつつ浮き彫りにしているが,その中でも著者は<アレゴリー>の概念を,それ以外の概念をいわば統括するものであり,したがってベンヤミンの思想の構造を最も端的に性格づけているものとして位置づけている.ベンヤミンによれば,アレゴリーは現実の歴史的世界の中に存在しているさまざまな形象の中にいわばモザイク的に現れているもの,別の言い方をすれば,星座のように<配置>されているものであり,しかもその現れ方ないし<配置>は,それがアレゴリーとしての現れであり,配置である以上,個々の形象そのものの現実的な関係を反映しているのではなく,全く別の連関(根源的なもの)を指し示している.もちろんこうしたアレゴリ一の配置と,それが指し示すものは,ベンヤミンが取り扱っているヨーロッパ近代の個々のエポック(ドイツ悲劇論における18世紀のドイツやボードレール論における第2族帝政期のパリ),あるいはテーマ(高度資本主義社会など)ごとにそれぞれ異なっているが,それらを取り扱う際のベンヤミンの手法は構造的にほぼ一貫しているというのが著者の主張である.しかもこの主張は,上記の<3段階的な展開の枠組み>の場合と同様に,十分な形で論証されているものと考えられる.

 なお著者は,ベンヤミンのこうした思考様式,見方は,著者が<体系的・線状的思考>と名づけるもの,あるいは概念による対象の記述や把握といった19世紀的な考え方の解体に結びつくものであるとしているが,こうしたいわば脱構築的な思想のありようは必ずしもベンヤミン独自のものではなく,少なくとも同時代的な比較例はいくつも存在する.この点への配慮が欠けていることは少々残念なことであり,逆にそうした同時代的な展望を行うことによって,例えば<アレゴリー>の概念によって統括されるとされている<二義性>や<破壊>,あるいは<引用>,<ディゾルヴ>といった概念に関する本論文の考察に一層の厚みが加わったものと考えられる.

 しかし一方で,著者がベンヤミンに関する内外の先行研究を十分参照した上で論述を展開しているのはもちろんのこと,ベンヤミン自身がその思想を形成する上で重要な手がかりとしたアドルノ,ヘーゲル,ライプニッツ,あるいは本論文において取り上げられている2つの著作の対象であるカール・クラウスやボードレールについても,その著作ないしは作品をきわめて正確かつ緻密に読み解いており,その力量が本論文において十分な形で示されていることは否定できない.

 以上のことをふまえ,審査委員会は一致して,本論文がベンヤミン研究の歴史に少なからぬ貢献をなすものであり,また地域文化研究としての思想史研究に新しい方向性を指し示すものであることを認め,博士(学術)の学位を授与するに十分なものであると認定した.

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