学位論文要旨



No 214927
著者(漢字) 竹谷,純一
著者(英字)
著者(カナ) タケヤ,ジュンイチ
標題(和) スピンパイエルス物質CuGeO3とそのMg置換系の熱伝導
標題(洋) Thermal conductivity of the spin-Peierls compound CuGeO3 and its Mg-doped system
報告番号 214927
報告番号 乙14927
学位授与日 2001.01.29
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第14927号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 瀧川,仁
 東京大学 教授 今田,正俊
 東京大学 教授 加倉井,和久
 東京大学 教授 内野倉,國光
 東京大学 助教授 松田,祐司
内容要旨 要旨を表示する

 1993年に、CuGeO3において無機化合物としては初めてのスピンパイエルス転移が発見されたことは[1]、この現象の理解を大きく進展させるとともに、低次元スピンギャップ系の研究に新たな展開をもたらした。中性子回折の実験に十分な大きさの単結晶が作成されるようになって、dimerizationやスピン励起スペクトルのギャップというスピンパイエルス状態の基礎的特性が直接観測された。一方、不純物置換が可能になってスピン系に系統的にdisorderを導入できるようになったおかげで、わずかなdisorderがスピンパイエルス秩序を抑制し、反強磁性長距離秩序を引き起こすという大きな効果をもたらすことが明らかになった[図1(a)]。置換量xが少量(x<xc)の場合、相反すると思われていたこれら2つの長距離秩序が共存することも発見された。さらに、これをきっかけに、他の低次元スピンギャップ系においても不純物効果の研究が行われ、スピンギャップが抑制されながら反強磁性と共存する現象は、低次元スピンギャップ系に普遍的であることがわかってきた。しかし、低次元スピン系においてこうした顕著な不純物効果が起こる機構については、最もよく研究されているCuGeO3においてすら完全な理解に至っていない。特に、(不純物サイト以外では)超交換相互作用(Jc〜120K)やスピン格子相互作用などのパラメーターはほとんど変化しないにもかかわらず、帯磁率測定によると図1(a)のように転移温度Tspがxとともに急激に減少し、ある濃度xcで突然消えるように見えることなどは、いまだ明らかにすべき課題である。

 熱伝導率のような輸送係数は低エネルギー励起の散乱に影響されるので、disorderの効果を敏感に反映すると考えられる。しかも、熱伝導率はフォノンとスピン励起の両方の輸送特性の異常を観測できるので、スピンと格子の自由度が関与しているスピンパイエルス転移を調べるのに適当なプローブである。これまで、帯磁率や比熱のように静的な測定の報告は多いが、熱伝導率の測定はほとんど行われていない。本研究では、CuGeO3及びそめ不純物置換系の熱伝導測定を行い、スピンパイエルス系、特にその不純物置換効果についてスピン励起やフォノンの動的性質からの理解を試みる。

 測定は、CuGeO3及びそのCu(S=1/2)サイトをMg(S=0)に置換した単結晶について30K(<<Jc)以下0.28Kまでの低温で行った。さらに、通常のスピンパイエルス相における磁場の効果とHc〓13Tで実現する不整合相での振る舞いを調べるために、16T(chain方向)までの磁場中でも測定した。通常の熱電対を用いる方法では低温で感度が小さくなる欠点があるので、本研究では、試料の2箇所の温度を磁場中で校正した抵抗温度計で測定する“one heater,two thermometers”法を用いた。

1.CuGeO3の熱伝導

 図1のように、CuGeO3のスピン鎖方向の熱伝導(磁場はスピン鎖に平行)には、5.5K付近のピーク、Tspにおけるキンク、Tsp以下での大きな磁場依存性が現れ、通常の絶縁体におけるフォノン熱伝導の単純な温度変化とはかけ離れた振る舞いを示す。従って、これらの異常には、(一次元)スピン系の性質やスピンパイエルス転移を反映していることになり、次のように理解される。

・Tsp以上では、フォノンだけではなく(一次元)スピン励起も熱伝導に寄与するため、Tspでスピンギャップが開くと、急に熱伝導が減少する。そのためTspに折れ曲がりが現れる。

・Tspより十分低温では、スピン励起は少なくなっているので、フォノンが主な熱の運び手となっているが、スピン-フォノン相互作用のためにフォノンの熱伝導にもスピンギャップの影響が現れる。即ち、高温側でスピン励起によってフォノンが散乱されていたのが、スピン励起が減るために大きなフォノン熱伝導が復活し、ピークを形成する(最低温ではフォノンは格子欠陥などに散乱され、この場合にはフォノンのpopulationの減少とともに熱伝導は減少し、ゼロに向かう)。・磁場中では、スピンギャップが壊れていくため、この5.5Kのピークは小さくなる。

 図1の挿図は、ピークの温度での磁場スイープの結果である。Hcにおいて不整合相に一次相転移してソリトンが現れると、ドメインウォールでの散乱が加わるために、(フォノンの)熱伝導が大きく減少する。このことは、不整合相においてフォノンの熱伝導がソリトンの空間分布を反映することを意味する。実際、14T以上の磁場中で熱伝導が再び上昇するのは、NMRで観測されているように[3]、ソリトンが隣同士で重なり始めるためにドメインウォールにおける散乱が減少すると考えることで理解できる。

2.Mg置換系の熱伝導

 図3〜6には、Mg置換系の熱伝導を示す。disorderの効果は熱伝導率のx依存性として顕著に現れ、以下のように、1.の解釈を確認するのに加えて、不純物の効果について新たな情報が得られた。

1)図2のように、不純物によってスピンギャップが抑制されたときにも、磁場を印加した場合と同様に5.5Kのピークは小さくなった。これにより、この熱伝導のピークがスピンギャップを起源とすることが確認できた。

2)図3(a)のように、Tsp以上の常磁性相において熱伝導率は大きなx依存性を示す。これは、この温度領域で顕著なx依存性の見られない帯磁率や比熱とは対照的である。また、図3(b)に示す常磁性相の熱伝導は、スピンパイエルス長距離秩序がなくなる濃度xcを越えるとあまり変化しなくなる。図1(b)のように、Mg置換はスピン鎖を分断することになるので、一次元スピン励起の伝導がある場合には、その輸送係数は(スピン相関の減少に伴って)置換とともに急激に減少することが期待される。一方、フォノンは3次元であるため、Mg置換によって点状の欠陥が導入されても(ピークより高温では)あまり変化が小さいと考えられる。こう考えると、x>xcで残った熱伝導はフォノンによるもので、x<xcではこれ以外に一次元スピン励起の熱伝導が存在すると考えるのが自然である。x=0の試料の平均自由行程を見積もると、スピン間距離の400倍にもなり、コヒーレントな伝導が実現していることがわかる。また、スピン励起のmobilityはMgとともに急激に減少し、スピンパイエルス長距離秩序がなくなるときにスピン励起がほとんど熱を運べなくなることは、スピンバイエルス転移と一次元スピン励起コヒーレントとのかかわりを示唆する。

3)図4では、2)のモデルに従ってx=0.04の試料の熱伝導率を差し引いて、スピンの寄与を取り出した。ゼロ磁場ではT*〜15Kより低温で減少し始め、しかも磁場依存性はT*以下でのみ現れることから、局所的にはT*以下ですでにスピンギャップが開いていることが示唆される。このT*はx=0の7Tspと一致し、測定したxの範囲ではほとんど変化しない。従って、(局所的な)スピンパイエルスオーダーパラメーター自身は少量のdisorderの導入によってあまり変更を受けないが、不純物置換系ではより低温にならないとスピン相関が長距離に及ばないため、スピンパイエルス長距離秩序を起こす温度はxとともに急激に下がるという描像が成り立つ。

4)図5にx=0及びx=0.016の試料の極低温におけるゼロ磁場熱伝導を示す。高温側では、x=0.016の方が熱伝導が小さいが、最低温ではこの大小関係が逆転する。極低温ではx=0の試料の熱伝導はほぼすべてがフォノンによると考えられるので、x=0.016の試料では別の励起も熱を運んでいることになる。この余分な熱伝導は反強磁性長距離秩序との共存のために現れる3次元マグノンによって運ばれていると考えるのが自然である。比熱測定の結果とあわせてマグノン速度を見積もると、通常の均一な反強磁性状態より1桁小さくなっていることがわかった。この遅いマグノンの存在は、スピンパイエルス的長距離秩序の影響で、不純物サイトの中間でstaggared momentが小さくなっているとする斎藤・福山のモデル[4]とコンシステントである。

4)図2の挿図のように、x=0の場合は不整合相で熱伝導が磁場とともに再び上昇する。ところが、図6に示すように、Mg置換した試料ではネール温度TN以下の温度領域では、熱伝導の磁場変化がHc以上で急になくなる。1.で述べたように、不整合相において熱伝導はソリトンの空間分布を反映するので、この結果は、不純物置換系ではTN以下でソリトンがフリーズすることを示唆する。TN以上ではx=0の場合と同様な磁場依存性を示すので、反強磁性秩序の存在はソリトンがフリーズするための必要条件になっていることがわかる。

3.擬一次元反強磁性体BaCu2Si2O7の熱伝導

 最近発見された擬一次元反強磁性体BaCu2Si2O7[5]の超交換相互作用は240K程度であり、CuGeO3のそれと2倍程度しか違わないので、リファレンスとしてBaCu2Si2O7の熱伝導も測定した。スピンパイエルス系の特徴である磁場依存する熱伝導ピークは現れなかったが、常磁性状態でCuGeO3と同程度の大きさの次元スピン励起による熱伝導が見られた。これにより、一次元スピン励起のコヒーレントな伝導は(スピン揺らぎの大きい)低次元系のスピン液体状態に共通した現象であると考えられる。

 以上のように、CuGeO3、そのMg置換系、及びBaCu2Si2O7の測定を通じ、熱伝導率はこれら一次元スピン系に対して有用なプローブになることがわかった。これまで低次元スピン系の輸送係数の測定はあまり行われていなかったが、disorderの影響を敏感に反映するなどの有利な点がある。また、結晶成長技術が進歩し、良質な単結晶が得られるようになったことも輸送特性の測定機会を増やすことになると思われ、今後スピン励起の動的な性質や不純物効果の研究において重要度が増えると思われる。

[1]M.Hase,I.Terasaki,and K.Uchinokura,Phys.Rev.Lett.70,3651(1993).

[2]T.Masuda,A.Fujioka,Y.Uchiyama,I.Tsukada,and K.Uchinokura,Phys.Rev.Lett,80,4566(1998).

[3]M.Horvatic et al.,Phys.Rev.Lett.83,420(1999).

[4]M.Saito and H.Fukuyama,J.Phys.Soc.Jpn.66,3259(1997).

[5]I.Tsukada,Y.Sasago,K.Uchinokura et al.,Phys.Rev.B.60,6601(1999).

図1:(a)帯磁率測定によるCu1-xMgxGeO3の相図[1]。

(b)Mg置換によってCu-Oスピン鎖に導入されるdisorder。

図2:CuGeO3のCu-0スピン鎖方向の熱伝導率。

磁場はスピン鎖に平行。挿図は4.2Kでの磁場依存性。

図3:(a)Cu1-xMgxGeO3の熱伝導率。

(b)17.5Kにおける熱伝導率のx依存性。

図4:x=0.04の熱伝導を差し引いた残りの(スピンによる)熱伝導率。

図5:x=0,0.Ol6の試料の極低温熱伝導率。

図6:x=0.0216の試料の高磁場熱伝導率(TN〜3K)。

審査要旨 要旨を表示する

 竹谷純一氏提出の本論文には、無機化合物としては初めてスピン・パイエルス転移が発見されたCuGeO3およびこの物質のCuを少量のMgで置換した系について、熱伝導率の詳細な測定結果、およびそれに基づいてこの物質の様々の相(一様常磁性相、スピン・パイエルス相、磁場誘起不整合相、不純物誘起反強磁性相)におけるスピン励起の輸送現象を考察した結果が述べられている。擬1次元量子スピン系CuGeO3は、良質な大型単結晶育成や制御された元素置換が可能であるという特徴によって、近年集中的な研究の対象となっており、スピン・パイエルス状態の微視的理解に貢献したのみならず、不純物によって反強磁性長距離秩序が誘起されるという新しい現象の発見を導いた。量子スピン系のこれまでの研究においては、比熱や磁化などの静的性質や、中性子散乱や磁気共鳴などの動的相関関数の測定が主として行なわれ、熱伝導率のような輸送係数の測定はほとんど例がなかった。竹谷氏の本研究は、低次元量子スピン系において熱伝導率の測定が低エネルギー励起の動的な振舞を理解する上で有用であることを示したもので、この点がまず高く評価される。

 本論文は7章よりなる。第1章では擬1次元スピン系における熱伝導率測定の意義と本研究の動機が述べられ、第2章ではCuGeO3のこれまで知られている性質がまとめられ、第3章では熱伝導率の測定法と解析法の概要が述べられている。

 続く3章は本論文の主要な部分である。まず第4章では意図的な不純物を含まないCuGeO3のスピン鎖方向の熱伝導率を、1.5Kから40Kまでの温度範囲、16テスラまでの磁場範囲で測定した結果が示されている。ゼロ磁場ではスピン・パイエルス転移温度(Tsp)以下で熱伝導率の急激な減少が観測され、一様常磁性相においてスピン励起の熱伝導への寄与が大きいことが示唆された。スピン1重項状態が実現しているTspより充分低温において熱伝導率のピークが観測されたが、これはフォノンがスピン励起によって散乱される確率が低温で小さくなるためと解釈される。このことは磁場中でスピン励起密度が増すと、ピークが弱められることによって裏付けられる。更に磁場を上げて不整合相に入ると熱伝導率は不連続に減少する。これは不整合相のソリトン構造に伴うドメイン壁によってフォノンが散乱されたためと解釈される。このように、純粋なCuGeO3における熱伝導率の結果はいずれも自然な定性的解釈が可能である。

 第5章ではCuを最大4%まで非磁性のMgで置換した試料についての測定結果が述べられている。この結果はスピン・パイエルス物質の不純物効果について新たな知見を加えると共に、上記の純粋なCuGeO3に対する理解をより定量的に裏付けるのに役だった。Mg置換は陽イオンの価数を変えずにスピン欠損を導入する、即ちスピン鎖を切り離す効果があるが、極めて微量の置換によって反強磁性の長距離秩序が発生することが発見され近年多くの研究が行われている。本研究ではまず、Tspより高温の熱伝導率およびTsp以下でのピークが、Mg置換によって最初大きく減少し、次いで3%を超えると置換量にほとんど依存しなくなることが見出された。置換量の大きい試料の熱伝導はフォノンによると考えられるので、これを差し引くことにより、純粋なCuGeO3のスピン励起による熱伝導率を評価することが可能になった。その結果、第4章で述べた一様常磁性相での熱伝導率に対するスピン解の大きな寄与が実証され、更に平均自由行程が格子間隔の500倍にも及ぶことが見出された。このスヒン励起による熱伝導率は約15K以下で減少し、この現象は磁場や置換量にあまり依存しない。この温度は純粋なCuGeO3のゼロ磁場におけるTspに一致するが、この結果はMg置換や磁場によってTspが減少しても、局所的なスピン擬ギャップが一定温度以下で生じていることを示唆している。更に、Mg置換によって生じた低温反強磁性相において純粋なCuGeO3より大きな熱伝導率が観測され、スピン波による寄与と考えられた。試料の形状依存性を調べることにより、スピン波の平均自由行程が試料の境界で決まっていることを確認し、更に比熱の結果を援用して、スピン波の速度を評価することが出来た。その結果スピン波の分散幅はスピン・パイエルスギャップよりはるかに小さく、理論の予測とコンシステントであることが分かった。

 第6章では、CuGeO3に対する参照物質としてスピン・パイエルス転移を示さない単純なスピン1/2のハイゼンベルグ鎖であるBaCu2Si2O7を選び、スピン鎖方向とそれに垂直な方向の熱伝導率を測ることによって、フォノンとスピン励起の寄与を分離した。スピン励起による熱伝導率はCuGeO3と同程度の大きな値を示し、格子間隔の数百倍に及ぶ平均自由行程をもったコヒーレントなスピン輸送現象が擬1次元スピン系のギャップがない状態における普遍的な性質であることが示唆された。第7章には全体の要約が述べられている。

 本研究は、熱伝導率の測定が量子スピン系における素励起の動的振舞の理解に有用であることを実証し、巧みな実験条件の設定と注意深い解析により、熱伝導率と比熱というバルクな測定結果からスピン・パイエルス系の様々な相におけるスピン励起の輸送特性を明らかにしたもので、中性子散乱などによるスピン・ダイナミクスの測定と相補的な意味で重要な成果であるといえる。本論文の成果について審議した結果、審査員全員一致で本研究が博士(理学)の学位論文として合格であると判定した。なお本研究は内野倉國光、益田隆嗣、安藤陽一、塚田一郎、田中功、A.Kapitulnik,S.G.Doettinger,R.S.Feigelson,D.L.Sisson諸氏との共同研究の部分を含むが、上に述べられた成果の主要部分について論文提出者が主たる寄与をなしたものであることが認められた。

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