学位論文要旨



No 214931
著者(漢字) 早瀬,哲郎
著者(英字)
著者(カナ) ハヤセ,テツオ
標題(和) 糖蛋白質糖鎖のHPAEC法によるマッピングに関する研究
標題(洋)
報告番号 214931
報告番号 乙14931
学位授与日 2001.02.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14931号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 助教授 宮脇,長人
内容要旨 要旨を表示する

 糖蛋白質の糖鎖は、結合するアミノ酸の種類により大きくN-グリコシド結合型糖鎖とO-グリコシド結合型糖鎖に分類される。どちらのタイプの糖鎖も構造上の多様性が甚だしく、同一の糖蛋白質の糖鎖であっても多くの構造の糖鎖の集合体であることが一般的である。糖蛋白質の糖鎖は、糖蛋白質の水溶性等の物性やその代謝に大きな影響を及ぼすのみならず細胞間接着や免疫反応への関与も知られていて、その構造について多くの知見を得ることはきわめて重要である。特に、上述のように特定の糖蛋白質の糖鎖の構造的多様性(ミクロ不均一性)を把握すること、すなわちある糖蛋白質にどのような糖鎖がどのくらいの量結合しているかを知ること(糖鎖マッピング)は大いに興味があることながら、難しい課題として残されてきた。

 本論文は糖鎖マッピングの一つの有力な方法論であるHPAEC(High-pH anion-exchange chromatography)に関する研究結果である。HPAECは既にN-グリコシド結合型糖鎖のマッピング法としては定評ある方法であったが、O-グリコシド結合型糖鎖に関する応用例は数少なかった。本論文では以下3つの内容を報告する。

1) HPAECによるN-グリコシド結合型糖鎖の分析

 異なる動物種(ウシ・ヒツジ・ブタ)から得られるフェツインは、アミノ酸配列のきわめて高い相同性をもち、そのN-グリコシド結合型糖鎖の結合位置(3ヶ所)も保存されている。また、ヒト・フェツイン(α2-HS-糖蛋白質)もよく似たアミノ酸配列を持ち、上記3ヶ所のうち2ヶ所にN.グリコシド結合型糖鎖を持つ。このように、4種のきわめて類似した、しかし由来する動物種の異なる糖蛋白質の糖鎖構造を比較することにより、糖鎖の生合成過程でどのような要因が糖鎖の構造に大きな影響を与えるかを知ろうと考えた。このような相互比較のための糖鎖マッピングにはHPAEC法は最適の方法である。

 糖鎖マッピングの結果、ウシおよびヒツジのフェツインのN-グリコシド結合型糖鎖はいずれも3本分岐の複合型糖鎖が主流である一方、ブタおよびヒトのフェツインの糖鎖は2本分岐の複合型であり、ブタのそれにはフコース残基が含まれること、が分かった(下図)。

3本分岐構造

2本分岐構造

この結果とこれまでに報告されたいくつかの糖蛋白質の糖鎖構造を考え合わせて、4種のフェツインの糖鎖構造の違いには、動物種に特異的な要因(糖鎖合成酵素の種類)が強く現れている側面とアミノ酸配列の微細な違いが寄与していると考えられる側面があることが分かった。

2) HPAECによるO-グリコシド結合糖鎖の分析(シアロ糖鎖の分析)

 糖蛋白質からO-グリコシド結合糖鎖を切り出すに際してはアルカリによるβ脱離/還元反応を用いるため、得られる糖鎖は糖アルコールの形であり還元末端のアルデヒド基を欠いている。そのため、N-グリコシド結合糖鎖に比べてHPAECでの保持が弱く、多様な構造をもつO-グリコシド結合糖鎖を系統的に分離することは難しいと考えられてきた。実際、O-グリコシド結合糖鎖のHPAECによるマッピングはこれまでごくわずかな報告例しかなかった。

 今回、13種類のO-グリコシド結合糖鎖(シアロ糖鎖)の標準品をそろえて、これらのHPAECでの最適分離条件を検討した。その結果、13種の標準糖鎖をよく分離できる溶出条件を設定した。また、この分離条件を用いてウシ顎下腺ムチンおよびウシ・フェツインのO-グリコシド結合糖鎖のマッピングを行った。その結果は、従来他の手法で得られたものに一致した。これにより、N-グリコシド結合糖鎖だけでなくO-グリロシド結合糖鎖に関しても、HPAECによる簡便なマッピング法を確立することができた。

 なお、O-グリコシド結合糖鎖の定量を行うに際しては、糖鎖の加水分解物中のGaIN-olを定量するのが便利であるが、この糖アルコールを分離分析する適当なHPLC系がこれまでなかった。今回、この目的のために新しい分析系であるHPCEC(High-pH cation-exchange chromatography)法を開発し、GaIN-olの定量に有用であることを示した。

3) HPAECによるO-グリコシド結合糖鎖の分析(アシアロ糖鎖の分析)

 上述のように、O-グリコシド結合糖鎖に関しても末端のシアル酸を含むシアロ糖鎖であればHPAEC法によるマッピングが有用であることが分かった。しかしながら、シアル酸を除いた後のアシアロ糖鎖はアニオン交換カラムを用いるHPAECには全く保持されないので、そのままではHPAECによるマッピングは不可能である。シアロ糖鎖のHPAECクロマトグラムを解析するためには対応するアシアロ糖鎖のマッピングが是非とも必要である。そのため、アシアロ糖鎖を予め誘導体化した上でHPAECで分析する方法(脱N-アセチル化-N-サクシニル化;下図)を開発した。

 誘導体化反応の2つの工程(脱N-アセチル化工程とN-サクシニル化工程)それぞれの反応条件を最適化し誘導体化法を確立した。この手法を用いて、ウシ顎下腺ムチンおよびウシ・フェツインのアシアロ糖鎖のHPAEC分析を行った。その結果は、2)で述べた対応するシアロ糖鎖のマッピングの結果とよく一致した。

審査要旨 要旨を表示する

 糖蛋白質の糖鎖は、結合するアミノ酸の種類によりN-グリコシド結合型糖鎖とO-グリコシド結合型糖鎖に分類される。どちらのタイプの糖鎖も構造上の多様性が著しく、同一の糖蛋白質の糖鎖であっても多くの構造の糖鎖の集合体であることが一般的である。糖蛋白質の糖鎖は、糖蛋白質の水溶性等の物性やその代謝に大きな影響を及ぼすので、その構造に関して多くの知見を得ることはきわめて重要である。本研究では、糖鎖構造の構造多様性をトータルで捉えることができる方法としてHPLC法によるマッピング法を開発することを目指した。糖鎖のマッピング法という目的に適したHPLC法としてHPAEC-PAD(High-pH Anion-exchange Chromatography-Pulsed Amperometric Detector)法に着目し、いくつかの観点から研究を行った。

 第I章では序論として本研究の背景を述べ、この分野での位置づけを明確にしている。

 第II章では糖蛋白質のN-グリコシド結合型糖鎖のHPAEC法によるマッピングについて述べている。HPAEC法によるN-グリコシド結合型糖鎖の分析については既に多くの研究報告があったので、それらを踏まえてフェツインを材料に比較生化学的検討を展開した。フェツインはウシの胎仔血清から得られる糖蛋白質であり、これまでも糖鎖の研究の材料に多用されてきた。近年ウシ以外のいくつかの動物種のフェツイン(に相当する糖蛋白質)のアミノ酸配列が決定され、それらが高い相同性をもち、かつN-グリコシド結合型糖鎖の結合位置も保存されていることが分かった。したがって、異なる動物種(ウシ、ヒツジ、ブタ、ヒトの4種)から得られたフェツインの糖鎖の構造多様性はきわめて興味深い問題と考え、HPAEC法による糖鎖マッピングを行った。その結果、ウシおよびヒツジのフェツインのN-グリコシド結合型糖鎖はいずれも3本分岐の複合型糖鎖が主である一方、ブタおよびヒトのフェツインの糖鎖は2本分岐の複合型であり、ブタのそれにはフコース残基が含まれること、が分かった。この結果とこれまで報告されたいくつかの糖蛋白質の糖鎖構造を考え合わせて、4種のフェツインの糖鎖構造の違いには、動物種に特異的な要因が強く現れている側面と各フェツインのアミノ酸配列の微細な違いが寄与していると考えられる側面があることが分かった。

 第III章では糖蛋白質のO-グリコシド結合型糖鎖のシアロ糖鎖のHPAEC法によるマッピングについて述べている。O-グリコシド結合型糖鎖へのHPAEC法の応用に関してはこれまでわずかな研究報告しかなされていない。これは、O-グリコシド結合型糖鎖の場合、糖蛋白質から切り出す際にアルカリによるβ脱離/還元反応を用いるため得られる糖鎖が糖アルコールの形であり、N-グリコシド結合型糖鎖に比べてHPAECでの保持が弱く良好な分離が得にくいことが原因である。本研究では、13種類の代表的なO-グリコシド結合型糖鎖(シアロ糖鎖)の標準品をそろえて、これらのHPAECでの最適分離条件を検討した。また、この分離条件を用いてウシ顎下腺ムチンおよびウシ・フェツインのO-グリコシド結合型糖鎖のマッピングを行った。その結果は、他の手法で得られたものに一致した。これにより、N-グリコシド結合型糖鎖だけでなくO-グリコシド結合型糖鎖に関しても、HPAEC法による糖鎖マッピングの手法を確立することができた。

 第IV章では糖蛋白質のO-グリコシド結合型糖鎖のアシアロ糖鎖のHPAEC法によるマッピングについて述べている。アシアロ糖鎖の場合、糖鎖がHPAECに保持される主たる要因であるシアル酸と還元末端のアルデヒド基の両方を欠くために、第III章で述べたシアロ糖鎖よりもHPAECでの保持がさらに弱く実際上分析が不可能である。このため、新たな前処理法を考案してアシアロ糖鎖のHPAEC分析を可能にした。O-グリコシド結合型糖鎖にはN-アセチル基を有する糖残基が少なくとも1つはある。このN-アセチル基をヒドラジン分解で外し、その後のフリーのアミノ基をサクシニル基で置換することにより、糖鎖に負電荷を導入する方法を開発した。この「脱N-アセチル化-N-サクシニル化」の反応条件を最適化し、O-グリコシド結合型糖鎖のアシアロ糖鎖の前処理方法として確立した。また、この方法をウシ顎下腺ムチンおよびウシ・フェツインのO-グリコシド結合型糖鎖に適用し、アシアロ糖鎖のHPAEC法によるマッピングができることを示した。

 第V章では以上の結果をまとめ、糖蛋白質糖鎖のマッピング法としてのHPAEC法の有用性について論じている。

 本研究では、糖蛋白質の糖鎖の構造多様性をトータルで把握するための手法としてHPAEC法によるマッピングがきわめて有用であることをいくつかの観点から示した。この成果は、複合糖質に関連する多くの分野で貢献するところ大であると考えられる。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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