学位論文要旨



No 214932
著者(漢字) 後藤,晋
著者(英字) Gotoh,Susumu
著者(カナ) ゴトウ,ススム
標題(和) RAPDマーカーを利用したマツノザイセンチュウ抵抗性クロマツ採種園の遺伝子管理
標題(洋)
報告番号 214932
報告番号 乙14932
学位授与日 2001.02.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14932号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井出,雄二
 東京大学 教授 八木,久義
 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 教授 丹下,健
 農林水産省林野庁森林総合研究所 集団遺伝研究室長 吉丸,博志
内容要旨 要旨を表示する

 わが国のマツ林に壊滅的な被害をもたらしたマツノザイセンチュウ病に対する対策の一つとして、本病に抵抗性を有するクロマツ個体の選抜が行われ、そのクローンによる採種園が全国各地に造成されている。今日、これらの採種園から事業的規模で抵抗性種苗が生産されるに至っている。

 採種園は、一般に、遺伝的に優れた選抜個体を未選抜集団からの花粉汚染が生じないよう隔離植栽し、大量の改良種子を安定的かつ容易に生産することを目的として造成される。特に、遺伝的改良効果を満度に発揮させるためには、生産される種苗に対して各構成個体が遺伝的に均等に寄与できるように採種園自体あるいは交配が管理される必要がある。しかし、個体の遺伝子型の判別や交配実態の直接的な解明に有効な手法は限られており、採種園産種苗の遺伝的性質を人為的にコントロールすること、すなわち遺伝子管理はこれまで不可能であった。一方、近年DNA分子マーカー等を利用した個体の遺伝子型分析技術が一般化しつつあり、この応用による採種園の遺伝子管理の実現が望まれている。

 マツノザイセンチュウ抵抗性クロマツの場合、選抜された抵抗性個体はわずか16個体であり、遺伝的多様性が高く、高い抵抗性を有する種苗の生産のためには、多数の選抜個体を使用できる一般の精英樹採種園におけるよりもさらに精緻な遺伝子管理技術の確立とその適用が不可欠である。

 そこで、本研究では、DNA分子マーカーの1つであるRAPDマーカーを用いて、マツノザイセンチュウ抵抗性クロマツ採種園の遺伝子管理技術の確立を図った。まず、採種園構成クローン間で多型的なマーカーを探索取得し、それらを用いたクローン識別法および生産された種苗の両親、特に花粉親の識別法を確立した。さらに、それらを現実の採種園に適用し、クローン管理および交配の実態を明らかにした。また、採種園クローンの種子生産性および種苗の抵抗性に対する母親および花粉親としての寄与の程度を評価し、それらに基づいた採種園の遺伝子管理についての具体的な提案を行った。

 まず、対象とした16クローンを識別できるRAPDマーカーを開発した。その結果、得られたRAPD産物はクローン間で充分に多型的であり、クローンの識別に利用できる10個のマーカーが取得できた。一般に、RAPDマーカーは再現性がやや低く汎用的な遺伝マーカーとしては利用しにくいとされているが、本研究では5回の繰り返し実験を行い、取得したマーカーの再現性を確認した。すなわち、これらのRAPDマーカーを用いることにより信頼性の高いクローンの識別が可能である。

 また、採種園は非常に多くの個体で構成されており、全ての個体について個別にRAPD分析を行うことは現実的には困難である。そこで、クローンが計画どおり適正に配置されているか、採種園構成クローン以外の不正規な個体が混入していないか等を簡便に検出するため、複数個体分析を一度に分析するバルク分析法を開発した。すなわち、異なるクローンの針葉の混合サンプルよりDNAを抽出しRAPD分析を行った結果、単一クローンの場合とは異なるRAPDマーカーの出現パターンを示し、不正規クローンが検出できた。

 次いで、取得したマーカーを採種園種子の花粉親の識別に応用した。RAPDマーカーは優性マーカーであるため、直接その遺伝子座における個体の遺伝子型を決定できない。しかし、針葉樹の胚乳は母樹由来の半数体であるため、1母樹から得られた複数の種子におけるRAPDマーカーの分離を調べることで、その母樹の遺伝子座ごとの遺伝子型を決定することができる。そこで本研究では、21プライマーによる28遺伝子座について母樹の針葉とその種子の胚乳の両者を分析することにより、各クローンの遺伝子型を決定した。さらに、両親の明らかな人工交配苗についてこれらの遺伝子座における遺伝子型を明らかにし、苗木の両親の特定に利用可能であることを示した。

 さらに、これまで開発した手法を実際の採種園に適用し、その応用可能性を検討した。

まず、鹿児島県と福岡県の採種園に植栽されている個体について、RAPDマーカーを用いたクローンの識別を行った。その結果、鹿児島県採種園では19.9%、福岡県採種園では1.9%の個体が設計と異なる場所に植栽されていることが判明した。特に、鹿児島県採種園では3本、福岡県採種園では2本が、採種園構成クローン以外の個体であることが判明し、採種園造成の早い時期にクローン判定を行い、混入個体を除去する必要があることが示された。また、バルク法による分析を福岡県採種園に適用した結果、採種園構成個体の全てを個別に分析する場合の約3分の1の実験量で、不正規個体の混入が識別可能であった。

 次に、福岡県採種園において種子多産型クローンである田辺-ク54号の自然交配実生苗85個体についてRAPD分析による花粉親の識別を行い、うち82個体(96.5%)の花粉親を特定することができた。また、この結果から本採種園における構成クローン以外の外来花粉による汚染率は2.4%、自殖率は1.2%と、諸外国の他樹種採種園と比較しても同程度あるいはそれ以下で、種子生産上問題ないレベルであることを明らかにした。一方、この85個体に対する各採種園構成クローンの花粉親としての寄与率は、0〜29.3%とクローンによって著しく異なり、交配の実態は任意交配からかけ離れたものであることを明らかにした。

 また、採種園産種子に対する各クローンの母親としての寄与を調べるために、各クローンの1ラメート当たりの充実種子生産量を調査した。充実種子生産量では、クローン間で最大10倍程度の差異が認められた。次いで、各クローンの1ラメート当たりの充実種子数と現存ラメート数から、採種園産種子全体に対する各クローンの種子割合を求めると、田辺-ク54号の種子が40%以上を優占していた。一方、5%以下の寄与率のものが9クローンと半数以上を占めていた。

 さらに、各クローンの花粉親としての寄与の全体像を把握するため、先に分析した田辺-ク54号と種子のならなかった小浜-ク24号を除く14家系の648個体について分析し、うち559個体(86.3%)について花粉親を明らかにすることができた。採種園において任意交配が実現しているとすれば、各クローンの交配寄与率は6.25%となる。しかし、交配寄与率はクローンによって大きく異なり、その最小値が期待値の2倍以上であったものが2クローン、逆に、最大値が期待値の半分未満であったものが6クローン認められた。交配期における観察では、交配寄与率の低かったクローンは花粉飛散がほとんど認められず、このことが花粉親としての寄与に関与しているものと推察された。また、交配寄与率とクローン間の最低距離を比較した結果、隣り合っているクローン間で高くなる傾向が認められ、規則的なクローン配置が交配の均等化を妨げていると考えられた。

 開発した方法により花粉親を識別した実生苗634個体にマツノザイセンチュウを接種し、各クローンの花粉親としての次世代抵抗性への寄与を評価した。母樹家系ごとの生存率は32.9〜88.2%であり、特に、田辺-ク54号の実生苗の生存率が著しく低かった。一方、花粉親としての生存率は、10個体以上の半兄弟が得られた10家系についてみると30.3〜82.1%であった。このうち、夜須-ク37号は母親としての次世代抵抗性は中程度であったが、花粉親としては30.3%で最も低い生存率を示した。また、同クローンを母親とする家系では花粉親として津屋崎-ク50号の寄与が著しく高かった。津屋崎-ク50号を花粉親とした場合の次世代抵抗性は68.3%と比較的高いため、夜須-ク37号を母親とする家系の抵抗性は、花粉親の影響で高まったものと推定される。すなわち、交配様式が著しく偏っている場合、自然交配実生苗に対する次代検定では、クローンの正当な評価が困難であることが明らかになった。

 最後に、本研究の結果から得られた当該採種園の遺伝子管理に関し、1)各クローンの種子量が均一となるように調整して採種する。2)花粉親としての寄与率が著しく低いクローンには雄花の着花促進処理を行う他、補完的な人工交配を行う。3)母親としても花粉親としても寄与率の低かったクローンのラメート数を増やす。4)均等なクローン間の交配を保証するためのクローン配置を検討する。5)抵抗性への寄与の少ないクローンや雑種クローンは採種園から除去する。等具体的な提案を行った。

 以上本研究では、マツノザイセンチュウ抵抗性クロマツ採種園を構成するクローンや花粉親の識別に使用できるRAPDマーカーを開発し、それを実際の採種園に適用して、クローン管理の実態を明らかにした。さらに、これまで全く明らかになっていなかった採種園構成クローンの花粉親としての種子生産に対する寄与の程度を明らかにしたばかりでなく、自然交配苗についてその両親を特定した上で、それぞれのマツノザイセンチュウ病への抵抗性を明らかにすることにより、各クローンの次世代抵抗性への寄与について、これまで可能であった母親としての評価に加えて、花粉親としての評価を初めて可能にした。特に、わが国における現行のマツノザイセンチュウ抵抗性クロマツ採種園は、全て本研究で対象とした16クローンにより構成されているため、ここで得られたRAPDマーカーやその他研究手法は、他の全ての採種園でも直接利用可能であり、各採種園における交配実態や次世代抵抗性の解明など、遺伝子管理の実践に寄与できる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、DNA分子マーカーの1つであるRAPD(Random Amplified Polymorphic DNA)マーカーを用い、マツノザイセンチュウ抵抗性クロマツ採種園の遺伝子管理技術の確立を図ったものである。

 まず、対象とした抵抗性クロマツ16クローンを識別できる、10個のRAPDマーカーをプライマーのスクリーニングおよびRAPD産物の多型性の検討により取得した。一般にRAPDマーカーは他のマーカーに比較して再現性が低いとされるが、得られたマーカーは、反復実験により、安定して検出される信頼性の高いものであることを確認した。すなわち、これにより遺伝マーカーによるマツノザイセンチュウ抵抗性クロマツクローンの完全な識別をはじめて可能にした。

 次に、採種園への不正規なクローンの混入を簡便に検出する方法として、複数個体のサンプルを混合して一度に分析を行うバルク分析法を開発した。異なるクローンの針葉を人為的に混合したサンプルについて分析を行った結果、単一クローンの場合とは異なるRAPDマーカーの出現パターンを示し、混合の事実を検出することができた。採種園は多数の個体によって構成されており、全個体の分析には多大な労力を必要とするが、本法はクローン確認のための分析を大幅に省略することを可能にした。

 さらに、取得したマーカーを花粉親の識別に応用した。RAPDマーカーは優性マーカーであり、通常個体の遺伝子型を決定できず、両親の特定には不適とされる。しかし、本研究では、針葉樹の雌性配偶体が母親由来の半数体であることを利用し、これにおけるマーカーの分離を調べ、遺伝子型の決定を可能にした。さらに、この結果を母樹別実生苗や人工交配苗に適用し、それらの花粉親を特定することに成功した。これにより、これまで主として花粉親の分析に用いられてきた、アイソザイムマーカーに比べ、各段に識別力の高い方法が確立された。

 また、開発した手法を実際の採種園に適用して、その応用可能性を検討した。鹿児島県と福岡県の2つの採種園においてRAPDマーカーを用いた採種園構成個体の遺伝組成の調査を行い、2%〜20%の個体が実際の配置が設計と異なっていることを明らかにした。また、バルク分析を適用した場合、個別分析の場合に比べ約3分の1の検査量で、採種園を構成する全個体のクローン識別が可能であることを示した。

 次いで、母樹家系別実生苗648個体の分析を行い、各実生苗におけるRAPDマーカーの表現型と採種園クローンの遺伝子型を比較することにより、苗木の花粉親識別を試みた。その結果、87.6%の苗の花粉親を識別することができ、取得したRAPDマーカーが花粉親識別マーカーとして有効であることを示した。また、この結果から、クローンごとの交配への寄与、花粉汚染や自殖等の実態を明らかにした。

 さらに、採種園の遺伝的改良に資するため、各クローンの母親あるいは花粉親としての種子生産や次世代抵抗性への寄与を明らかにした。まず、各クローンが生産する球果数と球果当たりの充実種子数を計測し、各クローンの母親としての寄与率を求めた。次いで、母樹別に採種育苗した苗木の花粉親をRAPDマーカーによって識別し、各クローンの花粉親としての交配寄与率を求めた。さらに、花粉親を識別した実生苗に対してマツノザイセンチュウを接種することにより、各クローンの母親および花粉親としての次世代集団の抵抗性への寄与を明らかにした。

 以上の結果から、マツノザイセンチュウ抵抗性クロマツ採種園における遺伝子管理として、1)採種園産種子における母樹家系の偏りを修正するための球果採取量の調整。2)母親、花粉親として次世代抵抗性への寄与度の低いクローンの除去。3)花粉親としての交配寄与度の著しく低いクローンヘの着花促進処理の実施。4)クローンのランダムな配置。などを提案した。

 以上、本研究ではマツノザイセンチュウ抵抗性クロマツ採種園において、採種園構成クローンを完全に識別できるRAPDマーカーを探索取得し、それらを用いたクローン識別法および生産された種苗の両親、特に花粉親の識別法を確立した。さらに、それらを現実の採種園に適用し、はじめて採種園全体の交配の実態を明らかにした。また、採種園クローンの種子生産性や種苗の抵抗性に対する花粉親としての寄与の程度をはじめて評価し、それらに基づき採種園の遺伝子管理の具体的提案を行った。すなわち本研究の成果は、抵抗性種苗の遺伝的改良に直接利用可能であるばかりでなく、採種園一般のクローン管理や交配実態の解明、針葉樹の繁殖生態の解明などにも幅広く応用できるものであり、学術上、応用上寄与するところが大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/40214