学位論文要旨



No 214934
著者(漢字) 鈴木,樹理
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ジュリ
標題(和) ニホンザル(Macaca fuscata)の成長に関する形態学的並びに内分泌学的研究
標題(洋)
報告番号 214934
報告番号 乙14934
学位授与日 2001.02.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第14934号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 局,博一
内容要旨 要旨を表示する

 霊長類における成長研究はヒトから始まり、成長現象を形態学的に把握するために、生体計測法によるヒトの成長過程の詳細な研究が1950年代に成された。同じ頃、ヒト下垂体抽出液から身体成長を促進する物質が分離精製され、構造が解明されて、成長ホルモン(GH)と名付けられ、GH分泌動態についての知見が蓄積された。GHの骨組織に対する作用を仲介するインシュリン様成長因子(IGF)も、GHと並んで成長研究に用いられ、この分泌動態も明らかにされた。ヒト以外の霊長類における成長研究は、類人猿からヒヒ、マカクまで広く行われ、特にマカク類が最も多く、中でもアカゲザルが詳細に研究されてきた。これに対して、ニホンザルを対象とした成長研究は形態学的研究に限られ、しかも内分泌動態は全く解明されていない。

 近年、脳研究や環境変異源物質の毒性研究の分野等において、ヒトと近縁なサル類を使った研究の必要性が高まっており、日本固有種であるニホンザルが脚光を浴びている。これらの研究を推進するためには、本種の発生分化及び成長に関する基礎的研究は必須であるが、未だ不十分である。

 本研究の目的は、ニホンザルをこれら様々な研究に使用し得る実験動物として確立するために、成長に関する形態学的及び内分泌学的特性を両面から平行して捉え、成長の様相を総合的に明らかにすることである。

本論文の内容は以下の3点に要約される。

1.ニホンザルの成長における形態学的特性

 一般的にヒトを含めた霊長類の成長はそれが旺盛な時期が2つあり、一次成長期と二次成長期と呼ばれる。本研究では、本種の成長を一次成長と二次成長に分け、その身体成長の特徴を生体計測法によって解析した。対象は、ケージ飼育下及び放飼場飼育下の個体である。その結果、ケージ飼育群では、本種の成長の特色として、濱田(1994)が指摘したように、霊長類における成長の特徴とされる二相性の成長パターンを持っていることが示唆された。一次成長では、運動に重要な四肢の近位部分(上腕、前腕、大腿及び下退部)と体幹部が著しく成長した。手足の部分は、出生直後から母親にしがみつく必要性があり、既に良く発達した状態で生まれるために、一次成長期の増加は少なかった。脳頭蓋も同様に増加が少なかった。顔面頭蓋は歯牙萌出にともなって著しく発達し、性差はほとんど見られなかった。二次成長でも一次成長で著しく成長した部位がそのまま良く成長した。即ち体幹部、四肢、顔面頭蓋が著しく発達して、ニホンザル特有の性的二型(オスはメスより体格が顕著に大きく、犬歯など咀嚼器官がメスに比べて著しく発達する)を示す成体となっていく。放飼場飼育群とこのケージ飼育群との比較によって、成長過程で狭い生活環境下で飼育されると、雌雄ともに一次成長期において、本来良く成長するはずの部位はその飼育環境の影響を敏感に受け、成長が悪くなることが明らかとなった。しかし、これらの多くの部位は二次成長期に成長遅延が回復された。但し、遠位の運動器官、例えば手や手首、足や足首の大きさは、飼育場所の広さの影響を強く受け、且つこれらの変化は不可逆的であった。またメスの方がオスよりもこの種類の飼育環境の差異に鋭敏であることが明らかとなった。マカクを対象とした成長研究は、飼育下でなされたものが多い。今回明らかになったように、野生環境からかけ離れたケージ飼育で成長した場合、身体のある部分で、その種が本来持っている成長の特徴が歪められる可能性がある。マカクにおける成長の形態的な研究を行う際には、その生育環境に十分注意を払う必要がある。更に、ニホンザルやカニクイザルで行われているように野生環境下の個体群の形態的特徴を把握し、それと飼育下のものとを比較しその異同を明らかにする必要性も示唆される。

2.ニホンザルの成長における成長ホルモン(GH)の分泌動態

 ヒト以外の霊長類における血中GH分泌動態のこれまでの報告は、キイロヒヒ、マカク類に限られる。中でも最も良く研究されたのはアカゲザルで、その分泌パターンや加齢変化が報告されている。ニホンザルにおけるGH分泌研究は、この種がアカゲザルに比して体格が大きいため、アカゲザル以上に連続採血装置及び研究法を工夫する必要があり、ほとんど行われてこなかった。そこで、ニホンザルのGH分泌動態を明らかにするために、ニホンザルに適した採血装置及び方法を確立し、その二次成長期における分泌動態の研究を行った。更に、動物に全くストレスを負荷しない非侵襲的手段で、且つ煩雑な手続きと時間が不要な尿中のGH濃度測定を行ない、この方法によるサル類のGH研究の可能性と限界を探った。先ず、ベスト着用カニュレーションによる連続採血法及び装置を確立し、血中コーチゾル濃度を指標として、この採血手技に伴うストレスが無視できることを確認した。次にこの方法によって、24時間または48時間連続採血を行ない、血中GH濃度を測定した。その結果、マカク類に共通するGH分泌の特徴として、分泌はパルス状であり、パルスの間隔は約3時間でこのパルスの頻度は24時間に明期暗期ともに3回程度であること、明期と暗期のそれぞれの平均分泌濃度を見ると暗期に高い個体が多いこと、個体間の分泌のばらつきは大きいが個体内ではばらつきが小さく安定していること、性成熟時に連動して高くなる傾向があること等が明らかとなった。この特徴は大部分、他のマカクやヒトにも共通するものであった。しかし、最大パルスが明期に分泌されることが多いこと、GHパルスの間隔が1〜2時間で相反する6〜10時間に及ぶ休止期を持つ例が見られることなど、他種と明らかに異なる特徴が認められた。この長い休止期はパルス間隔が短いために起こる分泌過多を押さえる目的があると解釈できた。ニホンザルの尿中GH濃度は、ほぼヒトと同様の濃度範囲を示したが、経時的な変化を血中濃度変化と比較すると、お互いの相関は見られなかった。従って、本種の場合、尿中GH分泌動態では血中動態を推定することは不可能であることが示唆された。これに対して、実験時の1日蓄尿サンプル中のGH濃度は24時間血中平均濃度と有意な相関が認められ、ヒトと同じであった。これはニホンザルでも24時間の血中GH分泌量の推定が可能であることを示す。この方法は非侵襲的で簡便な方法でもあり、カニュレーションが不可能な状況下では、限定されるがGH分泌動態に関する情報を得られる良い方法であることが示唆された。

3.ニホンザルの成長におけるインシュリン様成長因子1型(IGF-1)の分泌動態

 ヒト以外の霊長類でもチンパンジーを始め、キイロヒヒ及びアカゲザルにおいて、成長に伴う変化、特に性成熟期の変化を性ホルモンとの関連を含めて明らかにする研究が成されている。ニホンザルGH分泌動態の特徴がアカゲザルと類似していたことから、GH依存性のIGF-1分泌動態の特徴もアカゲザルに類似していることが予想されたが、上述のように、GH分泌において他種との差異が見られたように、これの分泌動態にも種差が認められる可能性が高いと推測された。そこで、ニホンザルの成長過程におけるIGF-1分泌の特徴を、本種の大きな特徴である季節繁殖性との関連をも考慮して明らかにした。ニホンザルの成長期におけるその分泌動態は、一次成長期ではレベル及びパターンに性差が見られず、また離乳時期に合わせた変化も観察されず低濃度を維持する。二次成長期に入るとレベルが上昇する。二次成長が開始される時期はオスで明確であり、3歳の秋から上昇し4歳の夏にプラトーに達する。これは身体成長における結果と一致した。飼育下のメスではオスに比べてこの上昇現象が不明瞭であったが、野生下の調査では、性成熟完了期まで単調に上昇することが示された。オスの二次成長期の変動からこのホルモンには季節性があることが明らかとなったが、メスでは不明であった。メスの場合、妊娠によるIGF-1レベルの上昇が飼育下及び野生下の個体で認められ、本来示すはずの季節変動が妊娠によって修飾を受けるため明確ではないと推測できた。一次及び二次成長期におけるこのホルモンのレベルはアカゲザルとほぼ一致したが、ニホンザルの二次成長期においてオスのレベルがメスよりも高いとはいえず、アカゲザルの知見と異なっていた。

 本研究によって明らかとなったニホンザルの成長に伴うこれらのホルモン及び形態の変化は、時間の尺度を暦年齢から生理的年齢に変換することによってほぼヒトの成長期における変化と重ね合わせることができる。ニホンザルは性成熟に達する時間がヒトの約1/4〜1/5と短く、成長特性がよく似ているヒトの実験動物モデルとして利用できる可能性の高いことが示唆された。

 ニホンザルを実験動物として飼育する上で、本研究が示した環境差異による身体成長の変化は、重要な意味を2つ持つ。1つは、本来のその種固有の成長が必要な実験研究を行う際には、飼育環境の影響を受ける身体部位があることを考慮し、十分な成長を保証する環境整備の必要性を示した点である。もう1つは人為的な環境操作によってこの種の成長を制御できる可能性を示した点である。ニホンザルはアカゲザルやカニクイザルに比べて性質が穏和で神経質でもなく、学習能力にも優れ人にも良く慣れ実験動物としてより適している。しかしながら、これらに比べて体格が大きく力も強く、飼育施設や実験設備に多くの投資が必要である。成長関連ホルモンの分泌調節機構を解明し、これよってニホンザルの成長を制御し、小型で性成熟年齢を早めた動物を作出できれば、ニホンザルは各種疾病、特に脳神経系疾患のヒトモデルとして理想的なマカクとなり得る。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、ニホンザルを様々な研究に使用し得る実験動物として確立するための基礎的研究として、ニホンザル成長の様相を形態学的及び内分泌学的特性から総合的に明らかにすることを目的としている。

 本論文の内容は以下の3点に要約される。

1.ニホンザルの成長における形態学的特性

 成長を一次成長と二次成長に分け、ケージ飼育下及び放飼場飼育下の個体を対象に、その身体成長の特徴を生体計測法によって解析した。ケージ飼育群では、霊長類における成長の特徴とされる二相性の成長パターンを持っていることが示唆された。一次成長では、運動に重要な四肢の近位部分と体幹部が著しく成長した。手足の部分は、一次成長期の増加は少なかった。脳頭蓋も同様に増加が少なかった。顔面頭蓋は歯牙萌出にともなって著しく発達し、性差はほとんど見られなかった。二次成長でも体幹部、四肢、顔面頭蓋が著しく発達して、ニホンザル特有の性的二型(オスはメスより体格が顕著に大きく、犬歯など咀嚼器官が著しく発達する)を示す成体となることが明らかとなった。放飼場飼育群とこのケージ飼育群との比較によって、成長過程で狭い生活環境下で飼育されると、雌雄ともに一次成長期において、本来良く成長するはずの部位は成長が悪くなるが、これらの多くの部位は二次成長期に回復することが明らかとなった。但し、遠位の運動器官、例えば手や手首、足や足首の大きさは、飼育場所の広さの影響を強く受け、且つこれらの変化は不可逆的であった。またメスの方がオスよりもこの種類の飼育環境の差異に鋭敏であることが明らかとなった。

2.ニホンザルの成長における成長ホルモン(GH)の分泌動態

 ニホンザルに適した採血装置及び方法としてベスト着用カニュレーションによる連続採血装置及び方法を確立し、二次成長期における分泌動態の研究を行った。血中GH濃度を測定した結果、分泌はパルス状であり、パルスの間隔は約2〜4時間でこの頻度は24時間に明期暗期共に3回程度であること、明期と暗期のそれぞれの平均分泌濃度を見ると暗期に高い個体が多いこと、個体間の分泌動態のばらつきは大きいが個体内では小さく安定していること、性成熟時に連動して高くなる傾向が明らかとなった。他種と明らかに異なる特徴として、最大パルスが明期に分泌されることが多いこと、GHパルスの間隔が1〜2時間で相反する6〜10時間に及ぶ休止期を持つ例が見られることが認められた。更に、尿中のGH濃度測定をおこない、尿中GH濃度は、ヒトと同様の濃度範囲を示すが、経時的な血中濃度変化との相関は見られず、尿中GH濃度の経時変化では血中動態を推定することは不可能であることを明らかとした。また1日蓄尿サンブル中のGH濃度はヒトと同様に24時間血中平均濃度と有意な相関が認められ、24時間の血中GH分泌量推定が可能であることを示す結果を得た。

3.ニホンザルの成長におけるインシュリン様成長因子1型(IGF-1)の分泌動態

 GH依存性のIGF-1分泌の特徴を、ニホンザルの大きな特徴である季節繁殖性との関連をも考慮して解析した。成長期における分泌動態は、一次成長期ではレベル及びパターンに性差が見られず、また離乳時期に合わせた変化も観察されず低濃度を維持し、性成熟期にレベルが上昇することが明らかとなった。オスでレベルの上昇時期は明確であり、3歳の秋から上昇し4歳の夏にプラトーに達した。これは身体成長における二次成長の開始時期と一致した。飼育下のメスではオスに比べてこの上昇現象が不明瞭であったが、野生下の個体での研究によって、性成熟完了期まで単調に上昇することが明らかとなった。オスの二次成長期の分泌動態の時系列解析によってこのホルモンには季節性があることが明らかとなったが、メスでは不明であった。メスの場合、妊娠によるIGF-1レベルの上昇が飼育下及び野生下の個体で認められ、本来示すはずの季節変動が妊娠によって修飾を受けるため明確ではないと推測できた,

 以上、本論文は、ニホンザル成長の様相を形態学的及び内分泌学的特性から主として長期間の縦断的な方法により総合的に明らかにしたものである。特に、マカクの飼育環境差異による各身体部位における成長変化を初めて実証し人為的な環境操作によってこの種の成長を制御できる可能性を示した点、他の多様な実験に応用可能な連続採血法を確立しニホンザルのGH分泌動態の特徴を明らかにした点及びIGF-1分泌変化に季節性があることを見いだし身体成長との関連性をも明らかにした点は獣医学学術上並びに実験動物学的にも貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学術論文として価値のあるものと認めた,

UTokyo Repositoryリンク