学位論文要旨



No 214936
著者(漢字) 藤崎,春代
著者(英字)
著者(カナ) フジサキ,ハルヨ
標題(和) 幼児の日常生活叙述の発達過程
標題(洋)
報告番号 214936
報告番号 乙14936
学位授与日 2001.02.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第14936号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 秋田,喜代美
 東京大学 教授 大村,彰道
 東京大学 教授 佐々木,正人
 東京大学 助教授 汐見,稔幸
 東京大学 助教授 恒吉,僚子
内容要旨 要旨を表示する

 本論文では、幼児が日々の生活の流れをどのようにとらえているのかという問題を、その叙述に焦点を当てて検討した。その際、幼児にとっての重要な生活の場である園(保育所・幼稚園)に注目し、園で生活する幼児の日常生活叙述資料を分析した。時間環境の再現性(ルーティン性)と非再現性(エピソード性)に対応させて、日常生活経験をルーティン的側面とエピソード的側面とからなると考え、幼児が両側面をどのように叙述するのか、両側面はどのように関連づけられているのか(いないのか)を検討した。本論文は、2つの予備研究を含め、7つの研究からなる。

 予備研究1では、大学生の自分史において園生活がどのように記述されているのかを整理した結果、園生活を楽しかったと記述する者がいる一方で、楽しめなかった者がいることがわかった。楽しめなかった理由は多様にあり、従来注目されることが多い分離不安や、子ども側の性格特性(わがまま、等)の他にも、家庭と園との生活の場の相違からも理由が整理できた。園で生活する幼児に注目することは、第一の社会化の場である家庭から園へという生活場面の移行に伴って、どのように生活理解をしていくのかについて検討していく上でのnatural experimentであるといった側面があることが示唆された。予備研究2では、行動レベルでは園生活に一応適応できているようにみえるが、新しい活動の導入時やルーティンの変更時に混乱した様子を示す幼児の事例を検討した。これらの事例では、日々の生活の流れに対して、繰り返しや他者の動きを見ての模倣といった非言語的表象に基づいて適応していることが示唆された。近年、非言語的表象形成上での乳児の有能さが指摘されているが、言語的表象・叙述への注目が重要であることが確認できた。

 研究1と研究2では、ルーティン的生活叙述について、一般的出来事表象(GER)の概念を用いて検討した研究1では、園生活のルーティン的流れをどのように叙述するのかを保育園に通う3・4・5歳クラス児に個別面接でたずねた。結果、年齢を超えた共通点としては、行為を述べる際に、主語無しで現在形表現をし、時間的順序も一定であるなど、3歳クラス児でも園生活GERを形成していた。また、各年齢とも、多くの子どもにより共通に述べられる行為があり、内容的には、生理的必要性の高い生活習慣的なものが中心であった。しかし、3歳クラス児もGERを形成しているとはいえ、その抽象化、園生活に独自なGERの形成、および階層化という点では不十分であった。行為報告数については、横断的資料の結果を見る限り、4・5歳クラス児に比べて3歳クラス児は少なく、年齢と共に報告行為数が増加していたが、縦断的資料からは、年齢にともなう増加傾向が顕著にはみられない子どもや、5歳クラス時点で報告数が減少する子どもといった個人差がみられた。階層性に着目した分析からは、階層的に表象した結果として上位レベルでの報告数が横ばい、あるいは減少する可能性があることがことが示唆された。

 研究1では、園生活GERの一般化の方向性に注目したが、日々の生活にはさまざまなレベルでの変異がありうる。そこで、研究2では、園生活の多様性をどのように叙述するのかを検討した。対象は、1日および1週間単位で在園時間や日課が異なるA、B2園(Aは幼稚園、Bは保育所)に所属する4・5歳クラス児である。結果は、第一に、「毎日の生活の流れ」をたずねる質問に対して、主語なしで現在形表現をし、時間的順序も誤りがないなど、両園児とも園生活GERを形成していた。しかし、B園児に比べてA園児では、平均報告行為数が少ないにもかかわらず、報告行為の種類は多く、多くの子どもに共通して報告される行為数は少なかった。これは、B園に比べてA園の方が、生理的必要性の高い生活習慣的活動が少ないことによると思われた。次に、多様な生活をいかに叙述するのかについて検討した結果、一般化された表象としてではなくエピソード的に日々の生活が記憶されるタイプ、多様性を園生活GERのスロットの変化項としてとらえるタイプ、曜日といった条件により園生活 GER を形成し分けている、つまり存在するスロット自体に違いがあるタイプが想定できると思われた。なお、2園の比較からは、同じく幼児といっても、園生活GERの形成のしやすさ、多様性叙述を行うか否かは、所属している園の生活時間環境を反映していることが確認できた。

 エピソード的生活経験叙述については、研究3と研究4とで、設定保育の1つである生活発表(休日の経験を保育者や仲間に報告する)に注目して検討した。研究3では、子どもの叙述を話題(何についての話か:ある一定の場面での子どもの経験のまとまり)設定をした階層的構造化でとらえた。結果、内容構造に関する発達傾向は、(1)出来事が1つ述べられる単純な構造から、(2)「空間」関係により話題内の出来事が構造化され、(3)話題内・話題間に「時間」「時系列」関係が導入される、と想定された。幼児期の終わりには、時間的枠組みに位置づけて自己の生活経験を叙述するようになっていくことが示唆された。

 さらに、研究4では、生活発表において、保育者が何について、どのように援助しているのかを検討した。エピソード的生活経験は、覚えていなくても、語らなくても生活適応上は困らない。エピソード的生活経験の叙述には、周囲の人との共有、周囲の人の語りへの援助が不可欠と考えられたからである。結果、保育者の援助の目標は、子どもの年齢に応じて「何でもいいからきのうの経験を話す」から、「特別の話題について話す」さらには「要点を簡潔に話す」へと変化することが示唆された。また、叙述の機能については、参照的機能に関連した情報が多く語られていた。これは、保育者の援助ももちろんであるが、子ども自身がまず「いつ」「どこで」「誰と」「何を」したという情報を述べていることが確認された。生活発表のような、経験を共有していない他者に自己の経験を語る場合には、参照的機能に関連した情報が重視されるといってよいだろう。

 一般的出来事表象とエピソード的出来事表象とは、本来どこかでリンクしており、そのリンクによりエピソードが記憶として成り立ち、他者に了解可能な形式で語られ、子どもにとっての生活経験の総体を形成するようになるものと思われる。そこで、両者の関連を検討するため、研究5では、同一児に対して「いつも」「昨日(平日)」「昨日(日曜)」の3種の生活の流れを問うた。結果、4・5歳児が、ルーティン的生活叙述もエピソード的生活経験叙述も共に可能であり、異なる叙述表現ができることが分かった。ただし、その叙述の難易度には差があり、ルーティン的生活叙述がエピソード的生活経験叙述に先行する、もしくは優位であるということが示唆された。さらに、個々の子ども毎に、3質問への報告行為内容の関連づけを行った結果、発達的に園生活GERとエピソード的記憶がリンクしてくる可能性が示唆され、また、その報告数の検討からは、園生活GERをベースにしてエピソード的生活経験叙述も豊かになされているようであった。ただし、少なくとも5歳児クラスの終わりの頃には、両者の表象が独立している子どももいるようであった。

 検討の結果、第一に、時系列性を特徴とするルーティン的生活経験の叙述は3歳児から見られ、当初時系列的には関連づけられていなかったエピソード的生活経験も、年齢と共に時系列的に叙述されるようになった。ルーティン的生活叙述が先行することのみでなく、幼児期の終わりには、日々の生活を時間的流れに即してとらえるようになることが示唆されたといえよう。何時何分という時間尺度の確立は児童期に入ってからであろうが、時系列性という点では、大人と共通の時間軸を就学前に獲得していると考えられる。また、年齢と共に園生活GERをベースに用いて園でのエピソード的生活経験叙述を行う子どもが増えてくることを見いだし、両者がリンクしてくる可能性を示唆した。

 第二に、生活の流れが異なる2園で生活する幼児のルーティン的生活叙述を比較した結果からは、所属園により叙述のしやすさや特徴が異なることが見られた。従来、ルーティン的側面の理解については、<一般化>の側面が重視されることが多かったが、生活時間環境の特徴如何では、<多様性>をいかに組み入れていくのかということを重視する必要があろう。加えて、子どもたちの生活時間表象が所属文化の生活時間環境を反映したものであることを示唆しているともいえる。従来GERの形成については、「*歳児でも形成可能である」というように年齢要因が重視されてきたが、環境要因への注目が必要といえよう。子どもたちの園生活GER形成や叙述のしにくさを検討するときには、子ども側の<能力>の問題だけではなく、大人の設定する生活時間環境の側を検討することも不可欠と考えられる。

 第三に、ルーティン的生活叙述とエピソード的生活経験叙述とを比較すると、前者が聞き手の援助を必要としないのに対して、後者は聞き手の援助を必要としており、年齢が低いほど、他者との共有性や他者援助が重要であった。共同構成者としての保育者の役割の重要性、あるいは、そもそも家庭とは異なる園という場で経験参加者ではない他者に生活経験を報告するという課題の独自性が明らかになった。園で生活発表に取り組むことの意義、および保育者の援助方法を検討していくことの重要性が示唆されたといえよう。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、幼児が園(幼稚園・保育園)における生活事象の流れという時間環境をどのように理解し叙述するか、叙述の発達過程を、時間環境の再現性(ルーティン性)と非再現性(エピソード性)の二側面から分析し、各々の側面の発達と両者の関連性を検討したものである。園生活への適応を、生活習慣や生活技能獲得の側面から検討した研究はすでに行われてきているが、本論文は生活時間に関する表象という認知的側面に着目し、幼児の叙述の発達とその発達を支える保育環境を実証的に研究したものである。

 本論は、2つの予備研究を含めた7研究から成る5部9章構成である。第I部では、生活時間環境の理解に関わる先行研究の概括を行い、ルーティン的側面の理解に関しては、生活時間スキーマの一種である一般的出来事表象(GER)の概念、エピソード的側面に関しては、エピソード記憶研究の知見に注目することの有効性を示している。そして園生活への適応に関わる大学生への調査と発達巡回相談による事例研究を予備研究としてとりあげ、幼児の園生活に注目することの意義と非言語的表象ではなく言語的表象・叙述に注目する重要性を明らかにしている。

 第II部では、ルーティン的生活叙述の発達過程について、研究1では園生活の流れについて、3歳から5歳までの3年間計6回にわたる縦断的個別面接調査によって、発達に伴う園生活GER構造の一般化を見出している。そして研究2では生活時間環境の異なる2園で生活する幼児2年齢群の叙述を比較することから、所属園により叙述のしやすさや特徴が異なることを明らかにし、GER形成における時間的環境要因への注目の必要性を示している。

 次に第III部では、エピソード的生活経験叙述について、研究3では生活発表場面の観察データの分析から、話題内の構造化、話題間の構造化が5歳時後半に可能となり、時間的枠組に位置づけた生活経験叙述が可能となることを示し、さらに研究4では発表場面での保育者の援助内容・援助方法を検討し、幼児の加齢に伴い保育者の援助と機能が変化することを実証している。また第IV部(研究5)では、個人内でのルーティン的生活叙述とエピソード的生活経験叙述を2年間の縦断研究データから比較検討することにより、ルーティン的生活叙述の先行、優位性、および園生活GERを基盤として用いながら園でのエピソード的生活経験叙述を行う幼児が加齢とともに増えてくることを見出している。そして第V部(9章)では、これまでの知見から、総合的に日常生活叙述の発達過程への考察を行っている。

 以上のように、時間環境の表象に着目し幼児の叙述から生活理解を捉えた本論文は、幼児期の認知発達、特に出来事表象の記憶と叙述領域の研究に新たな示唆を与えるとともに、保育における時間的環境構造の重要性を明確にし、環境構成や保育者の援助のあり方に対し、大きな寄与をなすものと評価される。よって、本論文は、博士(教育学)の学位論文としての水準を十分に充たすものとして評価された。

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