学位論文要旨



No 214951
著者(漢字) 杉川,恵美子
著者(英字)
著者(カナ) スギカワ,エミコ
標題(和) 9-ハイドロキシエリプチシンの作用機作に関する研究
標題(洋)
報告番号 214951
報告番号 乙14951
学位授与日 2001.02.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14951号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 武藤,誠
内容要旨 要旨を表示する

 9-ハイドロキシエリプチシン(9HE)は、Ochrosia acuminataおよびOchrosia elliptica由来の植物アルカロイドとして知られるエリプチシンの誘導体である(図1)。エリプチシン誘導体は強い殺細胞作用を有することが知られており、トポイソメラーゼII(トポII)阻害作用が、その作用機作であると報告されている。しかし、我々は、9HEの殺細胞作用は、トポイソメラーゼII阻害以外の経路が大きく寄与するのではないかと考え、トポII阻害以外の殺細胞作用機作について検討を進めた。その結果、エリプチシンおよび9HEがCdksキナーゼ、カゼインキナーゼII(CKII)等のプロテインキナーゼを阻害することを新たに見出した。一方、他のエリプチシン誘導体、エリプチニウムアセテート(EA)では、CKIIを阻害するものの、Cdks阻害作用はみられなかった(表1)。

 そこで次に9HEによってリン酸化が阻害されるタンパク質を明らかにするために、マウス由来ルイス肺癌細胞のミクロソーム画分を[γ-32P]ATP 存在下9HEで処理した。その結果、53kDa付近のタンパク質のリン酸化が著しく阻害された。そのタンパク質は、9HEによって阻害されるCdksの基質の一つであることと、そのサイズが53kDaであることより、p53であると予想した。上記のリン酸化ラベルした反応液について抗p53抗体を用いた免疫沈降反応を行い、9HEによってリン酸化が阻害されるタンパク質の一つがp53であることを確認した。

 ガン抑制遺伝子p53は、転写活性化因子として働くことにより、UV等で細胞内の遺伝子がダメージを受けた際の細胞周期の停止、遺伝子修復、および修復不能な遺伝子の異常を次世代に伝えないためのアポトーシス誘導などの役割を担う。p53遺伝子は、ガンにおいて非常に高頻度に変異を有し、その機能を失う。p53はまたリン酸化蛋白であり、DNA損傷時等に活性化されるDNA依存性プロテインキナーゼ(DNA-PK)、チェックポイントキナーゼ(Chk1)、Cds1(Chk2)あるいはJNK(c-Jun N-terminal kinase)によりリン酸化を受ける。これらのキナーゼによるリン酸化は、p53と、p53のネガティブレギュレーターであるMDM2タンパクの結合を阻害することで、MDM2によるp53の分解を妨げ、p53を安定化し活性化する。野生型p53のリン酸化は、p53の活性化や安定性などに寄与すると考えられるが、機能を失った変異型p53においてリン酸化がどのような意義を持つのかは明らかではない。

 野生型p53は、転写活性化因子として、Cdkインヒビターであるp21waf-1やアポトーシスメディエーターbax遺伝子を誘導し、細胞をG1期停止、アポトーシスに導くが、変異型p53ではこれらの転写活性化能やDNA結合能は失われる。上述の実験に用いたルイス肺癌細胞のp53は変異型である。9HEが変異型p53のリン酸化を阻害したことから、9HEは変異型p53リン酸化の阻害を介して変異型p53の機能に影響を及ぼす可能性が考えられた。そこで、9HEが、変異型p53のDNA結合能に及ぼす効果を検討した。変異型p53を有するヒト乳癌細胞SK-BR-3および野生型p53を有するヒト大腸癌細胞HCT116をそれぞれ9HEで処理して核抽出液を得、野生型p53に特異的に結合するコンセンサス配列(BC配列)を用いてゲルシフトアッセイを行った(図3)。野生型p53は9HEの有無に関係なくDNA結合能を持つのに対し、変異型p53はDNA結合能を失っていたが、9HEで処理した変異型p53は、再びDNA結合能を持った。

 p53遺伝子の変異は、その中央部に集中しており、この部分はP53のコンフォーメーションに関与することが明らかとなっている。9HEは、変異によって大きく変化したp53のコンフォーメーションに影響を及ぼして、再び野生型に近いコンフォーメーションに変化させる可能性が考えられた。そこで、9HEが変異型p53の三次元構造に及ぼす影響を、カルパイン感受性を指標として検討した。p53は、N末とC末側にそれぞれカルパイン切断部位を持つ。野生型p53はカルパインにより容易に切断されるが、変異型p53のうちコンフォーメーションが大きく変わるタイプでは、カルパイン消化に抵抗性になることが報告され、カルパイン感受性が、p53のコンフォーメーションの状態を表す1つの指標になると考えられる。カルパインに抵抗性を持つ変異型p53(Arg175His)を有するSK-BR-3細胞を9HE処理して細胞抽出液を得、これをカルパインで処理し、抗p53抗体を用いたイムノブロッテイングによりp53を検出した。その結果9HE処理した変異型p53は、カルパインで速やかに消失した。9HEは変異型p53のDNA結合能を回復させるが、これにコンフォーメーション変化が関与することが示唆された。

 9HEは、Cdkキナーゼ等のプロテインキナーゼを阻害することから、9HEによる変異型p53リン酸化阻害が、変異型p53の構造変化に寄与してDNA結合能を回復させ、アポトーシスを誘導すると考えられた。これを確かめるために、変異型p53のリン酸化部位セリンにポイントミューテーションを導入してアラニンに変換したリン酸化部位変異体を作製し、変異型p53のリン酸化阻害が、そのコンフォーメーションやDNA結合能に及ぼす影響を検討した(図4)。

 9HEが阻害するプロテインキナーゼのうち、p53を基質としうるDNA-PK,CdksあるいはCKIIのリン酸化部位に変異を導入した変異型p53のリン酸化部位変異体を作製した。これらについてバキュロウイルスの発現系を用いてそれぞれのタンパクを調製し、野生型p53特異的DNA結合配列への結合能およびカルパイン感受性を検討した。もとの変異型p53は、DNA結合能を持たず、カルパイン消化に対して抵抗性であるのに対して、DNA-PKおよびCdksリン酸化部位に変異を導入した変異型p53リン酸化部位変異体では、DNA結合能を持ち、カルパインにより速やかに分解された。

 更にこれらのリン酸化部位変異体、もとの変異型p53および野生型p53をそれぞれネオマイシン耐性遺伝子を含む発現ベクターにクローニングしたのち、p53欠損細胞株であるSaos-2細胞に発現させ、ネオマイシン存在下で2週間培養してコロニー形成能を調べた。増殖抑制能を持つ野生型p53トランスフェクタントでは、ごく少数のコロニーが観察されたのみであった。一方もとの変異型p53と、そのCKIIリン酸化部位変異体では著しい数のコロニーが形成された。これに対して変異型p53のDNA-PKおよびCdksリン酸化部位変異体ではコロニー数が著しく減少しており、増殖抑制がみられた。更に、これらのリン酸化部位変異体を一過性に発現させたSaos-2細胞について、p53をFITC標識した抗p53抗体で、DNAをプロピオジウムイオダイドにより染色し、フローサイトメトリーにてp53発現細胞の細胞周期を解析したところ、野生型p53のトランスフェクタントと同様に、アポトーシスの誘導が観察された。これらの結果は、転写活性化能、DNA結合能が失われた変異型p53は、そのリン酸化が阻害されることにより、コンフォーメーション変化を伴い、DNA結合能を回復し、増殖抑制能やアポトーシス誘導能をもたらすことを強く示唆する。

 以上の結果から、9HEの新たな作用機作として、9HEが変異型p53のCdksあるいはDNA-PKリン酸化部位のリン酸化を阻害することによって変異型p53のDNA結合能を回復させ、アポトーシスメディエーターbaxの発現を上昇させてアポトーシスを誘導する経路が示唆された(図5)。

 野生型p53においては、DNA-PKやJNKによるリン酸化が、野生型p53とMDM2タンパクとの結合を阻害してp53を安定化、活性化する。しかし、変異型p53は野生型のコンフォーメーションを保持しておらず、MDM2に結合しない状態で既に転写活性化能を失っている。変異型p53において、リン酸化によるMDM2との相互作用は転写活性化能に重要な寄与をせず、変異型p53の再活性化は、本論で示したような別の機構を介することが示唆された。Cdk2やDNA-PKリン酸化の阻害が、変異型p53の機能を回復させる詳細な機構は不明であるが、変異型p53の3次元構造の変化が、DNAとの相互作用やオリゴメリゼーションの回復に寄与すると考えている。本論は、薬剤が変異型p53の機能を野生型へ回復させることを示唆した初めての知見である。

 正常組織では、野生型p53はほとんど発現していないが、変異型p53は大腸癌、肺癌等の癌において高発現していることから、変異型p53におけるリン酸化の阻害は、癌細胞に選択的かつ効果的にアポトーシスを誘導すると考えられる。本作用機作は、制癌剤の新たなターゲットとしても有望であると考えられた。

図1エリプチシン誘導体の構造

エリプチシン誘導体は強い殺細胞作用を持ち、トポイソメラーゼII阻害作用が、その作用機作であると報告されている。

表1エリプチシン誘導体によるプロテインキナーゼ阻害作用

各プロテインキナーゼの基質ペプチドについて,{γ32P}ATP存在下薬剤にて5分間反応を行い,反応液を12%SOS-PAGEに供し,基質のリン酸化をイメージアナライザーにて定量した.

図2p53のDNA結合能に及ぼす9HEの効果

野生型p53を有するヒト大膓癌細胞株HCT116および変異型p53を有するヒト乳癌細胞株SK-BR-3を無処理または9HE(10μM)にて16時間処理し、得た核抽出液について、野生型p53特異的配列BC配列を用い、抗p53抗体(PAb-421))存在下あるいは非存在下、ゲルシフトアッセイを行った。

図3実験に用いた変異型p53リン酸化部位変異体

変異型p53(Arg175His)について、DNA-PKリン酸化部位変異体(Ser15Ala,Arg175His)、Cdksリン酸化部位変異体(Ser315Ala,Arg175His)、CKIIリン酸化部位変異体(Ser392Ala,Arg175His)を作製した。

図4変異型p53および各リン酸化部位変異体のDNA結合能

各種p53タンパク質をバキュロウイルスの発現系にて調製し、野生型p53特異的配列BC配列を用いてゲルシフトアッセイを行った。

図5 9HEの作用機作

審査要旨 要旨を表示する

 ガン抑制遺伝子p53は,UV等で遺伝子が損傷を受けた際の細胞周期の停止,遺伝子修復,および修復不能な遺伝子異常を次世代に伝えないためのアポトーシス誘導などの役割を果す転写活性化因子である。p53はガンにおいて高頻度に変異が認められ,その機能を失う。野生型p53は,DNA損傷時等に活性化されるDNA依存性プロテインキナーゼ(DNA-PK)をはじめとする数種類のプロテインキナーゼによってリン酸化され,転写の活性化などに寄与すると考えられているが,機能を失った変異型p53においては,リン酸化がどのような意義をもつのかは不明である。

 植物アルカロイドのエリプチン誘導体である9-ハイドロキシエリプチシン(9HE)は強い殺細胞作用を有し,トポイソメラーゼII(トポII)阻害がその作用機作であると報告されていた。しかし,トポII阻害剤によるアポトーシスはG2/M期への停止を伴うのに対して,9HEによるアポトーシスはG1期の細胞に起こること,さらに9HEが細胞周期依存性キナーゼ(Cdk2)を阻害することが本研究によって明らかにされ,9HEによるアポトーシスがトポII阻害剤と異なることが示された。9HEは癌細胞株において変異型p53のリン酸化を強く阻害したことから,本研究では,9HEのアポトーシス誘導に関わる変異型p53の寄与について検討し,9HEの新たなアポトーシス誘導機構を明らかにしている。

1. 9HEによるアポトーシス誘導機構

 9HEによって誘導されるアポトーシスに,変異型p53が寄与する可能性を検討するために,変異型p53を発現させた細胞株を作製し,9HEに対する殺細胞作用の感受性を親株と比較検討した。その結果,変異型p53発現細胞においてはその感受性が有意に増加し,さらに9HEに対する感受性は,発現させた変異型p53の蛋白質レベルにほぼ依存した。すなわち,9HEは変異型p53を介してアポトーシスを誘導することが示された。

 野生型p53は,転写活性化因子としてCdkインヒビターであるp21waf-1やアポトーシスメディエーターbax遺伝子を誘導し,細胞をG1期に停止させてアポトーシスに導くが,変異型p53ではこれらの転写活性化能やDNA結合能が失われる。9HEが変異型p53のDNA結合能に与える効果を検討した結果,9HEで処理した変異型p53はDNA結合能を回復し,bax遺伝子の発現を誘導することが明らかとなった。これは,9HEが変異型p53の転写活性化能を回復させて,アポトーシスを誘導したことを示唆する。

2. リン酸化部位に点変異を導入した変異型p53の性状解析

 9HEはCdk等のプロテインキナーゼを阻害することから,9HEによる変異型p53のリン酸化阻害が変異型p53に構造変化をもたらし,DNA結合能を回復させてアポトーシスを誘導する可能性が考えられた。そこで,変異型p53のリン酸化部位であるセリンをアラニンに置換した点変異導入体を作製し,変異型p53のリン酸化阻害がその構造変化やDNA結合能に与える影響を検討した。

 DNA-PK,Cdksあるいはカゼインキナーゼ(CK)IIのリン酸化部位に変異を導入した変異型p53の各種リン酸化部位変異体について,野生型p53に特異的なDNA結合配列への結合能を検討した。その結果,DNA結合能をもたない変異型p53は,DNA-PKおよびCdkリン酸化部位への変異の導入によって,DNA結合能をもつようになることが明らかとなった。さらに,これらのリン酸化部位変異体,もとの変異型p53および野生型p53をそれぞれp53欠損細胞株に発現させ,コロニー形成能を検討した。その結果,変異型p53では多数のコロニーが形成されたが,DNA-PKおよびCdkリン酸化部位に変異を導入した変異型p53ではコロニー数が著しく減少し,強い増殖抑制が観察された。さらに,これらのリン酸化部位変異体を一過性に発現させてその細胞周期を解析したところ,アポトーシスの誘導が観察された。これらの結果から,転写活性化能及びDNA結合能が失われた変異型p53においては,そのリン酸化を阻害すると,構造変化によってDNA結合能を回復し,増殖抑制能やアポトーシス誘導能をもたらすことが明らかにされた。

 以上を要するに本論文は,9HEが,変異型p53のCdkあるいはDNA-PKリン酸化部位のリン酸化を阻害することによって変異型p53のDNA結合能を回復させ,アポトーシスメディエーターであるbaxの発現を上昇させるという,新しいアポトーシス誘導経路を示したものであり,薬剤が変異型p53の機能を野生型へ回復させることを示唆した初めての知見である。正常組織では野生型p53の発現量は非常に低く,癌組織において変異型p53が高発現していることから,変異型p53リン酸化の阻害によって,癌細胞に選択的かつ効果的なアポトーシスの誘導が期待される。本論文の研究成果は,癌化学療法剤の開発を進める上で重要な知見を与えるものであり,博士(薬学)の学位として十分な価値があるものと認められる。

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