学位論文要旨



No 214954
著者(漢字) 池田,由理
著者(英字)
著者(カナ) イケダ,ユリ
標題(和) 炎症性疼痛メディエーターの解析
標題(洋)
報告番号 214954
報告番号 乙14954
学位授与日 2001.02.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14954号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 助教授 西山,信好
内容要旨 要旨を表示する

 炎症反応は、発赤・熱感・腫脹・疼痛を四大兆候とする一種の生体防御反応であるが、過度の反応では逆に生体機能が障害される。特に疼痛が激しいと精神的苦痛も多く、日常生活に支障をきたす。現在、多くの鎮痛薬が治療に用いられているが、より有効で副作用の少ない鎮痛薬の開発のためには、多様な疼痛反応機構の詳細を明らかにすることが必須条件である。

 炎症時の疼痛反応は、炎症部位での痛覚受容器の刺激が1次求心性神経線維(主にC線維)を通り、脊髄、視床、大脳皮質知覚領へと伝わることで痛みとして認識されることが知られている。この際、炎症部位で産生されたブラジキニン(BK)、サブスタンスP、プロスタグランジン(PG)や神経系で産生される伝達物質などの様々なメディエーターが関与することが示されてきた。生体内ではこれらのメディエーターが複雑に相互作用し合うことが予想される。そこで本研究では、“炎症性疼痛”のモデルを用いて、いくつかの主要メディエーターの役割と、それらメディエーターの相互作用を解析することを目的とした。

第1章 カラゲニン足浮腫モデルを用いた炎症性疼痛反応のメディエーターの解析

 〜キニノーゲン欠損ラットとPGI2受容体欠損マウスを用いた解析〜

 発痛物質としても知られる炎症性メディエーターのBKは、活性化されたカリクレインにより、前駆物質であるキニノーゲンから産生される。このキニノーゲンを遺伝的に欠損しているラットを用い、足浮腫モデルにおけるBKの関与、さらに、PGとの相互作用を検討した。

 カラゲニン(2%,0.1ml)を足蹠皮下に投与することにより足浮腫を惹起した。足容積は水かさの変化量として測定し、疼痛反応は足の裏に光(熱刺激)を当て、足を撤去するまでの時間として測定し、カラゲニン投与前の値との差で表した。キニノーゲン欠損ラットの腫脹・疼痛反応はカラゲニン投与後4時間までは正常ラットに比べ有意に低値であった(図1)。また、BK受容体サブタイプの1つであるB2受容体の拮抗薬(FR173657)は、正常ラットの腫脹・疼痛反応をキニノーゲン欠損ラットと同程度まで抑制したが、キニノーゲン欠損ラットの反応には影響しなかった。従って、ブラジキニンはB2受容体を介して、浮腫ばかりでなく疼痛においても深く関与することが示唆された。次に、シクロオキシゲナーゼ阻害薬であるインドメタシンの作用を同様に比較したところ、正常ラットの腫脹・疼痛反応はインドメタシンにより抑制されたのに対し、キニノーゲン欠損ラットの低値の反応はほとんど影響されなかった。即ち、PGはBKが産生される時にのみ浮腫形成・疼痛を促進することが示された(図1)。PGには発痛作用がほとんど無いこと、また、BK刺激によりPGが産生されることは既に報告されているので、このモデルにおいても、BK刺激により産生されたPGが、BK応答を増強する可能性が考えられた。

 そこで、どのPGがBK応答の増強に関与しているかを調べるために、PGI2受容体(IP)欠損マウスを用いて解析した。IP欠損マウスは野生型に比べ、カラゲニンによる腫脹が4時間から6時間で有意に低値であった(図2A)。また、インドメタシンは野生型の反応をIP欠損マウスと同レベルまで抑制し、IP欠損マウスの反応には影響しなかった。従って、カラゲニンによる足浮腫形成に関与する内因性PGは主にPGI2であると考えられた。そこで、PGI2の安定誘導体であるカルバサイクリンをBKと同時に足蹠皮下に投与したところ、顕著な腫脹増強作用が認められた(図2B)。以上より、カラゲニン足浮腫モデルにおける腫脹と疼痛反応の初期には、BKとPGが深く関与すること、また、PGI2がBKの作用を増強することが示された。

第2章 神経系細胞におけるBK受容体応答の機序とPGとの相互作用の解析

 第1章で、カラゲニン足浮腫モデルの腫脹と疼痛にBKとPGI2の相互作用が重要な役割をしている可能性が示された。そこで、これらのメディエーターの反応を詳細に解明する目的で、神経芽細胞腫であるNeuro-2A細胞を用い、細胞レベルでの解析を試みた。まず、RT-PCR法によりこの細胞にB2受容体mRNAが恒常的に発現していることを、また、[3H]BKを用いた結合実験によりBKの高親和性結合部位が存在することを確認した。次に、B2受容体応答をFura-2法による細胞内カルシウム濃度([Ca2+]i)変化を指標として検討したところ、B2受容体作動薬のBK、カリジンは濃度依存的に[Ca2+]iを上昇させた。また、このBK応答はB2受容体拮抗薬Hoe140により濃度依存的に抑制されたことから、B2受容体を介することが確認できた。さらに、BK応答の細胞内情報伝達機構を検討したところ、外液のCa2+除去によっては有意な抑制は認められなかったが、PLC阻害薬のU-73122、Ca2+ストア枯渇薬のタプシガルジンにより顕著に抑制された。従って、B2受容体活性化によりPLCを介して細胞内Ca2+ストアからCa2+が放出することが示唆された。そこで、このBK応答に対するPGI2の影響を調べたところ、PGI2誘導体のカルバサイクリン処置によりBK誘発[Ca2+]i上昇は顕著に増強された(図3)。また、PKA活性化薬のforskolinによっても同様の結果を得た。従って、PGI2誘導体は、IP受容体に作用してcAMPを増加させPKAの活性化を起こすことにより、BK応答を増強すると考えられた。

 以上より細胞レベルにおいてもPGI2によるBK応答の増強が明らかとなり、PGによる腫脹や疼痛の増強機序を考える上で有用なデータとなった。

第3章 酸誘発マウスライジングモデルにおける疼痛性メディエーターの解析

 〜カプサイシン感受性神経(主にC線維)脱落マウスを用いた解析〜

 第1章、2章より、PGはBKの作用を増強することで、カラゲニン足浮腫モデルの腫脹と疼痛において主要な役割をすることが推定された。そこで、実際に疼痛モデルとして用いられており、既にPGとBKの関与が知られている酢酸ライジングモデルを応用して、さらに詳細に解析した。最近クローニングされたバニロイドVR1受容体は酸や熱に反応し、痛覚伝導路であるC線維に局在することが報告されているので、本研究では、ライジング反応は酸に共通した反応なのか、またVR1受容体は関与するのか、さらに、C線維の関与があるのか、について検討した。まず、酢酸以外の酸を検討したところ、プロピオン酸と乳酸が、酢酸と類似したライジング反応を誘発することを見出した。本研究で開発したプロピオン酸ライジングモデルを用いて、メディエーターの解析を行ったところ、BKのB2受容体拮抗薬Hoe140、インドメタシン、VR1受容体拮抗薬capsazepine、NK1受容体の拮抗薬L-732138により抑制されたことから、酸誘発疼痛反応にBKとPGだけでなく、サブスタンスPの関与が、また今回初めてVR1受容体が深く関わることが推定された(図4)。また、VR1受容体拮抗薬は、酢酸、プロピオン酸、乳酸による反応をいずれも抑制したのに対し、中性の発痛物質phenylbenzoquinoneの反応には影響しなかった。従って、腹腔内投与した酸がVR1受容体に直接作用している可能性が考えられ、酸誘発ライジングモデルにおけるVR1受容体の重要性を明らかにした。この受容体は痛覚伝導路のC線維に局在するため、新生児期にカプサイシンを皮下投与してカプサイシン感受性一次求心性神経(主にC線維)を脱落させたモデルを作成し、C線維の関与を検討した。このC線維脱落動物では、酢酸、乳酸、プロピオン酸により誘発するライジング反応が正常動物に比べ顕著に低値であったことから、C線維を介する痛覚伝導が示された。

 そこで、各種メディエーターの作用点を解明する目的で、プロピオン酸ライジングに対する各種阻害薬の作用をC線維脱落動物と正常動物とで比較したところ、正常動物で見られたcapsazepine、L-732138およびHoe140による抑制作用はC線維脱落動物では見られなかったのに対し、インドメタシンによる強力な抑制作用は両動物群ともに認められた(図4)。

 以上より、酸誘発疼痛反応には、カプサイシン感受性神経(主にC線維)を介する経路におけるVR1受容体、NK1受容体、B2受容体の関与が明らかとなった。また、PGは、単独では発痛作用が殆ど無いことが知られているが、カプサイシン感受性・非感受性神経を介する両経路に働いて内在性発痛物質の作用を増強し、強い疼痛反応を生じさせることが示唆された。

まとめ

 第1章の結果から、カラゲニン足浮腫モデルにおいては、既報の腫脹反応だけでなく、疼痛反応にもBKとPGが主要メディエーターとして関与すること、また、PGI2がBK反応を増強することが推定された。第2章では、細胞レベルにおいてもPGI2によるBK応答の増強が示された。第3章の酸誘発疼痛モデルにおいては、BK、PGに加えて、サブスタンスPの関与、また今回初めてVR1受容体の重要性も示された。さらに、BK、サブスタンスP、VR1受容体は1次求心性神経のC線維の経路に、PGはC線維以外の経路においても炎症性疼痛に深く関わっていると推定された。このように、炎症モデルの違いにより疼痛に関与するメディエーターは多様であるが、本研究は、これらのメディエーターの複雑な相互作用の一端を明確に示たものであり、鎮痛・抗炎症薬のターゲットを考える上でも重要な示唆を与えるものと考えている。

図1 正常ラットとキニノーゲン欠損ラットにおけるカラゲニン誘発足浮腫・疼痛反応に対するインドメタシンの抑制作用の比較

図2 IP欠損マウスのカラゲニン足浮腫に対するインドメタシンの効果(A)とブラジキニン足浮腫に対するPGI2誘導体の増強作用(B)

図3 PGI2誘導体とforskolinによるBK発[Ca2+]i上昇の増強作用

図4 カプサイシン感受性神経脱落マウス(CAP)と正常マウス(Veh)でのプロピオン酸ライジングにおけるVR1、NK1、B2受容体、PGの関与

審査要旨 要旨を表示する

 炎症反応は発赤・熱感・腫脹・疼痛を四大兆候とする一種の生体防御反応であるが、過度の反応では逆に、生体機能が障害され、疼痛が激しいと精神的な苦痛となり日常生活にも支障をきたす。現在、多<の鎮痛薬が治療に用いられているが、より有効で副作用の少ない鎮痛薬の開発のためには、多様な疼痛反応機構の詳細を明らかにすることが必須である。

 炎症時の疼痛反応は、炎症部位での痛覚受容器の刺激が一次求心性神経線維(主にC線維)を通り、脊髄、視床、大脳皮質知覚領へと伝わることで痛みとして認識される。この際、炎症部位で産生されたブラジキニン(BK)、サブスタンスP、プロスタグランジン(PG)や神経由来の神経伝達物質などの様々なメディエーターが関与することが示されている。生体内ではこれらのメディエーターが複雑に相互作用し合うことが予想される。そこで本研究では、“炎症性疼痛”のモデルを用いて、主要メディエーターの役割とそれらメディエーターの相互作用を解析することを目的とした。

 発痛物質としても知られる炎症性メディエーターのBKは活性化されたカリクレインにより、前駆物質であるキニノーゲンから産生される。このキニノーゲンを遺伝的に欠損しているラットを用い、足浮腫モデルにおけるBKの関与およびPGとの相互作用を検討した。

 カラゲニン足蹠皮下投与による足浮腫および熱刺激による疼痛はキニノーゲン欠損ラットでは有意に低値であった。また、ブラジキニンB2受容体拮抗薬(FR173657)は正常ラットの腫脹・疼痛反応をキニノーゲン欠損ラットと同程度まで抑制したが、キニノーゲン欠損ラットの反応には影響しなかった。従って、BKはB2受容体を介して、浮腫だけでなく疼痛にも深く関与することが示唆された。次に、シクロオキシゲナーゼ阻害薬であるインドメタシンの作用を同様に比較したところ、正常ラットの腫脹・疼痛反応はインドメタシンにより抑制されたのに対し、キニノーゲン欠損ラットの反応はほとんど影響されなかった。即ち、PGはBKが産生される時にのみ浮腫形成・疼痛を促進することが示された。PG自体には発痛作用がほとんど無く、BK刺激によりPGが産生されるので、BK刺激により産生されたPGが、BK応答を増強する可能性が考えられた。

 BK応答の増強に関与しているPGの種類を調べるために、PGI2受容体(IP)欠損マウスを用いて解析した。IP欠損マウスは野生型に比べてカラゲニンによる腫脹が有意に低値であった。また、インドメタシンは野生型の反応をIP欠損マウスと同レベルまで抑制したが、IP欠損マウスの反応には影響しなかった。PGi2の安定誘導体であるカルバサイクリンをBKと同時に足蹠皮下に投与したところ、顕著な腫脹増強作用が認められた。以上より、カラゲニン足浮腫モデルにおける腫脹と疼痛反応の初期にはBKとPGが深く関与すること、また、PGI2がBKの作用を増強することを明らかにした。

 BKとPGI2の細胞しベルでの作用を神経芽細胞腫Neuro-2A細胞を用いて検討した。まず、RT-PCR法によりこの細胞にB2受容体mRNAが恒常的に発現していること、また、[3H]BKを用いた結合実験によりBKの高親和性結合部位が存在することを確認した。B2受容体作動薬のBKおよびカリジンは濃度依存的に[Ca2+]iを上昇させ、このBK応答はB2受容体拮抗薬Hoe140により濃度依存的に抑制されたことから、B2受容体を介する応答であることを確認した。さらに、BK応答の細胞内情報伝達機構を検討したところ、外液のCa2+除去によっては有意な抑制は認められなかったが、PLC阻害薬のU-73122、Ca2+ストア枯渇薬のタプシガルジンにより顕著に抑制された。従って、B2受容体活性化によりPLCを介して細胞内Ca2+ストアからCa2+が放出することが示唆された。PGI2誘導体のカルバサイクリンによりBK誘発[Ca2+]i上昇は顕著に増強された。また、PKA活性化薬のforskolinによっても同様の結果を得た。従って、PGI2誘導体は、IP受容体に作用してcAMPを増加させPKAの活性化を起こすことにより、BK応答を増強すると老えられた。

 以上の研究により、PGはBKの作用を増強することでカラゲニン足浮腫モデルの腫脹と疼痛において主要な役割をすることが推定された。そこで、実際に疼痛モデルとして用いられており、既にPGとBKの関与が知られている酢酸ライジングモデルを応用して、さらに詳細に解析した。まず、酢酸以外の酸を検討したところ、プロピオン酸と乳酸が、酢酸と類似したライジング反応を誘発することを見出した。本研究で開発したプロピオン酸ライジングモデルを用いて、メディエーターの解析を行ったところ、BKのB2受容体拮抗薬Hoe140、インドメタシン、バニロイドVR1受容体拮抗薬capsazepine、NK1受容体の拮抗薬L-732138により抑制されたことから、酸誘発疼痛反応にBKとPGだけでなく、サブスタンスPの関与が、また今回初めてVR1受容体が深く関わることが推定された。また、VR1受容体拮抗薬は、酢酸、プロピオン酸、乳酸による反応をいずれも抑制したのに対し、中性の発痛物質phenylbenzoquinoneの反応には影響しなかった。従って、腹腔内投与した酸がVR1受容体に直接作用している可能性が老えられ、酸誘発ライジングモデルにおけるVR1受容体の重要性を明らかにした。この受容体は痛覚伝導路のC線維に局在するため、新生児期にカプサイシンを皮下投与してカプサイシン感受性一次求心性神経(主にC線維)を脱落させたモデルで検討した。カプサイシン処置動物では、酢酸、乳酸、プロピオン酸により誘発するライジング反応が正常動物に比べ顕著に低値であったことから、C線維を介する痛覚伝導であることが示された。

 プロピオン酸ライジングに対する各種阻害薬の作用をC線維脱落動物と正常動物とで比較したところ、正常動物で見られたcapsazepine、L-732138およびHoe140による抑制作用はC線維脱落動物では見られなかったのに対し、インドメタシンによる強力な抑制作用は両動物群ともに認められた。

 以上より、酸誘発疼痛反応には、カプサイシン感受性神経(主にC線維)を介する経路におけるVR1受容体、NK1受容体、B2受容体の関与が明らかとなった。また、PGは、単独では発痛作用が殆ど無いことが知られているが、カプサイシン感受性・非感受性神経を介する両経路に働いて内在性発痛物質の作用を増強し、強い疼痛反応を生じさせることが示唆された。

 以上本研究により、カラゲニン足浮腫および疼痛反応にはBKとPGが主要メディエーターとして関与しPGI2がBK反応を増強すること、その経路にcAMPが関与すること、酸誘発疼痛モデルにおいてはBK、PG、サブスタンスPの他にバニロイドVR1受容体が重要な役割を果たすこと、さらに、一次求心性神経のC線維の経路にはBK、サブスタンスPとVR1受容体が関与し、PGはC線維以外の経路においても炎症性疼痛に深く関わっていること、が明らかになった。従来は一つのモデルを用いて一つのメディエーターを検討した研究が多かったが、本研究から、炎症モデルの違いにより疼痛に関与するメディエーターは多様であり、メディエーター間に複雑な相互作用があることが明確に示された。これらの知見は炎症のメカニズム解明だけでなく、鎮痛・抗炎症薬の標的としても重要な示唆を与えるものであり、博士(薬学)の授与に値すると結論した。

UTokyo Repositoryリンク