学位論文要旨



No 214956
著者(漢字) 多田,孝正
著者(英字)
著者(カナ) タダ,コウショウ
標題(和) 天台仏教と東アジアの仏教儀礼
標題(洋)
報告番号 214956
報告番号 乙14956
学位授与日 2001.02.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第14956号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,清孝
 東京大学 教授 末木,文美士
 東京大学 助教授 池澤,優
 東京大学 教授 丘山,新
 国際仏教学大学院大学 教授 鎌田,茂雄
内容要旨 要旨を表示する

○第一部 天台仏教の形成とその展開

 荊渓湛然が天台の教学を東アジアに広めた功績は計り知れない。しかし一方、天台智〓が実践的体験の上で「即事而真」として握捉した般若波羅蜜の世界を、「即事而理」と考える方向へ向わせ、天台仏教を思弁的仏教へと進めたのである。その湛然の教学を踏襲した趙宋のより煩瑣な天台教学の体系によって、現代の天台教学が学ばれていることも事実なのである。

 これらの事情は、智〓の時代には存在しなかった華厳教学が次第に隆盛になったことと関係するが、智〓の仏教を学ぶ時、湛然や趙宋の教学を根底に置いて語ることが正しい理解であるとは思われない。智〓の仏教の本来の姿を語るためには、智〓以前の仏教がどのようなものであり、それに対し智〓は何をなしたのかという方向から追求されねばならないはずである。ところが、北朝の仏教文献の多くが散逸し、ややもすれば天台智〓の仏教は独創の法門であるという見解が先行しがちであった。

 本研究は、従来の宗派的・教学的な観点から天台智〓を眺めることを出来るだけ排除しながら、一つには先行する仏教からどのような影響を受けていたのかを追求すること、次には智〓自身の仏教観は如何なるものであるかを究明することにある。

 ただし、第一の問題では、先行する文献が少ないという事情から文献学的手法を採ることが困難であり、智〓の発想の原点は何処からきたのかというところに関心を持たざるを得ない。そこで『次第禅門』の「通明観」の記述を通して、智〓はそれを批判しつつも、息・色・心の観法を自身にも採用したこと、また所謂格義仏教の上に成立した三世間観を、「一念三千」を形成する三世間として用いたと考えられることを明らかにし、智〓も時代の人であることの一端を示した。

 また、慧思や天台の時代には、当然後代の華厳思想は確立していなかったのであり、そのような状況の中で、教判の問題は別に置くとして、華厳経はどのように扱われたのであろうか。地論、摂論宗と天台の思想は対比的に扱われてきたが、その点はどうなのか。この点に関しては、『摩訶止観』の十乗観法の構造は、華巌経の十住・十地の構造を換骨奪胎したものであること、また地論宗の十地の見方に「修」と「成」とがあり、その「修」の考え方が十乗観法に採用されていること、さらに「摩訶止観』の五略十広の分科に「摂大乗論」の影響が見られることを示唆した。

 次に、天台智〓の仏教の到達点を示す所謂天台三大部を読解し、心・仏・衆生の三法それぞれの捉え方を通して、智〓自身の仏教観に直参しようと試みた。その結果、「己心」や「一心」という用語は、後代の教学でいう意味とは異なって、私の身心そのものを指しているのではないかという結論に至ったのである。また、智〓は「諸法実相」を説くに当たって蓮華三喩を以て説明するが、これに『法華玄義』において強調される父子の関係を重ねることによって、より切実に我々に訴えかけるものがある。法華経でもこの父子は説かれているのであるが、智〓程これに固執した人師は他になく、父子の関係をもって法華経を説くことによって、中国文化の中に彼の仏教を浸透させようとする意図を持っていたのではないかと思わせる。

○第二部 准提信仰と顕密円通成仏心要集

 天台の仏教を考えている最中、縁あって沖縄の調査に呼ばれた。そこで宗派の匂いのしない仏教の風に当たった。「一体これは何だろう」と、琉球王の墓に刻まれた「〓嘛〓叭弥吽」を手がかりに、明清の仏教の世界に入り込んだ。この時代の歴史等の研究は盛んであるが、いざ仏教信仰の実態はどうかを知ろうとするとなかなか良好の手引きが少なく、結局心当たりの准提に関する明代の文献の序文を読み解くという所から始めなければならなかった。しかし、隋唐の仏教文献を読む知識しか持たず、語法も変化し、社会状勢の知識に乏しい私には難解であり、およそを理解するにも大変な時間が必要であった。

 その中で准提信仰に係わった人達に在家の信者が多く、それが明末の四大法師達と何らかの関係を持っていたらしいこと、また准提信仰が形成されてくる過程において宋代の浙〓の文化、宋学、華厳教学などと関係があること、特に『顕密円通成仏心要集』の影響が顕著であることが明らかになった。この書は大正新脩大蔵経四十六巻諸宗部三、所謂天台部の最後に収録されているのであるが、実はそれ迄繙いたこともなかった書物である。

 この書の准提に関する記述は興味あるものであるが、それよりもそこに展開される仏教観は、天台の教判、華厳の教判と次第して来た中国の仏教の流れの中では、当然の帰結の一つとして考えられ得るものであるが、遼国の僧道〓というあまり知られることのない僧の手によって密教と華厳と天台とを合従させた教判が出来上がったということに非常な驚きを感じた。五代から宋にかけ中国は変容の時を迎えると一般的に云われているが、仏教においても例外ではなかったであろう。

 『顕密円通成仏心要集』は不完全ではあるけれど、宋代における新しい教相判釈と認めてよいものである。本書は華厳教学に天台の実践道を採用し、顕円と密円と同等のものと理解した上で作成されたものと見ることが出来る。華厳思想に天台の実践法を結合させるという考え方は、既に法蔵によって示され、宗密はその意図を継承したものであるといわれる。道〓もその線上の人と云える訳である。ただ、華厳の顕円と真言の密円とを同等のものとおいた点に関しては、道〓は何のコメントも与えていない。このことは道〓の示した仏教観というものが、ただ密教に関してだけではなく、遼の社会・文化の要望の中から生み出されたものであることを意味しているのではないだろうか。

 少なくとも、我々が唐代までの仏教教学を考える時、そこに偉大な哲人、聖人の思想を置いて、彼らがどのような仏教の世界を開いたかという点に重大な関心を寄せて、その思想を解明するよう努力してきた。しかし、遼代・宋代に入り社会が変革され、一般大衆の文化も多様化してくる中で、仏教者達は大衆の要望を無視出来得ない一面を持ったのではないであろうか。その意味で『顕密円通成仏心要集』の成立は、新しい時代に新しい仏教が出現したのだといえなくない。それは教理教学を重視する仏教の立場と異なり、中国仏教の底辺を形成した一般庶民の共感を得る魅力を持った仏教の登場であった。

○第三部 志磐と水陸儀軌

 水陸会は現在でも中国仏教圏では盛んに行われている法会であるが、この法会の基本的儀軌は明の雲棲〓宏が宋の志磐の編集したものを重訂したものに依っている。そこで、この〓宏の儀軌には志磐の意向は反映されていないと、今まで漠然と考えられてきた。しかし、韓国には〓宏の重訂以前の志磐本の一部が残っており、韓国にのみ現存する中国撰述と考えられる水陸会の諸儀軌と比較検討すると、〓宏の重訂本にも充分に志磐の意思を読み取ることが可能であることが判明した。ところが、朝鮮においては志磐本の原本を非常に不思議な形で受容する。すなわち、中国において流行した志磐の水陸会が、朝鮮の水陸会には反映されなかったのである。このことは、朝鮮の仏教文化と中国の仏教文化を比較する上で、非常に重要な観点を提示するものであろう。

 この〓宏本の内から志磐の意見を解明していくと、少なくとも南宋末には『顕密円通成仏心要集』の世界が展開されていることを窺うに足るものが出てきた。このことは明清の仏教を解明する手がかりとなるものであると同時に、従来の趙宋天台の流れを再考する必要が生じたということが出来るのかもしれない。

 宋代に入り、中国の華厳思想を意識した上で、趙宋の天台教学が展開された。智〓においては、ただ「己心」という用語で示されるに過ぎない考え方を、「妄心」と規定する山家学派と、「真心」とする山外学派との間に論争が展開された。その結果、四明知礼の活躍によって、山家学派が天台の正統として認められることになったが、それは仏教学というレベルでそうなっただけなのかも知れない。一般大衆に開放されるようになった仏教は、学問のレベルに止めておくことは出来なくなった。志磐の『水陸儀軌』はこのような状態の中で作成されたものと思われる。

 我々は志磐の『仏祖統紀』の歴史上の記述から多くを学んできたが、志磐自身の仏教観について関心を持ったことがあるであろうか。従来の天台教学史における趙宋天台への言及は、知礼と遵式を語ること、山家山外の論争を知ることに止まる傾向があったことは否めない。『水陸儀軌』の考察を通じて知られる志磐は、知礼より二百五十年も経過したのであるから当然であると云えば当然であるが、山家派とも定められないような世界の住人であるように思える。しかし、志磐とその『水陸儀軌』の存在は、宗派の中の系列のみに目を奪われず、社会的・文化的背景に目を向けつつ、時代の仏教の全体像を解明する必要性があることを提起するものである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、従来の中国仏教研究の諸成果に対比してみるとき、およそ三点ほどの基本的特徴を有する。その第一は、「東アジア」という大きな視座のもとに中国仏教の展開を捉えようとしていること、第二は、華厳思想とともに中国仏教の哲学的精華を代表する天台智〓の思想を一つの中心的な研究対象としながら、その「教学」や「教学史」ではなく、むしろそれが形成されてくる思想史的背景の解明に力を傾けていること、第三は、中国仏教の民衆化のあり方やその宗教性・芸術性を探る上で極めて重要であるにもかかわらず、採り上げられることの少なかった信仰・儀礼の実態の問題を、主に天台仏教との関わりにおいて、文献調査とフィールド・ワークの両面から追求していることである。

 本論文は、第一部「天台思想の形成とその展開」、第二部「准提信仰と顕密円通成仏集」、第三部「志磐と水陸儀軌」の三部から成る。

 このうち、第一部では、天台宗の大成者智〓(538-597)の修禅の背景にある北地の禅者たちの「通明観」の内容とその意義、天台宗の「九師相承説」、十乗観法成立の経緯とその背景、法華系仏教において仏と衆生が父と子に類比されることの意味、などの究明が遂行されている。これらの研究は、祖統や宗派の枠組みを外して天台智〓を見るとき、かれがいかに位置づけられるべきかを探る試みともいえよう。いくつかの問題の掘り下げ方に若干不満も残るが、「通明観」が偽経『提謂経』の成立に影響を与えたであろうこと、天台宗の中心的教義とされる「円融三諦」が、「境地」ではなく、「主体的活動体」と捉えられるべきことなど、注目に価する新知見が散見される。

 第二部は、論者が沖縄において目にした尚寧王(1589-1620)の石棺を飾る宝珠に刻まれた六字の真言(〓嘛叱叭弥吽。Om,mani padme,hum)に触発されて進めてきた研究の成果である。ここでは、主にその六字の真言を中国において初めて密教の枢要と見なして取り込んだと推測される遼代の道〓(生没年不明)撰『顕密円通成仏心要集』の緻密な解読に力が注がれている。とくに評価されるところは、天台思想と華厳思想の導入の様態が明確化されたことであろう。ただし、内容の分析には、ときに不十分な点も見受けられる。けれども、これまで本書がほとんど等閑に付されてきたことを考えれば、それはやむをえまい。

 第三部は、現在も台湾などにおいて行なわれている東アジア仏教の主要な法会である水陸会の「儀軌」としての成立とその伝承・流布について、南宋の志磐(-1269-)が編纂したものを明代の〓宏が重訂した一本、その〓宏本を清代の儀潤が再刊した一本、および、それらとは異なる水陸会関連テキストを伝える韓国の諸本を比較・検討したものである。ここでは、天台思想と華厳思想の統合を意図した志磐の思想的立場の再評価がなされるとともに、韓国における水陸会の文化的独自性が浮き彫りにされている。

 要約していえば、本論文において論者は、現実社会に生きた仏教を明らかにしたいという思いから、まず天台智〓の思想を広い視野に立って考察し、その思想史的位置づけを試みた。この論考によって、智〓が単に「天台宗祖師」にとどまらない「中国仏教者」であることがかなり明確になったと思われる。ついで論者は、この成果の上に、智〓によって大成された天台仏教がその後の東アジア世界にどのように受容され、定着し、さらにまた改変されてきたのかを、准提信仰と水陸儀軌に着目して真摯に追求した。これは、仏教思想の中国民衆社会への浸透と儀礼化、あるいは中国民衆社会が仏教をどのような形で捉え、受け入れてきたかという、基層における仏教と中国社会との交渉についての意欲的な研究といえるもので、論者は実際、その一面を開示することに成功している。論文としての体系性にやや欠ける憾みはあるが、研究方法としても新しい試みであり、学界に大きく寄与することは間違いない。

 以上により、本審査委員会は、結論として、本論文を博士(文学)の学位に相当する業績と認定するものである。

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