学位論文要旨



No 214962
著者(漢字) 小野,豪
著者(英字)
著者(カナ) オノ,ゴウ
標題(和) アミド部位を有するTTF誘導体を用いた水素結合性分子錯体の構造と物性
標題(洋)
報告番号 214962
報告番号 乙14962
学位授与日 2001.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第14962号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,啓二
 東京大学 教授 菅原,正
 東京大学 助教授 阿波賀,邦夫
 東京大学 助教授 村田,滋
 東京大学 助教授 松下,信之
内容要旨 要旨を表示する

 近年、新規材料の創出という観点から、有機分子の集合体である分子結晶に、本来有機物質とは無縁と思われていた、電導性・磁性といった物性を付与させる研究が活発に行われている。有機分子性結晶が、この様な機能性を示すためには、その構成要素である有機分子が、結晶内で機能発現に適した形態で配列されている必要がある。従って、機能性分子結晶の創出においては、分子配列の制御を目的とした、いわゆる「結晶工学」的手法が不可欠である。

 一方、有機分子の自己集合化については、超分子化学と呼ばれる分野が急速に進展した。そこでは、ホスト-ゲスト化合物、クラスター、包接化合物など有機分子の集合体に着目し、その構造形成機構や構造・機能相関について詳細な考察が行われている。有機分子結晶に階層性を持ち込み、より高次の機能を実現していくには、このような超分子化学の成果を参考としつつ、有機分子間に働く様々な分子間相互作用を自在に操る方法論を確立することが、重要であろう。

 ところで、これらの超分子を形成するための駆動力として、最も多用される分子間力に、水素結合がある。導電性などの機能を示す分子に関しても、分子間水素結合部位を導入し機能性分子結晶の構造の制御を試みた例が、いくつか報告されている。しかしながら、その多くにおいて、分子間水素結合が、必ずしもドナー分子の配列を効果的に制御しているとは言い難い。さらに、分子間水素結合が結晶構造形成に及ぼす効果について、電荷移動相互作用などの他の分子間相互作用と対比しつつ、包括的に議論した報告に至っては、ほとんどないのが現状である。

 以上の観点から、筆者は有機分子の機能性集合体の1つである導電性分子結晶に、分子間水素結合という付加的な相互作用を導入することで、1)有機ドナー分子間に働く分子間相互作用と分子配列との相関を解明すること、およびこの知見を基に、2)分子間水素結合を用いて、分子結晶の構造および物性を制御することを目的とした研究を展開し、その成果を本論文にまとめた。アミド基を持つTTF誘導体AMETの中性結晶における分子配列と物性

 筆者は分子間水素結合を導入する手法として、高分子的な1次元水素結合鎖を構築するアミド基に着目し、ドナー分子に直接構造制御部位としてカルバモイルメチル基を導入した、ドナー分子AMETを設計・合成した。

 X線結晶構造解析の結果、AMETはその中性結晶において、カルバモイルメチル基が高分子的な水素結合鎖を形成し、これに沿ってドナー部位が一次元的な積層構造を構築していることがわかった(図1)。これはBEDT-TTFや従来のアミド導入型ドナーのヘリングボーン構造とは全く異なっており、分子間水素結合がその分子配列に効果的に作用した例といえる。

 AMETの中性結晶は、また、ヨウ素を45%ドープすることで室温電導度が107倍も増加し、半導体的な挙動(σn=0.12Scm-1,Ea=0.08〜0.11eV)を示した。これはBEDT-TTFの中性結晶にヨウ素ドープした場合と比較して、約30倍良好な導電性である。一方、赤外線吸収スペクトルによる検討において、ヨウ素ドープの量が45%以下の場合には、AMETのアミドI吸収帯の波数にシフトが見られないことから、アミド基の水素結合鎖はヨウ素ドープに対しても保持されていることが示唆された。それに伴い、AMETのドナー部位のカラム構造も維持され、良好な導電性を示したと考えられる。

 以上の検討より、アミド基の形成する高分子的水素結合は、ドナー分子の中性結晶および錯体結晶の構造に影響を与え、導電性分子錯体の物性を制御できることが明らかになった。

アミド基を持つドナー(AMET)の分子錯体にみられる構造形式と物性発現

 ドナー分子からなる分子錯体では、ドナー分子間に働くSOMO-SOMO/SOMO-HOMO相互作用による吸引力が、主としてその分子配列を決定する。筆者は、これらの相互作用に加えて、さらにアミド基の分子間水素結合が導入されたAMETの分子錯体について、その構造と物性を検討した。

 得られたCT錯体及びラジカルイオン塩のうち、混合原子価状態にある(AMET)2・F2TCNQ錯体では、ドナー部位が一次元積層構造を構築している。一方、ドナー分子が完全に1電子酸化されているANET・F4TCNQ錯体およびAMET・BF4塩では、ドナー分子がface-to-faceの2量体を形成し、これがドナー分子の横方向でS…S接触を持った、2重鎖型の相互作用系(分子ラダー)を構築していることがわかった(図2)。さらに、AMET・BF4塩は、AMET2分子とBF4イオン2つからなる、アミド基の水素結合を介した包接体を形成しており、超分子形成の観点からも興味深い系といえる。

 次いで、ANETの分子錯体の物性について考察した結果、AMET・F4TCNQ錯体の磁化率測定において、AMETのカチオンラジカル種に由来すると思われる特異な磁気的挙動が観測された。重なり積分等の検討より、この錯体の形成するスピン系は、結晶内におけるAMETの分子配列に由来する、フラストレーションを持った2重鎖として解析できることが明らかとなった。

 以上の結果より、AMETは分子錯体においても、アミド基の分子間水素結合により、構造化された分子配列を実現しやすいドナーであることが見出された。修飾型アミド基を持つドナー(MAMETおよびDMAMET)を用いた分子錯体が示す超分子構造

 結晶内の水素結合様式の相違が構造に与える影響を検討するために、筆者は、AMETのカルバモイルメチル基をN-メチル化したMAMET、および(N-メチル)カルバモイルメチル基を分子内に2つ導入したDMAMETの合成を行い、その分子結晶の結晶構造と物性について考察した。

 アミド基にメチル基を導入して、水素結合可能な水素原子を制限したMAMET・ClO4塩は、ドナーとClO4-イオンとの間で1:1の水素結合が形成され、ドナー部も積層構造を形成する。このMAMET・ClO4塩は、ドナー部位のスタッキング内でのS…S接触がほぼ等しいことから、ドナーと対イオンの比が1:1であるにも関わらず、金属的挙動を示すことがわかった。一方、N-メチルカルバモイルメチル基が2つ存在するDMAMETのClO4塩では、2重の高分子的水素結合鎖からなる、複雑な水素結合様式を構築していることがわかった。両者の塩とも対応するAMET・BF4塩とは結晶構造が大きく異なっており、結晶内に構築される水素結合様式により、超分子的な構造体が形成された点に特色がある。

 以上、アミド基を有するドナー分子AMET,MAMETおよびDAMAETを用いた、分子錯体の構造と物性について考察した。その結果、筆者は分子間水素結合を、他の分子間相互作用とのバランスを考慮しつつ協同的に働かせるという結晶工学的な手法により、機能の制御を行うことが可能であることを示した。以上の知見は、新しい物性を示す分子性結晶を創出する指針として、意義深いものと言えよう。

図1 中性結晶におけるAMETの水素結合様式(N-H…O間距離2.81Å)とドナー部の積層構造

図2 ANET・F4TCNQ錯体において構築されるAMETの2重鎖型相互作用

図3 DMAMET・ClO4塩でDMAMETの構築する高分子的二重水素結合鎖.(N-H…O間距離2.85Å)

審査要旨 要旨を表示する

 本論文はタイトルに明示されている通り、導電性有機錯体のドナー成分となる化合物にアミド基を導入し、水素結合による結晶構造制御とそれに伴う電子物性の関連を研究したものである。全体は5章からなり、第1章は導入説明、第2章以降は研究対象とした化合物別にそれぞれの研究成果を記述している。

 第1章では、導電性や磁性のような物性を有機分子性結晶に発現するために、如何に結晶構造の制御が重要であるかを論述し、結晶工学的手法を用いて導電性有機錯体の開発にアプローチする意義を説いている。その有効性を試す具体例として、アミド基を結晶構造制御部位に用いたドナー分子を提唱している。アミド基は水素結合ドナーとしても、またアクセプターとしても作用する官能基であり、また、生体高分子においても重要な役割をもつ水素結合部位である。これらの点に注目した分子設計には、高いオリジナリテイーが認められる。

 第2章では、まず有機導電体のドナー成分としてよく知られるTTF分子の骨格をもつ誘導体に、アミドという官能基を置換させた化合物、AMETの設計・合成について述べられている。この化合物は、独自に開発した反応を含む数段階の反応経路を経て、高収率で合成された。X線結晶構造解析の結果より、AMETはアミド基の分子間水素結合により1次元鎖状に連なり、骨格となるTTF分子面どうしの重なりによるカラム構造が実現されていることがわかった。まさに水素結合の効果が予期した通りに現れた典型例と言うことができよう。TTF部分がカラム型積層構造をとることから、この結晶にヨウ素をドープすると、伝導度が5桁程高まり、半導体的な挙動を示すことを見出している。さらに、ヨウ素ドープした試料に、圧力をかけると伝導度がさらに上昇することもわかった。この圧力効果の詳細な検討結果も、水素結合と言う主題に叶ったアプローチであり、アミド基の水素結合が構造制御に与える特色を、見事に引き出した点は特筆されよう。

 第3章では、上記AMET分子の電荷移動錯体およびラジカル塩を作成し、それらの結晶構造と物性に関する研究結果を記述している。強力なアクセプターであるフッ素二置換TCNQとの電荷移動錯体では、ドナー部位が一次元積層構造を構築している。これに対し、アクセプター性がさらに強いフッ素四置換TCNQでは、ドナー部位は完全に一電子酸化され、二重鎖型の分子配列となることを見い出している。無機イオンを対アニオンとするラジカル塩についても、伝導度と結晶構造との関係について詳細に調べているが、その中でも、特に、アクセプター分子あるいは対アニオンとの水素結合を持つ結晶を得ている点が注目される。アミド基の存在が、分子配列の制御の範囲を拡張したという意味で、水素結合の意義をあらためて認識させる成果である。さらに、これら錯体の結晶構造が、アミド基の水素結合、ドナー間の静電相互作用、あるいは分子のパッキング上の要請などと兼ね合い、あるいは相互に影響し合って、決定されている様を深く掘り下げて議論している。

 第4章ではAMETを用いた分子錯体の導電性および磁性が述べられている。AMETとテトラフルオロボレート塩について電子スピン共鳴、SQUID磁束計を用いた磁気的測定を行ない、二量体間の反強磁性的相互作用が支配的であることを明らかにしている。一方、フッ素四置換TCNQ錯体の磁化率には、ラジカルカチオンの二重鎖型配列およびラジカルアニオンのスタック中で熱的に励起された2種類のスピンが寄与していることを見出している。特に前者のスピンに基づく磁化率は、重なり積分の理論計算の結果、スピンフラストレーションを有する特殊なスピン系として解析できることがわかった。この結果は正に、アミド基を修飾したドナー分子により得られた、特色ある分子配列を反映した物性発現の好例とみなすことができよう。

 第5章では、さらにアミド部位を持つ3種類のTTF誘導体、NAMET、DMAMET、MAMET、を合成し、それらの分子錯体について構造と物性の関係について記述している。これらのドナー分子には、置換したアミド基の数が複数個存在しており、そのためより多彩な結晶構造が得られている。DMAMETと過塩素酸との塩については、二重の高分子的水素結合鎖といった複雑な構造が実現されていることを、X線結晶解析より明らかにしている。ドナー分子内の水素結合部位の数の増加により、ラジカルイオンの水素結合様式が高次化し、それに伴ってドナー部位の配列も変化していくことを綺麗に示したと言えよう。また、MAMETの過塩素酸塩において、ドナーとイオンが1:1組成比にもかかわらず、金属的な挙動を示すという非常に興味深い現象を見い出している。

 以上のように、本論文は、アミド基によりもたらされた分子間水素結合が、分子間に働く他の分子間力と協調しつつ、特色ある分子配列を実現としていく様を詳細に解明し、さらにその結果を踏まえ、今後の結晶構造制御に役立つ指針を与えたものとして、高く評価することが出来る。

 なお、本論文中の第2章の一部は、泉岡明氏、菅原洋子氏、および菅原正氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分てあると判断する。同じく、第3章の一部は、寺尾浩志氏、樋口三郎氏、泉岡明氏、持田智行氏、および菅原正氏とのの共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって、本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク